森山家
夢を……ぼくは夢を見ている。
他人のプレイしているFPSのゲーム画面を見るように、ぼくではない「誰か」の視界を共有している。俯きがちになっているから分かるが、「誰か」は女の子のようだ。中世の村娘といった身なりで、両手を縄で縛られている。立っているのは……どこだろう?
ぼくの問いに応えるように女の子が顔を上げる。
数段高い位置に座す、法衣の男たちを見上げる。
ここは裁判所だろうか? それにしては宗教色の強い雰囲気がある。
法衣の男たちのうち、真ん中で一番高い場所にいる老人が、仏頂面で淡々と何かの文面を読み上げる。共有できているのは視野だけで、音を聴き取ることはできない。読唇術も持ち合わせちゃいないし、そもそも喋っているのは日本語じゃないくさい。
それでも、女の子が有罪判決を下されたのは、なんとなく分かった。
――ストロボを焚いたような閃光と共にシーンが切り替わる。
続いて現れた光景は、さっきとは逆で女の子が群衆より高い位置にいる。
ここは街の広場だろうか? 目に映る構造物はどれも石造りで、やはり中世ファンタジーの世界を彷彿とさせる。
眼下で、兵士っぽい甲冑の男が松明を手に近づいてくる。男は、女の子の足下に積まれた木片と藁に火を点ける。
そこでようやく、ぼくは、女の子が磔刑にされているのだと気づく。
「あっ」という間に炎に呑みこまれる。熱さは感じない。でも、女の子のほうは……。
やがて磔台も燃え尽き、炭と灰ばかりが残る。お開きとばかりに群衆も散っていく。
そんな中、なんと、女の子は立ち上がった。燃えかすの中から生まれ出ずるように。
慌てて兵士たちは抜剣する。パイクを握る。
女の子は気に留めず、黒煙の先にある蒼穹を仰ぐ。
見上げた空に落ちていくような感覚――。
「……」
天蓋を突き抜けた先には、見慣れた天井があった。
ややピントがぼやけているが、分かる。自分の家のリビングだ。
しかし、果たして今この視界はぼく自身のものであろうか?
ふと、天井を遮って、心配そうに覗き込む少女の顔が映る。
「兄さん、気がついた?」
「柚子……か?」
「わたしが檸檬や蜜柑に見える? 心配したんだよ?」
ピントが徐々に戻ってくる。ぼくの顔を覗き込んでいるのは、間違いなくマイシスター・森山柚子である。どうやらぼくはリビングのソファーに寝かされているようだ。ちなみに「檸檬」とか「蜜柑」とかいう名前の妹はいない。果物にかけたマイシスター渾身のジョークだ。
「ぼくは、どうなってたんだ?」
「兄さんは玄関先に倒れてて――」
言って柚子は首をまわし、L字に置かれたソファーの端へと視線を遣る。ぼくも軽く上半身を浮かせて見遣る。
「この人が、兄さんをたすけてくれたんだよ」
悠々と腰掛けているのは、あの、玄関先でうずくまっていた少女だ。負っていたケガはなぜか全快していて、生気が漲っている。右腕は欠損したままだが、出血は止まっており、数年前の傷であるかのように断面は塞がっている。
ぼくと目が遭うと、彼女はにっこり微笑んで立ち上がる。
「ただいま、トヨタロー」
「お、おかえり」
反射的に応えてしまった。
「じゃなくて! えーと、ぼくたち初対面ですよね?」
「まーたそんなこと言って。あたしをからかおうったって、そうはいかないよ?」
いや、本当に知らないンですけど。
ブロンドの髪にレッドの瞳なんて、一度会ったら忘れるはずない。
(この人、兄さんの知り合いなの?)
(だから知らんて!)
耳もとで囁いてくる柚子に、ぼくは即答で囁き返す。
(ふぅ~ん……)
なんで納得してくれないのこの子。
お兄ちゃん、そんな風に育てた覚えはありませんよ!
トラストミー!
「え、えーと。キミは…」
「キミじゃないでしょ。名前忘れちゃったの? エ・リ・ス!」
「エリス。ぼくに噛み付いた覚えは?」
「あー、うん……血を吸わないと正直危なかったし、頼めるの、約束したトヨタローしかいなかったから」
エリスは、もじもじと恥じらってみせる。襤褸いドレスの裾をぎゅっと握り、上目遣いにチラチラとこちらを窺う。
「あたしだって、もっと素敵な雰囲気でしたかったよ?」
こいつはアレだ。電波系ってやつだ。隻腕に同情する余地などあるもんか。ぼくの日常を滅茶苦茶になどさせるもんか。
(――森山家は、この森山豊太郎が守る!)
