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とある子爵令嬢の話

作者: むぎしゅ
掲載日:2026/02/22

 グラディス・カルダーの人生は平坦ではなかった。


 母親は六歳の時に愛人と逃げたため今や顔もよく覚えていない。父親であるカルダー子爵は十八歳の時に突然の病により帰らぬ人となった。

  

 後継者である弟グレンはこの時十三歳。この国の法では成人とされる年齢は十八歳、彼が成人するまでは正式な継承は認められず代理人を立てる必要がある。だが父親の兄弟姉妹はおろか頼れる親戚はいない。ゆえにグラディスはグレンが十八歳になるまでカルダー子爵代理としての役割を背負う事になった。


 グラディスは並外れて賢かったわけでは無いが、元々勤勉で領地の事にも関心が高かった。そのためカルダー領の経営はなんとか順調に進む。執事のサイラスや友人たちも大きな支えとなった。


 


 一方、グレン・カルダーは生まれながらの後継者。そしてまずまずの美貌を持っていた。


 彼は姉が嫌いだった。

 人並み以上に努力しても平凡な姉。

 小麦畑を走り回るしか能が無い姉。

 顔は地味で、頭も良くなく、どこをどう見てもぱっとしない。

 しかし今やそんなグラディスが代理人として自分の上に立っているのだ。グレンにとっては気に食わない。さらにグラディスは元々口煩かったが、代理人になってさらに拍車がかかった。


「ねぇ明日西の小麦畑の様子を見に行くのだけれど、一緒に行かない?土地や領民たちの様子を見るのも大切よ」

「家庭教師から聞いたわ、確かに退屈かもしれないけれどきちんと勉強はしないと」


 まるで自分に何か足りないかのような言葉にグレンは苛立ち、今まで以上に姉を避けるようになった。



 

 二年後の春、グレンは王立学園に入学。これから夏と冬の数日以外カルダー領には戻らないだろう。グラディスは馬車に乗り込もうとするグレンを呼び止めた。


「入学おめでとうグレン。あなたは何も心配せずに王立学園でしっかり勉強して」

「はいはい、わかったよ。姉さんこそ領地を潰すような事しないでよ」

「大丈夫よ!それと」


 グラディスの「体に気をつけてね」という言葉は扉が閉まる音にかき消された。




 グレンにとって学園は異世界だった。

 とにかく驚いたのはきらびやかな令息令嬢たちの存在だ。完璧な礼儀作法、知的な会話、そして何より洗練された美しさ。

 父親が亡くなってから枯れ木のように細くなり、目の下の濃い隈が取れない姉とは大違いだ。


(姉さんなんて彼女たちに比べればただの石ころじゃないか。でも僕も彼らに比べたらただの田舎令息か)


 グレンは自分の血筋が恥ずかしいものに思えた。


 そんなある日。王立学園では礼儀作法の授業があり、その日はお茶会の作法を学んでいた。

 友人と雑談しながらお茶を飲んでいると、一人の令嬢が近づいてきた。


「ライアン様のご友人?はじめまして。フローラ・オフリーと申します」


 グレンは金糸雀のような声と、可憐な微笑みを見て心臓が跳ねた。

 フローラは侯爵令嬢で、入学してすぐその美しさが話題となった。グレンも遠くから見た事は何度もあったがまさかそんな噂の人物が話しかけてくるとは。頬を染め、宙を浮いたような気持ちになり、隣にいる友人の困惑した顔には気がついていない。


「あ、あの、グレン・カルダーと申します。ライアン、仲が良かったのかい?」

「フローラ、今日は待っていたのにどうして」

「まぁ、近くで見るととってもお綺麗な方」


 フローラはライアンを無視して押しのけるようにしてグレンの隣に座る。少し驚いたが再び笑顔を見せられた瞬間、友人の存在は頭から吹き飛んだ。当のライアンは唖然とした後、絶望した顔でその場をそっと離れた。


