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舞姫クロニクル  作者: 瀬戸内ジャクソン
1/3

プロローグ-邂逅-

 それは、さながら舞踏だった。

 ネオン煌めく夜の路上で繰り広げられる、早回しをしているかのような超高速バトル。闘っているのは、嘴付きの所謂いわゆるペスト仮面を被った法衣服の者たちと、真紅のフラメンコ衣裳を纏った一人の少女だ。

 ペスト仮面たちは不可視のスピードで片手剣フランベルクを振るう。少女は腰まであるブロンドの髪をなびかせ、曲芸じみた動きで斬撃をかわす――否、紙一重のところで躱し切れていなかった。ミルク色の肌には幾筋もの裂傷が刻まれ、血が滴っている。

(Eins,Zwei,Drei……あと五人か)

 劣勢ながら、少女の紅い瞳は光を失っていない。

 力を溜め、必殺の一撃を狙っているのだ。

 ――ィン!

 少女の鼻先で、銀光が閃く。

(まだ、もう少し……)

 やがて、内なる力が充実するのを少女は感じた。一転攻勢の時だ。

 少女はグッと拳を握る。掌に爪を思いきり食い込ませる。

 そして、横っ跳びで人気のない路地へと跳躍する。

「Vampiristisch Tutor!」

 少女は唱える。それは、とっておきの能力。両腕を交差させてから薙ぎ払い、掌から滴る血の雫を、追ってきたペスト仮面たちに叩きつける!

「Oh je」

 少女が呟いた途端、ペスト仮面たちが爆ぜた。

 爆風で少女も路地の奥へと吹っ飛ばされる。受け身もとれずに転がり、蓋付きのポリバケツ群にストライクをかます。

 ようやく慣性のパワーから解放されたとき、少女は襤褸布のようになっていた。ドレスはズタズタに切り刻まれ、所々焼け焦げている。自慢の長い金髪もチリチリ、どころか魚の骨まで絡みついて前衛的なアレンジメントに。

「Mann! 実に不愉快だわ」

 コンクリートの壁に寄り添って、少女は立ち上がる。

 顔を上げると、追手はいなくなっていた。たぶん消し炭になったのだろう。

「弁償させてから殺すべきだった」

 次の刺客にはゼッタイ連帯責任とらせてやる、なんて恨み言を吐きながら、少女は独り路地を往く。喋り続けるのは途切れそうな意識を繋ぎ止めるためだ。耳鳴りは治まらず、視界はハレーションを起こし、心身共に限界を超えている。

(前へ、前へ)

 ヒールの折れた靴はとうに捨てており、少女は素足である。ガラス片を踏んでしまったのか、いつのまにか足の裏は真っ赤だ。一歩踏み出すたび鈍痛が走る。それでも少女は歩みを止めない。

「――!」

 不意に背後から気配を感じ、少女は弾かれたようにその身を翻す。

「ほう、勘はいい」

 ネオン光を背に、一人の男が佇んでいる。金髪碧眼にして中肉中背。年齢は三十代半ばといったところか。ペスト仮面こそ被っていないが、黒い法衣と携えた十字剣が刺客であることを物語っている。

「苦戦した様子だが、オレの放った部下たちも倒したようだし……まずは合格だよ。吸血鬼エリス」

「あなたに褒められても全っ然嬉しくないわね」

 閉じてしまいそうな瞼を持ち上げ、猫背になってしまいそうな姿勢を正し、少女――エリスは戦闘に備える。

「あたしが褒められたいのは、世界でただ一人。トヨタローだけよ」

「トヨタロ……耳にしたことのない名だ。しかし、吸血鬼に与するならば、いかなる者であろうとも滅却する」

 薄ら笑いを浮かべたまま、流麗な所作で男が抜剣する。

「それが我々『教会』だ」

「あなたが何者だろうと、あたしには勝てない」

「どうかな?」

 男は、懐から小さなガラス瓶を取り出す。その蓋を指で弾き飛ばすと、中身の無色透明な液体を刀身へと注ぐ。

 ィイイイイ――!

