5番目の女
私の彼氏、神薙 隼人には5人の彼女がいる。
付き合う女たちはみんなそのことを初めに伝えられ、そして自分が何番目かも告げられる。
たまに順番が上がったり、または下がったりと変動をするが基本的に一度与えられた番号は変わることはないのだという。
私、夕凪 玲子がそんな彼氏から与えられた番号は5番。彼女の中でも優先順位が一番低い。
だが、私はこの地位に満足していた。
なぜなら私は自他ともに認める面倒くさがり屋で、私なんかと付き合えば相手はすぐに失望してしまうだろうと初めから予測がついていた。
だから5番目と告げられた時、ひそかに喜んだ。
はっきり言って男女交際なんて面倒くさいけど、それ以上に隼人のことは好きだし、別れたいとは思わない。むしろこんな私がミスターアンドミスコンテストに毎年選ばれる彼と付き合えたことは人生最大の奇跡ではないかと思っているほどだ。
隼人から連絡が来る頻度は数か月に一度。
一緒に出掛けるのは連絡が来たすぐあと。大抵前日の夜に来るが、『1時間後○○駅で』と一方的なメールが来ることも少なくはなかった。
要はどこかに出かけたいけれども他の彼女の都合がつかないときに呼び出されるのだ。
滞在時間はいつも1時間にも満たない。
最短は5分なかったくらいだろうか。喫茶店でお茶を頼んで待っているときに帰っていった。
あれは大変だった。
なにせ二杯も飲まなければいけないのだ。
ほとんど一緒にいないとわかっているから私はショートを頼んだのに、のどが渇いたのだと服の襟ぐりをもってパタパタと風を送っていた隼人は一番大きなトールサイズを注文した。
そんなガバガバ飲めるわけもなく、2時間ほどかけて頑張って飲みほした。
残すという選択肢はないし、これだけのために友達を呼ぶのも面倒くさい。
だからこれが一番面倒臭くない方法だ。
勿論彼を呼び止めるなんて論外だ。
急いでいる相手をそもそも呼び止めるのが面倒くさい。
万が一もめたときは話し合うのが面倒くさい。
別れるとか言い出した時は一番それが面倒くさい。
好きだからとか別れたくないとか五番目の女にグチグチ言われるのはきっと彼だって嫌だろう。
私も嫌だ。
だから私は彼がどんなことをしようとも口を挟まない。
それがたとえ、数か月ぶりに来た隼人からの誘いのために無理やり開けた休みだったとしても。
「はあ」
今日はそんな彼と会う約束をしている。
数か月に一回は必ずやってくる日。そんな日に私はとても緊張している。
なぜなら今日は私の誕生日だからだ。
狙っているのではないだろうが、私たちは今まで一度もイベントごとを共に過ごしたことはない。
今日の約束だってたまたまだろう。
彼が私の誕生日を覚えているとは思えない。
数年の付き合いなのに……と友人に呆れられることもあるがたかが5番目の女だ。そんな優先順位が最下位な私の誕生日なんか覚えているハズがない。覚える必要性すらない。
だが、彼が覚えていなくても私にとっては年に一度の大イベントだ。
そんな日も彼はいつも通り遅刻をする。
約束の時間からもうすぐ30分が経過する。
「30分経ったらかえっていいから」
そういわれているから、それ以上たった場合彼は来ることはない。
だが、いつも私はギリギリまで待ってしまう。
面倒くさいから早く帰ればいいのに、ここまで来たのならせめてあって帰りたいと思う私は存外面倒くさがり屋ではないのかもしれない。
なんて考えていると後ろから声がした。
「あのお」
後ろを振り返ると声の印象通りのなんとも気の弱そうな男が立っていた。
「何ですか?」
ナンパには思えないそれは新手のセールスか。
私は身を引き締めた。
「あの、いきなり話しかけてすみません。先ほどからずっとここにいらっしゃるから、その……」
「はあ」
「まだ時間があるようでしたらそこの店まで一緒に来てはいただけませんか!」
「は?」
息継ぎなしに気合を込めて言われた言葉ははっきり言って意味が分からない。