「あの、僕はただの田舎子爵の息子ですよ?フローラ様のような高貴な方とは世界が違うと思うんです」

「爵位がなんだというの?関係ないわ、お友達になりましょう?ね?」


 そう言って手を握られた。

 心臓がまた跳ね、顔が一気に熱くなるのを感じた。


 それから学園内ではグレンとフローラが一緒にいる姿が度々目撃されるようになった。




 短い夏休みに入ったが、グレンは領地に戻らず学園で勉強すると手紙を寄越した。さらには。


「交友に必要だから、ね」


 グラディスは首を傾げた。先週小遣いを送ったばかりだというのに。

 カルダー家は裕福ではないが、グラディスが節約しているため多少なら金は出せる。

 手紙は帰らない事と金の無心だけ。学園生活の事、領地や姉を心配する言葉は一文字もない無味乾燥な文章。

 サイラスは少し眉間にしわを寄せた。


「そんなに遊び回る余裕があるのでしょうか。この間の試験結果も中の下だったじゃありませんか」

「そんな顔しないで。交友は重要よ。まぁ確かに釘も刺しておかないと。そうだ、私もパーティーの支度もしなくちゃ」


 嫌な予感がする、とはグラディスは言わなかった。




 次の日、グラディスは領地が隣接するワイラー伯爵家が主催するパーティーに参加していた。エスコート役はサイラスだ。


「何だか枯れ木にドレスを被せているみたい」

「そんな事ありませんよ。お綺麗です」

「執事の欲目ね」


 カルダー家とは真逆の裕福な伯爵家。贅を尽くした華やかで優雅な雰囲気に包まれている。

 場違いな気がしてグラディスは隅の方に隠れるようにして佇んでいた。パーティーは気乗りがしないが、社交は必要だし、普段会えない友人と話せる機会でもある。グラディスは参加しているはずの友人を目で探していた。


「おーおー、よく見れば女子爵殿じゃないか。よく紛れ込めたな」


 振り向いたのを後悔した。その場にそぐわない、顔を赤らめた男がグラスを片手にグラディスに近づいてきたのだ。すかさずサイラスが守るよう間に入り、グラディスは侮蔑の言葉を我慢して口元だけなんとか笑顔を作る。


 女子爵。

 グラディスを揶揄する言葉だ。

 結婚もしていない若い女が子爵領を治めているという話は噂の種になっていた。

 最初の半年はいつグラディスが音を上げるか。次の半年は誰が彼女のパトロンか。今は誰が夫になるか、あるいはいつ弟を追い出すか。

 女が領地を治めているのが気に食わない者は少なからずいるし、邪推する者もいる。


「このおっさんがあんたの愛人か?」

「どなたか存じませんがお戯れはそれくらいで」

「女が領地経営なんてできるはずないもんなぁ。なぁ、あんたさ、この痩せぎす女のどこがいいんだ?」


 何かを言おうとしたサイラスを制し、それとなく離れようとするがしつこい。避けてもにやにやしながら追いかけてきては同じ言葉を繰り返す。周囲はちらちらこちらを見るが助けようとはしない。

 

「おい待ってくれよー、女子爵殿」

「あら。あなたのような無作法者が私の友人に何のご用?」


 冷たい声の方に振り返ると、そこには怒りの表情を隠さない若い女性が立っていた。男はその顔を見て驚愕する。

 そこにいたのは、気品あふれる美しさ、赤色の髪と目から「社交界の紅玉」と呼ばれるマーリーン・カーラ・アシュビー侯爵令嬢だった。


「アシュビー侯爵令嬢!?おいお前、知り合いだったのか!?」

「主催者の息子としてその態度はどうなのかしら?それと今回の私の友人に対する仕打ち、よく覚えておきますわ」


 マーリーンの社交界での影響力は高い。一転して青い顔となったワイラー伯爵令息はふらふらと去って行った。気がつくと視線がグラディスたちに集中していたが、マーリーンが扇子越しに周囲をちらりと見ると全員顔をそむけた。


(さすがマーリーンね)


