いびつ(2)
トリシアはすぐに塾の寮にいるはずのギアに会いに行った。
ギアに聞くのが一番手っ取り早い。
「すみません、こちらにグルギア・D・エドガーさんはいらっしゃいますか?」
「ああ、最近泊ってる人?そう言えば…二日前に仕事に出てったきり見てないね、出張とか言ってたけど」
「そうですか…ありがとうございます」
ギアが自分につきっきりという認識は甘かったようだ。彼も仕事の合間を縫って自分の相手をしてくれていたのであって、今までがイレギュラーだったのだろうとあたりをつける。
これからは自分で何とかしなければいけない事がたくさんあるはず、甘えては駄目だわ。
トリシアはそう考えなおして、一度思い切って山のふもとに戻ることにした。
タマゴの坊やをひとりぼっちにすることは気が引けるけれど、確認したいことは山のふもと、教会にあるのだから仕方が無い。
帰宅した後にその旨をタマゴの坊やに報告をして、了承を得た…ということにして日が暮れる前にトリシアは一週間ぶりに元いた家に帰ったのだ。
「おじさーん」
「トリシア?!どうしてここに!!塾に行くって聞いたのに!」
「さっきまで塾だったよ、でも、あの…教会に調べ物の用事があって」
「教会?………前任者の死後1年は協会への報告の義務が無いって聞いてないのか?」
「へ?」
ああやっぱり、あの教会が協会なのかと納得しつつ、それでも首をかしげた。
伯父さんこんなに察しのいい人だったかしら。
「トリシア、塾はどうだい?何か不便はないかい?」
「えっと……」
いきなり問題の核心を突かれて言葉を濁すと伯父さんは顔を曇らせた。
タイミングよく伯母さんが「トリシアちゃんが帰ってるならご飯の支度しなくちゃ!中に入って待ってて~!」という呼び声に居心地の悪さからトリシアは救われたのだ。
「トリシアちゃん塾は男の子ばっかりじゃない?女の子少ないって聞いたわよ?」
お茶を出しつつ伯母さんはちゃっかりと塾の様子を私からうかがう。
「…女の子一人もいないんです…弓の先生が女の人だったけど…」
「知り合いもいないの?レイリエスくんとか、クラブさんとか…弓の先生はきっとマチコね」
思ってもみない名前が飛び出すものだからトリシアは口をつけていた紅茶から顔を離した。
「レイリエス先生と…馬場のおじさんもマチコ先生のこともどうして知ってるの!?」
伯母さんはわずかに頬を緩めて「まあ!」と歓声を上げる。
「レイリエスくん、先生になったのね。あのこリタとローヴァの教え子なのよ、立派になったのねぇ!」
「え?へ?は…えっと、なに?お父さんとお母さんあの塾で…働いてたの?」
何でもない顔で伯母さんは「そうよぉ」とさりげなくカップに紅茶を注いで焼き菓子を勧めた。
「2人はね、あの塾を創立してね。レイリエスくんは一期生だったかしら?よく家に連れて来てくれたわよ、覚えてない?」
「ぜ、ぜんぜんです」
「そう、なら心細いわねえ素敵なボーイフレンドでもいればいいのにねえ」
そこでようやく伯父さんが口をはさむ。
「……協会がここの教会だなんて、まだ教えてないのにどうしたんだ?」
「……ちょっと、調べなきゃいけない事があって」
「塾の子が絡んでるのか?」
「…そう、だね、うちの家の…出自のことを聞かれて…ちょっと」
「なるほど…家の出で態度でも変わるのか?」
「なんでっ」
噛みつくように聞き返してしまった所為で伯父は確信がいったというようにちいさく頷く。窯をかけられたことに気づかず引っかかった自分の無様に唇をかむ。
「そういうことか」
「…なんですぐに…わかったの?」
「よくあることでね…それにあの塾は、家柄のせいで勉強する環境が整っていない子たちを集めた塾だから…まあすぐにピンとくる」
悔しさで歪んだ顔が出来るだけひと目に晒されないように顔を背けた。相手は伯父さんなのに、自分の無知が許せなくて、情けなくて、とても顔を見て話せなかった。
