10 - どこに居てもここに居なくても
人間の密度が高ければ、その分トラブルも多くなる。
「お姉さん、お姉さん」不意に聞き覚えのある声が茉莉花を呼び止める。
それは何千回、何万回と口にした滑らかな口調、あの時のチャラい男だ。茉莉花が無視してやり過ごすと、このホストに扮した男は並走しながら構わず話しかけてくる。
「どこの店に居るの? 初めて会った気がしないんだけど、何億回も君のことを呼んだ気がする」懲りない男だ。茉莉花のスピードに食らいついてはくるものの息は切らせはじめている。
面倒だな
何処までついてくるつもりだ
何故ついてくる
茉莉花はきびすを返すとこのチャラい男も振り返って歩み寄り……
「ウチの店、初回無料だから来なよ」と、言ってしまった。
「無料だから来なよ、無料だから来なよ、無料だから……」
ゆっくりその一歩一歩を踏みしめながら誘っている。
「一億回言わせた方が良かったか?」クダチが茉莉花に聞く。
周囲から人が集まり、あの男を取り巻いて無料の何かを求めてついて行く。観衆も同調して<無料だから来なよ>と盛り上がって合唱している。
「30分で解除してやってくれ」とクダチ&コーラスに言うと群集に背を向けた。この界隈で耳にするであろう伝説の夜のきっかけを見届けると繁華街を抜けて駅へ向かう歩道橋を駆ける。
この街を構成する機能に携わる人の大部分が、使者達に入れ替わりはじめて久しい。電力もガスも水道もビルも飛行機も通信機器も、この歩道橋さえも人だけでは作り出すことは出来ないだろう。
今は人間と使者が二極化した社会構造だが早い段階で人間は集う場所をも失い、使者達に混ざって鳴りを潜めて暮らすことになるだろう。もし人が誰一人として居なくなってしまえば 6.0 haven は、ここにもう使者を送らない。
ならば、この世界に来ている使者達はどうなるのだろう ────
クダチとコーラスが風に吹かれて街灯に照らされている。
「茉莉花さん、リネン様はここは何も居なくなったとしても存在し続けると言っていました」コーラスはそっと話した。
「そうだな。ただ、使者達は 6.0 haven に帰らないのだろうな」
茉莉花は【ZAIRIKU】はここを隔離することで、一つの coda とするのだろうと認識を強めていた。
「オレ達、帰れるのはツイてるよな」クダチはどちらであっても肯定的に応えたのだろう。ただ、ここに居ては何処に居ても彷徨うだけなのだろう、それは変えることの出来ない事実。
「いずれにせよ、ガブリエルと交信して状況を報告しよう」
「どこの鏡を使うんだ?」クダチが聞くと茉莉花は答える。
「清掃員の使者に協力してもらい、あの閉鎖されたダンス教室を確保する」
ガブリエルと交信した際に『帰還ではなく次のDESTを示された』場合を考慮するならば、安全なポータルの確保も優先事項とせざるを得ない。歩道橋から街を見渡し夜が明けるのを待っていた。
いつしか夜が明けると街は日常生活を取り戻した者達が、至る出口から溢れ出して道路へビルへと流れ出していく。人間も満更、歓楽に明け暮れる者だけではない。思い描いた姿、やってみたかった事を生業にする者達が少なからずいて、この人の生活感を保っている。
「わたし達も、あの清掃員を探すとしよう」
クダチの代わりとされている使者、守備範囲は同じと考えて良い。先ずはショッピングモールに向かい捜索することにした。
「クダチはどの辺りを担当していたんだ」
「駅を中心に2㌔m 、このモールを抜けて交番を中心に2㌔m が担当だった」
「ではこのショッピングモールから駅を抜けて本屋の建物の捜索からはじめよう」
「手分けしますか?」コーラスが聞くと茉莉花は首を振った。
「行動を共にした方が不測の時に考えを巡らせる事を最小限に抑えられる、何より力を合わせた方が上手くいく」と、コーラスを見た。
コーラスは必要とされている事に何より喜びを噛み締めていた。
(コイツ、めちゃくちゃヤル気がみなぎってやがる:クダチ)
茉莉花たちは駅の裏手にある本屋に到着していた。
つづく
皆んなが成りたいものになれる世界が在るのなら、世界を動かす全ての歯車は揃わないのだろうと思う時があります。
そういえばコーラスを描いてませんでした。何となく羽角の様なものがあるんじゃないかという気がしています。
『第2回SQEXノベル大賞』応募につき誤字脱字、言い回しの修正完了
※この話のイラストはこのまま使用します