第3話 傷心子狸と駐在さん
長身を折って戸口をくぐる駐在さん。
室内なので制帽を取ると、焦げ茶色の髪が見える。
私は慌てて頭巾を被り、妹の赤い頭巾も引っ張った。
「お姉ちゃん痛い~」
「ななななに! いきなり入ってこないでよ!」
「悪いな。事故でも起きたかと思ったんだが」
いぶかしげに机の上のこんもりとした山と、お釜師匠を見ている。
師匠は黙ったままだ。会話を聞かれてないよね?
「これが、匂いの正体か」
「触らないで!」
メロン色の魔法薬を手に取ろうとするのを、叫んで止める。
ますますいぶかしげに私を見る駐在さん。
「これは飴だろう? なんでそんなに嫌がるんだ」
「う、だってそれは」
「飴じゃなくてまほうのキャラメルだよー。はい、おいしいよ」
「ばか、シンシア!」
妹は駐在さんに近づくと、食べようとしていた1粒を渡した。
一緒に食べる人がいれば、自分ももう少し食べられると思ったのだろう。
なんて分かりやすい!
渡されたキャラメルを駐在さんはまじまじと見つめて匂いを嗅ぎ、魔法薬・・・・・・とつぶやいた。
「お前等、どうやってこれを作れたんだ」
「んとねーおかま「お釜でおばあちゃんが作って取ってあったのっ」」
「は、おかま?」
「うん、おかま「お釜の中に入っていたのっ」」
お釜に火をつけたら材料が溶けて出来てしまったのだと無理矢理こじつけた説明をした。
駐在さんは黙っていると鋭く見える焦げ茶の目を細め、ふーんまあそういうことにしてやるわと、キャラメルをハンカチに包んで胸ポケットにしまう。
妹は食べないの?と首を傾げると、後でなと、話を終わらせた。
「それよりも、いい加減家を出る決意は出来たのか?」
「ここからは出ないわよ」
「宿屋のおかみさんのこと、嫌いじゃないんだろ」
「・・・・・・・別に嫌いなんて、言ってないわよ」
「おばちゃん、すきー」
目をそらす私に、駐在さんはため息を付く。
「はー、ほんと頑固だなお前。仕事の当てはないんだろ」
「まだおばあちゃんが受けた仕事があるもの。ちゃんと仕上げるし、私だってできることがあるわ」
「その後はどうするんだ。子供2人じゃ限界があるぞ」
「それはね、おかま「を使ってやれることがあるのよっ」」
駐在さんは、お釜ってあれかと、どんと構える師匠を見る。
お釜師匠にこびりついていた、黄緑のキャラメルの残りはいつの間にかきれいに片付いてた。
「・・・・・・お釜を使って何を作るんだ?」
「薬よ」
「薬ねえ」
「あのね、み「はい、シンシア。ちょっと黙ってようね」」
妹の口をふさいで、情報をシャットアウトした。
ふがふが抗議しているが、無視だ。
駐在さんはそんな私の様子に、もう一度ため息をつく。
「まあ、幸い今は春だ。薪も食料もまだあるようだし、もう少しだけは2人で考えさせてやる。・・・・・・せめて、昼ご飯くらいは宿屋に食べにいけ。おかみさんに負担を掛けているのはお前だって分かっているんだろ」
痛いところを付かれた。
おばちゃんは、おばあちゃんが死んでからほぼ毎日、ご飯を分けてくれるのだ。
村の中心の宿屋から、村のはずれまでは、丘を越えた細い小道を1本。しかし結構な距離だ。
それを1人乗りの馬車に乗って、おばちゃんは厳重な蓋をした鍋や弁当箱を持ってきてくれる。
私がこの小屋から出たくないと言い張るから、せめてご飯はちゃんと食べてほしいと。
村の大人たちが小屋から無理矢理に引き剥がそうとすれば、すぐに出来ただろう。
しかし、それをしないのは私たちを気遣ってくれているからではないか。
おばちゃんの美味しいご飯と、なんだかんだと皮肉を言いながらも、家のものに手を着けず、様子だけを見に来てくれる駐在さん。
手を差し出せば、笑って取ってくれるのかもしれない。
でも。
私はお釜師匠を見る。
せっかくの魔女になれる機会を得たのだ。
この機会を逃したら、私はまた正体を隠して怯えるの?
耳もしっぽも見せたくないけれど、何よりも。
私たちを取り巻く全てから、逃げたくないのだ!