そうだ、私はこんなに屈折して歪んで、いびつになってしまった。涙をこぼしてみても、それは元に戻る気配が無い。
「私は何も知らないから、下手にしゃべって嫌煙されたくないの」
「えらいなトリシアは」
「そうじゃない…私が思ってるより、お父さんとお母さんは…すごいことをした人だったんだね」
塾の創立、シャルロッテと深く関わりのある地位、等という制度のことはよく知らなが、たしかギアは準一等保護飼育士と言っていたはずだ…
「お前の母さんはもちろんのことだが、ローヴァもよく頑張っていたんだ。これからの世の中に必要なのは適切な知識を持ちそれを扱うことのできる実力を持った人間だと言ってね、家柄を問わずに生徒を集めて…君にも教えたいと言ってたんだがね」
思わずうつむく私を伯母さんが「トリシアは良くやってるわよ」と背中を叩いた。
「トリシアはまだ、ドラゴニスタのことを詳しく知らない。だから迂闊に自分のことを話してしまって嫌煙される程度ならまだいい…他人に利用されてはいけない立場にいるんだ。私たちを含めて、誰にもね」
「伯父さんと伯母さんにも?」
また小さく頷く。
「家柄は…トリシアが思っているよりもずっと根が深い問題だ。…君の使命について無暗に話さない方がいい…相談に乗ってやることができなくてすまないけれど、トリシアはまだ子どもで女の子だ、利用しようとする心無い大人は…きっと君をガッカリさせてしまうだろうな」
「うん、いいの、大丈夫、教会にも私が行って確認しなきゃ…だめだし」
伯母さんは黙り込んだトリシアに「むしろ!」と明るい声をあげる。
「むしろあなたが利用しなきゃ!レイリエスくんのことだから有能な生徒さんを育ててることでしょう、その子たちを頼ればいいの、そうすれば全部うまくいくわ!」
「誰にも話せない秘密があるのに?」
「そうね、利用って言ったらちょっぴり悪い言葉に聞こえるけれど『頼る』とか『信頼』って言う形なら大丈夫よ、すぐには無理よ?でも時間をかけて真摯に話せば…いつか家は抜きであなた自身を見てくれるはず、なんてたってあなたのお父さんとお母さんの塾なんだから」
今日は疲れただろう、もう寝てしまいなさいという言葉に甘えてベッドにもぐりこんだけれど……。
なぜだろう、タマゴを抱いて眠っていないからだろうか……その日は少しも眠れなかった。
トリシアが寝不足で充血した目は疲れを隠せない。
伯母さんも伯父さんもそんな表情を見せるような娘だったかと目を疑うような、大人びたというよりかは老いてしまった印象だった。決して年老いて醜くなってしまったわけではない。その仕草や眼差しや、弱弱しい頬笑みは、酸いも甘いも噛みわけた大人のような顔をしてみせる。
たった一週間で、何が彼女を老成させてしまったのか、昔話のように不思議な箱を開けてしまったのだろうか。
「教会に行ってくるね」
「ついていこうか?」
「いいの、そんなに遠くないし手続きだって無いんだし」
「そう、だな、じゃあ気をつけて…帰りは…?」
「上の家に帰るから大丈夫、泊めてくれてありがとう伯父さん、伯母さん」
上の家に「帰る」という言葉に伯母さんが少し悲しそうに目を伏せた。
小さな教会だった。
良く言えば地域に密着した、有体に言えばおんぼろの教会だった。
古い扉はギッと重い音を立てて来客を告げる。
「どなたかしら?」
想像していたよりも出迎えてくれた女性の声は老いていた。
「シスター、私です」
「あら、まあ…トリシアなのかしら…?」
ご無沙汰しております、と短く礼を述べると彼女はその皺だらけの顔に笑みを深く刻んだ。
「大きくなったわねえ…葬儀の時は何も言葉をかけられなくて…ごめんなさいね」
「いえ、何も言えない事は…理解しています、葬儀は…その規則に則ったんですよね?」
