第1話 お釜の師匠との出会い
曇天の空。雨の草の香りが漂い始めたあぜ道。
おばあちゃんの葬式の列は、坂を登り丘を目指す細い小道に、長く続いている。
その到着先は教会だ。
私は黒い頭巾を深くかぶり直し、赤い頭巾の小さな妹の手をしっかりと握る。
妹の手は、いつもよりずっと冷たくなっていた。
「お前ら、大丈夫か」
小屋の入り口でおばあちゃんの棺が遠くなるのをじっと見つめていた私たちに、制帽を被った駐在さんが声を掛ける。
でも答えることは出来なかった。
食いしばった歯をほどいたら、溜まった涙がこぼれてしまうかもしれないから。
おばあちゃんは魔女だ。
村の外れの、森の入り口の小屋を建てて住んでいた。
魔女の仕事は、簡単な治療を施したり、おまじないをしたり、村人の相談事にのったりすること。
時折、村の伝統行事のお手伝いに行くこともある。
おばあちゃんは博識で、なんでも知っていた。
草の名前、羊の病気の治療、雨の予測まで。
特に薬を作ることは上手で、近隣の村や町からも依頼が来ていたほどだ。
更には迷い子だった私と妹を、人間とは違う容姿であるというのに、保護して養子にしてくれた。
とても優しくてしっかりしたおばあちゃんが、私たちは大好きだった。
でも、国の方針で後からやってきた教会と、古来からいる魔女との関係は、良くない。
以前いた神父はそれはそれは魔女嫌いで、いつもおばあちゃんと私たちを悪く言っていた。
そもそも魔女という名称だって教会がつけた言葉だ。
村の困りごとを解決できるおばあちゃんと魔の女なんて、すごい嫌がらせだと思う。
特に前の神父は魔女が悪魔を飼いだしたと叫んでいって嫌がらせをした。
当時神父と一緒に練り歩いていた村の人も、かばってはくれなかった。
更に私たちの耳を見たいじめっ子には、いつも追いかけられたれた。
カエルやヘビをぶつけられて、泣いてはおばあちゃんに縋りついていたものだ。
あの男の子は親の事情で、王都に行ってしまったけど。
先月の人事異動とやらで、あの嫌な神父も行ってしまった。
けれど、新しく赴任した神父はどんな人かは知らないし、知りたくもない。
村の人なんて絶対に信用しない、おばあちゃんと3人で生きていくんだと決心していた矢先に、おばあちゃんは死んだ。
ある日、起きてこなかったのだ。
いつも早起きなおばあちゃんは、おうちの竈に火を入れて、美味しいスープの香りを漂わせてからら、私たちを起こしてくれるのに。
「ばあちゃ、今日はお坊さんだね」
あの時、妹は無邪気に笑った。
今は泣き腫れた大きな瞳をずっと、去っていく棺に向けている。
駐在さんが去っても、私たちはそこから動くことができなかった。
◇◇◇◇
小屋の部屋は寝室と資材室以外はダイニングで、大きな作業用テーブルがどんと置かれている。
ダイニングの端には、竈が2つもあって、大きな方には年季の入ったお釜が鎮座している。
テーブルの上にはおばあちゃんが残した数多くの本と、引き出しにあった金貨や銀貨、薬にする予定だった生薬たち。まじないによく使ってた材料や香辛料は、梁や柱につるしてある。
シナモンやローズマリー、サイコやケイヒの独特な匂いが部屋中に漂い、この中で生活をしてきた私に安心を与えてくれている。
妹はテーブルの端を両手で掴み、あごをひっかけておばあちゃんの遺品となったものを眺めている。
赤い頭巾は外れて、こげ茶で丸い三角の耳が見えている。
ふわふわのスカートからは丸くて大きなしっぽがはみ出ていた。
私も頭巾を外して、遺された本の中で1番装丁が立派なものを取った。
黒い装丁に金の刺繍がしてある本の題名は古語で【おいしいお菓子の作り方】。
可愛らしい題名の本の目次には、全く真逆のことが書いてある。
雷の起こし方、ゴーレム軍団の作り方、妖精を下僕にする方法、・・・・・・最後にはこの世の滅ぼす呪文まで。
なぜかところどころがぼやけていて、ほんの一部しか読めないが、私には十分だ。
この本を使えば・・・・・・。
「シンシア。私はこの【おいしいお菓子作り方】で立派で怖い魔女になるわよ。私たちやおばあちゃんをいじめてきた村の連中にも、絶対に舐められないようにするんだから」
「うんフランお姉ちゃん、わたしもこわーいいまじょになるの!」
『やめといた方がいいわよー』
決心を固めた私たちに、突然男の人の声が掛かった。
しっぽの毛が逆立つ。
「何っ 誰かいるの」
「お姉ちゃんっ」
スカートに抱きついていた妹を抱え、周りを見渡すが、誰もいない。
妹もきょろきょろを首を回す。その耳に頭巾をかぶせ、自分もかぶり直す。
するとまた先ほどの声がした。
「ここよここ。竈を見なさい」
竈を見ると、火は消えて、どっしりとしたお釜が乗っている。
まさか・・・・・・。
「そうよ、お釜よ。あんたらを見ていたら心配になっちゃったから、声をかけたのよ。子狸たち」
「「ふええええええ!?」」
お釜がしゃべってる!
