第参話 土地神このは
「あるじ様、あるじ様。お待ちしておりましたっ」
突然の出来事に、その場にいた全員が硬直する。
唯一、助六に抱きついた狐の少女だけが、回した両手の力を強め、さらに密着しようとする。
黄金色の尻尾がぶんぶんと勢いよく振られ、彼女の感情の高ぶりを鮮明に表している。
「ちょ、ちょっと!! あなた何してるのよ!?」
三人の中で、いち早く硬直が解けたのは鈴だった。
絶叫した彼女は助六の肩をむんずと掴み、少女から引き離す。
助六はといえば、「も、もふ……」などとうわごとをつぶやきながら、未だにフリーズしている始末である。
「甘太さん! この子は誰!?」
「む? こやつが言っておった土地神だ」
鈴の矢のような声が飛び、口を開けて呆けていた甘太が我に返る。
「こんなちっちゃい女の子なんて聞いてないわよ!」
「そうは言われてもな……」
今にもつかみかからんばかりに迫る鈴に、甘太は丸い尻尾を膨らませ汗を垂らして視線をずらす。
だが、甘太のずらした視線の先には、鈴と同じくらい困惑している少女の顔があった。
「大五朗様、このお姉様はどなたでしょうか?」
「ふむ、このはには助六の事しか伝えていなかったな。こやつは鈴といって」
「助ちゃんの雇い主よ」
「…………まあ、間違ってはおらんな」
甘太の言葉にかぶせ、鈴はきっと少女を射抜く。
荒ぶる鈴に気圧されることなく、狐の少女は会釈した。
「お初にお目にかかります。わたしはこのはと申します」
以後お見知り置きを、と言って微笑む彼女に、鈴は毒気を抜かれたようだった。
「う、うん。こちらこそ、よろしく」
頬を膨らませながらも、鈴はこのはの鳶色の瞳をまっすぐ見つめて頷いた。
「あの、俺も紹介してもらっていいかな……」
そう遠慮がちに声をあげたのは、ようやく思考回路が氷解した助六である。
その声にピンと耳を立てて、このははくるりと身を翻す。
「あるじ様! わたしはこのはと申します。これから、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします!」
「あ、あるじ様っていうのやめて貰えないかな? はは……」
先ほどとは打って変わって、年相応の少女のように目を輝かせるこのはに、助六はしどろもどろになる。
初対面のはずなのに、なぜかすでに懐かれている雰囲気で、対応に困っていた。
このはの肩越しに見える鈴がむすっと頬を膨らませているのも無視できない恐怖であった。
「ですが、あるじ様はあるじ様なのです……」
しゅんと頭の上の耳を力なく倒すこのはに向かって、助六はこれ以上なにも言えなかった。
「じゃ、じゃあもうあるじ様でいいよ」
「…………助ちゃんのばか」
「なんで!?」
折れた助六に飛んでくる突然の罵倒に困惑していると、甘太が尻尾の先でぽこぽこと床を叩く。
「そろそろ、案内に移りたいのだが」
「あ、ごめんごめん」
甘太に先導されて、助六たちは小屋の中程まで進む。
薄暗く、全体的に埃が薄く積もったような、端的に言えば古く見すぼらしい内装である。
「ここは影月庵。このはが住む庵だ」
その説明に、このははうんうんと頷く。
部屋の隅に煎餅布団が畳んであったり、御膳が棚に片づけてあったりと、そこはかとなく生活感が漂っている。
土間には竈や近所の湧き水から引いたという流し台もあり、簡単な煮炊きならば不自由しないようだった。
「このははずっとここに住んでるのか?」
「はい! 龍神様よりここ黄金ヶ原の管理を任されて以来ずっとここに住まわせてもらっております」