驚いた、という顔を彼女は見せなかった。ごくすこし、申し訳なさそうに頭を下げたのだ。
「それで…トリシアはドラゴニスタの支部に…何のために、来たのかしら?」
トリシアは、思わずこくりと喉を鳴らした。
シスターは、神父さまの奥さまだ。知らないはずが無いし、ドラゴニスタに関係していないはずが無い。
けれど、今までの日常の一部だったものが…仮面を外した瞬間というものは脳の裏側を撫でられたような悪寒と不快感と、そして突然視界が開けた開放感をもたらした。
「ではシスターにお伺いします…ここはドラゴニスタの支部ですね?」
「ええ」
「…地母信仰にまつわる教会ですね?」
「そうです」
「ドラゴンが関わっていますか?」
最後の問いに彼女は言葉ではなく仕草で答えた。
ゆっくりと人差し指を天に向かって掲げて天井を仰ぐ、その行き先を思わず視線で追った。
「これで、答えにななるかしら?」
私は呆然と天井を見上げるしかなかった。
高く吹き抜けた天井には青空と自然が広がり天使が集っていた。
ありふれた教会の天井なのに、トリシアには雷に打たれたような痺れに支配されて目がそらせなかった。
天使や花々や雲に縁取られた青空は…悠々と翼を広げて飛び去ったドラゴンを模した形に切り取られ、羽ばたいている。
「それで、まだ聞きたいことは…?」
「えっ?…あ、ああ、家系図や手続きや聞きたいことはたくさんあるのですが…ひとつ気がかりがありまして」
「何かしら」
「私に歌を教えてくださったシスターはお元気ですか?」
その瞬間、今度こそ彼女は驚きを露わにして、頬笑みを凍てつかせた。
「シスター…?」
「それは……どうして急に?」
「いえ、あの…小さい時にお世話になっていたので、最後の最後まで聖歌隊に入れてくださって」
「…聖歌隊は、ずいぶん早くに解散しましたのよ?」
「え?」
「クリスマスだけ、でした」
「でもわたし、ここにかよ、通って…?」
「それは、私が御婦人に頼まれたのです、あなたと歌のレッスンがしたいから人払いをしてもらいたいと……高貴な身の方でしたので、あの方の存在は私しか存じ上げないはずです」
「じゃ、じゃあ!」
シスターは目を伏せて首を横に振った。
「連絡がつかなくなったのです…ある日突然、だから、あなたの要望には答えられません」
ごめんなさいね、と深く頭を下げられてひたすらトリシアは困惑する。
「ど、どうして高貴だと…思われたんですか?」
「あなたの御両親からも頭を下げられたのです、私用で教会を借りて申し訳ないと…お二人に頭を下げさせるような方がドラゴニスタにいるのかと驚いたのでとても覚えているのですよ」
「あの…私はてっきり…ここで勤めていらっしゃったんじゃないかと思ったんですけど…」
「そうね、よくここにいらしてたからそう思うのも無理ないわね」
「その方のこと…本当に何も覚えておられませんか?やはりお年を召していらっしゃるのですか?」
「歳…」
彼女はごくかすかに首をかしげて噛みしめるようにつぶやいた。
「よくよく考えると年齢を存じ上げませんね…そうね、あの方はいつまでもお若くて綺麗でした…とても、歳月の流れを感じさせないくらいにおいくつになられたのか分からないわ」
「え?」
「不思議な方でしたの、時々ここにふらっとやって来ていたので所縁のある方なのだと思っていましたけど…手続きもないのに、片田舎の教会にまめに通うだなんてそうね、思い返すと不思議ですね」
トリシアは少し、考えこんでシスターに一言問いかけた。
「ここは…どなたかの墓廟ですか?」
「…?え、ええそうですよ。よく知っていますね。たしか家系図を遡ればあなたの御先祖にあたる女性ではなかったかしら」
その答えに一気に力が抜けてひどい虚脱感に襲われた。
私に歌を教えたのは…姿を変えたシャルロッテに違いなかった。