セールスであったならば彼の指さすテイクアウトのみを取り扱う店は向かない。
見た目からは想像はできないが、ナンパだとしてもおかしい。
いぶかし気に男を見ると男は慌てて、携帯の画面を私に向けた。
「あの、これが欲しくて、ですね……」
男の携帯画面には大きく『カップル限定』の文字が映っていた。
「あの、これカップル限定ですし彼女さんと行ったらどうですか?」
「僕、彼女いなくて……。上の妹と一緒に行く予定だったんですけど、昨日からインフルエンザで寝込んでしまって……」
「えっと……」
「あ、こんなこと言われても困りますよね。あの、すみませんでした」
「それ、あなたが欲しいんじゃないですよね」
男の携帯にはマスコットなどはついていない。
それに携帯ケースだって無色透明の一番シンプルなもの。
画面に映し出されたクマのペアのマスコットが欲しいのだとは思えなかった。
「あの、下の妹がこのクマのキャラクター大好きで、たまたまもらってきたチラシを見てこれが欲しいといったんです。僕も妹も恋人はいませんが、幸運なことに顔は似ていません。だから買いに行こうと思っていたんですが……その……」
後は先ほど話した通りですと落ち込む。
「いいですよ」
もうすでに約束の時間から29分が経過している。
もう待ったところで隼人は来ないだろう。ならば、この男の頼みをきいてあげてもいいのではないか。
せっかく空けた休日だ。何もせずにただ帰るというのはなんだかもったいない気がした。
「! いいんですか! ありがとう、ありがとうございます」
男は私に何度も頭を下げた。
「じゃあ、行きましょっか」
「はい!」
「待てよ、玲子!」
男と共に一歩踏み出した時、私の手首を力強く何者かがつかんだ。
「痛いんだけど」
振り返らずとも、それが誰なのか容易にわかった。
「30分……まだ、経ってないじゃないか」
ゆっくりと視線だけ後ろに向けると、そこには予想通りの人物が頬をピクピクと引きつらせながら私の腕をつかんでいた。
「隼人……来たんだ」
「その男とどこに行くつもりだったんだ」
自分が遅れてきたことなどお構いなしに、男とどこかに行こうとしたことを隼人は責めるような目で見てきた。
「そこ」
謝るのも、説明するのも面倒で行こうとした店を指さした。
すると、隼人は真っ赤になってパクパクと口を開けたり閉めたりを繰り返しながら詰め寄ってきた。
「お前の彼氏は俺だろう!? お、おま、まさか」
「?」
何でこんなに動揺しているのだろうか。
自分の指さす方を見ると、そこには大きく赤字でカップル限定セットと書かれた旗があった。
ああ、これか。
いくら5番目とは言え、自分の所有物を取られるのが嫌なのだろう。
「彼とはねさっき知り合ったの。ちょっと付き合ってほしいっていうから」
「彼? 付き合ってほしい!?」
「あ、はい、その……迷惑だったら……」
「迷惑とかそんなんじゃないから」
私には兄どころか兄弟もいないが、きっといたところでわざわざ買い物になんて行ってくれないだろう。
目の前の男はどう見ても誰か知らない相手に話しかけることを得意としないタイプに見える。そんな彼は妹のためにわざわざ声をかけたのだ。
それならほんの少し、手伝ってやるくらいいいではないか。
「おい、お前、何でよりによってこいつなんだ。こんな女、他にもいるだろう」
隼人は男に食い掛った。
こんな女とはひどい。腐っても、5番目でも一応彼女なのだが……。
所詮五番目でステータスの一部に数字として組み込まれているだけだと言われてしまえば立つ瀬はない。
「え、あ、あの……すみません」
「すみませんじゃ「行こうか」
「は? 玲子!」
「すぐ終わるし、何なら帰っても構わないから」
たった数分。
まだ30分経っていないというが私はもう29分待った。こんな押し問答している間に針はどんどん進んでいく。
私って何?
