過去へのモーニングコール
「うわっ! きれいだなあ!」
旅行中の僕は「ホテルダイヤル」へとやってきていた。この旅行はまだ序盤だけど、暗くならないうちにチェックイン。
「いらっしゃいませ、ホテルダイヤルへ。ご予約の日寺間様で合っていますでしょうか?」
僕はとある招待状からチケットを取り出す。それにはこう書かれていた。
『日寺間様へ
以前よりご贔屓にご利用いただいております、ホテルダイヤルより、感謝の気持ちとして三日間の無料宿泊をしていただける特別チケットを贈呈いたします。ぜひこの度来ていただければ、幸いです。
ホテルダイヤルより』
カウンターで鍵と、手に赤いスタンプをもらって、自分の部屋へと向かう。
ホテルダイヤルは、横長な直方体の形をした四つの客室エリアと、中心の十字の通路でつながれた、空中に浮かぶ立方体の形をした大広間エリア、下には記念碑のある大きな中庭やレストランからつながるイートインスペースもあり、奥の客室エリアを越えたところにはレジャーエリアという、各種スポーツ場、プール、個室カラオケ、ダーツ、ビリヤード、ボーリング場などの娯楽を楽しめる場所も揃っている特級リゾートだ。
鍵とともに受け取ったパンフレットの受け売りにしては、いい紹介文だと思う。
かくいう僕は、ずっと112号室――入り口側の客室エリア十二階の左奥から二番目の客室――にこもっている。だって最上川山方大先生が亡くなった場所なのだから。
最上川山方。僕の恩師だ。ずっと和服で授業をする人だったから、みんなからは『乱歩先生』だなんて呼ばれていた。授業が上手い先生だけど、先生の一番の素晴らしさはその人格だ。
『君はすごいやつですよ。諦めるなんてとんでもない』の口癖に何度助けられたことか。
「はあ……話、またしたいな。あっ……」
部室にはダイヤル式の黒電話が置いてあった。なんとなく大先生に電話したくなった僕は椅子を近づけ、電話に近寄ると無意識にダイヤルを回していた。
一つ。一つ。回していくたびに僕の中で山方先生の言葉が反響する。まるで僕のありもしない希望にすがっている自責を吹き飛ばすようなあの言葉を。
『君はすごいやつですよ。諦めるなんてとんでもない』
『君はすごいやつですよ。諦めるなんてとんでもない』
『君はすごいやつですよ。諦めるなんてとんでもない』
『君はすごいやつですよ。諦めるなんて……
電話番号を打ち切るとともに、呼び出し音が鳴る。
プルル、プルル、プルル。プルル、プルル。ガチャリ。音がした。そして声が、聞こえた。あの、声が。
「もしもし、誰ですか? 私は今旅行に来ていますから、もう切りますよ」
「まっ待ってください! ぼっ僕です、間です」
「なっ、間君! 君なのか! ……どうしたのかね? 君は今日、行楽に行ったのではなかったのかい?」
「え、その日は……」
四年前、先生に言われて僕は、行楽に行くことになった。最高だった。――数日後の帰りに先生の急死を伝えられるまでは。確か死因は、不明のまま。唯一分かっているのは、大先生が最後に行ったのが、このホテルダイヤルだったことだけ。だから僕は来たんだ。最上川山方大先生の死の真相が知りたくて。
「先生、今日はいつでしたっけ」
「うん? 君らしくもない。それは当然――」
「乱歩先生、誰とお話してるんですか?」
突如、電話口から僕の知らない声がした。若い女性の声で、先生の知り合いのようだ。
「あぁ、君につねづね話していた、私の弟子のようなやつです。」
「ああ! えっと、間君でしたっけ? 私もお話してみたいです」
山方先生の声はぱたりと止み、代わりに大きな先ほどの女性の声が聞こえ始めた。
「もしもし、えっと、日寺間君で、合ってるよね?」
「はい、こんにちは。僕は日寺間です。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
挨拶をなんとかこなした僕は、彼女――古香子さんと、大先生のことについて、過去からの電話であることも忘れて、話し合った。
「それでねそれでね、乱歩先生が『狐は瓜が漢字に入っていますから、瓜が好きなのかと思っていました』なんて言うからもう、お腹が痛くてたまらなかったの!」
「先生もそんなことあるんだなあ」
「意外と乱歩先生も天然なんだって、そのときに知ったな。間君はどう? 何か乱歩先生についての話、ある?」
「ううん、あ、でも先生の言葉で面白かったなあ、っていうのは一個あるよ。」
僕は記憶の底から引っ張り出してきた思い出話をした。
あれは七月十日。先生は僕に言った。
『間君。今日は何の日か知っていますか』
『ああ、先生の誕生日ですね。おめでとうございます』
『うん? 今日は君の誕生日ではないのですか?』
『いや、今日は七月十日ですから、先生の誕生日であっています。僕は九日です』
そういうと、バツの悪そうな顔をした山方先生は何も言わず走り去ってしまった。
この話を聞いた古さんが笑うと、少し僕は安堵した。仲良くなれたような気がしたからだ。
「へえ、そんなうっかり、誰もするわけないと思ってた」
「でも僕も、一回だけ日にちを間違えちゃって、先生に贈り物渡しそびれたことがあるんだ」
色々な話をしていると、時間もすぐに経って、気づけばもう夜になっていた。古さんは僕にも聞こえるような大あくびをすると、
「ごめんね。今日はちょっと打ち合わせとかで疲れてるの。だから、また明日ね。またこの電話番号に掛けてくれれば乱歩先生とも話せるから、ごめんね邪魔しちゃって。強盗とか気をつけてね、それじゃ!」
ツーツーツー。通話終了の合図。通話をあっちから切られてしまったみたいだ。でも僕の心は初めてこのホテルに来た頃よりもずっと晴れやかだった。
「――ちょっと遊んでこようかな」
僕は何とはなしにドアの外に行きたくなり、ドアを押して、廊下に出た――ドアは左右交互に並べられているため、同時に開けたとしても首も動かさずに真っすぐ顔を見合わせてしまう事態は起こらない――。床は黒茶色の木、壁はベージュで彩られており、前後のドアに挟まれて窓が設置されていた。通路はまったく窮屈さがない広さで、横に二人並んでも楽に歩けそうだ。上には等間隔で置かれた丸型の蛍光灯が余すところなく道を照らしてくれている。
「よし、まずはご飯だ。……えっと、レストランは、これ、どっち向きなんだ?」
パンフレットに階ごとのマップが載っているので、それを元にしながら移動する。
少しもたつきながらも僕がレストランへと向かう途中、すれ違う人の中で「ボヤ騒ぎ」について話している人がちらほらいた。修理具合のキレイさを褒め称える者、今のホテルが大丈夫かどうか心配する者を、全室に防水設備がついているからとなだめる者と表情は様々だったが、盗み聞きいわく、爆発のように突然だったという。
ホテルダイヤルのレストランは、僕の見た中では一番豪華で、沢山の人たちがすでにバイキングを楽しんでいる。山積みのトレーから一枚取って、自分の食べたいメニューの場所を回ると、数分後、トレーはもう満杯になっていた。並べられたテーブルの内、全部の席が空いていた一つに座り、
「さて、いただきます」
としっかり手を合わせてから食べ始めた。
その瞬間、なぜか誰かの声で、
『しっかり、食べるんだよ』という頬杖をつきながらの言葉を聞いた気がした。
「ここ、座っていいか」
