6:ネコと和解せよ
※残酷描写があります
「もう、良いですよ。ロゼリコ。あなたの負けです」
言い淀んだヒョウの言葉を遮り、第三者の声が響く。
声変わり間際の少年のような、少しハスキーなハイトーンボイス。
「王子、あなたは、出て来ては」
「彼女の人柄は、話を聞いていてよくわかりました。彼女の言う通りです。我々に、彼女の意思を曲げさせて従わせる、どんな権利も道理もありません」
振り向いた先にいたのは、フード付きの立襟マントを羽織り、目深にフードを被った人影。背は低く、子供か、老人のような小柄さだ。陰になって顔は見えないが、どうにも、モフの、気配が、
「いままで、どれほどの獣民が、彼女に救われて来たか。その、恩を仇で返すと言いますか?」
「ですが」
ヒョウが敬語になっている。だが、獣民内でそんな、上下の差が?それとも、こんな少年のような声で、実は老爺や老婆だったりするのだろうか。
「……きみはだれ?」
「おま、あんま、無礼な口は、」
「ロゼリコ」
「ですが!」
「良いんです。彼女はわたくしたちの、身分の外の方です」
マントの人物はヒョウを止め、フードを外す。その、下にあった顔は。
「ねこたん……」
「だからあんたはぁ!!」
「良いですよロゼリコ。確かに猫なのですから」
微笑んで、そのひとはわたしに歩み寄る。ミトンの手袋を外した下にあったのは。
「お初にお目に掛かります、イヴリン・ラコット嬢。わたくしは、ノアブラン。ノルウェージャンの一族当主の、息子です」
もふもふの、クリームパンがわたしの片手を包む。手のひらには、ぷにっぷにの、肉球があって。
ああ、この手じゃ普通の手袋ははめられないから、ミトンの手袋だったのか、なんて、思考がすべった。
モフプニが、わたしの手のひらを支え、手の甲をなでる。
「まずはお礼を。本来、あなたの立場で手を差し伸べる必要などないはずの獣民へ、手を差し伸べ続けて下さっていること、こころより感謝しております。まことに、ありがとうございます」
「わたしは、助けたわけでは。単なる、商売で」
「ええ。そうですね。平民の方が、獣民相手に、商売を。平民相手と、同じ値段で」
反射的に受け答えはしているが、意識は九割手を包むモフプニに持って行かれて、いや、マズルとお髭に、ノルウェージャンらしい、高級絨毯みたいな額にも、散っているけれど。
「それで十分利益は、出ているので。たくさん買って、貰っているし」
「ほかの平民から買おうとすれば、安くても三倍は払わないと売って貰えないそうですよ。ひどいと、平民向けの値段の十倍を要求されるとか。それでも売ってくれるだけ良心的で、ほとんどはそもそも売買に応じて貰えないらしいですが」
すべて伝聞なのは、彼が隠れ住む一族だからだろうか。
「あなたのおっしゃる通り、あなたは、逃げる力を持たない獣民にこそ必要です。ですが、我々も、あなたが必要なのです」
柔らかく包んでなでるだけだったモフプニが、プニっとわたしの手を握る。
「ついて来て下さいとは言いません。ただ、どうかこうして会って、教えを乞わせて頂きたいのです。我々には魔法を学ぶ術がありません。魔力があっても、役立てられないのです」
握った手を、額に押し抱いて乞うから、スベスベモフモフの高級絨毯に、指先が埋まった。あたたかい。いのち。
「わたくしに払える対価は払いましょう。どうか、お願いします。民を、仲間を、守りたいのです」
手を額に押し抱いたまま首を振られれば、高級絨毯の手触りを堪能することになって。
なでたい。なんなら、抱き締めて頬擦りしたい。
「対価」
「お金はあまり、持たないので払えませんが、普段は深い森の奥で暮らしているので、珍しい植物や鉱物が手に入ります。あるいは、その」
上目遣いにわたしを伺ってから、ノルウェージャンはどこか恥ずかしがるように目を伏せる。
「それで、ご協力下さるなら、わたくしを、好きにして頂いて、構いません」
「王子それは」