 細身の十字剣は青白いコロイド光を発し、妖しげに哭く。

「宝剣セイレーンは、聖水を塗すことで真価を発揮する」

「いくらか切れ味が良くなったところで、当たらなきゃ意味ないわ」

 人差し指の皮膚をエリスは噛み千切る。迸った血はうねる炎となり、彼女の肘辺りまでを呑み込む。エリスは、火槍と化した右腕を掲げる。その爪先で男を射抜くように。呼応して、男も十字剣を中段に構える。

 十数秒か、数十秒か、静止したまま時が経つ。先に仕掛けた方がカウンターを取られることを、両者とも本能的に感じ取っているのだ。

 でも、いつまでも膠着してはいられない。――吸血鬼エリスは思う。

 血を炎に変えるこの能力を発現し続けることは、失血し続けることに等しい。明らかに持久戦には向かない技だ。だからといって、持久戦に切り替えて力を溜めている余裕もなさそうだ。牽制を欠いた時点で瞬殺される予感がする。

 こうなったら、相手の予測を上回るスピードで先制攻撃っ!

 エリスは賭けに出る。

(Vampiristisch Tutor!)

 刹那、エリスの足裏が炸裂した。表面の血を小さく爆発させたのだ。それは推進力となり、男との距離を一瞬で縮める。

「はあああああああああッ!!」

 突き出された炎の指先は、男の肩口を捉え、左半身を吹き飛ばす。はずだった。

 超高速で流れる景色の中、男の姿がエリスの視界から消える。

 ――そして、銀光が閃く――

 攻撃が交差し、両者の立ち位置が逆転した時、エリスは右腕を失っていた。

 遅れて、宙を舞っていた彼女の腕がボトリと路地に墜ちる。

「その程度の加速でオレを仕留めようとは。浅はかだな」

「……あなた、本当に人間なの?」

「さて、ね。そもそもドーピングまみれの神父たちが人間と呼べるかどうか……ん?」

 男が飄々と語っている最中、エリスは再び足裏を炸裂させる。

「不意打ちとは気品のないっ!」

 雷光の如き速度で放たれる、男の斬撃。避けること叶わず逆袈裟に切り裂かれる。左の脇腹から右肩にかけて灼熱感が走る。

「かふっ……」

 前のめりに倒れたエリスを尻目に、男は剣を一振りする。聖水が飛沫を上げ、刀身に付着した吸血鬼の血を洗い流す。腰に提げた鞘へ納刀すると、キン、と小気味の良い金属音が鳴った。

「さて、まだ死んではいないだろう? 吸血鬼エリス」

「分かっているなら、なぜトドメを刺さない……」

「さて、ね」

 その時、路地に新たな足音が響く。

 現れたのは、僧服に身を包んだ若いシスター。

 大きな瓶底眼鏡をかけたドジそうな娘である。

「同志、シスターメランコリン……ようやく追いついたか」

「はひっ! シスターメランコリン、ただいま到着しました~!」

 シスターは大袈裟に敬礼して続ける。

「それで、神父ローニン=フィレンツェ。吸血鬼のほうは?」

「済んだ」

「そうでありますか♪ では、死体の回収を」

「その必要はない」

 ……?

「あの、ローニン神父、しかしですね……」

「必要はない、と言ったのだ。行くぞ」

「は、はひっ!」

 足音が遠ざかっていくのを、ぼんやりとエリスは聴いていた。

 その足音も、やがて雨音によって掻き消される。いつのまにか土砂降りだ。

(どうして、奴はトドメを刺さなかった?)

 教会の過激派にとって吸血鬼は仇敵だ。見逃すメリットなどあるはずがない。

「いや、今はそんなこと、どうだっていい」

 降りつける雨粒に抗ってエリスは立ち上がる。

「せっかく拾った命だ。生き延びるンだ。生き延びて、泥水を啜ってでも生き延びて……逢いにいくんだ……トヨタローに!」

 冷たいコンクリート壁に身体を預け、一歩ずつ歩いていく。

 路地にはただ、血痕だけが尾を引いていった。


    §


「おつかれ、豊太郎」

 頭上からかけられた労いに、ぼくは微睡みから脱する。

「ああ……オツカレ」

 机に突っ伏した顔をずらし、眼球だけで辛うじて声の主を捕捉する。そこには、隣席の住人・秋津慎二の姿があった。教室内の通路スペースをはさんだ向かい――自分の机に腰掛けている。隣席の住人とはコイツの二つ名で、ぼくが勝手につけた。私立・美翔高校に入学してから二年間、慎二とは常に同じクラスかつ隣席同士なのだ。たぶん呪いだ。

