第4話 おばちゃん
お釜師匠の本気の修行は、一言で言えば非常識だった。
早朝起きて、師匠の美声で体操。これはいい。ちょっとうっとり。
だけど、ストレッチをして筋トレ。腹筋背筋メニュー300回。
ご飯の後に森の周りをフルマラソン。
疲労し過ぎてボロボロのところで、怪しげな魔法薬をねるねるねるね。
今回お釜師匠に投入した材料は、
ニンジン・オウギ・ビャクジュツ・サイコ・トウキ・ショウマ・チンピ・ショウキョウ・タイソウ・カンゾウ
そして、魔界の辺境の山の頂にあるという花ポエチンの花弁を投入。
ねるねるねるねるねる
むちゃくちゃ匙が重くなった。
握る手に力が入り、ふるふると震えている。
妹はしっぽを今までになく直立させて、ぷるぷると椅子の上の足が震えている。
できあがったのは水飴で、茶色から紫、最後にはドドメ色になった。
あまり甘い香りはしない。
「ん~。この回復薬はちょっと失敗ね。上手く行けばぶどう色になるはずなのよ」
「あじびみょー」
舐めてみると確かに甘さはあるが、なにかが微妙。
しかし疲労感はどんどん取れていくので、効果はそれなりにあるようだった。
「さあ、次よ! 資材室の壁に掛かっている長い匙を2本取りなさい」
「あれは単なるでっかい飾りだと思ってた・・・・・・」
柱のてっぺん近くの梁に飾ってあった巨大な鈍色の金属の匙。
直径2m近くあるだろうか。
手が届かないので、テーブルと椅子を重ねて乗る。
妹に椅子の足を支えてもらうが、不安で仕方がない。
なんとか背伸びして下せた匙は、ずっしりと重かった。
10kgはあるのじゃないだろうか。
にーっ! という悲鳴で下を見下ろすと、
妹が匙の重さに耐えきれず、下敷きになって変化が取れていた。
見事につぶれた毛玉。
お腹に巨大匙の棒が乗り、ちっちゃな手足をバタバタさせている。
「シンシアー!」
「取り扱いには気をつけなさいな」
師匠はにべもない。
そして指示されたのが、素振り500回だ。
思わず手元のずっしりとした凶器を見る。
「これを、デスカ」
「何カタカナになっちゃってるのよ。さっきの様子じゃ抵抗する材料に負け掛けていたでしょ。それで素振りをして、上半身の筋力を付けなさい」
「に゛~」
「・・・・・・ミニマム子狸。あんたつぶれたお饅頭になっちゃったのね。
仕方ないわ。せめて森の周りを走ってきなさい。途中で腕立て伏せを10セットするのを忘れないでね」
「にっ」
あ、私もついて行きたい。
嬉々として森に向かった妹を羨望のまなざしで見送っていると、師匠から叱咤される。
「さあ、あんたは素振りよ!」
「ふえええええええ」
半泣きになりながら振るが、大匙の多さに振り回されて全く素振りにならなかった。
へっぴり腰を叱責されながら、ドーピングドドメ色水飴で、なんとか降り続けることはできたのだけど・・・・・・。
ちなみに私は家の外で素振りをしている。
師匠は竈の上に鎮座しているのに、外の様子が間近で見ているようによく分かるのだ。
なにそれ怖い。
◇◇◇◇
なんだかんだで、1ヶ月。
当初の頃の全身筋肉痛から解放された私は、村の中心に来ていた。
もちろん師匠の言いつけで全力で走ってきたのだ。
息切れもなく、こちらに来る前の、お里の野山を駆けめぐっていたころの勘を取り戻したという感じだ。
あのめちゃくちゃな特訓をなんだかんだいって越えてしまった自分は、確かに妖怪であったのだと実感する。
魔族がどういうものかは知らないが、少なくとも師匠は妖怪の特性を知っているようだ。
だが、妹は軽く私を飛び越えて進化していった。
笑いながら深い森を往復で走り抜け、腕立て伏せを連続で200回してもケロリとしている。
なにあの超人。
本当に本当に、5歳児だよね?
妹の仕上がり具合には、お釜師匠も満足気だ。
「順調ね。これなら、岩を割る訓練も始められそうね」
私たち、どこへ向かっているの!?
時々師匠は、魔法薬を作る練習をさせてくれる。
でも殆どが疲労を取るものか、ドーピング薬だった気がする。
・・・・・・魔法薬って全部がそうじゃないよね?