自分でよそったほかほかの白米を、餃子とともにかきこもうと考えていた僕は突然、青スタンプの、ボタンを外した学ランを着ている男の人に問い掛けられた僕は早くご飯を食べたかったため、快諾して、さっきまで考えていたことを叶え始めた。
「美味しいな……」
「やっぱり、俺もそれにしとくべきだったか……」
彼が心底惜しそうに言うから、ふと何をよそったのか見てみると、シュレッドチーズのかかった、たらこスパゲッティを主食に、主菜にはツナの入った大きなサラダを一皿。身体が温まるみそ汁も忘れていない。デザートにはみかん、飲み物には水を選んでいた。僕からすればずいぶんな健康志向だ。
「まだ残ってるし、ほらどうぞ。別に僕はお腹減ってないし」
「嘘だな。目が俺の食べ物に移ってる」
僕は言い当てられるとは思っていなかった自分の内心を言葉に出されて、恥ずかしくなった。
「本当だよ! 別に嘘じゃ――」
最悪のタイミングで僕の腹が鳴る。まるでお腹をすかせた犬の唸り声だ。
「もう言い訳は止して、ありがたく食べとけ」
彼は笑いながら言う。もう僕は何も言えないまま、分けてもらったたらこスパゲッティを飲み込んだ。やっぱり美味しかった。
不思議な出会いから少し経った後、彼から名前を教えてもらった。新水来。彼は卒業旅行で来ているらしく、号室は361号室――入り口から見て右側の客室エリアの十五階、左奥一番目の部屋――らしい。新水さんといずれまた会うことを約束して、今のうちにレジャーエリアにも遊びに行くことにした。どうやらここのレジャーは人気らしい。
レジャーエリアのボーリング場に来た。レーンはどれも使われていた。別の場所に移る。使われていた。移る。使われていた。カラオケも、ダーツも、ゴルフ場も、どこを見てみても誰かが使っていた。
「ちょっと、話し込みすぎちゃったかな……まあまだ何日かあるし、今日はもういいや」
最後に僕が来たのは最初に来たボーリング場だ。
「もう一度来てみれば」と、淡い希望を抱いていたが結局は同じく満杯で、未練がましく何度も来るのはもうやめて、大浴場にでも行ってさっぱりしてこようかとでも思っていたところで青スタンプの女性に呼び止められた。
「待って。あなたも一緒に遊びましょう」
「でも、いいのかな? 他の人は大丈夫なんですか?」
「元から一人よ。心配なんか必要ないわ。」
彼女の言葉に諭され、ゲームを仕切り直してもらうことにした。
ゲーム中の彼女は情けない色付けの靴を履いているのにも関わらず、括られた長く黒い髪を揺らしているのを眺めているとどことなく現実らしさが薄れてくる。まるで一コマ一コマが絵画でできている映像を延々と見せられている気分だった。
「ほら、あなたの番よ」
言葉を掛けられるとふと我に帰り、モニターを見る。彼女が226点、僕が47点と散々な状態。急かされるままに投球すると、一瞬でガターに吸い込まれていった。そのあとすぐに、後ろから薄ら笑いのようなものが聞こえてきた。
「私の勝ちね。今日はまだ一緒に周ってもらうから。――いいわよね?」
それから彼女――永久刹那に僕は無理やり連れられてレジャーエリアを何回も周ることになり、僕がようやく112号室へと帰って来たのは三時過ぎ。体にこびりついた疲労を振り払おうとベッドに入ると、今日のことも、明日からのことも考える暇もなく、僕は夢の世界へとさらわれていった。
翌早朝、ベッドから体を起こすと、あくびを噛み殺すように伸びをする。昨日のこともあり、あまりに眠かったため、僕は朝風呂にも入った。頭に滝のような水を受け、頭をさっぱりさせた僕の心は最初に黒電話に向く。
ダイヤルを回す。
「先生! おはようございます」と僕の声。しかし、返答をしたのは寝ぼけ眼の古さんである。
「ん、なあに? 間君、こんな朝早くに電話しなくなくたっていいんだよ……。ほら、乱歩先生も布団を被って眠ってるから寝息を聴いて……聴こえてる?」
耳をそばだててもまったく聞こえてこない大先生の寝息。まさかとは思うが電話線が短くて届かないのか、そもそも先生の寝息が静かなのか。いずれにしても、お話ししたかった僕にとってはがっかりだった。
「古さん、眠そうにしてるね。もしかして、迷惑だった?」
「ううん。そんなことないんだけど、やっぱり早起きが苦手だから、体に応えるんだよね」
何でもない日常会話に気が緩んだ自分は、大切なことでも話してしまってもいいような気分だった。
「もしさ、僕が未来から電話してるって言ったらどうする?」
「それは冗談でしょ…………え本当なの」
彼女の声色にはいかにも不信と驚きが溢れているようなもので、正直に言っているこっちがしょげてしまいそうな全否定ぶりだ。
「証拠は?」
「いつか、ボヤが起こる。もしかしたら今にだって起こるかもしれないよ」
「何言ってるの? そんなの起きるわけが――」
「日寺!」
新水さんの声だ。一緒にドアを勢い良く開けたときのような音がしていたから、何となく自分の部屋のドアを眺めていると、色と色を合わせて別の色を作るような別の世界――視覚的な過去の世界――が展開され始めた。
「日寺はいるか?」
「ここにはいないけど、電話には、ほら!」
僕の隣に座る古さんが、僕を視認せずに新水さんへと受話器を手渡すと同時に、主に聞こえる声も新水さんのものに変わる。
「なんで君がそこにいるの?」
「……そんなの俺が知るか。ただ石碑を見に行って、自分の部屋で眠っただけだ」
「なんで見に行ったの?」とは、この状況のせいで訊けない。しかしそれを見透かしたような声がした。電話口からだった。
「おそらく、彼とこのホテルに関係があるからじゃないかしら」
「永久さん、なんで君もそっちに!?」
「ごめんなさい。私も用事があったから、石碑を見に行ったんだけれど……不用心だったわ」
古さんと新水さん。そのどちらもが石碑を見に行ったあとに、こんなことになっている。僕は疑わずにはいられなかった。
「誰だ、お前は?」
「そんなの関係ないでしょう。それより、間君。あなたに伝えなきゃいけないことがあるの。聞いて。」
僕を心配させまいと優しく言う彼女の声が焦り語調になっていることを、彼女は自覚しているのだろうか。僕も合わせて、息が浅くなる。
「――あなたが追っている、最上川山方はこのホテルで死んだのよ」
「え、なんで、でも死因は分かってないって」
「いいから。分かって」
彼女に圧されて僕は何も言えなくなっていた。
「あなたは彼の死の理由を知りたいんでしょう? だったら、向き合わなくてはいけないわ」
彼女の真っ当な言葉に僕は誰にも聞こえないように、小さく、弱く頷いた。
「ねえ、どういうこと。乱歩先生が死ぬって何?」
大先生を起こさないようにか、囁くように古さんが話に加わる。
「今日から三日後、殺人事件が起きるの」
「待った。俺は自殺だと聞いたぞ」
「僕は……まだ不明のままだけど、二人の意見は食い違っているよね? それは何でなの?」
どうにか違和感を解消しようと質問してみても、
「知らないわ」
「知らない」
二人の情報の食い違いはどうしようもなさそうだった。
「だったらまずは帰ってくることを…………」
「間君、どうしたの?」
「聞こえてる? もしもし」
僕は悩んでいた。二人の安全を取るか、山方先生を救えるチャンスを取るかその間でずっと揺れていた。電話口の三人は何も声を出さず、ずっと僕のことを待ってくれていた。
僕の出した結論は「みんな、帰ってきてほしい」という、たったそれだけだ。
「そうか、分かった。今すぐ帰る、お前らもそれでいいな?」
