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sheath‐鞘姫‐  作者: 肇川 七二三
誘拐(DParty編)
160/225

彼女のいない部屋

レイは重ね着した上着を寒そうにかき寄せて塾寮からトリシアの家に降りていた。仮に訪ねて行ったとしてもその家の主は不在で出迎えもないのだが。


しかし足早に家にかけ降りるには理由があった。


「っかしいな、たぶんいると思うんだがなあ」


人気のない窓辺を覗き込んで呟く。

次いで玄関のドアノブをひねると、鍵がかかっているはずのドアがたやすく開いた。


やっぱり、と彼は胸の中で呟き、息を深く吸ってはいた。


隠れる必要も理由もないので遠慮なくドアを開け放って家の中へずかずかと入った。


「おい、いるか?」

いる事が前提で呼びかけているのだが、あいつは隠れるのが得意だからいるのかいないのか時々分からなくなることがある。

しかし物音がした。

がちゃがちゃというかすかな音。…台所からだと分かるまでに数分要した。

台所を覗き込むと食器を洗っているエプロン姿の男、ギアがいた。


「…私がいるとよく分かったな」

「おれも、あれだ、勘がよくなったんだろうな」

「そうか」


彼は笑みもこぼさずにそうとだけ呟いた。

本当にこの男が表情の一切を消し去ると、よく出来たマネキンにしか見えない。あの多彩な表情はトリシアがそばにいたからこそのものだったのだと思い知る。


「塾に私の知った顔がいなかったのだが…」

「ああ、そうか、お前には言ってなかったな。

シンはあいつの国で仕事をしながらドラゴニズムについて明るい人のところで勉強をはじめた。

チェキとデミトリは研究者ドクターとして育成してくれると約束を桂林で取り付けていたからそこで住みこんでる。

マーティとグラハスは追跡者シーカーとして仕事をしてて、いなかったんなら出張中だろう、一応住まいはこっちだから。アランは塾でおれの手伝いしてくれてる」

彼らが巣立ち、塾には新しくドラゴニスタに入会したばかりの若者が数名入塾した。

彼らは若く、無知だ。ディベートも要領得ずエキサイトする場面も少ない。アランは始終つまらなそうに頬杖をついている。

もう何度トリシアがいればと考えたことだろうか。

彼女がいれば、きっと驚くような方法で授業を盛り上げてくれるに違いないのに。



「みんな、散り散りになったか…」

表情が無い割には呟きに残念な気持ちが滲んでいたので一言付け加える。


「あいつらは、トリシアが帰って来た時のために見識を広げに外に出てった。トリシアを支えるために、戻ってくる。余計な心配をするな」

「そうか」


ギアはまた幽霊のようにうつろな顔でつぶやいた。

台所を片づけてエプロンを外し、身支度をはじめる。

トリシアがいなくなってからというものこの男の傍によると冷蔵庫に体を突っ込んだような寒気しかしない。


どうしたもんかと沈黙に気をもんでいる間に、こいつに知らせなければならないことを思い出した。

青い便箋をポケットから取り出して突き出す。


「塾寮に届いてた。寮母をやってるマチコが見つけてよこしてくれた」


うつろな顔に一瞬で血の気がさす。まるで激高したように。


「これをなんでっ!」

トリシアの筆跡だと彼は一瞬で気がついた。もちろんこれを受け取ったレイも一瞬で分かった。

「持ってけ、おれはもう読んだしお前が持ってるのが一番自然だ。ローリエたちにもお前が見せてやれ」


震える手で彼は恐る恐る手紙を取り出し読み辿り、そして顔を曇らせた。


心配させまいという彼女の気丈な振る舞いが痛々しい。


そして再びマネキンのように生気のない顔でつぶやいた。


「…私は、もうトリシアに会わない方がいいかもしれない…」

「なんでだ」

思わず責めるような強い口調になった。

「私は彼女とは異種族であるし、子どもも作れないし、相応しくもない気がしてきた。彼女が帰ってきても、会わない方がいいのかもしれない」


ギアはトリシアの事を思えば思うほど胸が熱くなるし、あの真っ白な煙るような睫毛に縁取られた瞳で見つめられることに喜びを感じた。彼女を思い出すと、触れたくなるし、全てを放り出して彼女の側にいたいとさえ思う。


