87話 幕間
薄暗い廊下にカツカツと小さな足音だけが響く。
顔もよく見えないほどの暗い中を、その者は足早に進み一つの扉の前で立ち止まった。
「はぁ……」
仄かな灯りに照らされたその顔はどこか疲れているようにも見える。
狼を人型にしたような姿のその男は『魔界』の序列第七位の『アモン』だった。灰色のスーツを身に纏った落ち着いた雰囲気の中で、真紅に染まった瞳だけが一際異彩を放っていた。
「はぁ……」
もう一度、深いため息を吐いたアモンは意を決したように目の前の扉を開く。
「戻った」
それだけ言って、入った部屋の中の男へと瞳を向ける。
鈍い金色の、豪奢な造りの椅子に乱暴に腰掛けた男が小さく笑いながら口を開く。
「ご苦労。それで、ヤツの動きは?」
黒よりも昏い蒼色のコートを身に纏った男。銀色の髪をかき上げ、そばにある果物のようなものを口に放り込むその姿は、『魔族』であるはずなのに人間にしか見えなかった。
唯一、一つだけ違うところは薄暗い部屋でもハッキリと見える鈍い銀色の瞳だった。
「その姿、随分と気に入ったようだな?」
「フン、そうだな。お前たちの実力に合わせるというならちょうどいいかもな」
アモンの言葉に、挑発するように返す男の名は『アガレス』。
『魔界』序列第二位の男。つまり、リリムスから王の座を簒奪し、死を命じた張本人である。
『魔界』は実力主義の世界。下剋上も日常的に行われるようなところではある。リリムスが王の座を追われたのも仕方ない、と考える者が多数の中で、ならばアガレスをさらに追い落とし自分こそがと考える者もまた多かった。
だから、『魔界』はかつてないほどに荒れ、混乱の極みの中にあった。
アモンも王の座を狙う者の一人。表面上はアガレスに従ってはいるがこうやって皮肉を言ったりしている。
「その減らず口は枷があっても変わらずか。まぁいい、ヤツらは人間界の小さな島から動いていない……というより動けないと言った方が正しそうだ」
「動けない?」
アガレスが果物を放り込もうとした指を止める。
「ああ、天族の男と戦ったのは確認している。干渉遮断障壁を展開されて身動きできないようだ」
「そうか……チッ、マルバスめ余計なマネを……」
しばし天井を仰ぎ見て、アガレスは死んだ同胞へと毒づく。
『魔王』が、リリムスが閉じ込められたというならば、彼女の持つ『魔導書』もまた閉じ込められ動かせないということ。
「オレが行こうか?」
アモンの言葉を、鼻で笑うアガレス。
「フン、キサマに魔導書が使いこなせるものか」
「なに……?」
開いた手に火球を出現させたアモンを制するアガレス。別にここで戦ったところで勝てない相手ではないが戦力を削ぐ気もなかった。
「待て、アレは使えないのが普通なのだ。持つ者の力量に関わらずな」
「どういうことだ? 魔王は使っていただろう」
『魔導書』を手に、強大な魔法を自在に行使するリリムスの姿をアモンは幾度も戦場で目にしている。
それは当然、アガレスも同様のはずである。
「厳密にはアイツも魔導書の力を使っているわけではない。ガワをなぞっているに過ぎん」
アガレスの言葉の意味が分からず、アモンは首をかしげ怪訝な顔をする。
そんな第七位の様子を見て、第二位は再び小さく笑った。
「フ、少し喋りすぎたな。とにかく、今は静観する。キサマもあまり勝手に動くなよ」
話しは終わったばかりに、玉座の後ろの扉から出ていくアガレス。
主のいない部屋の中で、アモンは独りごちる。
「王を気取るか……」




