第玖話 人見知りな豆狸
明くる日、助六と鈴、そしてこのはが蔵の整理をしていると、澪がやってきた。
「おはようございます! 昨日はどうもありがとうございましたっす!」
「澪ちゃん、おはようございます」
真っ先に気がついたこのはは、ふさふさと尻尾を振って彼女を出迎える。
今日のこのはは桃色に藤の柄の描かれた着物姿である。
蜘蛛の足を小刻みに動かしてやってきた澪は、その両手になにやら大きな葛籠を抱えていた。
それに気がついたこのはが、葛籠に視線を向けた。
「あれ、澪ちゃんその葛籠はなんですか?」
耳を傾け、このはが尋ねる。
澪の来訪に気がついた助六たちも寄ってきて、彼女の持つものに視線を向ける。
漆が塗られ、黒く艶を出す、それだけでも美しい一品である。
蜘蛛をあしらった家紋が描かれた和紙が巻かれており、そこには『白絹屋』と達筆な字で書かれている。
「これ、昨日のお礼っす!」
そういって、澪は葛籠を開く。
「おお~!」
中をのぞき込んだこのはが、尻尾と耳をぴんと立てて声を上げた。
そこに入っていたのは、美しい織物だった。
淡い青色、丁度澪の髪と同じような色合いの布である。
流れる水の立たせる波のような、なめらかに曲がる細い白が混じっている。
「これって、女郎蜘蛛が紡績術で織る布か?」
「そうっす! しかもこれは、母が織ったうちの最上品っすよ!」
鼻高々とはこのことを言い表すのだろう。
幾度も頷きながら、澪は持ってきた反物について語る。
「霊峰飛鳥山にある花貫の泉の水を使った糸を紡いだ、十割蜘蛛絹織物っすよ。これはその中でも一番人気の冷泉っていう布っす」
「綺麗ねぇ。手触りもいい」
葛籠から取り出した反物を、鈴がさらりと撫でる。
名前のようにしっとりとした、まるで濡れているかのような手触りである。
「こんな高価なもの、頂いてもいいんですか?」
しばらく手触りを楽しんでいたこのはが、不安げな顔になる。
「大丈夫っす! というか、ぜひ受け取ってくださいっす」
昨日、澪と妹たちはリバーシを持って帰路についた。
家に帰ってからも彼女たちはそれに白熱していて、驚くほどに手が掛からなくなったのだという。
見慣れない玩具を用意してくれた助六たちに、彼女たちの母親もいたく感激したという。
「そんなに気に入ってくれたんなら、俺たちも蔵から探し出した甲斐があるよ」
「まあほんとに探し出して、ルール教えただけだから、リターンが大きすぎる気もするけどね」
感謝の言葉を繰り返す澪に、鈴は苦笑気味だった。
そんな彼女に、澪は思い出したように口を開いた。
「そうだ鈴さん。鈴さんに紹介したい人がいるんすけど……」
「へ、あたし?」
突然のことに、虚を突かれ、鈴が口を開ける。
「えーっと、そこの草むらに隠れてるはずなんすけど……」
そういって、澪は上半身を後ろに向ける。
蔵の側にある、黄金ヶ原の外へと続く道を囲う低木。
その一角から、茶色い尻尾の先が覗いていた。
「紅葉~、出てきてもいいっすよー」
澪の声に、尻尾がびくりと反応する。
一瞬にして丸く膨れ上がり、ぽむんと地面を打つ。
「そんなとこに隠れてないで、早く出てくるっすよ」
「う……ぁぃ……」
そんなうめき声のような返事を返し、恐る恐るそれは顔を出した。
「わあっ! かわいいっ!」
「うひぃっ!?」
その姿に、鈴が思わず声を上げた。
紅葉と呼ばれたのは、身長が鈴の膝上ほどまでしかない、小さな狸の妖怪だった。
まるっとしたシルエットに、太い尻尾。
びくびくと震えながら様子をうかがう顔は、少し垂れ目ぎみなたぬき顔である。
上半身は人間と変わらない女郎蜘蛛の澪とは違い、全体的にデフォルメした狸のような出で立ちだ。
「豆狸の紅葉っす。近所にある貸本屋『狢文堂』の一人娘っすよ」
「お、おはよございます……」
びくびくと身体を震わせ、せわしなく視線を動かしながら、漸く紅葉は四人の輪に近づいてきた。
若葉色の着物を着て、小さな――彼女にとっては適切な大きさの本を一冊抱えている。
「貸本屋……、紅葉も本屋さんの娘なのね」
「は、はひぃ!」
軽い口調で話しかけた鈴に、紅葉は飛び上がる。
「も、紅葉は少し人見知りで……」
「少し……?」
澪の若干苦しいフォローに、助六が首をかしげた。
「ほら、紅葉。ちゃんと要件は自分で伝えるっす」
「うぅ……」
澪に背中を小突かれ、紅葉は涙目で震える。
しかし、少しの時間を経て覚悟を決めたのか、視線を鈴に合わせた。
「あ、あのっ! 澪ちゃんに鈴さんが現世の貸本屋って聞きましたっ! そ、それで、もし……その……」
「正確には普通の本屋なんだけど……。えっと、なにかな?」
鈴がしゃがみ込み、紅葉と視線を合わせる。
「あのっ! 現世の本を見せて貰えませんかっ!」
ぎゅっと目をつむり、紅葉がぱくぱくと口を動かす。
ヒゲと尻尾が小刻みに震えている。
「うん。いいよー」
そんな紅葉の懇願に、鈴はあっさりと了承した。
「あ、でもタダで見せられるのは私が持ってる本だけね。売り物はさすがに……」
「だだだ大丈夫です! 隔世にはない、現世独特の物語が読みたいんですっ」
ぎゅっと本を抱きしめて、紅葉は何度も頭を下げる。
「そういうことなら、明日いくつか本を持ってくるわ」
「ありがとうございます! ありがとうございます!」
鈴の言葉に、ついには紅葉は両眼から滂沱の涙を流し始める。
「ええっ、ちょちょ、泣かないでよぉ」
突然泣き出した彼女に鈴は慌てて、紅葉を持ち上げると小さい子をあやすように持ち上げる。
「あっ、まって下さい紅葉はっ!」
「へっ!?」
それを慌てて澪が止める。
驚きながらも鈴は紅葉をゆっくりと地面に降ろす。
足を地面に付けた紅葉は、くたりと倒れ込む。
「……気を失ってるぞ」
助六が言う。
「紅葉は、極度の高所恐怖症なんっすよ……」
気まずい雰囲気が、その場に流れた。