 グラディスは安堵のため息をついた。礼を言った後、気を遣ったのかサイラスは少しだけ二人から距離を置いた。


「ありがとうマーリーン」

「いいのよ。まったく、あの高潔なワイラー伯爵から何であんなのができるのかしら」


 グラディスとマーリーンは学生時代からの気心の知れた友人だ。今でも月に一度は手紙を、誕生日には贈り物をする仲である。


「メイナード様は?」

「あそこで話しているわ。今はのんきに笑っているけれど、お父様にしごかれて毎日泣いているのよ?まったく!グラディスの爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいよ」


 メイナードはマーリーンの夫で、アシュビー侯爵家に婿として入った。政略結婚だが何だかんだ夫婦仲は良いのだろう。グラディスは想像して笑ってしまった。


「何よ」

「楽しそうね」

「まさか!それより領地の経営は安定しているそうね。すごいわ。妹も尊敬しているって」

「そんな。私なんか……そうだ、マリア様とグレンは同い年だったわね。あまり学園の事はグレンは話さないのだけれど、何か聞いていたりはしないわよね」

「え?」

「ごめんなさい変な事を。知るはずないわよね」

「グラディス……」


 マーリーンはしばらく考え込んだあと、扇を広げるとそうっとグラディスに耳打ちした。


「言いにくいのだけれど……マリアが言っていたわ。グレン様があまり素行の良くない令嬢と付き合っているって」


 グラディスは思考が一瞬止まった。


「……本当?」

「フローラ・オフリー侯爵令嬢。学園で色んな令息に粉をかけてるって有名な子よ。グレン様と一度話したほうがいいわ」


 マーリーンは気まずそうな顔をしている。グラディスは話に戸惑ったが、何とか言葉を出した。


「そう……そうね……ありがとう」

「ごめんなさい、こんな話」

「いいの。どうにかするわ」


 そうは言ったがグラディスはパーティーの間、胸から靄が晴れなかった。




 グラディスは帰ってすぐに手紙を書いた。半月経っても返事は来ない。学園に直接行こうかとも思った。しかし領内の小麦畑に虫害が発生し、他にも細々とした問題がいくつか起きたため領地を離れる事ができずにいた。



 

 こうして慌ただしく夏と秋は過ぎていき、冬への準備が始まる。カルダー子爵領は冬の訪れが他の領よりほんの少し早い。


「小麦の収穫は減ったけれど、食べていくには十分ね」

「去年よりもやや減りましたが、お嬢様が早く虫害に対処した結果です」

「来年は対策を先んじてやるわ。きちんと記録してグレンに残さないとね」


 夜中、グラディスは紙に今年の収穫量と、肥料や道具や虫害対策などを事細かに記録する。全てグレンに渡すためだ。サイラスは複雑な顔でペンを走らせるグラディスを見つめる。


「今度学園に手紙を出して、グレンに会いに行くわ。そろそろ引き継ぎの話も始めなくちゃいけないしね。その時は留守を任せるわ」


 サイラスの前では努めて明るく言うが、パーティーの日からグラディスの不安は高まるばかりだった。

 マーリーンからの手紙には、未だにフローラとの付き合いが続いているらしい事が書かれていた。グレンから来る手紙は金の無心ばかり。


(マーリーンやマリア様が噓をつく理由はない。全て本当なら……)


「雪が降る前がよろしいかと」


 ペンの動きが止まった。グラディスは紅茶を置くサイラスの顔を見上げる。


「そうかしら」


 黙って大きく頷かれる。グラディスは苦笑した。彼はわかっているのだ。


「思い立った時が一番いいわよね」

「その通りです。他の事はお任せを」


 


(くそ、これじゃあ奴らに奪われてしまう!!)