◇◇◇◇
私と妹はきちんと椅子に座り直した。
目の前には竈の上に鎮座したお釜。
今まで日用品でしかなかったはずの鉄の塊が、異様なオーラを放っている。
お釜は昔は隣国の住民だったそうだけど、お釜になってからはずいぶんと長いらしい。特におばあちゃんとはお釜として長い付き合いで、何かあった時には子供たちを頼むと言われていたそうだ。
このまま自分たちが無事に養子にもらわれて、自分も時の流れに身を任せるつもりだったので、正体を現すつもりなかったのだという。
「あんたらは、そもそも妖怪狸の迷い子で、人化の術も満足にできない半端ものなわけ。それなのにいきなり魔女の真髄を究めようなんて無茶もいいとこなのよ」
「うう、でもでもまじょになるの」
「でもじゃないのよミニマム子狸。それどころか村長の申し出も断っちゃって。これからどう生きていくつもりなの」
「薬の作り方は分かっているもの。なんとかなるわ」
昨日村長さんは、まだ10歳と5歳の私たちに、養い親を紹介してくれると言った。
でも完全に人化できておらず、耳としっぽが残っている私たちを見たら、また私たちをいじめるに決まっている。
断固として断り、途中だった依頼の薬をちゃんと完成させるからと約束して、帰ってもらった。
今朝は駐在さんが様子を見に来たが、断固拒否だ。
「イクコが引き受けていた依頼の分は支払ってくれるでしょうね。でも魔女の仕事はあれでいて信頼が第一なのよ。何も実績のないあんたらに、今後村人から新しい依頼が来ると思っているの」
「・・・・・・」
「子供を欲しがってる家に養子入りして、成人したらさっさと家をでた方がよっぽど現実的だと思うけど。ミニもいるんだし」
図星だった。
子供の見習いもいいとこだった私に、自分の家族の健康を任せたいと思う村人はいないだろう。
おばあちゃんは、前の神父派の村人にも広く相談に乗り、薬草栽培などの広い知識で信頼を獲得していた。
お手伝い程度しかしていない自分では、簡単には生計を立てられるほど仕事は出来るとも思えない。
でも、おばあちゃんの遺した本があれば・・・・・・。
「本をちらちら見たって無駄よ。イクコも物騒な本を遺したものだけどね。あんたたちに扱える類のものじゃないわ」
お釜の断言にぐっと両手を握る。
一方で、脳裏には過去の悔しい出来事が次々と思い浮かぶ。
幼い時代の親との別離。
人間に追われて、生まれたばかりの妹を連れて里山を走った記憶。
今の村に来ていじめっ子に見つかってさんざん耳やしっぽをからかわれ、追いかけ回された時の辛さ。
私たちを悪魔とののしり、おばあちゃんをいじめた神父や神父派の村人の顔。
この耳としっぽを見たら、またひどいことをされるに決まっている!
口をへの字ににして黙り込む私と、それを見てまねをする妹を見て、お釜はため息をついた。
「そうねえ、せめて人化がきちんと出来ればねえ」
しばらく考えこんで、空焚の薬缶のようにカンカンカンと高い音を出した。
妹がへの字に飽きてきた頃、お釜はじゃあ少しだけあんたたちに付き合うわと言った。
「仕方がないわね。せめてその耳が何とかなるようになるまでは、しばらく修行に付き合ってあげる。その間の生活もアドバイスしてあげましょう」
自分が教えることは、2人が人間社会に溶け込めるように完璧な人化の術を身につけさせること。
うっかり気を抜いて正体がばれないよう、そのための技術や薬を仕込むことにする。
「大切なのはあんたたちの安全よ。いつか魔女になるにしても、まずは自分で自分の身を守れるようにはならなくてはね」
「ありがとう!」
私はお釜の申し出に飛びついた。
おばあちゃんと旧知の魔法の品なら、色々な魔女の技術を知っているだろう。
あの【おいしいお菓子の作り方】の中身だって実行できるに違いないのだ。
だってすべての項目で、必須道具の欄に<魔法のお釜>と書いてあるんだもの!
すごい力を持って、村人に舐められない立派な魔女になってやるわ。
なによりも、あのいじめっ子にもぎゃふんと言わせてやれるかも!
そこでふと疑問が過ぎった。
「あれ。お釜さんの名前はなんていうの」
「ふふ、〔お釜〕でいいわよう。この名を堂々と使うことこそ、私のアイデンティティよ!」
「おかま~?」
妹が首を傾げる。
お釜からはふふふと男性の低い美声が聞こえる。
ともあれ、私たちは魔法のお釜と共に、魔女の修行を始めることになったのだ。