第陸話 歓談のつみれ汁
果たして人形は十数分ほどで帰ってきた。
それは高い空の上から主人を見つけると、一直線に降下する。
そうしてこのはの胸の前で停止すると、指のない両腕で抱えていた折った半紙差し出した。
彼女がそれを受け取ると、役目を終えた人形はしおしおと力をなくして地に落ちた。
「どうだった?」
助六が駆け寄り、半紙に書かれた返答を聞く。
「明日また、来てくれるそうです」
半紙に記された返答を読み上げ、このはは尻尾を振った。
「それじゃあ早いところ片付けちゃいましょ」
「そうだな」
鈴の一声で、三人は作業を再開する。
このはが新たに持ってきた漂着物の中にも、ルービックキューブやリバーシといった昔懐かしいアナログな玩具がいくつか混じっていた。
「この四角い箱、色鮮やかできれいですねぇ」
ルービックキューブを手に取り、このはは目をきらきらと輝かせる。
尻尾をぱたぱたと揺らして、赤や黄色のモザイクとなったキューブを眺めている。
「ほら、貸してみ」
助六はルービックキューブを受け取ると、さくさくと迷うことなく捩じっていく。
彼の手の中で次々と色を変えるキューブに、このはは思わず見入っているようであった。
「ほらできた」
「おお~!! すごいです! さすがのあるじ様です!!」
ものの数分で六面すべての色がそろったキューブに、このはは感激の声を上げた。
「こらそこ、ちゃんと作業してよね」
壊れたパソコンの筐体を山に放り上げながら、鈴が半眼で声を飛ばす。
「鈴さん、見てください! あるじ様はとってもすごいのです」
「はいはい。……まったく、昔から助ちゃんってこういうのはうまいのよねぇ」
鈴に駆け寄り、助六が完成させたキューブを見せつけるこのは。
彼女の純粋さに心を焼かれながら、鈴はあきれたように助六を見やる。
助六は手先が器用で、たいていの物は自分で直してしまう。
その延長にあるのか、彼は昔からこういったアナログな玩具の扱いも同級生の中でも飛びぬけてうまかった。
「へへ、ほめるなよ」
「ほめてないわよ。ほら、さっさと手動かす」
鈴は得意げな助六をすげなく一蹴し、ガラクタの山の前まで連行した。
「さっさと片付けないと、日が暮れるわよ」
「…………はーい」
母親のように小言を洩らす鈴に、助六は歯噛みしながらも作業を再開する。
そうこうしているうちにこのはが集めてきた分の漂着物は分別を終え、蔵の前には三つの山ができていた。
「それじゃ、こっちの山は蔵に運び込めばいいのですね」
「ああ。よろしくな」
隔世でも使える、電力などを必要としない物品の山を、このはの妖術で運び込む。
トラックよりもはるかに効率的に大量の荷物を運搬できる彼女の妖術は、現世よりも便利な技術の一つだ。
「こっちの二つの山はどうするのですか?」
「そうだなぁ。隔世で使えるわけでもないし……」
このはの問いに、助六は山を見上げて途方に暮れる。
「助ちゃんの気が向くときにでも、ちょっとずつ修理していったらいいんじゃない? 工作好きだよね?」
「工作ってレベルじゃない気もするけどな……。まあ一応、こっちに工具箱だけ持ってきとくかな」
鈴の提案を受け、助六は明日この隔世に持ってくる品を脳内でリストアップし始める。
「それじゃあ、今日はありがとうございました」
このはが二人の前に立ち、ぺこりと頭を下げる。
助六と鈴は顔を見合わせると、ふっと笑いを吹きだした。
「俺たちも、こんな世界があるとは思わなかった。隔世という世界があるって知れただけでも、この仕事を受けた甲斐があるってもんだよ」
「そうねー。私も瀬川書房二号店を出せるんだし、文句なんてないわよ」
「あれ建前って言ってなかったか?」
「なによ? 隔世に現代知識を広めるのもおもしろそうだし、本を売りたいのよ」
「あ、あの二人とも、落ち着いて……」
早速口論になりかけた二人を、このはが涙目で止める。
邪気のない彼女の表情に、二人は視線を外すと、短く唸った。
「ま、まあとりあえず。別にお礼を言われるようなことなんてないよ」
「そういうことだ」
「~~~!!!」
