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79話 心染めしビースト part3

 同じころ、アイリスとクロエの間には非情に重苦しい空気が流れていた。いや、もはや流れは停滞していたと言っても過言ではなかった。

 (……気まずい)

 周りからよく堅いと言われることが多いアイリス、自分自身でも生真面目な性格だとは理解している。

 だからといって、なんの会話もない沈黙だけの空間が平気かと言われれば、それは違った。それなりに場を和ませようと思う気持ちもちゃんと持っているのだ。

 「お前に問う。なぜあの少年は、あんなに憤っている?」

 以外にもクロエの方から会話を試みてきた。当然、その内容は往人ゆきとに関する事柄である。

 「ん? ああ、ユキトはまだ戦いというものに不慣れなんだ。今まで戦いとは無縁の世界に身を置いていたからな」

 「あれで……? お前たちは疑問に感じないのか?」

 「何をだ?」

 アイリスはキョトンとする。クロエが何を疑問に思うのか、正確には驚いているのかが理解できなかった。

 「今まで戦闘経験のない少年が、あれだけ戦えることにお前たち二人は何の疑問も思わないのかと聞いているんだ」

 「……そうか、確かに普通の人間がいきなりあれだけ戦えるのは少々不自然か……?」

 顎に手を当て、今更ながらに不思議に感じるアイリス。

 元々アイリスは『天族』。それも、その頂点に位置する『女神』である。幼少のころより心身ともに厳しく鍛え上げ、その座についた。

 だからこそ、往人と同じ位の背格好のころから彼女は強かったのだ。並みの相手では歯牙にもかけないほどに。だから往人の戦いを見ても、それがずぶの素人の戦いにしては異常に強いことに気が付けなかったのだ。

 それは『魔王』も同様である。濃い味に慣れ切った者が、繊細な味付けの微妙な差異に気づくことができないように、彼女らの中の強さの基準が高すぎたのだ。



 「本当に、あの少年は素人なのか?」

 クロエが疑いの眼差しを向ける。当然である。異常な強さを持つ『素人』の少年と、それをまったく疑問に思うことのない剣術と魔導に、非常に秀でた二人の美女。

 どこかの機関に属していない者ですらきっと怪しむだろう。

 「まあいい、お前たちが何者なのかはいずれハッキリさせる。まずはこの男のことを優先させる」

 そう言って虚ろな目で俯く中年男へと顔を戻すクロエ。ホッと胸を撫でおろすアイリスには目もくれずに、男へと質問を続ける。

 「さて、改めて貴様に問う。貴様は魔法を使えるか?」

 男は首を振る。それは否定を示している。だが、それではおかしかった。この中年男は身体強化の魔法を使っていた。非常にお粗末な精度ではあるが、あの動きはそうでなくては説明がつかない。

 「やはりか……」

 しかし、アイリスもクロエも男の答えに疑問を感じなかった。むしろ合点がいったという風である。

 「あの異常な身体能力は外付けか」

 「思考に制御がかかっているわけではないみたいだな」

 クロエが男の残り少ない髪を乱暴に掴み、顔を覗き込む。灰色に濁った瞳は焦点も定まらず、ただ虚空を見つめている。

 

 ――男は何者かに操られているのではなかった。


 まともな言葉を話すことができないのも、思考しているとは思えない行動なのも、すべては外部から非常に強力な魔力を注ぎ込まれて、精神が崩壊しているに他ならないからだった。

 その結果として得られたものは、人間を遥かに超える身体能力。

 だが、ウートガルザは『無理がある』と言っていた。恐らくはもっと強力な存在としたかったのだろう。

 「チッ……気分の悪い話だ」

 「しかし、これでまた振出しか」

 目の前の男は、ウートガルザと繋がってはいない。それはせっかくの手掛かりが再び失われてしまった事を意味していた。

 「あとは、あの女に魔法の発生点を調べてもらうしかないか……」


 往人を追いかけていった『魔王』の戻りを、アイリスは待った。

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