現代の便利な家電に囲まれた生活になれた助六や鈴にとっては、昔話にでてくるようなこんな家で生活できるのは、ある種の尊敬を覚える事だった。
薪を用いた竈など、小学生のころ行った林間学校の飯盒炊爨でしか体験したことがない。
「すごいな、このは」
「うふふー、ありがとうございます!」
「何を誉められてるのか分かってるのかしら……」
無垢な笑顔を浮かべるこのはを、鈴は一抹の不安を覚えながら一瞥した。
「では、外に出るぞ」
甘太の声に従い、一行は庵の外へと向かう。
土間から通じる木戸を開くと、助六の眼前に広大な原野が現れた。
「おお……!」
思わず、彼の口から感嘆が漏れ出す。
突き抜けるような蒼穹の下、果てなく続く荒野である。
”門”の中では小さいという甘太の言も、にわかには信じられない。
助六は、この野がまさに今も無限に広がっている錯覚を覚えた。
「なんだか、すっごい荒れてるわね」
助六に続いて出てきた鈴が、率直な感想を漏らす。
確かに、黄金ヶ原とは名ばかりの、くすんだ枯草が点在するだけの寒々しい風景である。
風が吹けば乾いて絡まった蔦が転がり、生命の息吹はどこにも感じられない。
「それで、あれが……」
助六がおもむろに指さした先、そこには助六や鈴が見慣れたテレビや電子レンジといった家電が無造作に転がっていた。
「あれが隔世に流れ着く漂流物?」
「そういうことだろうなぁ」
「うぅ、今朝も庵から見える範囲はほとんど片づけたのですが……」
言葉をこぼす二人に、このはは申し訳なさそうに耳と尻尾をたらした。
彼女の言葉を引き継いだのは、最後に戸口をくぐった甘太だった。
「このように、”門”には昼夜を問わず多くの物品が流れ着く。元は現世より流れてきたもの、片づけを手伝っていただきたい」
「漂流物って不法投棄とかされた物なんだよな……」
「ちょっと責任感じちゃうね」
泥に汚れ、壊れかけたものもあるガラクタの山に、二人は目を伏せる。
それらの多くは、人の手によって野山に捨てられた物である。
日に照らされ、雨に濡れ、いつしか人々から忘れ去られた物は世界の狭間を漂い、こうして隔世の地に流れ着く。
大量生産大量消費を是としてきた文明のしわ寄せが、本来不干渉であるべき隔世にきているのだった。
「それでは、最後に土蔵を案内しよう」
知らずのうちに重くなった空気を壊し、甘太がぽんと地面を叩く。
助六たちが案内されたのは、庵の裏に立つ立派な土蔵だった。
真新しい白い漆喰の、古ぼけた庵とは対極にある美しい面構えである。
観音開きの鉄扉で閉ざされた、みるからに頑丈そうな蔵だ。
大きさも、助六たちの想像を絶するもので、内部は地下も含め七つの階層に分かれていると、甘太が説明する。
「このはは毎日、漂流物をこの土蔵の中へと納めておる。そのため、この中には膨大な数の品が眠っておるのだが、そのほとんどは使用法も正体も分からぬ物ばかり……。そこで、主らには漂流物の整理をお願いしたい」
「その程度なら、今からでもできそうだな」
「そうねぇ。あ、でも軍手とか持ってこないとだね。私ちょっと戻って取ってくるよ」
「ああ、ありがとな」
おおよその仕事内容も確認し、鈴は必要な物をそろえるため現世に戻る。
残された助六は、庵の縁側に座り、このはに話しかけた。
「こんなに広い場所だとは思わなかったよ。ここを毎日一人でって、大変だっただろ」
「いえ、そんな。龍神様から直々に命じられたのです。光栄とは思えど、苦しくなどございません」
「このははいつも真面目に働いている。それは、ワシも龍神様も重々承知しているのだ」
いつの間にか助六の隣に座り、湯呑みを傾けている甘太が尻尾を揺らして言った。