 冷たい風に吹かれ、グレンは苛立ちながら王都を歩く。

 金が無い。

 フローラを手に入れるための金が無い。


 公爵令息を始めとした男たちがフローラを狙っていた。グレンもその中の一人だ。だが明らかに後れを取っていた。


 先日はフローラの誕生日だった。

 公爵令息はダイヤモンドのペンダントを、他の令息も高価なアクセサリーをフローラにプレゼントしていた。

 しかし姉から金を貰えなかったグレンは良質なハンカチ一枚だけ。

 令息たちは鼻で笑い、フローラは失望の顔をしていた。


「フローラは諦めろこの田舎者が」


 公爵令息にすれ違いざま言われた。恥辱で顔が赤くなった。


(大体姉さんが金を送ってこないから悪いんだ!フローラを手に入れるためには金が!金が必要なのに!)


 噂によれば公爵令息は婚約を破棄してフローラにプロポーズをするらしい。


(僕が子爵なら、姉さんより年上ならこんな事にはならなかったのに。いや大体父さんの、田舎子爵の息子じゃなければ)


 散歩は気晴らしになるかと思ったが、夫婦や恋人たちとやたらすれ違い余計苛立つ。


 ふと宝石店が目に入る。

 高級な衣服を身にまとった若い夫婦に店主が勧めているのは、大きな薄紫色の宝石がついたペンダント。まるでフローラの瞳をそのまま石にしたかのようにグレンには見えた。夫人はペンダントを身に着け、笑顔を見せている。その顔がフローラと重なる。


(あんな宝石を買えたら……あいつらを見返して……)


「すみません。よろしければお話をお聞かせ願いませんか」


 驚いたグレンが振り返ると、にこにことした笑いを貼り付けた身なりの良い中年の男が立っていた。




 カルダー領から王都までは馬車で約八日かかる。


 揺られながらグラディスは今までの事を思い出す。 

 父親が亡くなってからグラディスはただただ領地を守る事を考えていた。必死に勉強し、領民に信頼されるよう身を粉にして働き、奇異の目や嘲笑にも耐えてきた。


(全てはグレンに後を託すため……だったわよね?)


 当のグレンはどう思っているのだろう。

 

(元々彼は領地になんて興味がなかった。何もしなくても当然に子爵を継げると思っているのよ)


 自分に冷たいのは構わない。

 だが後継者としての自覚がないと言わざるを得ない今の状況は良くはない。


 グラディスは自問した。


(それって誰にとって良くないの?グレンにとって?私にとって?私が大切に思っているのはグレン?それともカルダー領?それとも違う事?)


 この気持ちは何なのだろう。

 どうしてグレンのためだと言い切れないのだろう。




「お金を、借りた?」

「姉さんが心配しなくてもちゃんとした人からさ。確か、グールド男爵とかいう人だよ」


 学園の応接室で面倒くさそうに頭をかくグレンから聞いたのは、信じられない話だった。


「フローラ嬢に貢ぐために?」

「なっなんで、いや、し、仕方ないじゃないか。フローラは侯爵令嬢だ。田舎子爵の息子が彼女と付き合うには金が必要なんだ」

「そんな不毛な関係に金を費やしたの?」

「不毛じゃない!フローラを愛しているんだ!」


 グレンは真剣に怒鳴る。いいように貢がされているとなぜ気がつかないのか。

 だがそれよりもはっきりさせないといけない問題がある。


「借用書」

「は?」

「持ってきなさい」

「だから問題ない」

「聞こえなかった?早く持ってきなさい」


 内容は酷いものだった。

 借りた金額は六十万ゴールド。

 端に書かれた利息は十日で一割。

 そもそもグールド男爵など聞いた事がない。例え本当の貴族だとしても、若者に町で話しかけて法外な利息で金を貸す輩が普通だとは思えない。


「最近貴族の若者を狙った違法な金貸しがいると聞いたわ。その類でしょうね」


 最初は意気込んでいたくせに、淡々とグラディスが説明すればするほどグレンの顔は白くなっていく。彼は借金に利息がつくことすら知らなかったようだ。何で引き継ぎではなく、こんな常識を説明しなければならないのか。