助六たちがふっと笑いかける。
このはは感極まって尻尾をぶわりと膨らませると、ぶんぶんとちぎれそうなほどに盛大に降り始めた。
「そうだ、あるじ様。今日は歓迎会を開きましょう!」
「歓迎会?」
「そうです。歓迎会です! あ、あまり豪華なものはできませんが……」
駄目でしょうか? と上目遣いで尋ねるこのはに、二人は心臓を射抜かれた。
「よし、やろう」
「そうね。やりましょう」
「わーい!」
このはは両手をあげて喜ぶと、早速月影庵のほうへと走り去る。
助六たちが追い付くと、早速竈に火を入れていた。
「あるじ様と鈴さんは、どうぞ奥でお待ちくださいっ!」
漂流物集めの時よりも張り切っている彼女を前にして、手伝いを申し出る間もなく二人は奥の座敷に押し込まれる。
せわしない作業の音を聞くこと数分、障子の隙間から芳しい出汁や醤油の香りが漂ってきた。
「やっぱり隔世の料理は和食なんだろうかね」
「家の様子とか見る分だと、多分そうよね」
今度洋食のレシピブックも持って来ましょう。と鈴が言う。
「お待たせしました~!」
助六たちが話に花を咲かせていると、障子が開かれこのはが顔を出す。
慣れた手つきで囲炉裏の火を熾し、彼女は鉄鍋を吊り下げた。
「おお……!」
「おいしそうっ!」
ぐつぐつと煮える鍋をのぞき込み、二人は歓声を上げる。
「黄金ヶ原で採れる山菜と鶏のお肉で作ったつみれ汁です」
あまり豪華なものではないのですが……、とこのはは顔を赤らめる。
だが、黄金色に透き通る出汁や色鮮やかな山菜、柔らかなつみれはどれも丁寧に作られて、彼女の細やかな気遣いが見て取れる。
これほどまでに、食べる人を想って作られた料理を、二人は知らなかった。
「食べてもいいか?」
「も、もちろんですっ」
「いただきますっ!」
助六達は差し出された木椀と箸を受け取ると、一斉に食べ始める。
「お、おいしいいい!!!」
「うっま、え、これうますぎるっ」
舌の上でじわりと融けるうまみ。
今まで感じたことのないやさしい味に、二人は目を輝かせる。
柔らかい筍や、タラの芽といった山菜の香りもよく立っている。
「あ、おにぎりもありますよ!」
このはは予想外に激しい二人の食べっぷりにわたわたと土間に戻り、大皿に乗ったおにぎりを持ってくる。
「おおおおおお!!! これもいただきますっ!」
助六はそのうちの一つをつかみ、かぶりつく。
具はシンプルな梅である。
つやつやとしたご飯がほろほろと崩れ、素朴な甘みをもたらす。
その中に紛れ込む、一粒の刺激。
梅のさっぱりとした酸味が全体の味を引き締め、さらに昇華させていた。
「おいしい。おいしいよ、このは」
食べる手を休めることなく、助六が心からの言葉を告げる。
都会ではインスタント食品ばかりの生活だった。
彼にはこのはの思いが詰まった料理の数々が、ひび割れた心を修復していくように感じた。
「うふふ。ありがとうございます」
小柄な椀につみれ汁を盛りながら、このはは耳をくるくると動かす。
「このはちゃん!」
唐突に、鈴がこのはに向き直る。
「は、はいっ!」
あまりの気迫に思わず背筋を伸ばし、このはが彼女のほうへと視線を向ける。
そこには、縋るような目をした鈴がいた。
「あの、非常に申し上げにくいのですが……」
「な、なんでしょうか……」
改まる彼女に、このはは怯えた。
「私に料理を教えてくださいっ!」
鈴の言葉に、このははぽかんと口を開ける。
鈴は恥ずかしそうにもじもじと指を絡ませて、言葉を続ける。
「私、実は料理が苦手なんだよね……」
隣で助六が深くうなずく。
勉強も運動もそつなくこなす彼女の数少ない欠点の一つが、料理下手であった。
「俺からもぜひ頼む。小さいころ、何度死にかけたことか……」
「そ、そんなものは作ってないでしょっ!」
顔を赤らめ拳を振り上げる彼女に、助六は柄の悪い笑みを浮かべるのみである。
「ま、まあそういうわけなんだけど。いいかな……?」
「……はい。私にできる範囲でしたら、よろこんで!」
快く頷くこのはに、感極まった鈴は涙を浮かべて抱き着いた。