「ええ、それでいきましょう。あなたはどうするの?」
「私はいいや。未来が少し知れただけでも運が良かったと思ってるから」
「日寺、ちょっと待っておけ」
新水さんの言葉を最後に、電話でのお喋りは終了した。どうやらあっちではとんでもないことになってしまったらしい。早く帰ってきてくれることを祈りながら僕は部屋の外へと出た。
「うわっ」
ドアを開けた瞬間、同時にドアを開けたサエナさそうなメガネの男の人――出てきたのは118号室からだ――と顔があってしまった。しかも僕は「うわっ」って声まであげて。
「すっ、すみません!」
バタンと扉を閉めて元の部屋へ引っ込んでいった男の人。朝の清々しさも綺麗に吹き飛ぶような気持ちだ。
「さて今日は何を――」
金切り声がする。さっきのでうんざりしてきていた僕が声のする方を向くと、ちょうど女の人が隣の111号室から絵を持ち出しているところだった。
「ねえ、いいかげん返してよ!」
「返してほしいんだったら、ここまで来てみなよ!」
小悪党のような声で走り去っていった女の人を捕まえようとした車椅子の彼女も、僕を見るやいなやすぐに引っ込んでしまった。最後に残された僕の顔は今、引きつっている。
「ここって、そんなに変わった人の集まりなの? もう……何なのかなぁ」
心が落ち込みきる前に朝食へと急ぐ。もしかしたら途中で新水さんや永久さんと出会えるかと思った
けど、キョロキョロしてた自分が不審者みたいに思えて恥ずかしくなって、やめた。
今日のメニューは狐色のフレンチトースト、目玉焼き、サラダと、昨日の新水さんに倣って組み合わせてみた。
目だけだったら大丈夫だろうと思って僕は、咀嚼しながら目だけを忙しなく動かし、二人の姿を見過ごさないように見張っていたところ、
「何してるの?」としっかりバレてしまった。
「いや? 何も、してないですよ?」
「いやでも……」
「ごちそうさまでした!」
怪しいのは自分でも分かっている。でも、これ以上めちゃくちゃな人に絡まれては気が持たない。僕はそう結論づけてさっさと中庭へと下がっていった。
「うぅん、涼しいなあ」
中庭は大広間エリアの下にある大きな広場。ちょっと草がはげていたり、雑草が放置されていたりと思うところはあるけど悪くはない。夜までは、暗くなりすぎないように、天井に付けられた、太陽を再現した人工照明が、植物たちを実際の太陽と遜色なく育ててくれる。その中でも僕の目当ては――
「これ、だよな? 二人が見た石碑っていうのは」
この石碑だ。
推定三メートル程度の細い放物線の形をした記念碑で、一メートルぐらいまではせり上がった台座がある、正直なんら変哲のないものといえた。場所も隠れた場所にあって何となく可哀想だ。
「ううん。特徴の無い石碑、だけどな」
表も裏も隅々まで見て、この結論。本当に二人が過去に吸い込まれた理由があるかも怪しくなってくる。どうやら、捜査方針を考え直す必要がありそうだ。しかし、二人はまだ過去に囚われたままだから、一人でどうするか考えるしかなかった。
「先生の死を追うなら、先生の死を知っている人に聞いてみるべきだよね。でも、人に当てずっぽうで訊くわけにもいかないし……」
僕が悩んでいるところに後ろから、肩をトントンと叩かれた。話を近くで聞いていたであろう人間の
出現にビックリして、ゆっくりと後ろを振り向くと、118号室のメガネの男の人だった。さっきとは違いハンチング帽とカメラを持っている。
「もしかしてあなたも、そういうたちですか」
勝手に自己完結するような言い方をする彼は言葉を挟む暇をなく喋り続ける。
「確かに、こんなホテル他にありませんから疑われることもあるでしょう。しかし僕は声を大にして言いたいのです! たとえ、遮られようと、火をつけようとも、ただ心のままに人たちを楽しませようという人間たちもいることを! そう、この鳥物一左。僕のように!……そう心から言えたら良いんですけどね……」
始めは熱血に語っていたかと思えば、最後にはその勢いは鳴りを潜めてじめじめと自分を責めている。僕はもう、ついていけなかった。
「あの、118号室の人、ですよね。記者さん、なんですか?」
「ああ、はい……。一応、記者やってます……こんななりして、あんまり売れてないんですけどね」
しめた、と思った。何と言ったって記者は、庶民に事件について知らせる役目を負っているんだから、山方先生についても何か知っているんじゃないかと思ったからだ。
「だったら、なんですけど、最上川山方先……山方について何か知りませんか? もしなかったら、ホテルの不祥事とか、もしくはどっちもとか、ありませんか?」
「え! で、でもこのホテルには恩が……」
「でしたら、最上川山方について、何か教えてください」
記者の男性は「えぇ」とか「いやあ」とか「でも」とか「ううん」とか、ずっと悩んでいたけれど結局折れて、口外しないことを約束に教えてくれることになった。
「実は、最上川山方が亡くなったあと遺言が公開されていたんです。」
大先生の言い遺した言葉によると、
『これから各方の日が沈む時が来る。しかし、その時こそ備え、その日を待ち構えることが肝要だ』という。何となく山方先生らしい言葉だ。
「そうですか、ありがとうございました」
良い言葉は手に入ったが、良い情報は何一つ手に入っていないため、早めに話を切り上げて情報を探す。
「一度、二人の報告を聞いてみるか?」
僕は思い立ったため、通路を移動していた。するとまた金切り声がする。
「泥棒! 泥棒です!」
「泥棒なんて、イケズだなぁ」
またあの小悪党と車椅子の女性が仲良く遊んでいる。しかし、今回は小悪党がこっちに走ってきていたので仕方なく、止めようと前に立ち塞がった。
「私の邪魔しようたって、そうはいかないよ!」
なんと僕の上を飛び越えていかれてしまった。しかもすごく簡単そうに。なんだか利用されたようで悔しくなり追ったが、すぐに見失ってしまった。唯一の手柄は持ち出された絵を見つけたことぐらいだ。
「すいません……見失っちゃいました」
「良いんです。いつものことですから。私の絵を見つけてくれてありがとうございます」
「ああ。画家さんなんですね、通りで絵を盗んでいくわけです」
「この絵はこのホテルをモデルに描いたんです」
さっきまでは落ち込みに一心不乱で絵の内容に目を向ける気にならなかったが、よくよく見てみると確かにこの絵はホテルダイヤルをモデルにしている風に見えた。
構図は僕の部屋の前から通路を描いたもので、遠くには、和服を着た、あの人が。
「この後ろ姿って」
僕が指を差しながら言うと、画家の女性は言葉を引き継いだ。
「あぁそれは最上川山方さんです。まだ足が動くときだったんですけど、モデルになってもらったんです」
「その時に、何かお話しとかしましたか」
「ええと、あっそうだ。『今日は雨が降るかもしれません』というのと、あと『乾燥しているから火災に気をつけて』って」
こんな世間話のようなものでは、死の真相にはどうやら近づけそうもなかった。
「ごめんなさい、こんなどうでもいい話で。もっとアッと驚く話をできたら良かったんですけど」
「いや大丈夫ですよ。最上川さんについて話を聞けて、良かったです。ありがとうございました」
「あ、あの! ……絵ノ筆彩です。また、どこかで」
「はい、またどこかで」
結局、あの石碑に戻ってくるまでそう時間は掛からなかった。帰ってきたときにはもう記者の男性はいなくなっていたが、そんなことはどうでもいい。