「ところで慎二」

「なんじゃらほい」

「隣の席なら、起こしてやるのが心遣いとは思わないか?」

 美翔高校は県内有数のウルトラ進学校である。

「本日最後の授業だ。そっとしといてやるのも立派な心遣いだぞ」

 言って、慎二はノートをぼくの頭に乗せる。貸してくれるらしい。

 みそ高(美翔高校の通称)の時間割は8限目まであり、ラストの教科ともなれば困憊こんぱいがデフォルトだ。

「なるほど一理ある……ところで慎二」

「今度は何」

「傘、二本持ってない?」

 外を見ずとも、窓を打つ音を聴けば分かる。土砂降りだ。

 水不足な我が県……夏場であればダムが潤うため感謝するところだが、桜が八分咲きしている今、土砂降られても嬉しさ皆無。

「二本も傘持って来るわけないだろ。宮本武蔵ごっこしたいときだけさ」

「だよな。いや、ちょっと待てお前」

「素直に言うンだな、『ステキな慎二くんの傘に入りたいの♡』ってな!」

 慎二は自らを抱き締め、奇妙に全身をクネらせる。

「死んでもゴメンだわ」

 ――ざああっ!

 ぼくが呟いた瞬間、雨は一層強さを増した。

 どうやら神はぼくの敵だ。

「さあさあ、どうする?」

「……」

 結局、その屈辱的な台詞をぼくは吐く羽目になった。慎二のヤローは満足したらしく「次の機会はメイド服でたのむ」とわけの分からないことを言っていた。

 ぼくと慎二は、他の学生に紛れて昇降口へ。激しい雨が降りつける校庭に飛び出し、駆け足で通学路を逆行する。案の定、慎二のコンビニ傘では野郎二人分の面積をカバーできず、お互い身体の半分はびしょ濡れだ。

「どーせこうなるなら、折れるンじゃなかった」

「ないよりマシだろ。我慢しろ」

「ぼく短気」

 ウープス。ホーリシット。悪態をついているうち、踏切に差しかかる。すでに遮断機は下りてしまい、ぼくたちは社会のルールに待たされる。

 ここを越えれば、我が家はすぐそこだ。

 帰ったらソッコーで熱いシャワーを浴びよう。

(……おや?)

 予讃線の名ばかり快速電車が通過する寸前、ぼくはふと、視界の端にシスター(といってもマイシスターのことではなく教会のそれ)を見た気がした。

 珍しいな……外人っぽかったし。

「豊太郎。おい豊太郎っ!」

 んぁ。

「遮断機上がったぞ」

「本当だ」

「おいおい大丈夫か?」

「ちょっとボーッとしてた……じゃ、また明日な」

「家まで送ってこうか」

 ばーか。この遮断機まででも譲歩してるだろお前。

 ちょっと方向違うだろ。

「カノジョでもできたら、したれ」

「ん。じゃあな」

「おう」

 別れを告げ、ぼくは傘から脱出する。当然モロ濡れになるが、自宅までそれほど距離はない。通学鞄を雨避けにしてダッシュを試みる。五〇メートル走・八秒台の健脚は伊達ではない。普通ですねハイ。

「帰宅っ!」

 門を開け、ぼくは彼の地、森山家の玄関先にたどり着く。

 気分はもうメロス化していた。

「……え。あれ?」

 一瞬、間違って隣の家に入ってしまったのかと思った。

 玄関先には、見知らぬ少女がうずくまっていたのだ。膝を抱え込んで。

「……」

 少女はゆっくり顔を上げ、ぼくと視線がかち合う。

 ――かわいい――

 正直、ぼくは思った。

 あどけなさの残る顔立ちに、濡れたブロンドの髪。瞳はルビーのようで吸い込まれそうな神秘性を宿している。その身を包んでいる襤褸襤褸な紅いドレスも、どこか背徳的な美しさがある。

「ってキミ、血まみれじゃないか!」

 そこで、ぼくはようやく理解する。彼女の紅さは、瞳やドレスの色だけではないことに。

「よ、よく見りゃ右腕もげてるし……そうだ、救急車!」

「トヨタロー」

「へ?」

 豊太郎。少女は確かにそう呟いた。

「ぼくのこと知ってるの?」

「トヨタローだ……やっと逢えたぁ……」

 少女は相好を崩し、押し倒すくらいの勢いでぼくに抱きついてくる。

「ゴメン、時間がないの。約束……果たさせてもらうね」

 首筋に噛み付かれたのだ、と気づく。

 そこで、ぼくの意識は途切れた。



(つづく)

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