別離
男たちの手によって暗く重い色の棺が担がれてくる。
とても繊細な刺繍の施された布がかけられ、深く掘られた穴の中へと棺は埋葬される。
女たちは黒い服に身を包み黒いヴェールで顔を隠してうつむき、ざ、ざ、という土の音に耳を傾けながらすすり泣いている。
「かわいそうに…両親ともこんな早いうちに亡くして…」
「お二人とも事故…って聞いたわ、あんなに若い子…誰が引き取るのかしら」
「順当にいけば…伯父夫婦ではなくて?……子どもに恵まれなかったようですし…」
「まあ、それは…こんな言い方もあれですけど、よい巡り合わせでは?」
すすり泣く声の合間にそんな囁きも聞こえる。
だれもこんな中途半端な年齢の娘を引き取りたくはないのだろう、と少女は口の端を歪め笑む。責任を押し付け合い、少女の引き取り手を押しつけ合う、醜く下卑なやりとりに妙に納得をして。
喪主を務める少女は既に母を亡くし…そして今日父を葬る。
少女はただそれを呆然と立ち尽くして、他人事のように見つめていた。墓標の前に穴が掘られ、棺が運ばれ、そして埋葬される。
何かの作業のような一連の光景を皮肉のこもった瞳で、まただ、と。
母の時の繰り返しだ。
すすり泣く声も、交わされる囁きも、
中身が父に代わっただけで、こんなのは繰り返しに過ぎない。
私の心は何も受け入れていない、理解を受け付けようなどとはしない。
ふと思うのだ
家に帰り、お菓子を食べながら宿題をしてテレビを見ながら待っていれば
……父さんが「ただいま」と帰ってくるんじゃないかと。
日常が戻ってくるはずだと。
墓標の前に立ちつくす影が少女一人になるまで、彼女はずっとそれを信じていた。
冷気が床をつたって、体を這い上ってくる。
確かめる術は無いが、ページをめくる指先が思うように動かなくなってきた。
暖をとるためにストーブのあるリビングに出て、せめて床ではなく柔らかいソファに座るべきかもしれない。
促すようにランプが不規則にチカチカと点滅した。
瞳にそれが反射して、彼女の異様な熱を帯びた光りを放つ。
しばし彼女は、放心したように物思いに耽っていたが、しかし取るに足らない事であったかのように再び手元の本へと視線を落とした。
かじかんでいるのか、眠りと疲労を訴えるのか、判別は付かないがぎこちない手つきでまたページをめくる。
父が突然の死を迎えて一週間が経つ。
事故死と告げられ、棺桶にはしっかりと釘が打たれていた。死に顔を見ることはおろか棺桶にも触れることができなかった。
母が死んだ時もそうだった。あの時私は5才でおぼろげにしか母の葬儀は思い出せないが母の棺桶にもしっかりと釘が打ってあった事だけはたしかに覚えている。
あのとき父は何も言わずに、私の手を握っていた。
母の棺桶が土に隠され見えなくなっても、風が冷たくなっても、日が暮れてしばらくたってもしゃがんで母のそばから離れなかった私に父はいつまでも寄り添っていてくれた。
無口で不器用な人だったと思う。
でもまさかこんなに若いうちに父も母にも先立たれて一人になってしまうなんて想像したこともなかった。
父は私をこの年まで男手ひとつで育てきってくれた。
娘を育てることに戸惑いもあっただろうが、私にとってはいい父だったし尊敬もしている。
葬列には思ったよりも多くの人が並んでくれ、数日のうちは辛いだろうと色々な事をしてもらった。
けれど、他人がいることによって私が気丈に振る舞うしかないことを悟った彼らは惜しみながらも私を残して立ち去ってくれた。
彼らが内心では引き取らずにすんで安堵していることを見抜いていても、それでも彼らの好意は偽物ではないと信じているから。立ち去って行ったことを憎んだりはしない。
そして一週間、現在私はようやく父の遺言を思い出し作業にあたっている。
遺言は簡潔だった。
「書斎の本棚を整理してほしい、できればすべて読んでから」
遺言と言えるかどうかはわからない、父がこの家を出ていく間際にそう言い残していっただけで、偶然遺言になっただけだ。
そうなっただけだ。
そう思い込みたいだけなのかもしれない。それでも最期の言葉というのは魔法のように絶対的な力を以て彼女を動かすのだ。