僕はここでずっと考え込んでいた。今までのことでどうにか大先生の動向について知れないかと考えても、何も浮かばないどころか、別のどうでもいいことが流れてくる始末。その果てに僕はやっと恐ろしい事実に気づいた。
「あっ! ――みんな!」
僕は急いで自分の部屋に戻ろうとした。何度かぶつかって、舌打ちもされたりしたけどそれよりみんなの命が重要だった。
「出てくれ……! 出てくれ……!」
僕の心が紛れもない事実に直面したのは、数秒後のことだ。
「なんだ? 日寺、ホームシックか?」
「違うんだ! そこに、古さんと永久さんはいる?」
「いや、二人は帰るための調査中だ。用はなんだ? 焦らず言え」
深呼吸を何度も繰り返したあと、僕は声を震わせながら言った。
「そのホテルはもうすぐ火事になる。多分、ホテルにいる全員が死んでしまうぐらいの規模のやつが……!」
電話口から言葉にならないような息を呑む音が聞こえた。やはり新水さんといえど突然にこんなことを伝えられては、焦ってしまうものなのだ。しかし、そのあと紡がれた言葉の平常さは、僕を驚かせてくれたが。
「場所は分かるか」
「分からない、でもそんな仕掛けをするなら、捜査の手の数が少なくなるところとか、自分だと疑われる可能性の低い場所にするはずだよ」
「つまり少なくとも、発火が日常茶飯事で起こる場所に仕掛けてあるということか」
僕は色んな可能性を挙げていった。
「あっ! レストランのキッチンとか――」
「ないな。犯人がホテルの関係者に絞られる」
「じゃあ、喫煙場とか――」
「お前はこのホテルで喫煙場を見たか? ないだろう。こっちも同じだ、四年で変わっていたところなんて一つもなかった」
「変わっている、ところは、ない…………」
その言葉を反芻すると、頭の中を一瞬、稲妻が走った。
「はっ、分かった! 中庭の照明だよ、あれは太陽に限りなく似せてあるから発火しやすいはずだ!」
僕の言葉を二度否定した新水さんも、黙りこくると決心したように言った。
「それだ。ちょっと、待っていろ。行ってくる」
そのあとすぐに通話は終了する――かとおもわれたが、何十分間の無音ののち、ボイスチェンジャーで変声された誰かが僕に話しかけはじめた。
「これ以上、詮索はするな。もしすれば、お前といえど死ぬことになるだろう。未来からの二人の安心も保証しない」
「誰なんだよ、お前は」
「俺は『時空を超えた者』。君の知りたい真実を知る人間なの。アンタに無駄な悪あがきをしてほしくないんです」
偽の語調を沢山忍ばせることで、口調に気をつけさせないつもりなんだろう。
「だったら現在に戻れる方法を教えろ。二人が帰ってこれるなら、諦める」
「イヤだよ……何故ならてめぇが火災を止めようとしてっから、だ」
「だったら通話中の彼を捕まえて行かせなければ良かった話じゃないか」
「ほう? 確かに、そうだ。それを言われちゃ余としても黙っている他ない。大変申し訳ありませんでした。つきましてはお詫びとして……何かをあげるわけないが、一つお前に帰ってくるヒントをあげるからよく聞きなさい」
一応、耳を澄ませて聞いていても何も聞こえてこなかった。数秒後すぐに通話は切られ残ったのは、
新水さんと永久さんの身を案ずる心配だけだった。
「永久さんのいう殺人事件、新水さんのいう自殺が起こるのは三日後。大先生のこととか、火災もだけど、今はその事件を阻止しよう……!」
僕は自分に過去を変えるための情報を集める役目を課した。
普通、殺人事件があったというのは世に知れ渡る。新聞に載るぐらいのことはしているはず。永久さんが知れているなら、なおさらだ。しかも、新水さんもホテルで起こっていた自殺について知っているんだからその共通点を見ればいい。
とは理論立てしてみたが、僕にはツテというのが無かった――あの記者の人はホテル側だからだ。
「やっぱり、自分も過去に行くべきなんだろうか……」
行き方は分からないけれどあまりの心配から二人を迎えに行きたくなってしまった。
「帰ってくるまで、レジャーエリアで遊ぼう……何か良い情報も手に入るかもしれないし」
今やるべきことを後回しのようにしながら僕はらふらとレジャーエリアへ向かう。耳を塞ぎたくなる耳鳴りをそのままにして。
僕が遊ぶのはホテルでの事件に明るい人たちが集まりそうな、ビリヤードとダーツだ。上手くプレイすることはどうでもよく、周りの人たちの話しに耳を澄ませながら相手の見様見真似でゲームを進める。
「もしかしてあんた、初めてか?」
「ああ、あんまり経験はないです」
対戦相手に教えてもらいながら話を盗み聞く。
『今日はなにしようか』
『ホテルのいい話、ないかなぁ』
『あの人、なんか面白くない?』
『ここが殺人事件の現場なんだってさ。いや、自殺だったかな』
目当ての言葉に僕は集中する。
『へえ、そんなヤバそうに見えないけどな。ちょっとライトの間隔が広いから、薄暗いところもあるけど』
『……実はさ、誰かに呼ばれたのか一人で遊びに行ったのかは知らないが、ここに来たやつが丸焦げになって放置されてたって。近くにはガソリンのポリタンク。近くのテーブルには残りのマッチが入ったマッチ箱――あまりに不自然だろ? 焼死なんて、自殺の手段で選ぶとも思いづらい。でも証拠がないからもしかしたら、って』
『聞いてみたらどうだ? 今盗み聞きしてるやつがいるし』
驚きに体を震わせた僕は対戦相手を見る。心からつまらなそうな顔をしていた。どうやら僕は話を聞くのに集中しすぎて勝負が適当になってしまったようだ。
「どうしたお前、具合が悪いのか」
土産屋で買っただろうココアシガレットを、タバコのように咥えながら男の人は言った。僕が何か反応をしようとすると、遮るようにさっきの二人が僕に話しかけてきた。二人とも男で雰囲気は古めかしい刑事そのままだ。
「なあ君? 盗み聞きとは頂けないな」
「俺らが話し始めてから分かりやすく勝負が劣勢になった。他のことに集中、つまり俺らの話に聞き入っていた証拠だ」
公平を期すためか、彼らは名を名乗った。つり目の刑事さんが狐屋橙、たれ目の刑事さんが狸亭茶、という。
あっちにそう下手に出られては拒否するのもいたたまれなく、自分の名を名乗るしかなかった。
「これ、俺も言わなくちゃ駄目か?」
この場の雰囲気に流され、対戦相手だった男の人もため息ながら名乗ることとなる。
「俺は紫煙近苑だ。まあ、忘れてもらっても構わないが、それより――お前は何を企んでるんだ? ただホテルに遊びに来ただけの少年」
「それは……」
「過去とつながったから」は理由にならない。「殺人事件を追っている」といってもさらに深掘りされるだけだろう。僕がどういうか考えあぐねていると狸亭さんが、
「まあまあ、俺らも大きい声で話していたかもしれないから仕方ないんじゃないか?」
となだめる。
「もし刑事になりたいんだったら、一つ言っといてやる。『死の真実を知りたいなら、死と向き合わなくてはいけない』。俺の好きな探偵小説に出てくる言葉だ。」
どうやら不問になったのか、狐屋さんと狸亭さんはレジャーエリアから離れるようにこの場を後にした。
「これは、なんだ、子どもの戯れだったってことでいいんだよな? ほら、これやるからあっち行け」
僕は紫煙さんのココアシガレットの箱――数本、記載量より少なくなっている――を受け取ると、一本食べようとした。しかし、一本だけラップに包まれたタバコが混じっていた。