「良いのです。民を守るために必要なら、わたくしは」
自己犠牲精神猛々しい。おそらく、ほかに兄弟でもいるから自分はどうなっても良いとでも思っているのだろう。でなければ、安全であろう隠れ家から出たりしない。いや、それだけ状況が、逼迫しているのかもしれないが。
「そんな、悲壮な覚悟がいるようなこと、わたしはモフにしないけど。知ってるでしょ、お兄さんは」
「いや、あんた、知らないだろうがこの方は、」
「取引相手に差別は付けないよ、わたしは。まあ、身分を笠に脅されれば別だけれど」
あの修道院のハゲ、買い叩きやがって。
思い出して苛ついたので、手を包むモフプニに癒しを求める。手を動かしてはいないし、触ったのは向こうからなので、セクハラではない、はず。
「好きにしてって言うのは、どう言うつもりで言っているの?」
「言葉通りの意味です。奴隷にでも、ペットにでも、伴侶にでも、お好きなように」
「伴侶はいまべつに探してないし、同じ人間を奴隷やペットにするつもりはないなあ」
「あんだけなでくり回しといてか?」
自分で良いって言ったくせに。
「対価でしょ。商売だよ。お兄さんはペット相手に商売をするの」
「商売って、あんななでくり回される商売なんて……水商売くらいだろ」
言い淀んだのに結局言うのか。
「遊女扱いもしてはいないよ。わたしは水商売も、誰かに押し付けられたのでなくやるなら悪くないと思ってるけど」
売られた、とか、ほかに選ぶ道がなかった、とかだと、あまり健全とは言えないけれど、それでも、それで生きる覚悟なら、立派な商売だ。
「みずしょうばい、とは、なんですか?水の、売買を?」
あら箱入り。
「水じゃなくて、色を売るん、ぐ」
「あんたちょっと黙れ」
先に言ったくせに。
「いろをうる……」
風でヒョウを退けて、言う。
「お金を払って、綺麗なお姉さんに相手をして貰うお店のことだよ。そう言う商売を、水商売って言うの」
「相手、とは」
「お酒のお酌をして貰うのが一般的かな。あとは、まあ、性欲の発散?」
ノルウェージャンが目を見開く。
「あ、その、すまない、女性にそんな、説明を」
「いや、ソイツにそんな気遣いいらないですよ。おれのこと、吹っ飛ばしてまで説明したんですから。つか、無詠唱かよ、反則だろ」
「危機的状況の時に、悠長に詠唱してらんないでしょ」
わたしが危ないときは、勝手に助けてくれる。わたし本人が危ないとき限定だけれど。
「気遣いがいらないことは否定しないけどね。店として、平民が平民や貴族を相手にするなら、そうそう命までは危険にならないし」
ちゃんと店ならそこまで心配いらないのだ。店側もせっかくの売り物をすぐ駄目にされてはたまらないので、ヤバい客はだいたい排除してくれる。
危ないのは、店に所属していない街娼と性奴、それから、商売でなく強姦される場合だ。
「……ひどい扱いを受けた女性なんて、山ほどみて来たし」
なんなら今日も診たのだから。強姦され、尊厳を踏み躙られ、こころを壊された女性を。
ああそうだ。こんな世界、ちっとも正しくない。
それでもわたしは楽しく生きていた。わたしが、獣民じゃなかったからだ。
小市民、なんて言って。なんの力もないからと言って。
わたしが現状を、変える努力をしていないのは紛れもない事実で。結局わたしだって、獣民を踏み潰して生活していることに代わりはないのだ。
「泣かないで、下さい」
泣いてなんか、いないのに。
モフプニの手が、わたしの顔を包む。
「長い歴史のなかで、形作られたものは、そう簡単には覆せません。あなたのせいではないのです。だからどうか、ご自身を責めないで下さい。ただ」
森を閉じ込めたような、新緑色のキャッツアイが、わたしを見つめた。
「獣民を蔑まないあなたに、我々は希望を見てしまうのです。あなたであれば、手助けしてくれるのではないかと。ですが、あなたに責任を押し付ける気はありません。すべての責はわたくしに。決めたのも、選んだのも、わたくしです。その上で、誓いましょう」
