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1:断肩の思い

※怪我人が大勢います

 わたしの表向きの仕事は、細工師と薬草師だ。細工は金物ではなく、革と布、それから木や動物の骨の。耳長エルフ族の母は金属や宝石と相性が悪いから、金細工師に向かなかった。その娘であるわたしもしかりだ。金属や宝石は土属性の民の専売特許。風属性である耳長エルフ族が、軽々(けいけい)に手出しする分野ではないのだ。

 表向きの仕事があるなら、裏向きの仕事もあって。

「やあ、待ってたよ」

「相変わらず臭いね、ここ」

「はは、すまんすまん。選ばれし平民さまと違って、我ら獣民じゅうみんは満足に水浴びもできないもんでね」

 店主の男は肩をすくめて首を振った。

 獣臭さに耐えかねて、スカーフで鼻と口を覆う。獣民を見下すつもりはないが、この皮脂が濃縮されたような獣臭さには慣れそうもない。

 懐から、ピンポン玉大の魔法球を取り出し、握って割る。

「スモー」

 小さく呟いて、風を起こせば、魔法球に閉じ込めていた薬草の効果が拡がって、部屋の殺菌消臭がされた。スカーフを外して、息を吐く。

「仮にも診療所が、不衛生なのはどうよって話なのよ」

 先週来たときも同じように殺菌消臭したはずなのに、なぜ一週間で元通りになるのか。

「千客万来なもんで、汚れるのも早いんだよ。それに、嬢ちゃんみたいな優秀な魔術師、ここいらにはいねぇからさ」

「魔術師なんかじゃないよ。平民は魔術師にはなれない。わたしのは、全部独学だし」

「それにしたって大したもんだよ。貴族に仕えりゃ、もっと良い暮らしもできるんじゃないのかい?」

 平民でも、魔法の才があれば取り立てられる。魔術師にはなれなくても、その助手なら平民でもなれるからだ。

「冗談」

 馬車馬のように働かされ、その手柄はすべて主人の魔術師に持っていかれると、もっぱらの噂だが。

「貴族のいぬになるなんて、まっぴらごめんだよ。わたしは自由を愛しているんだから」

「そうかい。ま、俺たちとしちゃ、それで助かってるから文句はないがね。なんせ、獣民にモノを売ってくれる平民さまなんて、嬢ちゃんくらいなもんだ。感謝してるよ」

「そう思うなら嬢ちゃんはやめてくれる?もうそんな歳じゃないから」

 三つに分けられたこの世界の階級。一番上は王侯貴族や高位聖職者の特権階級。真ん中は平民、中産階級と労働者階級だ。そして、いちばん下が獣民、奴隷階級であり、被差別階級。

 平民と貴族を分けるのが血筋だとすれば、平民と獣民を分けるのは種族。獣の耳尾や、魚類爬虫類の鱗、鳥類の翼。そんな獣の特徴を持つ種族を、この世界では獣に近い存在として見下している。

 同じ言葉を解し話す、同じ人間だと言うのに。

「いやー、つったって、嬢ちゃんは嬢ちゃんだからな。さすが、闇族と耳長エルフ族のハイブリッドは寿命が違ぇや」

 そう言われると反論もしにくい。この世界に生を受けて三十年。普通の人間で考えればとうに結婚して子供がいてもおかしくない歳だが、わたしの外見はまだまだ十歳を少し越えた程度の未成年にしか見えないのだ。