「これは?」
「それは俺の禁煙が失敗した証拠なんかじゃねえぞ。偶然拾ったんだ、四年前にここで……ばっちぃとか思うなよ。しっかり保存してあるんだ、多分当時そのままだぞ」
紫煙さんは胸を張り気味に言う。
タバコはどこでも見るような市販のもので、ある程度燃えた形跡がある。
「ホテル側しか防水設備は操作できないんだ。偶然ってことはないだろうな」
その言葉は妙に耳にこびりついていた。
「――さてどうしようか」
僕は112号室に戻ってきていた。分かったことがあるからだ。しかし、また電話をしてしまえば、あの謎の声によって二人が危ない目に遭ってしまう。
「じゃあ、過去に行かなきゃ」
時間遡行の仕方も分からないが、二人があの石碑のことを口に出したのは自覚する違和感があったからに他ならないだろう。となれば、今まで石碑にしていなかったことを僕はしなければならない。あの二人が行ったように。
とは言ってもどうしようもないので、何も手かがりがないまま僕はパンフレットを眺めていた。
マップには「記念碑」と小さく記載されている。
「やっぱり記念碑が作られるぐらいだし、それなりにすごいことやってきたんだな。でも、二人がわざわざ見に来るほどの価値があるのか?」
頭の中で記念碑に対する曖昧な称賛と疑惑が渦巻く中で、何度も「記念碑」と唱えているとふと違和感が湧いた。
「なんで二人は『記念碑』と頑なに言わなかったんだろう? パンフレットにも記念碑と記載されているのだからそう言っても良かったはずだ。なのに二人は『石碑』って」
考えた先に一つの言葉が僕の脳裏に浮かんだ。
「あの石碑ってもしかして『慰霊碑』でもあるんじゃ――」
僕は考えもなしに石碑を見に行った。だが、どこを見ても記念碑で、台座も何かをはめ込めるような風にはなっていない。ただのデザインとしか思えなかった。
「考えろ……! 二人だけしか過去には行ってないんだ。他に行っていればもっと大騒ぎになっている。つまり、この場所に来るだけじゃなくてさらに人数が限られるような状況下だったはず。例えば……時間帯! 夜にわざわざこんな記念碑を見に来るのはほとんどいない。でもそれでも偶然夜ににココへ来た人は過去へ行ってしまう。じゃあ、石碑からの選別みたいなものがあるのか? 過去につながる電話があるぐらいだから、資格ある人間を見極める石碑があっても驚かないぞ」
何となく僕の考えは固まりつつあったため、今日の夜にはここへ来ることにし、あとは自室であちら側からの連絡を待つのみだ。
「大丈夫だよね……あっ!」
電話が鳴り始めた。
「もしもし、どうだった?」
「確かに、仕掛けてあった。来君と刹那ちゃん、乱歩先生も、私たちを呼んで教えてくれたよ。見たことない爆弾みたいなのがあってビックリしちゃった」
「三人はそこにいるの?」
「うん、いるよ。刹那ちゃんに電話を代わるね」
永久さんは電話をかわってすぐに、
「間君。ありがとう、あなたと彼が場所を導いてくれなければ私はここにいられなかった。本当にありがとう、あなたたちもありがとう」と感謝した。
「途中からの参加であまり協力できず、申し訳ありません」と山方先生。
新水さんの方は「俺の手柄じゃない。礼なんかいらない」とつっけんどんに言っているけれど、言葉の端々にいつもとは違う、喜びの雰囲気が感じられる。
こんな平和な雰囲気で僕は少し言いづらかったが、真実を知るには仕方ないんだと思い直して、口火を切った。
話し合いはこんな風に進んだ。
「…………二人とも、殺人事件のことは知ってるの? ……黙ったまま? じゃあ、何も言わなくていいから聞いてほしいんだ。僕のただの推測なんだけどね。
その事件は、レジャーエリアの、ビリヤードやダーツのできる部屋で起きた事件だった。突然部屋の中に焼死体が現れて、周りにはまるで自殺をほのめかすような証拠ばかりだったけれど、あれは他殺だよ、絶対に。なぜかといえばこのホテルには全室に防水設備が揃っているから。当然スプリンクラーも付いているはずで、新水さんが言う通り、現在と大して構造は変わっていないんだよね?」と僕。
「ええ、自信を持って言えるわ。四年前のビリヤード・ダーツ室にもスプリンクラーはあるのよ」と永久さん。
「だったら、焼死体になってるのはおかしいよ。スプリンクラーで消火されてしまうはずだし、僕が手に入れた、四年前のままを保ったタバコがまったく湿気ていなかったのも変だ」と再び僕。
「ではその時スプリンクラーが故障していたか、そもそも別の場所で焼死体を作られていたのかのどちらかだと考えるべきですね」と大先生。
「だったら別の場所で作っておいた方が確実じゃない? 故障する偶然を信じるよりも」と古さん。
「だが、自らが壊した場合でも成り立つ話だ」と新水さん。
こうやって、みんなで膝を突き合わせて考えていると、少しずつぼんやりしていた事件の輪郭がはっきりしてきた。
「ならばどうやって壊すのですか? 確かこのホテルの防水設備はホテル側でしか操作できないはずです」
「操作どうこうは問題じゃない。ただスプリンクラーを破壊すればいい話だ」
「でも変に壊れてしまうことは考慮しないのかしら。もしずっと起動している状態になってしまえば水も被ってしまうでしょうし音もするでしょう。バレないようにする上では難しいと思うのだけれど」
「なら、焼死体を元々作っておいたって方が正しそうだね。場所が必要になるけど、中庭かな。レジャーエリアでは人の数が多いから、道中で見られかねないし、客室エリアじゃそもそも室内だからバレてしまうし」
「うん、それは疑いようないと思う」
「私も賛成するわ」
「俺も異論はない」
「私もです」
「もし焼死体を用意したんだったら、作った本人が必要になる。だから、この事件は他殺なんだよ」
みんなの推理合戦によって導かれた結論は不安極まりない答えだった。ここで起こった事件は誰かの自覚的な悪意によって行われたということである。
「――これを阻止したいんだ。 でも危なくなったらまずは逃げることを優先してほしい。何より大切なのは今あるみんなのことだよ」
僕の精一杯の言葉を無視するように電話口からは声が流れ出す。
「無駄な心配なんかするな。俺たちが簡単に殺されるようなやつならもうとっくにいなくなってるはずだ。それにもしいなくなるとしても、それで本望だ。少なくとも俺はな」
「悔しいけれど彼の言う通りね。私たちが死ぬことになっても自分が選んだんだから勝手にあなたに悩まれるのはお門違いよ」
「私たちもあなたたちが現在にちゃんと帰れるように協力する。でしょ、先生?」
「ええ当然です。――間君。前に私は何度も言ったと思います。『諦めるなんてとんでもない』と。君はすごいやつですよ。君が自分を信じれるのなら、私たちを信じる自分を信じてください。私たちはそれに全力で応えます」
…………心がとても暖かくなった。僕の目の前が滲んでくる。
「ありがとうみんな。大好きだ」
できないことは他人に任せちゃうやつ。それが僕だ。
「じゃあみんな、任せたよ」
通話は終了した。
夜になった。僕は今、石碑もとい慰霊碑の前にいる。なぜか僕以外に一人、女の子がいるがそんなことは後回しだ。
何か石碑に怪しい点が増えたか確認するが、まったく同じ――ではなかった。元々は業績についての文章が並んでいたはずが、大きく変わっていた。