ヒタリと、猫の鼻先がわたしの鼻先に触れる。
「獣民すべてが、理不尽に踏み躙られない世界を、わたくしは目指します。いまはすべてを救うことは出来ない。けれど、いずれ、すべてを救ってみせます。幸いにも、あなたの生は長い」
そうだ。エルフも闇族も、寿命は長い。今の老化速度のままならば、短くとも二百年は生きられるだろう。両親のように病で死んだり、誰かに殺されたりしなければ、だけれど。
「わたくしの生きているあいだだけでは叶わなくとも、あなたが生きているあいだには、実現出来るよう尽力いたしましょう。ですから、あなたも守ります。見届けて頂くために。そのためにも、わたくしは自分の魔力を有効活用したい。どうか、わたくしに、あなたの叡智を分け与えて下さい」
一歩引いたノルウェージャンが、跪いて頭を下げる。押し抱かれた手のひらが、ノルウェージャンの頭に埋もれた。すべらかで、柔らかい、極上の毛並みに、指が埋まる。
「え、いち、なんて、言うほど、たいした知識は」
「それでもあなたは魔法を使える。わたくしたちは、それすら出来ないのです」
小さく首を振る動きで、極上の毛並みがわたしの手をなでる。この世界で触れた中でもとりわけ心地好い、夢のような、触り心地だ。
跪いたまま顔を上げたノルウェージャンが、そっとわたしの手を自分の首元に誘導する。
「あなたに魔法を教えて頂くためなら、この身はいくらでも差し出します。頭と尾だけなどとは言いません。身体中どこでも、好きなだけ、触って構いません」
「……おなかも?」
ころりと欲望がまろび出た。
具体的に言われるとは思っていなかったのか、ノルウェージャンが目を見開いて固まる。
「おなか」
「裸に剥いて、お腹に顔埋めて、吸うよ。良いって言うなら」
売買や治療なら、商売でギリギリ言い訳が立つ。だが、国家叛逆をしようと言う相手に魔法を教えるなら、もし、そのことがバレたなら、国はわたしもまた、叛逆者のひとりと数えるだろう。
実際に逃亡に立ち会うほどではないにしろ、リスクは段違いだ。
わたしにだって恐怖はある。覚悟のない相手に、高過ぎるリスクは払えない。
「おい、あんた仮にも女なんだから、恥じらいとかないのかよ」
「覚悟の話だよ。それだけの、覚悟はあるのかって訊いてるの。わかる?わたしに、バレれば死罪の行為の片棒担げって言ってんのよ、きみたちは。生半な覚悟で言ってんなら、許せるかっての、そんなもん」
わたしは生きたいのだ。死にたくはないのだ。
そりゃ、現時点で、見付かればやばい行いを山ほどやっているけれど、国家叛逆に与するなら、リスクもバレたときの罪の重さも、現状の比ではなくなるのだ。
「そりゃ、そうかもしんねぇけどよ。その方は、高貴な生まれで、あんたみたいに擦れてねぇんだよ。場末の娼婦みたいな真似は、」
「いえ。問題ありません」
わたしとヒョウが言い合うあいだにフリーズから復活して、ノルウェージャンがきっぱりと言う。
「その、世話役の従者以外に脱いで見せたことはないので、あなたの眼鏡に適う身体かはわかりませんが、それであなたに魔法を教えて頂けるならば、裸を見せることも、触らせることも、受け入れます。お腹でも、胸でも、その、ええと、ですね、あの」
「下半身でも?」
「は、い。手で触れても、顔を埋めても、噛んだり舐めたりしても、構いません。逆に、わたくしが、手や口で奉仕することも、あなたが求めるならば、やります」
羞恥はあるようながら、数秒でなかなかの覚悟を。
高貴な王子様みたいな顔立ちと毛並みなのに、漢気あふれる潔さだ。
ちょっと心配になる。
「……わたし相手だから良いけど、あんまりそう言う身売りするようなこと言うの、良くないよ?世の中には危ないひとがいっぱいいるからね?」
獣姦は前世でもジャンルとして確立していたし、犯罪として立証もされていたし、今世では実際に日々、獣民が性的暴行を受けているのだ。女性だけではない。男性だって、被害者はたくさんいる。