都合のいい女?
何もしないくせに隼人は何でこんな女と関係を続けているんだろう?
もうやめにしようか。
縋りつくのは。
だって馬鹿じゃない?
数分のために待ち続けて。
「ほら、妹さんに渡すんでしょ?」
「あ、はい」
男の手を掴もうとした手を隼人が横からつかんだ。
「俺らが買ってくるから」
「え、でも……」
「俺たちは恋人だからな」
何でいきなり機嫌よくなってるんだろう?
わからない。
わからないけど考えるのは面倒くさい。
「買ってきますから待っててもらえますか?」
「あ、あの、よろしくお願いします」
引っ張られていく私に男は三角定規みたいな綺麗なお辞儀をした。
考えるのが面倒くさい私は隼人にひかれるがままついていく。
隼人は時折振り向いてついてきていることを確認しながらタピオカ屋へとズンズン向かってく。
「限定セットを1つ「いや、2つで」
私の声にかぶせるようにして隼人が注文した。
そして店員は注文が増えたことに喜んでいるのか、それともバイト中は常時装備しているのかわからない笑顔で
「かしこまりました」
と返して奥へと引っ込んでいく。
「何で2セット?」
「いいだろ別に」
一つでいいのにと思い疑問をぶつけるが答えてくれない。
大方他の彼女へのおみやげなんだろうけど……。
「お待たせいたしました」
渡された二つの袋のどちらも手にして男の元へと帰った。
男は私たちの姿を見つけて駆け寄り、そして一つの袋を受け取った。
「ありがとうございます、ありがとうございます」
何度も頭を下げて駅へと帰っていった。
残された私は少し離れたところで、ポールに腰をかけて待つ隼人の元へと戻る。
「はい、これ」
「ん」
袋ごと渡すと、中から一つだけ取り出してストローをさす。
「甘っ」
そういいながらもカップの中身は減っていく。
「お前は飲まないわけ?」
ストローから口を少しだけ放して袋に目線をやる。
飲めということだろう。
「ああ、飲む」
甘いのはあんまり好きじゃないけど、隼人が土産に持って行かないとなれば飲むしかない。
日差しが照り付ける中、外で二人並んで目の前の道路を横切る車と人を眺めてタピオカミルクティーをすする。
この前入った喫茶店の滞在時間よりもずっと長い。
甘いと文句をつけつつも気に入ったらしいそれを飲み続ける隼人。
今度はきっと他の彼女と来るのだろう。
底に沈んだタピオカが減る度に残り時間も減っていく。
他にやることも、会話すらもないから順調に減っていくそれを吸い続ける。
「ああ、暑いな」
私よりも一足先に飲み終わった隼人が言った。
手元の時計を見ると、もう約束の時間からは1時間以上が経過していた。
急いで残りのも飲み干して
「じゃあ、そろそろ帰ろうか」
と自ら終わりの合図を出す。
飲み物を飲んだだけだけど、記録は5分も更新した。
誕生日に会えただけでも奇跡なのに、記録を更新するなんて、気まぐれにもいいことをしたからだろうか。
いつもは重いのに、今日は駅へと向かう足取りが軽い。
「はあ?」
なのに、隣の隼人の声は曇天のように暗い。
「いや、もう一時間たったし」
「意味わかんねえ」
「だから、約束の時間から一時間たったからそろそろ帰ろうかって」
「お前は小学生か?」
「いや、大学生だけど?」
「どこに彼氏と久々に会ったのに初対面の奴の頼みだけ受けて帰る奴がいる!」
世の中には複数の女と同時交際する男がいて、数か月ぶりにあったのに飲み物が用意されるよりも早く帰る男がいる。
ならそんな女がいても不思議はないのではないか。
「帰らないのね?」
「ああ!」
それでもそんな男が好きなのだ。
たとえ自分がどんなに馬鹿みたいに思えてもこの関係をやめることはできない。
「そっか」
面倒くさがりな私はそれだけを返して隼人の手をにぎった。