後で本で確認しよう。
◇◇◇◇
村の中央には、大通りが一本ある。
木で作られた商店兼郵便局の隣に、宿屋の看板はあった。
【魔女の壷亭】
私たちはフードを下し、宿屋のドアを空けた。
「こんにちは・・・・・・」
「まあ! フラン、シンシア! 今日も来てくれたんだね!」
「「むあっ」」
ドアを空けた瞬間私と、加速装置が備わったはずの妹が同時に大ボリュームのお胸とお腹に捕獲された。
これ感触と匂いは宿屋のおばちゃんだ。
とても柔らかくて、ほっとするような、いい匂いがする。
「おばちゃん、くるしいよう」
「あら、ごめんなさいね」
妹の抗議におばちゃんはようやく離してくれた。
後ろには、寡黙なグリズリーのような旦那さんが私たちを見守ってくれている。
旦那さんは特にご飯作りが上手なのだ。
いつも言葉を発しないけど、いい人なのだと思う。
2週間前の昼時、決意をした私たちはメロン味のキャラメル魔法薬を食べて2度目の完全な人化をした。
初めて宿屋まで歩いていき、入り口前で頭巾を取りはずす。
周りの村人がざわめいた気がするけれど、目はずっと宿屋のドアを見つめていたのだ。
ドアが開き、私たちの顔を見たおばちゃんは、それは驚いて泣いて喜んでくれた。
「ご飯、食べにきたの」
「おいしいごはんください!」
もっといい言い方があったと思うけれど、まだ養子になる決心もなく、でもこれ以上優しいおばちゃんに無理して来てもらうのも嫌で。
これしか言えなかった。
でも、耳としっぽが消えていなかったら、もっと言えなかったと思う。
魔法薬が本当に役に立ったと、実感できた瞬間だった。
いつも食事は、宿の食事処ではなく、夫妻の住居スペースで一緒に取らせてもらうことになっている。
今日のご飯は、焼きたてのパンと具だくさんのクラムチャウダーに、厚切りハムのステーキ。付け合わせにはほくほくのポテトと甘くグラッセした野菜が添えてある。
見ているだけで涎が出そうだ。
「「いただきます」」
「はい、いただこうね」
「・・・・・・・」
この村にはご飯を食べる前に「いただきます」をする習慣があった。
どうやらおばあちゃんが食べ物や作ってくれたものに感謝するものとして提案し、皆に受け入れられたものらしい。
1匙チャウダーを口に入れただけで、コクのある味がじんわりと染み渡り、おばちゃんおじちゃんの優しさを感じる。
隠そうとしても、自然と笑顔になってしまうのは止められない。
妹は口の周りを早速汚して、満面の笑顔だ。
「お姉ちゃん、おいしいね!」
「・・・・・・うん」
「お替わりはいっぱいあるよ。たくさん食べなね」
お腹いっぱいに食べて、最後にスープ皿をパンで拭う。
ごちそうさまでした、と2人にお礼をした。
夫婦はとても嬉しそうだ。
「あの、今日の、ものです」
いそいそとお皿を片づけるおじちゃんの横で、私は斜めがけにしたポシェットから、飴の袋を取り出した。
おばちゃんは少し哀しそうな顔をして、分かったよ、と受け取った。
当初私はお金を払おうとした。
すると、おばちゃんはそんなつもりでご飯に誘ったんじゃないよと、泣いて怒った。
騒ぎを聞きつけてやってきた駐在さんが、お互いに少しずつ歩み寄れと諭す。
話し合いの結果、自分が作った何かをプレゼントして感謝の意を示すという形で妥協したのだ。
私が作れてとりあえず人にあげられる物といえば、魔法薬だ。
お釜師匠に相談して、切り傷や火傷が早く治るという一番無難な回復薬を作っていった。
丁寧に丁寧に練って作ったら、今までで一番堅く黄色い飴が出来た。
味はバナナにそっくりだ。
師匠は「大切な気持ちが籠もっているもの。成功して当然よね」と珍しく誉めてくれた。
簡単な回復しか効果がないので、材料もさほど奇抜な物ではない。
だから飴には時々、姉妹で作った森の草花のしおりを添えた。
おばちゃんは魔法の飴よりも、しおりや、妹が取ってくるヘビの抜け殻の方を喜んでくれるみたいた。
少し気まずい空気が流れたその時、カランカランと宿屋の入り口のドア鈴が鳴った。
食事処にドヤドヤと人の足音が聞こえてくる。
「今は営業時間外だよ!」
「悪りぃな女将! 時間外とはしってるんだが、飯を作ってくれないか?
俺たち商隊組んで王都から帰っきたんだが遅くなっちまって、食料がもうねえんだ」
この声は・・・・・・。
私の顔が強張るのを見て取ったおばちゃんが、怒鳴り声を上げた。
「あんたら、今込み入ってるんだよ。後にしな!」
「なんだよ~。いつもは暇だろう? あまった飯でいいんだ、って、あれ?
フランちゃんにシンシアちゃんなんでいるの? なんで頭巾を外してるの?」
前の神父と一緒に私たちを糾弾した、青年たちだった。
私の全身の毛が逆立ち、隣の妹も固まった。
筆頭の赤褐色の髪の青年が、私たちにずいと近づく。
「あのさっ そのっ 誤解を解きたいんだけど!」
「近づかないでっ!」
私が拒絶をすると、女将が間に入ってくれた。
「バカだねケイス、いきなり迫るやつがあるかい! 離れな!」
「だってよ~。女将、俺もうこのままじゃ辛すぎるぜ」
「あんたの言い分はようく分かってるよ。でも物事には時期と順番ってものがあるんだよ」
赤褐色の青年は女将はフランクに会話をしている。仲が良さそうだ。
なんで?
それに、言い分って何?
言い分って、神父と一緒になって、私たちを悪魔と呼んできたこと?
目の前にある背中が、急に遠い存在に感じられてきた。
「お姉ちゃん・・・・・・」
「・・・・・・おうちに帰るわよ、シンシア」
妹の手を思わず掴み、人の群れをすり抜け、宿屋の入り口から飛び出した。
後ろから私たちを呼ぶおばちゃんの声がしたけど、そんなもの聞くものかと、耳をふさいで走り続けた。