「おま言う」
「いや、冗談じゃなくてね」
ヒョウの茶々に、眉を寄せて現実を口にする。
「いるんだよ、獣民の耳や尻尾や舌や性器を、家畜みたいにちょんぎるのが趣味の狂った貴族が、男でも女でも。いままで何人治したか」
ぎょっとした顔をしたと言うことは、ノルウェージャンだけでなく、ヒョウも知らなかったのか。まあ、男性の尊厳を刈り取られたなんて、言い回ることではないから広まりもしないか。ジークリンデちゃんはそこのとこ、しっかりしているし。
死んだ目になりつつも、続ける。
「タマ潰して血肉や精液啜るのが趣味の気狂いがいてね、自分で潰したくせに、気に入った奴隷のタマは治癒魔法で治させて、何回も、何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も何回も、」
見かねた奴隷仲間が決死の覚悟で連れて逃げたときには、彼はもう壊れていた。
気休めに癒したとて手遅れで、むしろ彼にとっては、治癒で魔法をかけられることこそ恐怖で。身体は治せても、こころはどうしようもなくて。
目を離した隙に、自分で自分の首へし折って死んでいた。彼を逃げ出させた奴隷仲間も、もっと早く逃げていればと自分を責めて責めて、後を追うように自殺した。
魔法なんて、使えたって、わたしは本当に無力だ。
「どんなに嫌がっても、懇願しても、気が狂っても許されず、何回も、何回も、何回、」
「っ」
ぱっと立ち上がったノルウェージャンが、わたしの頭を抱き寄せる。
「あり、がとう、ございます。もう、大丈夫です」
「なにが」
「わたくしへの注意喚起のために、お話しして下さって。話に聞くだけのわたくしでさえ、言いようのない気持ちになる話なのに、あなたは実際に、被害者に会っているのでしょう?たとえ、直接の被害は受けずとも、それはどれだけ、重い経験だったか。思い出したいことではないでしょうに、わたくしのために、思い出して、話して下さって、ありがとうございます」
小柄だから、だろうか。ノルウェージャンは、わたしよりも体温が高かった。顔をモフモフのぬくとい首元に押し付けられて、視界が闇に染まる。
「わたくしが、自分を好きにして良いと言ったのは、あなただからです。実際に会って話を聞いて、あなたならばと思ったから、こんな申し出をしています。あなた以外に、身売りをするつもりはありません。わたくしの民や仲間たちにも、迂闊な行動はしないよう、言って聞かせましょう。ですから、あなたはもう、身を擦り減らすような話をしなくて、大丈夫です」
顔を埋めたノルウェージャンの首元からは、お日様と草原の、甘い香りがした。
ぽん、ぽん、と、そのまましばらくわたしの背中を叩いたあとで、そっと離れたノルウェージャンが、わたしの顔を伺う。どこか気まずげに、目を泳がせて。
「その、突然、抱き締めたりして、申し訳ありません。落ち着きましたか?」
モフに抱き締められるなんて、我々の業界ではご褒美だが。
「はい。取り乱してすみません」
真剣に心配してくれている相手は流石に茶化せない。
「嫌ではありませんでしたか?」
「我々の業界ではご褒美です」
あ、耐えきれなかった。
「ごほうび……」
きょとん、としたあとで、ノルウェージャンが首を傾げる。
「つまり、わたくしの毛並みはお気に召した、と言うことでしょうか?依頼を、受けて頂ける?」
それ、は。
「お気に召しませんでしたか?」
ああ、そんな、耳とヒゲまで萎びさせてシュンとされると、
「わ、かりました!魔法、教えるだけ、なら、引き受ける、から」
ピン!と立った尻尾が、マントの裾から飛び出した。
「ありがとうございます!これから、よろしくお願いします!」
嬉しそうに手を取って言われて、わたしにはもう頷くことしか許されていなかった。
拙いお話をお読み頂きありがとうございます
次話がラストです
最後までお付き合い頂けると嬉しいです