ぼくは上体を起こし、ソファーから立ち上がる。
「本当は右腕も再生するはずだったけど、あの宝剣の力、おそるべしってところね」
「出て行ってくれ」
「えっ」
強い調子で呟くと、エリスの顔が引き攣った。
「享楽に付き合ってる暇はないんだ。出て行ってくれ」
「で、でもこの人、兄さんをたすけてくれたんだよ?」
「そもそもの原因はこの子にある。当然だろ」
……。
リビングに沈黙が流れる。
「わかった」
ぽつりとエリスが呟く。
「トヨタローには新しい女ができたんだね。だから、そんなに冷たいんだ!」
「ほえ?」
突き刺すような視線の先には、柚子。
いやコイツぼくの実妹なんだが?
「でも、諦めたわけじゃないから! 約束は、もう果たされたんだからね!」
立ち竦むぼくたちを置き去りに、エリスは廊下へ駆け出した。しばらくして、玄関ドアの閉まる音。どうやらお帰りになったらしい。
「何だったンだ、いったい」
まるで嵐が通り過ぎていったかのようだ。
「外、雨すごいけど……放っておいていいの?」
どーしてお前はそう、ぼくに義務感を芽生えさせる?
ぼくは溜息をついて玄関口へと向かい、
「……」
すぐさま踵を返す。
「あれ? 兄さん、行かないの?」
「ぼくの傘がなくなってた」
「あはは、ちゃっかりしてるね」
「笑いごとじゃねーぞ。あの傘、けっこう高かったんだから」
慎二の使ってるような三〇〇円のコンビニ傘とはわけが違う。スーツ屋で売ってるようなブランド品だぞ。ダサくなるの覚悟で盗まれないよう名前を書いたテープまで貼ってあったんだぞ。くそう。
毒づくぼくを見て、柚子が一言、
「ホントに、知らない人なんだねぇ」
「だからそう言ってるだろ。さあ、そろそろメシにしようぜ」
「えーっ、解決? そんなんでいいの?」
「そんなんでいーの」
これ以上、あのエリスとかいう女に関して何を考えろってンだ……例えば「幼い頃に結婚を約束した少女」だったとか? 残念ながら、そんな展開はない。幼少期の記憶はハッキリしている。約束をした覚えも、会った覚えすらもない。
忘れよう。台風一過だ。ぼくの日常は揺るがない。
「それじゃさっそく、いつものやついこうぜ」
「ぶー。納得いかないなぁ」
とか言いつつも、柚子は腕を引いて構えをとる。
いつものやつが始まった。
「「じゃーんけーん ぽんっ!」」
ぼくの繰り出したのがグー。柚子がチョキ。
フフフ、ぼくは知っているぜ。お前が最初にそれを出す傾向にあることをな!
「あー、負けたー」
さらに言うと、あいこになった場合は、前に出した自分の手より強いのを出してくる。お兄ちゃんは柚子博士なのだ!
「じゃあ、今日の晩飯よろしくな」
「今日で9連続だよ……兄さんには、可愛い妹を思いやる情はないの?」
「ぼくのことを『お兄ちゃん』と呼ぶなら、考えてやらんでもない」
「や、やだよ!」
ムッと顔をしかめ、柚子はキッチンへ向かう。
昔は「お兄ちゃん、お兄ちゃん」って懐いてたンだけどなぁ。「兄さん」なんて呼び出したのはいつの頃からだったか……。
ぼくもダイニングに移動し、テーブルに突っ伏す。
キッチンに立つ柚子の後ろ姿を眺める。
「なぁ、柚子」
「なあに?」
「お前、良い尻してるな」
おたまが飛んできた。
妹のうなじとか腰とか脚とかじっくり堪能すること数十分。夕食が完成する。
柚子の手によってダイニングテーブルに置かれた大皿には、アツアツの回鍋肉が盛られている。時間をかけたのは殆ど下準備で、火にかけてからの調理時間は数分といったところ。柚子が得意とするのは中華だ(というか中華鍋と中華包丁だけで大体のものをつくってしまう)。
「では、兄さん? 手を合わせてください」
アッハイ。
「いただきます」
「いただきまーす」
給食みたいなノリで今日も夕餉が始まった。
「お父さんが海外出張に出かけてから、もうひと月経っちゃうんだねぇ」
「だな(もぐもぐ)」
「今度は吸血鬼を探してヨーロッパだっけ」
「ああ(むしゃむしゃ)」
確か、前はツチノコを探して富士の樹海。その前はビッグフットを探してアラスカだったか。親父は脱サラして【冒険家】になり、滅多に家にいることはない。ちゃんと家に仕送りが届くあたり、ワンダーフォーゲルな仕事は中々どうして実になっている。
実は【冒険家】とかまったくの嘘でヤバい粉とか取引してるンじゃないか?
……平穏な日常を冒す妄想はやめよう。
「兄さんとの共同生活も悪くない、かな」
「ん、何か言った?」
「なんでもないっ!」
言って、柚子が大皿に箸を伸ばす。
「ちょ……それは、最後にとっておこうと思ってた豚肉っ!」
「ノロマな兄さんが悪いんだよ」
「よかろう。ならば大皿ごといただきだ!」
「あーっ! 兄さん、それ反則!」
穏やかな団欒は続く。紆余曲折を経て夕食を平らげたぼくたちは、風呂に入ってその日を終えた。
(つづく)