書いてあるのは二文。上にかかれた「被災者」という文とその下に一つ書かれた「最上川山方」という名前だった。
「な、なんで、山方先生の名前が……!」
永久さんから『――あなたが追っている、最上川山方はこのホテルで死んだのよ』とは言われていたけれど本当にその証拠を目の当たりにするとは思っていなかった。
「どう? 私のお父さんが死んでいることを知った気分は?」
僕にそう話しかけるのは淡い色のカーディガンを白いワンピースの上から着て、腕に優しい橙色のスカーフを巻いた、編み上げブーツの女の子だった。
彼女は顔をこちらに向けず、石碑をしきりに確認している。
「あっ! 君はあの時の」
僕が声を上げると、ようやく彼女はこちらを向いた。
思い出すのは、目だけキョロキョロさせていた僕に声を掛けてきた彼女だった。
「私は、最上川山方を父に持つ最上川月雨。あなたが過去へ入るのに相応しいかの審判を今、下す。あなたは――――――ダメ」
「じゃあ僕は行けないの?」
「うん、そうなる」
「…………山方先生に子どもとかいたんだ。全く知らなかったよ」
「そりゃそうだろうね、だって、私は……なんでもない」
「――ん?」
僕が考え込んでいると、月雨さんは話しかけてきた。
「あなたに変な力が付いてるみたいなんだけど自覚ある?」
「ああ。時々、過去の世界が視覚で見えるやつのことだったら、そうだと思うけど」
「それ、多分偶然じゃない」
彼女の無表情さと自分に背負わされたのかもしれない使命感に明らかな距離を感じ、僕は少し語調を強めながら反感を示す。
「なんで僕に、そんなことするんだよ!」
「私が知るわけない。でも、未来が関係してるんじゃないの? 何となく」
「なんだよそれ……!」
「まあ、頑張って」
彼女は慰めの一言のみ残して、消え去ってしまった。文字通り、そこには月雨さんはもういなかった。
僕が来てから三日目。
招待状では今日が最後の日ということになっている。
まずは電話だ。一応、謎の声の登場を恐れ、あちらから電話が掛けられるまで待った。
「永久さん、おはよう!」
「ええ間君、おはよう。殺人事件はまだ起きていないわ。みんな殺人事件が起きないようにローテーションで見張っていたから今は疲れて眠っているの」
あくびの音。聞いていると、僕にも移った。
「ありがとう、今日で僕は旅行が終わりだけど最後まで頑張るよ」
「あら奇遇ね、私もなの――もしかして、あなたも招待状もらったんでしょう?」
僕らは陰謀にハメられたのかもしれない。今さらになっての気づきだった。
「ホテルダイヤルからの招待状で三日間の無料宿泊チケットが贈呈されたのは、一人じゃなかったのね」
「もしかしたら、もっと多くかもしれないよ。多分、例外なんかないぐらいに」
「全員が同時に招待された。そんなのホテル側に何かの目論見があるときにしかやり得ないわ。例えば、呼んだ全員に何かをしたいときなんか、ね」
今までのことを振り返ると、恐ろしい事実が頭を、体の芯から先まで走り抜けていった。
「――――あ、ありえない、僕は」
「でもそう考える他にないでしょう? 誰かが用意した焼死体。誰かが企んだ大規模の火災。各々別の人物がやったとは考えづらい。だからこの二つを合わせてみると新しい事件の真相が見えてくるの。火災のために焼死体を用意した。それは同時に焼死体のために火災があるということよ。現にあのボヤ騒ぎが大規模の火災に発展していた場合、焼死体も大量にホテルから見つかったでしょう――その中の一人が身元と違っていても分からなかったはず。そしてもし身元が分からなければ死因は不明になる――あの最上川山方のように」
永久さんの言いたいことはこうだ。このホテルで起こったボヤ騒ぎ、殺人事件の犯人は全て最上川山方、僕の恩師で、あるのだと。
「そして私たちが同時に渡された招待状のことだけれど、さっきも言ったように、私たちだけが同時に招待状をもらったというのはあまりにも奇妙よ。
しかも、殺人事件が曖昧な情報になっているのもそもそもおかしな話、だれかの揉み消しがあったとしか思えないの。つまりホテルは――」
「でも……そんなことする意味がないじゃないか……!」
「ええ、そうよ。ホテル側にこんなことをやる価値はないわ。今はという話にはなるけれど。……私には分からないわ、どうなるのかしら」
「四年前に山方先生がやった、火災を狙った爆破未遂事件と死亡偽装を狙った殺人事件。これらは山方先生が自らが死んだと世間に思わせるための罠だった。この二つの事件を揉み消したホテル側は、今になって僕たちを急に招待して、理由がろくなものじゃないのは分かりきってる。標的以外の人を呼んではホテルに疑惑を持つ人間が無駄に増えて、標的が寄り付かなくなってしまうかもしれないから、二度目も完全に同じ人を招待したはずだ。殺人事件、爆破未遂事件に遭遇した人間をみんな集めてすることは恐らく一つだけだ。 ……皆殺し、だね」
僕の推理に否定をするでもなく肯定をするでもなく黙っていた永久さんは、口を開く。
「どうするの、間君」
それは永久さんに似合わず愚問だった。
「僕らのできることをするまでだよ。救ってみせる。みんなが諦めなかった分、僕も諦められないんだ――山方先生とみんなで話しておいてくれる? ……死なないでよ」
僕の言葉に薄く笑った彼女は言った。
「そうね、間君。――君のこと、待っているわ」
僕は走り出した。何もかもを救うために。
ドアの先、このホテル自体、誰もいないように静かだった。
「さて、ホテルの偉い人に止めてもらうように言うか、そもそもの凶器をホテルから遠ざけられるか試すか、どうすべきなんだ?」
走り周りながら考える。
一度招待した人間を一人残らずまた招待し直す執念はきっと、凶器にも及ぶ。凶器はまた爆弾だ。となればどこに仕掛けるか? 照明、同じじゃすぐにバレる。キッチン、あり得るが、確実に殺せるかは不明。いつでもどこでも絶対に殺せるような場所にある爆弾、それは思ってもいない何か。
顎に添えていた手を降ろすと、その正体に気づいた。
「なんだよ! やっぱりどうしようもないんじゃないか!」
僕は凶器の移動なんかより、ホテルにおける重要者との対面の方を重要視する。
偉い人と客は偶然でも会わせてしまいたくないはず。もし会ってしまえば、客がどんな危害を加えるか予想ができないからだ。となれば高い階層、特に行きづらい場所に隔離して、安全を保証させる行動に出るはずだ。
「だったら、あそこだな」
僕が見据えるのは大広間エリアの最上階。すぐに客室エリアから大広間エリアに続く通路の上――十一階へと行った僕は、ドアの間にある窓を開けると体をくぐらせて外に体を出した。
「うわっ!? 高いな……」
とんでもない高所の恐怖に震えそうになるが、僕はなんとか仲間たちのことを考え、震えを静める。そして、風に吹かれながら通路の上を渡り、大広間エリアの壁へと移動してようやく着いた壁を見上げると、ただ、窓が一つぽつんとあった。僕は電話線かが、くくりつけられている長めのキューを投げ、窓を簡単に割ると、電話線に体重をかけながら登っていった。
僕が入った部屋はいかにも偉い人がいるという荘厳な雰囲気だった。
「――ようやく来たか。君は来てくれると信じていたよ」
僕を真正面から迎え入れたのは電話口で聞くよりも少しだけ老けた声をした、最上川山方先生だった。髪には白髪が生え始め、顔にはしわが浮かび、およそ自分の記憶の中にいる山方先生と同一人物だとは到底思えない。だけど絶対に先生だ。