……でも、今全ての感情を排して仕事をこなしている方が機械の一部になったほうが、逃げていた方がずっと楽だ。


「…お前な、身勝手にも程があること分かってんのか、分かってねえだろ。あいつの気持ちはどこに行きゃあいいんだよ。帰って来た時あいつの泣く顔なんか見たくないし、仮にそうなったとしたら、おれは絶対にお前を許さねえぞ」


正確に言うとあいつの気持ちではなくおれの気持ちというのが切実なところだが。

あの別れ際に自分がギアに言ったことを、ギアは本気で考え諦めようとしている。

それが怒りで拳が震えるほど許せなかった。お前はそんな軟弱な男じゃ無かっただろう、少なくともあの時はまだ。あの時切ったお前の啖呵は何だったんだ。


ギアのエプロンを掴んで床に叩きつける。


「会わない方がいい、恋人にならない方がいいって思ってるんだったら、暇を見つけてここに来たりするな!いつ帰ってきてもいいように家中ピカピカにしたりするな!あいつが料理出来るようにって手入れをしたりするな!馬鹿!この朴念仁!」


激高が部屋中に反響して、レイは肩で荒く息をしていた。

掴みかかって顔を間近まで引き寄せるが、やはり表情一つ変えず生気の無い顔で見返してくるだけ。


「あいつが好きなのは、おれなんかじゃなくて、お前なのに、お前がそれを捨てようとするのだけは、絶対に許さん」


目の前ほんの数十センチしか離れていない男の顔には生気がなかった。

それでも一瞬、瞳の奥で何かが燃えたような熱い眼差しを感じた。


「…んなわけないだろう、おれは望みがかなうなら一生連れ添ったっていいと思ってるんだ。子どもが出来るならあの娘に幸せな家庭を贈ってあげたいし、社会的にも精神的にも物理的にもおれの物にして、刻みつけてやりたい……っ!」

そして一瞬にして溶けた。


「でも最終的に、お前が掻っ攫って行くんだろう?」


ぱたぱたとギアの瞳から涙がこぼれたことに誰よりもレイが驚いて息をのんで固まった。

違うとは言えなかった。

レイ自身、自分の望みを承知していたしギアとトリシアが結ばれることに一番と言っていいほど強く反感を持っていた。

ドラゴンの嫁になったって、あの娘は幸せにはならない。

不幸にさせるくらいなら、自分の手で幸せを掴み渡して捧げたい。

押し黙ってしまったレイに一瞥くれて吐き捨てた。


「私は、トリシアが好きだ」

胸が張り裂けそうな懺悔のような告白だった。

冷静に涙を拭って彼は外套を羽織った。そして青い便箋をつまんで振る。


「感謝する、しばらく仕事が続くがまた寄るよ」

便箋を胸ポケットに大事そうに愛おしげにしまいこんでギアは笑った。

シニカルな、トリシアに会ったばかりの紳士的な皮肉めいた顔。


その顔をしていたころのギアをレイは知らない。人間に見切りをつけ、深く関わらぬようにしていたころのギアを知らない。


「だから、おれに譲る気があるなら家の中をピッカピカにしたりすんなっつってんだろうが」

「さあ、私は気紛れだからね。君の指図を受ける気はない」

「さっさと、あいつを連れ戻して幸せになっちまえ」

はじめてギアがくすぐったそうに感情を露呈させた。


「お前は私の味方なのか恋敵なのかどっちなんだよ」

答えを聞く事もなくギアは一方的にそう言い、ドアを閉めて出て行った。

レイは決まり悪そうにうなじのあたりをぼりぼりと掻いて空になった部屋を見渡す。




「ほんと、おれはどっちなんだか…」

ドラゴンの目線なんて分からないけども、少しあいつの気持ちを見くびっていたな、と反省をする。

少なくとも、トリシアのいないギアは、レイの目には痛々しく映った。

そして、自分のこの感情は最悪の形で叶うことになるのだと、目を伏せ予感した。





さてさて

我が家はマンションなのですが、いかんせん寒い

人口密度が低くなると比例するように部屋の温度が下がります

特にこれを更新している時なんて寒くて寒くて

室内なのに厚着でもこもこしてます


みなさんは温かい部屋で温かいまなざしで読んでくださいね←


今話はトリシアが日本で誘拐生活を過ごしている間に取り残された(?)

男二人の話でしたがどうでしょうか


次話は月曜日更新の予定です

今回も読んでくださってありがとうございます!

では次話も乞うご期待☆

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