「父さんったら、本を全部読むには時間がいくらあっても足りないよ?馬鹿なこと言ってないでいってらっしゃい」
顔も見ずにそう言ったのが最期だ。お弁当を作って詰めている時に話されると迷惑だな、と思いながら口先だけで返した言葉、そのやり取りが最後になるなんて。馬鹿なのは私だ、こんなことになるならって後悔するなら、しなければよかったのだ。
おはようと言えばよかった、ありがとうと言えばよかった、おやすみと言えばよかった、後悔がとめどなくあふれる。
煩わしくなど思わなければよかった。
父はいつだって私が寂しくないように父役と母役をずっとしてくれていたのだから。
だから、もしかすると、罰があたったのかもしれない。
それからずっと本を読み耽っている。意地を張った子どものように、馬鹿な自分を受け入れたくはなかったから。
いつもなら父が遅くまで起きている事を心配して声をかけに来てくれていたけれど、その父が今はいない。父がいないだなんてそれはきっと嘘だわ、と本を読んでさえいればきっと帰ってきてくれるわ。呪文のような思考がカチカチと歯を鳴らした。
父の書斎から離れたくなかった。書斎から離れると父が本当に死んでしまった事を受け入れなくてはいけなくなる。それが怖かった。
震えるほど、怖かったのだ。
最低限の飲食のために台所とそれからバスルームにだけ通い後はほとんど眠らず本を読んだ。
父の声が頭の中で反響する。「本を読んでくれ」と。
伯父が様子を見に訪ねてきたのはどれくらい時間が経ってからのことだろう。
伯父とは小さいころから仲が良かった。お父さんが二人いるみたいだと言った事もあったけど、今の私には父の代わりには決してならない。
私は所詮まだ子どもにすぎないのだから、きっと伯父夫婦に引き取られることになんるだろう。
幸せな温かい家庭になると思う。伯父夫婦は子どもが出来ない体質だったらしく子どもの事を諦めていた。だから、私を本当の娘のようにこれから接してくれるんだろう。
私はそれが嫌なわけではなかったが、死んでしまった父とも母とも縁を断ち切るようで気が進まない。
伯父が微笑んで頭を撫でた。
それでも、手のひらの感触が父とは別のものだと思い知って、胸が締め付けられるように痛んだ。
「顔色が悪いな、忌引の休みはいつまででもいいって学校の先生も言ってたから心配しなくていい晩ご飯はもう…たべたかい?」
書斎の明かりが消えないから、顔がやつれてる、目の下のクマがひどい、ちゃんとご飯食べているか、きちんと眠って…そんなことをずっと話していた。
「おじさ、ん」
ああ、と呻くと突然言葉が頭に入ってこなくなってしまった。
伯父と話していたはずなのに、気がつくとベットで眠っていた。
「伯父さん…、伯父さん?どこにいるの…?おと、さん…お父さんは?どこにいるの」
父が死んだ夢を見た、いや父は死んでしまった。待て、本当はどちらが現実なのだろう?
思考を受け入れられなくて、気が動転して、夢と現実の境があいまいなまま家の中を探して回る。
裏返ってかすれた声で叫んだ。
「お父さんはどこ!?誰かいないの?!だれ、かぁ!」
「トリシア落ち着きなさい。落ち着いて」
伯父が部屋の外から駆け寄って、抵抗する私を抱きすくめて言い聞かせた。
「伯父さん?おねがい、ねえ!お父さんに会わせて!お父さんのお墓なんてどこにもないよね!?」
半狂乱に叫んで伯父の腕の中でもがいた。
だれかに嘘だと言ってほしかった。もう寸前まで父が死んだことが自分の中で事実になっていて、それが何より怖かった。
「いいんだ、トリシア、泣きなさい気が済むまで、それまで私もいるから」
伯父がそうささやいて、はじめて自分が泣いていることに気がついた。
子どものように泣きじゃくっても、伯父のシャツを汚しても、伯父は優しく抱きしめていてくれた。
あったかい…。
肩を震わせてひっくひっくと泣いては父の死を否定してと懇願した。
伯父はずっとずっと「すまないなあ」と謝って、父の死を肯定した。
涙も打ち止めになりかけたころ、抱きしめたまま伯父は少しずつ話しはじめた。
「トリシア、お前はいくつになる?」
「…18」
「そうか、もう18か。でも私たちの中ではお前はずっと子どもだよ。私たちのかわいいかわいい娘だから、いつまでだって甘えて頼って欲しい…親だと思ってくれなくたっていいから」