 ため息を吐き、話題を変える。

「それで?今日はなにを買ってくれるの」

「打撲の薬と切傷の薬、それから殺菌消毒球は、いつも通りありったけくれ。骨折薬もあるならあるだけ。あと、浄化球も欲しいんだが、あるかい?」

 たちまち真面目な顔になった店主が、片方だけになった三角の耳をパタリと倒して問う。頷いて、持って来た商品一覧に目を落とす。

「打撲、切傷、殺菌消毒は千ずつね。骨折薬は百あるわ。浄化系も今日はあるわよ。浄化球が三百、浄水球が二百」

「どっちも全部貰う。布製品は?」

「そっちはちょっと少なめ。修道院から大口注文があってね」

「そりゃ景気が良いね。んで?こっちに回せるのは?」

 商品一覧を見ながら答える。店主が勝手に商品一覧を見てくれたら楽だが、この男は数字しか読めない。

「シャツが二十、ズボンが十五、肌着が上下セットで三十。タオルとリネンは全部持ってかれたわ」

「それでも個人が一週間で用意できる数じゃねぇけどな。助かるぜ。全部貰おう」

「まいどあり。ねえ、薬のたぐい、いつも買い占めるけど足りてないの?多く欲しいなら作るけど?」

 言えば店主は両手を広げる。

「そうしたいとこだが金がねぇ。今の納品数でカツカツさ」

「そう言うわりに景気好く買い占めてくれるじゃない」

 まあ、在庫がはける分にはありがたいから、わたしは構わないのだけど。

「いつも通り試作品配ってくれる?」

「今度はなんだい?」

「のど飴よ。喉風邪の予防になるの。一日二個、出勤前と仕事帰りに舐めてちょうだい」

 コトンとひとつ、竹筒を取り出して店主に渡す。

「飴玉ねぇ?こんなもん配ったら、その日のうちに食い尽くされかねんぞ?」

「そう言うと思って、吐き出さずに舐め終えられはするけど二個目には行きたくないくらいの、絶妙な不味さにしてあるわ」

「……それを、舐めろと?」

「風邪ひいて死ぬよりマシでしょ。もちろん、飴を過信せずに清浄清潔と健康的な生活も心掛けてよね。手洗いうがい風呂洗濯に、十分な食事と睡眠よ」

 病気や怪我で寝込めば働けず、その分の稼ぎがなくなる。ギリギリの稼ぎで生きている獣民たちにとっては、死活問題だ。

「獣民に無茶言う、と、言いたいところだが」

 店主が息を吐き、首を振った。

「嬢ちゃんが良心価格でモノを売ってくれるお陰で、この辺りの獣民は生活に余裕が出て来てる。極力、指示に従わせるさ」

「良心的な価格設定にした覚えはないわよ。ただの適正価格。なんなら修道院には、もっと安く買い叩かれたわ。あのクソジジイ、後ろに領主がいるからって、図に乗りやがって」

「そこで修道院への売値を比較するところがあり得ないんだって、嬢ちゃんはいつになったら気付くんだろうな」

 そんな、眩しいものを見る目をされたって。

「同じ人間相手の商売で、差を付ける意味がわからないわ。商売は信用第一よ。信用を落とすようなことしてお得意さまを失ったら損じゃない」

「そうかい。なら、今後ともよろしく。試作品も預かろう。子供が舐めても大丈夫かい?」

「乳離れしてない乳児はさすがにやめてね。それ以外なら、老若男女問わず舐めて良いわよ。一日二個なら、なにも問題はないわ」

 どや、と胸を張り、さて、と紙を取り出す。

「ロース」

 納品書兼請求書を焼き付け、店主へ。

「こんなもん寄越されても読めねぇんだけどな」

「計算はできるでしょ。品物出すから倉庫に入らせてちょうだい」

「はいよ」

 店主と共に倉庫へ向かい、納品数を確かめながら品物を引き渡す。

「相変わらず、過不足のない几帳面な納品だこって」

「なに?文句あるの?大口だからおまけ付けろって?」

「逆だ逆。大量だから二、三個少なくてもバレねぇだろってな、そんな商人もなかにゃあいるんだよ」

 日本人的感覚で行くと、あり得ない話だが。

「気分が悪いじゃない、そう言うの。わたしは嫌い」

「奇特だねぇ」

 この世界ではそれが普通だとしても。染み付いた性根は簡単に書き変わるものではない。この世界で生きた時間より長く濃く、菊と刀の国の民だったのだ。

 生温い視線を黙殺し、納品を終える。代金もしっかり受け取って。

「……今日はいるの?」

「十人だ」

「多いわね」

「減った方だろ。嬢ちゃんのお陰で」

 顔をしかめる。

 獣民は、奴隷階級。被差別階級。その扱いは、はっきり言って悪い。安くこき使われるし、上がクズなら暴力だって日常茶飯事。さらに腐った相手に捕まれば、性暴力や理由のない拷問を、受けることすらある。

 そして、それで怪我や病気をしたとして、平民の医者の多くは獣民を診てくれない。獣民同士、民間療法で助け合うしかないのだ。

 当然、獣民の寿命は平民に比べ格段に短くなる。ほかの種族より丈夫で体力があり、病気にも強いはずの種族たちなのに、だ。

 ここは、獣民による獣民のための商店であり、獣民の医者のいる診療所でもある。そして、その診療所でわたしは週に一回、品物をおろすついでで手伝いをしている。

「そうね。最初はもっと酷かった。十人なんて余裕だわ。さ、緊急の子から案内して」

「ああ。おい、ジーク!ジークリンデ!嬢ちゃんが来てるぞ!」

「……また来たのか」

 不機嫌そうな顔で出て来たのは、ダボダボの白衣を羽織った小柄な少年。背中には、木菟ミミズクの翼が片方だけ。

「なに、来ちゃ悪かった?」

 鳥の巣のようなボサボサ頭に手を突っ込んで、羽毛のようにふわふわな髪を掻き混ぜる。

 年齢性別不詳な見た目だが、これでわたしより十も歳上な女性だと言うのだから、この世界は本当にファンタジーだ。

「悪いとは言ってない。来たなら先に働け。対価はあとだ」

 心底嫌そうな顔ながら、ジークリンデはわたしの手を払わない。

「はいはい。まずはどの子?」

「来い」

 通されたのは、六つのベッドが並んだ部屋。いろんな匂いが混じって、吐き気がする。部屋を分けた方が良いとわかっていても、分けられないのだ。部屋数が、圧倒的に足りなくて。