その横顔には穏やかな笑みが湛えられている。
「ただ、現世から流れ着く品々は、わたしたち隔世の者にとっては怪奇な物ばかりで……」
「それを整理するのは、俺たちに任せておけって」
「うふふ、そうでしたね。ありがとうございます」
どんと胸を叩く助六に、このはは今日一番の笑顔を見せた。
先の黒い狐耳が、ぴこぴこと嬉しそうに動く。
「それでは、ワシはこのあたりで失礼する」
甘太が立ち上がり、尻尾を振って言った。
「なんだ。もう帰るのか?」
「ワシは本来龍神様の側に使えなければならない身。少し時間を取りすぎた」
天頂に迫る白い太陽を見上げて言うと、甘太は袂から白い札を取り出した。
このはが慌てて甘太に向き、深々と頭を下げる。
「ありがとうございました、大五朗様」
「なに、これからも土地神として精進するのだぞ。助六殿も、よろしくやってくれ」
呼びかけられた助六も、口元に笑みを浮かべて頷く。
「ああ。ここにあるゴミ全部、片付けてやるさ」
「ふむ、頼もしいことだ」
甘太が髭を震わせ、ぽんと尻尾で床を叩く。
助六が手を振ると、甘太は一度うなずいて、手を組み唸る。
「では、さらばだ。――破ァ!」
一瞬後、彼は白い煙に包まれ、晴れたころには姿を消していた。
「ただいまー。ってあれ、甘太さんは?」
「あ、鈴。さっき帰ったよ」
入れ違いにやってきたのは、人数分の軍手を持ってきた鈴である。
「ええっ。一言言ってくれればよかったのに……」
ついでにみんなで一緒に食べようと饅頭も持ってきていたらしい。
「はい、このはちゃんのぶん」
「わぁ! ありがとうございます」
鈴が縁側に腰を下ろし、自宅から持ってきた饅頭をこのはに手渡す。
町内にある老舗の和菓子店”群青”で作られている、薄い皮に包まれたたっぷりの餡が魅力のシンプルな饅頭だ。
「ふわわぁ~、このお饅頭とってもおいしいです!」
「でしょ? 私も好きなんだー」
尻尾と耳を盛大に振って、鳶色の目を輝かせるこのは。
彼女の無邪気な笑みを見て、鈴も口元を緩めた。
ほのぼのとした会話とは相反して、漉し餡と粒餡の二種類が六個ずつ入った大箱の饅頭は次々と彼女たちの口の中へと消えていく。
「ちょ、俺のぶんもあるんだよな!?」
「え? 早く取らないとなくなるわよ」
助六も慌てて自分のぶんを確保し、思い切りほおばる。
餡のやさしい甘さが口いっぱいに広がり、小豆の香りが鼻を抜ける。
「ん~、やっぱうまいなぁ」
助六や鈴にとっては、幼い頃から親しんだ思い出深い味である。
昔から何か慶事があると群青の饅頭や羊羹などが目に入った。
「隔世にも和菓子はあるの?」
「都の方へ行けばありますよ。土地神という立場上、あまりここを離れるわけにはいかないので食べる機会はありませんが……」
鈴の質問に、このはは口元に餡を付けて答える。
それを鈴がぬぐってやると、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「都があるんだな」
「はい。隔世の中心である龍都はとても栄えていて、人も物も揃わない物はないと言われてます」
「首都みたいなモノかな? 一度行ってみたいねー」
「あう、わたしはあまり黄金ヶ原から出られませんが。でもでも、いつかぜひ案内したいです」
四つ目の饅頭に手を伸ばしつつ、鈴はまだ見ぬ異界の都に思いを馳せる。
このはは六つ目の饅頭をほおばり、もし龍都に赴いたならばどこを案内しようかと思案を巡らせる。
「あ、あれ? 俺の饅頭って二つだけなの!?」
そして助六は、いつの間にか空になりつつある箱に驚き、なんとか二つ目の饅頭を確保した。