脳裏に浮かぶ、お山の月。
昔から泣くしかなかった自分。
私はきっと駐在さんを見た。
「もうおばちゃんに手間は掛けさせないわ。お昼は2人で食べにいくもの。ちゃんとお金も払う。お仕事もちゃんと出来ることを証明してみせるから!・・・・・・もう少し放っておいて」
「あー、そういう意味で取ったか。まあ、ちゃんと食べに外に出る決心ができたのなら、今回はいいとするわ」
額を押さえてながら、駐在さんは去っていく。
その後ろ姿に、妹がばいばいーいまたきねーと手を振った。
後ろを振り返らずに、手を振り返してくれた。
村で一つの軍用バイクの音が消えていく。
そして静まるダイニング。
もう狸の耳は消えたはずなのに、ずっと頭巾を被り続けてしまっていることに気が付いた。
「いい人じゃないの」
今まで黙っていたお釜師匠がつぶやいた。
「いい人なんだよ。でもね」
―――人は変わるものだから。
私の躊躇に、そう、と男前な師匠は一言だけで済ましてくれた。
「仕方ないわね。チキンで頑固なあんたのためにも、そこでこっそり魔法薬をかじっているシンシアのためにも、改めて本当の魔女の基本を仕込んであげる」
実際に人の気持ちなんて変わりやすいもの。
それでも、貴方たちがこれはというものを1つ持っていれば、何にでも対処ができるでしょう。
「ちゃっちゃと基本をマスターして、堂々と村を歩きなさい。村が嫌なら出ていけばいいわ。でもその前に魔女見習いとしてある程度できるようにならないとね。
力をつけていじめっ子もぶっとばしてやりたいんでしょ?」
「はい、よろしくお願いします!」
「むぐむぐ、ごっくん」
じゃあ、とお釜師匠からオーラが立ち上がる。
ごくりとのどが鳴った。
「筋トレから始めましょう」
「はい?」
耳を疑った。
今ちょうど人の耳になっているから聞き取れる音がおかしかったのかな~?
「魔女は魔力や魔法薬を扱えるという特殊な職業だけど、それ以前に必須の基本があるの」
本来世界を縦横無尽に走り周り、様々な事象を聞き取り研究し、あらゆる魔力の絡む問題に立ち向かえる存在。それが魔女。
そこに必要とされるのは。
「なによりも、体力よ。筋肉はすべての魔力に勝るのよ」
「ふえ?」
「きんにく?」
「私が別の仕事に現役だった時代は、魔女とはそういうものだったわ。魔法薬1つだって、必要とされるスキルがあるのよ」
どんなに遠くの生薬でも、迅速に手に入れてくる健脚。
どんな重い荷物でも担いで険しい山の生薬を探し出すスタミナ。
そのこぶしは岩をも砕き、魔道具の中で硬くなり必死に抵抗する材料たちを、力ずくで黙らせる。
大滝に打たれ精神統一をし、どんな呪文も間違えない。
癖の強い魔道具たちともタイマンで戦い、勝ち抜く戦闘力。
「そんな魔女は魔族に絶大な人気を誇ったわ」
「ええー!? なんか私の知ってる魔女と違う!」
「まじょすごーい」
「イクコもそんな魔女でね。あれでいてお腹はシックスパックだったの」
「やだそれ、聞きたくなかった!」
「ばあちゃすごーい」
「でも強すぎる女は人間の男性には不評でね。イクコもモテなかったわ」
「もっとそれ、聞きたくなかった!」
「ばあちゃかわいそー」
ともあれ、何よりも行動しなければ始まらないわ。
今からダイニングにシートを置いて、腕立て伏せ100回から開始ね。
―——お釜師匠の血も涙もない指導に、根性のない私は、10分で死んだ。
「ぜえぜえ。ふえええん、やだ何こんなの想像してなかったー!」
「あはは、楽しいねえお姉ちゃん」
「楽しくないわよ!」
汗だくの屍と化した私の横で、軽快にスクワットをする妹。
あんた正真正銘の5歳児よね!?
「うふふ、シンシアは魔女になれる素養があるみたいね。お姉ちゃんは、どうかしら」
「! ・・・・・・やるわよ、強くなって見せるわよ! いじめっ子だってワンパンの女になるわよっ」
必死に起き上がる私の横で、妹はえいえいとパンチをする真似をした。
「わんぱん~」
「ぬぬぬぬぬぬ・・・・」
強くなんなさいよ、イクコの子供たち。
お釜師匠は、微笑んだ(気がした)
魔女とは別名アマゾネスだったのです(ウソ)