「先生、なんであなたは!――」
「おっと、近づかないでもらおうか。これでみんなを爆破、されたくなかったらだけど」
冷徹な表情の先生がちらつかせるのは、手に軽く収まる小ささの起爆ボタン。押されたならすぐに爆発するだろう。
「新水君も永久君も……古君も。色々言ってくれたよ。『こんなことはやめて』『人を殺す意味なんかない』『ちゃんと罪を償いましょう』。あの三人さえ、私がなぜあの事件をやったのか、何にも分かっちゃいなかった。それが、君に分かるのか?」
「分かりますよそりゃ。僕はあなたの一番の教え子ですから」
僕の言葉に少し驚いた顔をするが、すぐに元の表情に戻った山方先生。
「では、聞かせてください。――――君自身の推理を」
そのとき僕が見た先生の微笑みは昔に戻っていたような気がする。
「――先生が起こした一連の事件は過去、ホテル側によって揉み消されました。しかしこれはこうとも考えられます。『揉み消す上では一連だったために、片方だけを揉み消せなかった。なので両方を揉み消す他なかった』と。
そうなれば『爆破未遂』と『殺人』、どちらかにホテルが関わらざるを得ない原因があったはず。
爆破は元々火災を起こすためのものですから、火災の理由にホテルが関係しているか、殺人の理由や人物にホテルが関係しているというわけですね。
関係のない人間のいざこざに首を突っ込んで揉み消すような過干渉は普通しないでしょう。つまりあの、犯行の目撃者がいなかった殺人事件における『あなた』か『被害者』にホテルと関係のある者がいたと考えられます。――このとき考えるべきなのは、ホテル側にとってあなたがどのような存在であるかということ。あなたのやつれ具合からして、ホテル側はあまり友好的ではなく、起爆役の任命から、ある一種の信頼があなたに添えられているということが分かります。これを合わせて考えると、答えが見つかりました。
あなたは、利用されているのですね。元々ホテル側と関係のあったあなたは、四年前、無理やり犯罪に加担させられると、火災を起こすための爆弾を中庭に仕掛け、ホテルの用意した死体をビリヤードの部屋まで運びました。僕たちの妨害によって火災はボヤ騒ぎとなりましたが、すでに配置されていた死体はどうしようもありません。その結果、一連の事件は消され、あなたは死因不明の死体となったのです。
あなたが協力せざるを得なかったのは…………僕を、守るためですね。ホテルは僕への危害をちらつかせて、あなたを犯罪チームへと加えたんだ……やっぱり先生、あなたは最高の人です」
確かに、僕は僕自身のことは手付かずだった。例えば、あの日の謎も――。思い返せば、至って簡単な動機を先生は、持っていた。僕は失笑した。
僕の推理を聞いた山方先生は教師のように言う。
「あと一つ。ホテルがそもそもなぜ、四年前の一連の事件を起こそうとし、今回皆殺しを計画したのか」
「それは、えっと」
「…………そういえば君は、私の遺言を聞いていませんね」
「いや、記者の人に……あっ」
鳥物さんの言葉を借りれば『たとえ、遮られようと、火をつけようとも、ただ心のままに人たちを楽しませようという人間たちもいる』とのことで、彼のホテルへの陶酔ぶりからして『ただ心のままに人たちを楽しませようという人間たち』というのはホテルを表している。それが『遮られ、火をつけた』ということになるが『火をつけようと、遮られようと』ではない、つまり遮られたことは火をつけることよりも前に起こっているのだ。
つまりこれが動機だ。遮られたからなのだ。
「ホテルが遮られた、つまり何かをホテルはしようとしていたのにそれが叶わなかった。そしてそのせのせいで一連の事件は起こされ、皆殺しの画策にも繋がったというわけです。
このホテルがしようとしたこと。きっとそれは、ホテルの不祥事を外に出さないことを遮られたために、調査しに来た人や偶然に知ってしまった人を火災で殺そうとしたのです。そして、その際先生を利用し、爆弾の設置、偽装のための死体の移動などをさせ主犯格のように見せかけたのです。――どうですか! 僕の推理は!」
僕の推理は先生とともに、完成された。先生は沈黙のまま拍手を僕に送る。
「だからいつも言ったでしょう? 諦めるべきではないと」
「ええやっと、やっと身に沁みて分かりました」
どうやら僕の目から涙が流れているらしい。もう前は見えなかった。僕は四年間の自分を噛み殺すように音も無く泣いた。
「ここまで分かった君に、お願いがあります。過去の私を殺すのです。そうすれば、今私はスイッチを押さなくて済む」
「でも、それだったら過去で首謀者を捕まえればいいじゃないですか」
「それじゃダメなのです。四年前の今日、首謀者は――」
銃弾が僕を貫いた。窓の外から撃つなら、十一階より上の客室エリアからだろう。僕の命は消えそうだ。
私がそばに近寄る頃には間君は息絶えていた。あいつらはどこまでも狡猾な下衆だ。握った拳が震えるのは、怒りのせいか、哀しみのせいか。
「どうするの、その子」
いつの間にか、女の子が窓辺に立っていた。
「誰ですか、君は」
「私は――いや、もういいよね。今はそんなことしてる場合じゃないし。お父さん、私が力を貸すから過去に戻って」
私の娘だというのか、彼女が。しかし、そんなことは確かにどうでもいい。今は彼を助けるのみ。
「分かりました。よろしくお願いします」
私の言葉を聞き入れると、彼女はほとんど私には聞こえないような声で何か呟き、私の意識は世界の変化を感じる前に無くなった。
「良い世界を、掴んでよ」
その言葉が頭に残ったまま、私はあの電話口での再会に戻ってきていたのだった。
「あれ? あの、もしもし、僕、間です! 聞こえてますか?」
間君はあの時のままだ。
「ああ、君の声が聞けたのが嬉しくてちょっと固まっていました」
間君は黙りこくり、何も言わない。
「乱歩先生、誰とお話ししてるんですか?」
「あぁ、君につねづね話していた、私の弟子のようなやつです。」
私は香子君に電話を代わってもらうとすぐに部屋を出て、またあの部屋――私と間君が向かい合った場所――へと向かった。
「失礼します」
「おぉ、お前か、どうだ? 爆弾を仕掛けるか、あいつを殺されるか、腹決めたか?」
不自然なほどに笑顔にコミカルに言うこいつが全ての諸悪。このホテルで働いている皆も人質を取られている人ばかりだ。
「ええ、腹を決めました」
そう言った私は勢い良く彼にぶつかると、窓を突き破って通路の上に出た。何も考え無しの行動をするのはこいつだけじゃない、私もだ。
「な、何を!」
二人とも高いところから落ちたのだから当然重症を負う。だが、スイッチを押されないためには何でもする。スイッチを奪って、私の後ろに置いた。
「私と、死んでもらう。私たちがいなければ計画は御破産になる。償うべきだ。これから私たちの犯す、そして犯してしまったこの罪を」
「や、やめろ!」
もう誰にも、自分にも殺させないために。私たちは身を投げた。何も起こらぬように。新水君、永久君、古君、間君。こんなくだらぬ終わりで済まない。私はもう生きられない。生きたくない。
私のことは忘れてほしい。この死はただの偶然なのだから。
私は嫌いな男の悲鳴を聞きながら、人生に幕を下ろした。
僕はふと目が覚ます。それというのも寝ていたところにドアを叩く訪問者が現れたからだった。パジャマ姿であくびをしながらドアを開けると、同じくパジャマ姿の知らない男女が二人目の前にいた。