「何に使ったの」


 この場に及んでもグレンは黙るが、許されるはずもない。


「言いなさい」

「指輪を……フローラに……五十万……」

「やっぱり」

「だ………だってあの男、身なりがよくて親切そうで、ご両親には秘密でいいって、爵位を継いだ後でも返してくれればってさ……」

「そんな親切な人がいるわけないでしょ」


 弟は愚かにも欲望に目がくらんだ。


「馬鹿な子」

「何だって?」


 グレンは睨みつけるが、グラディスは全く怖くない。むしろ滑稽にさえ見える。


「そんな事言っていいのか?僕は次期子爵だぞ?今は偉そうにできても、後二年経ったらあんたを追い出す事だってできるんだ」 


 グラディスは黙った。怖くなったのだろうと判断したグレンは鼻で笑った。


「金は代わりに返しておいてくれよ、代理人さん。そうしたら少しは処遇を考えてやるよ」

 



 それから二年はあっという間に過ぎていく。


 グラディスは相変わらず領地経営に励んでいた。


 グレンに関しては、まずフローラとの関係はあっけなく切れた。

 卒業パーティーで公爵令息が婚約破棄騒動を起こした結果、彼は廃嫡された。フローラはその原因を作ったとされ、進級してからは一転して村八分にされた。結局耐えきれずに彼女も退学した。

 退学前、フローラはグレンも含めて片っ端から令息たちに結婚するようすがった。自分と結婚してよ、嬉しいでしょうと。

 最初こそ同情していたが、そんな態度を見て恋愛感情は一気に冷めた。


(なんであんな下品な女なんかに借金までして貢いだんだか……。まぁこれが若気の至りってやつだよな)


 それ以外は変わらない。

 成績は下の上、領地には結局一度も帰らず、借金こそ二度としなかったが友人たちと遊び歩く日々が続いた。




 そしてグレンの誕生日がきた。

 待ちに待った十八歳の誕生日。

 卒業式当日が彼の誕生日だ。式が終わると、グレンは約三年ぶりにカルダー領に戻って行った。




 帰るやいなや待っていたのは恭しく頭を下げるサイラスや使用人たちでも、悔しそうなグラディスでもなかった。


 グラディスからグレンは紙を渡された。文字を追う度にグレンの顔が赤く染まっていく。


「家を……乗っ取ったのか!?」

「よく読んで。廃嫡ではなく継承の一時停止よ。私の立場は代理人のままだし、問題なく三年が経つか、一定の成果を出せば解除されてあなたは晴れて子爵になれるわ」


 グラディスはサイラスが持ってきた紅茶を一口飲む。

 様子がおかしい。今目の前にいる女は細い背筋を伸ばして座る。自分よりずっとか細く小さいはずなのに、堂々とグレンの前に大きく立ちふさがっているように見える。今までと同じ姉とは思えない。

 グレンの戸惑いを無視するように、グラディスは指折りながら淡々と話す。


「詐欺にあう、素行の悪い女と付き合う、度重なる金の無心、成績不良、領地への無関心。借用書や成績表、あなたからの手紙を提出したらすんなり申請が通ったわ。領地を潰しかねないって」

「はっ!こんな田舎くらい僕なら簡単に経営できるさ。姉さん程度ができたんだから!」


 グラディスの後ろに立つサイラスは暴言に対し眉間に大きくしわを寄せた。しかし彼女の命があり口は挟まない。もちろんグラディスは挑発には乗らない。


「カルダー領で採れる小麦の品種は?」

「は?」

「小麦の平均的な収穫量は?黒麦食虫の対策は何をすればいい?小麦以外の主要な作物は?家畜は何頭?気候の特徴は?」

「な、何だよ急に」

「答えなさい」


 グレンは黙る。悔しさから脂汗が滲むばかりで、答えられるはずもない。

 

