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三日月の輝く夜。月明かりは平等に人々の上に降り注ぐ。そんな月の明かりから逃げるように、二人の男女が森の影に隠れ歩く。
やがてたどり着いた山の斜面にある洞穴に座ると身を寄せ合う。
「プリスさん、あなたのおかげで密猟者共を一掃できそうです」
目的を果たせる目前だと言うのに、アトモスの表情はどこか暗い。そっと伸ばした手でプリスの頬を撫でる。
プリスの唇には切れ血が固まった跡が痛々しく残っている。
「私の仕事のためとはいえ、辛い思いをさせて申し訳ありません」
謝るアトモスにプリスは微笑みながら、自分の頬にあるアトモスの手に身を寄せる。
そのまま手を取って愛おしそうに撫でると、潤んだ瞳で見上げる。
「明日の晩、夫はもっと強い薬を求め交渉するため、主犯格の男がやってきます。そのとき捕まえてください。それで……」
言葉を切り、言いづらそうに下を向くプリスの頬をアトモスは親指でなぞる。
「ええ分かっています。プリスさんとプリュネちゃんは私が責任を持って引き取ります。妻の方には事情を説明して保護という名目で別の家に住んでもらうように手配しますので安心してください」
「あぁ…本当になにからなにまでありがとうございます」
笑顔で涙を流すプリスにアトモスは優しく微笑みかける。そんなアトモスに抱きつき唇を重ねると、すぐに離れ熱のこもった瞳でプリスはアトモスを見つめる。
その視線にアトモスは、思わず喉を鳴らして唾を飲み込んでしまう。
「あと一日で私はあの夫から解放され、アトモスさんのもとへいけます。あとたった一日かもしれませんけども、朝まで夫の暴力に耐えなければいけない長い夜が始まってしまいます。最後の夜、そうは分かっていても辛いんです。だから、そのっ、勇気を……ちょっとだけ欲しいです」
恥ずかしそうにお願いするプリスを抱きしめるアトモスだが、プリスはそれを拒む。
「もっと近くでアトモスさんを感じたい……鎧が私とアトモスさんの間にあって温もりが感じにくいから、その……恥ずかしいですけど」
頬を赤らめ言いにくそうに口ごもるプリスの姿を見たアトモスは、その意味を理解し立ち上がると鎧を外し剣を置く。上半身の服を脱ぎ、鍛え抜かれた筋肉をさらけ出すと同時にプリスが抱きつく。
「嬉しい……」
アトモスに抱きつき胸に頬をつけるプリスの背中にアトモスが手を回しそっと抱きしめる。
「このまま……」
「ええ、このまま一緒に」
プリスの言葉にアトモスが続こうとしたとき、アトモスは背中に強い痛みを感じて思わず腰を反ってしまう。なにが起きたのか理解できないアトモスが振り返る前に、胸元にいたプリスが胸を押して素早く離れる。
「このまま消えてもらえますか?」
「な……なにを?」
先ほどまで見せていた可愛らしい姿のプリスはそこにはおらず、血走った目でニタリと張り付くような笑みを浮かべるプリスの姿があった。
今目の前で起きていることが理解できず、口をパクパクさせる自分の口から血が垂れていることなど気がつけない。それよりも立ち上がろうとするのに、腰から下に力が入らず動くこともできないことに異常を感じ焦ってしまう。
「あんたが私たちの周囲をウロウロするのが悪いのよ。密猟者? そんなのどこでもいるでしょ。それを正義のヒーローぶって捕まえようだなんて、それもよりにもよって私のところで!」
「なにを……言ってる……んだ」
「あんたが密猟者を捕まえると、プリュネの病気が治らなくなるの! やっと、やっと目もよくなって、足も動き出したのに、あんたが正義だのどうのって邪魔して! 私たちがどれだけ苦労したと思ってるのよ!! あんたの正義で苦しむ人だっているのよ!!」
放心状態のアトモスは、ヒステリック気味に叫ぶプリスをただじっと見つめることしかできない。叫んで落ち着いたのか、大きく息を吐いたプリスが小刻みに体を震わせているアトモスを見てふっと笑う。
「あんたの背中に打ったのは猛毒よ。あと数分であの世へいくわ。強い毒だけど、背骨近くに打たないといけないからほんっと苦労したわ。ちょっと甘い声出して近づいたらすぐにその気になって、汚らわしいったりゃありゃしない。正義のヒーローなのに色気に負けたあんたが悪いのよ。残りの数分間、奥様への謝罪の言葉でも言ってるといいわ」
薄ら笑いを浮かべたプリスは背中をむけると、体がもう動かないアトモスを置いて去ってしまう。
「プリュネ。私の可愛いプリュネ。ママが守ってあげたからね。これで病気よくなるからね。あんな男にプリュネの幸せは奪わせないから、これからも邪魔するヤツは消してやるわ。うふふふ、あははははは」
口もとを手で押さえて可笑しそうに笑い声を夜空へ響かせるプリスは、愛する娘の待つ家へと向かう。
***
月の光を頼りにクリムは森の中をさ迷う。
プリュネの様子を見ようと部屋に入ると、誰もいないベッドと開きっぱなしの窓を見て、プリュネが外に出たと判断したクリムは慌てて外に出る。
プリュネが歩けるようになったんだという喜びよりも、不慣れな足で夜の森にいるかもしれない、もしかしたら怪我、最悪は死に至る大怪我をしているかもしれない。
そんな不安に押しつぶされそうになりながらクリムは歩き続ける。
「プリュネ! どこにいるんだい? いたら返事をしてくれ! プリュネ!」
静かな月明かりの下で、クリムのプリュネを呼ぶ声が響く。
決して見つからない、見つかったとしてもそれが愛する娘だとはわからないであろう捜索は続く……