 六つのベッドは埋まっていたが、誰がいちばん重篤かは教えられる前からわかった。

 奥のベッドで横たわるふたり。離れていてもわかる、肉の焼けた匂い。

「魚人族に、火を当てたの?あり得ない」

「あ、いや、そいつらはもう」

「ラウ!」

「助からな、……治るのか」

 焼け爛れた皮膚が落ち、新たに綺麗な皮膚が姿を現す。乱れていた呼吸も落ち着いたので、ほっと息を吐いた。

「この部屋より緊急の子はいる?」

「いや。ここがいちばんだ」

「そ」

 ならば一分一秒を争う者はもういない。だったらこの部屋の洗浄殺菌消臭が先だ。こんな不衛生な空間じゃ、治るものも悪化する。

 魔法球を取り出して、割った。

「スモー、ラウ」

 悪臭と化していた匂いが消えて、呼吸が楽になる。

「ジークリンデちゃんさあ、何度も言ってるけど、診療所なら清潔はマストだって」

「そんな悠長なこと言ってられるかよ。人手も金もないのに、あんたのせいで患者だけは山ほど来るんだぞ」

「来ない方が良いの?」

 本気で迷惑だと思われているなら、無理に来たりはしないが。

 なにせ、大口顧客とは言え、綱渡りの商売なのだ。獣民相手に商売をしていることも、魔法がここまで使えることも、貴族にばれればどんな仕打ちを受けるかわかったものではない。

「そうは、言ってない」

「そ。この部屋の子は全員?」

「ああ。頼む。あと、さっき治したふたりは数に入れてなかった。残り十人、行けるか」

「ん?あれ?治療拒否の子だった?」

「いや……昨晩来たばっかで数に入れ忘れたんだ。悪い」

 ジークリンデがそんなミスとは珍しい。

「ふたり増えるくらい良いけど、ジークリンデちゃん大丈夫?良い歳なんだから無理しないでね?」

「そう思うならもっと敬え。歳上相手の態度じゃないだろうそれ」

「だって歳上に見えないし」

「あんたに言われたくないが??無駄口叩いてる暇があったらとっとと治してやってくれ」

 それはそう。

 部屋を見渡し、頷く。全員外傷だ。これなら一度に行ける。

「ラウ」

 問題なく治ったことを見て取って、ジークリンデへ目を向ける。

「次は?」

「相変わらずバケモン。こっちだ」

 次の部屋も、六人部屋。ベッドは満員。

「これで全員?」

「いや、ここは四人。手前のふたりは薬で治してる」

「あー、そうだね。薬で治るならその方が良いもんね」

 治癒魔法は便利だが、自然治癒力をサボらせる。なんにでも治癒魔法を使っては、身体を弱くさせるのだ。清潔にこだわり過ぎた日本人が、外国の屋台飯でお腹を下すみたいに。

「後遺症が残るような怪我じゃないんだよね?」

「骨折だ。綺麗に折れてて、すぐ骨折薬で処置したから問題ない」

「なら大丈夫か。もし駄目そうなら来週言って」

 うんうんと頷いて、残りの四人を見る。破傷風だ。

 すぐ処置すれば、こんなにひどくは。

「鉱山労働中の事故だ。捨て置かれて、自力でどうにか戻って来たときにはもう」

 なぜ、そんなことがまかり通る。なぜ、同じ人間に、そんな仕打ちができる。

「ラウ、レン」

 傷は治せる。だが、落ちた体力まではどうしようもない。傷を治して、それで彼らは?