「何も知らないでどうやって領地を治めていくの?」

「どうせこの五年間サイラス頼りだったんだろ?それとも噂通り誰か男がいたのか?」


 苦し紛れの嘲笑に対しグラディスは呆れてため息をついた。


「はっきり言うわね。私は五年間この領地を守り続けた。子爵代理としての五年間は私の矜持。それを粉々に砕くなんて許さない」


 グラディスは弟の未来と自分の五年間を天秤にかけた。傾いたのは右側だ。


「猶予をつけたのはせめてもの情よ」

「ふざけるな!何が矜持だ!」

「わめく暇があるならとっとと能力を証明する事ね。裁判所が認めればの話だけれど。私は忙しいから話はこれくらいにしましょう」


 グレンがまだわめいていたが、グラディスは無視して書斎へと向かった。あとはサイラスが対処してくれるだろう。

 



 グレンは裁判所に不服を申し立てようとしたが却下された。

 今度は社交界で姉の悪い噂を流そうとしたがこれは悪手だった。不適格として公的に認められてしまった事が明るみに出、逆に自分が嘲笑の的になってしまったのだ。かといって今更姉に教えを請う事もできず屋敷に引きこもるようになった。

 最終的には男爵令嬢と結婚し、カルダー領よりさらに北の小さな村を治める男爵となった。

 屋敷を出る際、グラディスを含め誰も彼を見送る者はいなかった。




 グラディスがカルダー女子爵となったのは二十六歳。

 この時にはグラディスが領地をよく治めていた事は社交界、特に女性たちの間で称賛されていた。グラディスの努力をマーリーンが広めたのである。ただ未だに弟を追い出して子爵の座についたと悪く言う者も少なくはない。

 しかしグラディスは気にしない。八年間の努力と苦労は、領地の安定という形で実っている。それがグラディスにとっての誇りなのだ。


 それに意地の悪い人間ばかりではない。


「まさかお嬢……ご主人様の父親役ができるとは。もういつ死んでも構いません」

「ちょっと!泣くのが早いわよサイラス。まだ式は先の先。それにまだまだ私とクリストファーを支えてもらわなくちゃ」


 結婚が決まった。相手は子爵家の次男、クリストファーだ。学生時代から雑談をする仲ではあったが、卒業後一度関係は途切れた。その後裁判所で働いていた彼と再会し、恋人となり、全てが落ち着いてから結婚を決めた。


「女子爵の夫は大変だと思う。色々言われるし、年も年だしね。それでも私のそばにいてくれる?」


 そう言ってグラディスは跪きクリストファーに指輪を差し出した。彼は感極まり、だらだらと泣き続けていた。ちなみにクリストファーにとっての初恋はグラディスだったとその時初めて知った。


 結婚式自体はクリストファー側の家族と友人だけの質素なものにし、後日領民たちを集めて簡素なパーティーをしようとグラディスは考えている。使用人たちもできる限り参加させたい。久々に自分が料理をしたっていい。彼らもまた、彼女を支えてくれた人たちだからである。




 季節は春。

 小さな小麦の白い花が咲く。

 領民たちは笑いながら今日も畑の作業をする。グラディスを見ると彼らは気さくに手を振り、名前を呼ぶ。中には未だに「お嬢様」呼びが抜けない者もいるが。


「グラディス様!」


 振り返ると小麦畑のそばを駆け回っていた少女が手を振った。その姿はかつて領民に交じって走っていた自分そのものだ。


 グラディスは少女に負けないくらい大きく手を振り返した。

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― 新着の感想 ―
男爵領は信頼できる代官が元々治める予定だったのかなと、そう思っていました。 それなら、人任せと姉を蔑んでいたくせに村レベルすら統治できない無能という、プライドボロボロにされる苦行ですね。 総領娘がいる…
グラディス、本当にお疲れ様……! 地味だ何だって言われても、誠実に頑張る彼女が一番かっこいいし、最後はスカッとしました。 家族って、情がある分難しいなって思うこともあるけど、やっぱりやるべきことをち…
頑張って努力した主人公が報われてよかった。 そりゃ、領民のために頑張っている姿はしっかりみんなに伝わってますよね。
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