「私、なんでここに来たのかしら」
「俺が知るか。でも、確かに俺自身、ここに俺がいる理由を知らないな」
自分でここに来たのにその理由を知らないということがあり得るのか。そんなことを考えている内に、二人は謝罪をすると通路を引き返していった。
二人が去った後に自分の思ったことといえば、確かに自分の中にあるぼやぼやとしたかすれた夢のことだった。旅行の一日目に、こんなことになるとは最初は思っていなかった。しかし、僕の心はなぜか暖まっていたように思う。
翌朝、早くに起きると、朝食までは少し時間があった。手持ち無沙汰で室内を見回すと、黒電話が目に入って何となく電話番号を打ってみるけど、返答はないまま。
「馬鹿なことしたかな」
僕は恥ずかしくなり、受話器を戻すと外に出た。
「ううん。どこかに良いスクープは……あの、そこのお方! あれ、あなたは……気のせいか」
一人でブツブツ呟く記者っぽい人に絡まれた。そこはかとなく、暗い性格らしいのが分かる。
「特に良い情報は持ってないですよ。ただの旅行で来ましたし」
「そうでしたか……じゃあ、すいませんでした。さよなら……」
落ち込んでいるのか暗いのかよく分からない言い方をしながら彼は去っていく。しかし、そこに
「ちょっと! 待ってよ!」
「絵を描くにはまず、動くことからでしょ! 五体満足の画家少女がもったいないよ――うわっ!」
と、こっちに走ってきた人たちにぶつかってしまった。
「痛てて。あっ、ご、ごめんなさい!」
記者の人はそのまま走り去ってしまうし、
「待ってよ、謝らせて!」
とさっきの人の内の片方が追いかけてしまうし。
残された方には「すみません」と僕は関係ないのに頭を下げられて、僕の心の中にうんざりが止まらなかった。
「……あれ? デジャヴかな」
外の空気を吸いに、中庭へ降りる。
中庭を歩き回っているあいだも風は爽やかで、心が入れ替えられていくように感じた。歩き回った果てに僕は、石碑を見つける。パンフレットを見れば、どうやら記念碑らしい。
「お前も来たのか」
「あら、またあなたなの」
またあの二人がいた。そろそろ怖くなってくる。
「いや、何となく来てみただけだよ」
僕が言うと、二人は頷き、僕に同意した。
「俺もだ。理由もなく、来たくなったんだ」
「私もだけれど、これって何か奇妙じゃないかしら?」
女の人が種火に火をつけた。
「奇妙というのは何のことだ」
「あまりに変だと言っているの。三人が何の口裏合わせなく同じ場所に揃うなんて、それも二回。ただの偶然にしては幸運すぎるのよ」
「確かにそうだが、誰かの誘導があってきたと言いたいのか?」
「誰かの誘導じゃなくたって、自分が忘れているだけかも」
「じゃあ、どちらか考えましょう。誰かの誘導があったとするなら、ここへ向かうようなお膳立てがされていて、しかもそれを見ていたり、聞いていたり五感で受け取っているはず。誰かおかしなことを見たり聞いたり、したかしら?」
僕と男の人はどちらもかぶりを振る。
「なら、誰かの誘導とは考えづらいのかもしれないな。答えは忘れているだけ、でいいのか?」
誰も異議を唱える人がいない。それは当然、忘れていないことを証明はしにくいからだ。この緊迫した空間を破り、僕のお腹から飢えた犬のような音がなる。二人は同時に小さく失笑した。
「確かにもうすぐ朝食の時間ね。この続きはレストランで、にしましょう」
レストランでの初朝食。僕がご飯と餃子の取り合わせにしようとしたところ、女の人に止められビュッフェのような仕上がりの皿になった。男の人の方はなぜか巻き込まれておらず、好きな物を皿に載せて食べている。
僕が手を合わせるのに二人も一緒に手を合わせて、食べ始めた。
そこで初めて二人の名前を教えてもらった。男の人は新水来、女の人は永久刹那という。
「あなた、本当にないのね?」
「え?」
突然、僕に永久さんが言った。
「おかしなことを見たり聞いたり、のことだ」
「ないはず、あでも、デジャヴはあったよ」
「デジャヴは遭遇した事柄に似た記憶に、初めてである、という事実が伴うことで起こる情報の食い違いのことね。これが何かにつながると思う?」
彼女が聞くが、僕には何も引っかかってこない。
「ううん。やっぱり、考えすぎじゃないかな。ほら、旅行なんだし、楽しんだ方が良いんじゃないかな」
僕の言葉に納得しない彼女は少しムッとしながら食事を再開した。
食べ終わると僕たちは、レジャーエリアで何を遊ぶかのジャンケンをし、新水さんの案に決まった。
「どこにいくの?」
「面白そうだから、ビリヤード・ダーツ室だ。」
部屋の中では色んな人が遊んでいたが、一番耳に入ってきたのは
『何か事件でもないかな』
『お前縁起でもないこと言うなよ』
という物騒な話題だった。二人とも刑事の格好をしておきながら怖い人たちだ。良くない話題を話しているせいで、『お前ら、いい加減にしろよ』とココアシガレットを咥えた男の人にしかられていた。
僕の心の片隅で少し喜んでいたのは秘密にしている。
明日、つまり旅行の最終日だ。
早速二人が迎えに来てくれていた。朝ご飯を食べると、すぐにレジャーエリアに入り浸って、色々なところを周った。
球技系のスポーツでは、
『お前、運動苦手なのか?』
『まともに球が飛ぶこと、無かったわね』
プールでは、
『泳ぐのは上手いけれど、息継ぎができないのは困るわ』
『浮き輪を膨らませるのは、上手いんだがな』
個室カラオケでは、
『割と上手い、というそれ以外にはない』
『でも、楽しんでるのは伝わってくるの』
と散々な結果だったが結局は最高だった。
一度二人とは分かれ、荷物の準備をする。といってもほとんど着るものに割かれているから、入れ直すものは無い。
受付に三人が揃う。新水さんは卒業旅行に来ていたらしいから、僕たちと握手をするとすぐに別の人たちの中へと混じってしまった。永久さんも、この後所用があるというので、一足先にチェックアウトしていった。
そして僕がチェックアウトする番。
鍵を返すと受付の人が一つ言った。
「良かったですね、スタンプが爆発しないで。赤は幸運の色ですよ。」
にこやかに言うから冗談とも思えなかった。
「私の負けです」
「あ、ああ。そうですか」
受付の人は突然何かを思い出したように言う。
「そういえば、あなたをお待ちのお客様があちらに」
彼が手で指す先には淡い色のカーディガン、白いワンピース、腕には橙色のスカーフを巻いた、編み上げブーツの女の子がいる。僕がその子の目の前に行くと、彼女は怪訝な顔で僕を見つめた。
「誰?」
「受付の人に僕を待ってる人がいるって君を指したんだ」
「じゃあ、あなたが日寺間君なんだ。私は最上川早集。あなたが知らないあなたを知る人」
早集さんが言う妙な言葉はどうも嘘らしくはなかった。その意味を考えていると、まったくもって意味不明な答えが浮かんできた。
「それで合ってる」
彼女が見透かしたように言った。じゃあやっぱりそうなのか。
「あなたが諦めたら、悲しむ人がいる。だからそれを忘れないで」
ただそれだけを言い残すと、消えた――ようにドアから出ていった。
「あぁあ。なんか凄いことになってたんだな……まあでも、まだ旅行は続くしもう行こう」
歩いて出口まで向かっていく。その中で、ぶつかってしまった。それは何も言わずホテルへと入っていく。
僕が見たその後ろ姿は、ずいぶん古ぼけた和服だった。