「受け入れ先はある。大丈夫だ。次行けるか?」

 ジークリンデが、わたしに気を遣う、なんて。

「次は、どんな状態?」

「……孕まされた挙げ句、腹を殴って流された。子は駄目だった。母親の方は、外傷や肚の出血は薬で治せたが、腰の骨をやられてて、このままじゃ半身不随になる」

 わたしに治せるのは、身体の怪我と身体の病気だけだ。

「それでも、オレは生きて欲しい。生きてさえくれれば、あとの面倒はオレが見る。……友人の忘れ形見なんだ」

「本人の、意思は?」

「殺してと叫ぶこともあれば、死にたくないと泣くこともある。錯乱している」

 ああそれでも、死にたくないと口にできるなら。

「わかった。案内して」

「恩に着る。その、悪いんだが」

 ジークリンデが気まずげに、マントを差し出す。

「……強姦魔は耳長エルフ?それとも闇族?」

普人族ヒューマンだ。貴族のな。ただ、うちひとりが黒髪だったらしい。たまにオレすら引っ掻いて来る」

 父譲りのわたしの髪は、闇族あんぞくらしい闇色やみいろだ。ジークリンデの黒茶まだらすら黒髪判定なら、なるほどわたしも黒髪に見えるだろう。

「……もうちょっと臭くないマントないの?」

「洗濯したてのいちばん綺麗なやつだ」

「嘘だあ」

 顔をしかめつつマントを羽織る。フードまで被れば全身すっぽり獣臭だ。吐きそう。

「……浄化するかと思ったが」

「わたしが耳長エルフの純血ならね。闇族の匂いは普人族に近いでしょう」

「すまない」

 わたしに謝るなんてジークリンデらしくない。

「べつに。臭いのくらい、耐え、られないけど」

 獣民は鼻が良いはずなのに、どうして平気なのだろうか。不思議だ。

「獲物や敵の匂いには敏感だが、自分や仲間の匂いには鈍感なんだ。狩りのための嗅覚だから」

「解説どうも。行こう」

 案内されたのは小さな個室。ベッド周りの壁はズタズタだった。

「チーター」

「ああ、鎮静剤で眠らせてる。寝ているうちに頼む。起きたらあんたを襲いかねない」

 なぜ、負けるのだろう。確かに持久力や顎の力では他の猛獣に劣ると聞くが、それでも本来、強いはずの獣なのに。人間になってしまったから、駄目なのだろうか。

 どうしてこんな階級差が、身分の違いが、生まれたのだろう。身体能力で言うならば、獣民の方がよほど高いはずなのに。

 獣民の多くは魔法を使えない。それが、ここまでの差を生むと言うのだろうか。

「ラウ、レン」

 沈む声で呟き、小さく付け足す。

「……ライ」

 こころはわたしに治せない。それでも、少しでも心安く休めたら。

 眠っていても険しかった顔がゆるんで、ジークリンデは安堵したようだった。

「恩に着る、イヴリン、っ」

「ラウ!」

 跳ね起きた小柄な身体。振り抜かれた鋭い爪を、喰い掛かる牙を、間一髪で水の盾が止める。

「アネモネ!イヴリンは敵じゃない!」

「グルルルルル」

 なるほど、錯乱。

 息を深く吐いて、意を決した。

 盾を解き、懐に入り込む。華奢だ。こんな身体で、どれほどの苦しみと恐怖を。

「ライ」

「イヴリン!?」

「グルァアアア!」

 肩に牙が食い込む。痛い。それでもぎゅっと、華奢な身体を抱き締めた。

「大丈夫。落ち着いて。ここは安全。安心して良い。休んで良い。もう大丈夫。大丈夫。大丈夫」

 努めて静かな落ち着いた声で、言い聞かせる。

 強張って暴れる身体は、徐々に弛緩して行った。

 怖がらせないように、そっと、背中をなでる。頬に当たる耳が、モフモフで気持ち良かった。

「そう。安心して。もう大丈夫。大丈夫よ。安全だから。眠って平気。休んで良いの。大丈夫。大丈夫。大丈夫。いまは、ゆっくり、休んで」

 ずしりと、身体に重みが掛かる。寝息が聞こえて、ほっとした。

 えっちらおっちらと、ベッドに運んで寝かせる。父譲りの筋力に感謝だ。闇族は華奢な割に筋力がゴリラで助かる。同じ華奢でも見た目通り非力な耳長エルフではこうは行かない。

「……痛ぇ」

 マントが丈夫だったようで、喰いちぎられこそしなかったが、間違いなく痣にはなっているだろう。相手がまだ顎の弱いチーターの獣民で良かった。これがハイエナだったら、たぶん肉を持っていかれていたし、骨も危なかった。

「だ、いじょうぶか、イヴリン」

「ん……まあ、動きはするし大丈夫じゃないかな。次行こ」

「頼んでおいてだが、出すとこ出せば有罪だからな?獣民が平民を怪我させたなんて」

 獣民は、貴族からここまで錯乱するような仕打ちを受けても、なんの救済もされないのに、だ。

「出さないから大丈夫。大した怪我でもないし。ほら次は?最後でしょ?」

 肩は痛いが、耐えられないほどではない。

「あとで治療しろよ?こっちだ」

 ジークリンデに案内されたのはこれまた個室。そこにいたのは。

拙いお話をお読み頂きありがとうございます


今話の虐待描写が辛く感じた方は

この先により酷い内容があるので

願わくばここで読了として綺麗なあなたのままでいて下さい


無理じゃない方は続きも読んで頂けると嬉しいです

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