86話 心染めしビースト part10
「うわっ!?」
猛烈な突風が往人の体を吹き飛ばした。立ち並ぶ商店の壁にぶち当たり、一瞬呼吸ができなくなる。
だがそれでも、往人には幸運だと言えるだろう。今まで往人がいた場所には戦斧が叩き込まれ大地を割っていた。
「魔王……」
「ダーリンをやらせるわけがないでしょう?」
咄嗟に火球をウートガルザの目の前で爆発させ、彼から距離を取るリリムス。『霊衣憑依』していない今のリリムスでは狙われたら逃げの一手しか取れない。
(むぅ、ワタシともあろう者が……)
杖を構えながら、リリムスは歯噛みする。
顔にこそ出さないが、『魔王』である彼女が『女神』以外の者にこうも後手に回らなければならない現状に、いたくプライドも傷つけられていた。
もちろん、その状況を作り出す事になってしまった自分自身にも。
「貴女も! 分からない人ですねぇ! そんなに先に死にたいんですか!」
流石に何度も茶々を入れられ、ウートガルザも語気を強めながら戦斧から光刃を放つ。
魔を滅する聖なる光の刃が、地を裂きながらリリムスへと直進する。
「このまま、その土塊の体ごと貴女の魂までも斬り裂いてあげますよ!」
二発、三発と立て続けに光刃を連射するウートガルザ。躱す隙など何処にもない、回避不能の斬撃の嵐がリリムスを見るも無残な姿へと変える。
「フッ……む?」
ほんの一瞬、勝利の笑みを浮かべたがすぐに違和感を覚えるウートガルザ。
その違和感は、痛みとなって彼に答えを教えた。
「ぐうっう!? 人形か……!」
杖の先から電光を迸らせたリリムスが、ウートガルザの背後から左腕へと雷撃の矢を命中させていた。
「残念。躱されるとはねぇ」
彼女の肉体を形成しているのは、そこらへんにいくらでもある土塊。それに受肉したところでまともに戦力として機能するわけはない。
しかし、裏を返せば材料さえあるならば肉体を好きなだけ用意できるということ。
光刃により砕かれたのはそうやって創られた、魂の入っていない器だけの体。
その器の崩壊に紛れてウートガルザの背後に回っていたのだった。
「はあああ!!」
「なに!?」
だが、リリムスの攻撃はそれすらも囮。背後をとったとしてもウートガルザに致命傷を与えることは叶わない。ならば、動きを止められればそれで良かった。
「やっぱりワタシのダーリンねぇ」
輝く白翼を羽ばたかせた往人が、ウートガルザの左肩を斬り裂いた。そのまま翼で急制動をかけ反転すると、さらに追撃の斬撃が袈裟懸けに閃く。
「そうも好きにっ!!」
「うおおおおおお!!!」
烈火のチェーンソーが防御に回った戦斧を斬り裂く。
「くっ!!」
人間、それも異界人を使っているとは言っても、『人間界』へと来訪した際のルールからは逃れることはできない。
ウートガルザもアイリスやリリムス同様、その力を著しく弱体化させてしまっている。
ただ、二人よりもマシなだけである。
だから、本来なら人間ごときに傷をつけることすら不可能なはずの自身の戦斧も斬り裂かれるという憂き目にあう。
「さらにっ!!」
白翼から輝く粒子を放ち一気に加速する往人。構えた青き剣は纏った炎で真紅に染まっている。
「おのれっ……!!」
残像を残すほどに駆け抜けた往人の背後には、倒れ伏すウートガルザがいた。
得物を両断され、自身も深手を負い勝敗は決した。
もはや、ここからウートガルザが反撃に出ることはできない――
「ユキトッ! 借りるぞ!」
だが、何かを察したアイリスが往人の体から主導権を半ば強引に借り、倒れ伏す肉体を掴み上げる。
「なっ……!?」
「ウソ……?」
そこにいたのは、今まで戦っていたはずのウートガルザではなかった。
病的に痩せぎすで、不健康に黄ばんだ歯、どろりと濁った瞳をしたあの中年男が血まみれで小さく呻いていた。