体中の水を集めて全て涙にしても自分には足りなかった。
ぽろぽろとふた粒枯れたはずの涙がこぼれる。誰かに思いやられる気持ちで心はこんなにも脆くなる。
「書斎にこもって、何日になるか分かるか?」
首を小さく横に振る。
胸まで伸びた黒髪もいたずらに揺れた。
「…7日だよ」
ため息のように伯父は言葉を吐き出した。思いもよらない数字に少し驚いたが、表情は変わらなかった。
「7日の間ずっと、本を読んでいたんだ。きちんと眠ることもなく食べることもなくだよ」
床には足の踏み場もなく本が散らばっていた。
ほぼすべての本が棚から離れていた。
喪に服すのはかまわない、と前置いた。
「トリシア、悲しむことでお前の体を悪くするなら、月並みな言葉だけどもローヴァ…お前の父さんだって無念だろう。悲しむなとは言わないが、それでも限度っていうものがある」
「…うん」
「忘れろと言っているんじゃないんだ。長い時間をかけてお前の中で整理をしなさい」
「…うん」
かすれて涙で震える声でうなずくと彼は笑った。
「安心して、おやすみなさい。しばらく私も妻もここに泊るよ。お前の寝顔を見るまで家内は絶対に家に入れてくれなさそうだったから、眠ってもらわなきゃ私が困ってしまう」
つられて笑った。
それじゃあ眠るか、と彼は私を抱き起そうとした。
「伯父さん私、子どもじゃないんだから」
子ども扱いが不本意で自力で立ち上がろうとした、がふらふらして足元がおぼつかない。
「ほらみろ」
意地を張るのをやめて伯父の手を借りる。
腰を痛めても知らないんだから、冗談と礼を言おうとしたとき、乱暴にドアをノックする音が響いた。
戸惑い、伯父の顔を見上げる。
今は何時だろう?夜中のはず、少なくとも一晩泣き明かしたとしても新聞配達に来る時間ではないはず。窓の外はまだ真っ暗。
見上げた伯父の顔は強張って見えて不安をかきたてた。
「…誰?おばさんじゃないの?」
涙で冷たくなった頬で聞いた。
ノックを続けるドアに向かって伯父が怒号を放つ。
「近づくな!」
「トリシアお前は出なくていい、座ってなさい」
打って変わって声が優しくなり、金縛りが解けた。あんなに怒った伯父の声ははじめて聞いた。
ドン、ドンドンとドアを叩く音は大きくなる。止む気配もない。
「…出なくて、いいの?」
「いい」
守り抱くように伯父は私の頭を抱きしめる。外の世界から隔絶させるような仕草は今の自分を安堵させるが…感覚が麻痺して遠のいていくようだ…。
突然ドアを叩く音が、やんだ。
瞬時に伯父が動く。
「部屋に隠れていなさい」
「隠れる?なんで?」
自分で動かない気配を察すると伯父は強引に私を抱きかかえた。
「待って待って待って!待ってたっら!そんなどうして…」
たかがノックごときでどうしてこんな行動をとるのか理解できない。
自分の理解を超える出来事が起こっているのか、それともこれは…普通のことなのだろうか。
必死で止めるも伯父は止まらない、ずかずかと部屋まで連れて行きベットへ座らせる。
「いいか、ここから出ないで寝てなさい。絶対だ」
厳しく言い聞かせる口調に何も言えなかった。
しかし直後に背後で声がして身をすくませた。
「つれないなあ、ディブ。玄関くらい開けてくれなきゃ寂しいよ。不法侵入者になんてなりたくなかったんだけど」
むくれた声で苦情をあげる。
「合鍵なかったから、自分で開けたよ。ごめんねお嬢さん」
男は礼儀正しくあいさつをし、微笑んだ。
その男の酷薄な笑みはとても優しくて親しげだったのに、恐怖と拒絶を体に刻み込んだ。
その時私は、床から冷気が体を這い上っていくのをたしかに感じた。
この体の硬直が、この震えが、この感情が、いったい何なのか…まだ私は知らなかった。
何も、なにも…
スローテンポで更新予定です
ファンタジーは書きなれていないので温かく寛容な心で読んでいただけるとうれしいです。
外国の辺鄙な田舎が舞台です。
ドラゴンが出てきます。
かわいい女の子が主役です。
活躍させたいです。
つたない文章ですが応援よろしくねがいます。
(外国の田舎を想像したのだけれど、名前を考えることに思いのほか苦労した)