78話 心染めしビースト part2
「よしよし、どうしたのぉ? 急に走り出すから驚いたわぁ」
胸の中で黙りこくっている往人の頭をリリムスが優しく撫でる。
「分からない。俺の中で、感情が抑えられないんだ。怒りや憎しみが湧き上がってきて爆発しそうで……」
そう言って震える往人に、リリムスはやはり、と思う。それはリリムス自身にも覚えのある現象だった。
「そう……。ダーリン、それはねぇ魔導書のせいなのよぉ」
「え……?」
言われて往人は顔をあげる。
『魔導書』のせい、まったく予想だにしない言葉に、往人の思考は凍り付く。
「それってどういう……?」
「魔導書はねぇ、持っているだけで心を歪める力を持っているのぉ」
自身が所有する『魔導書』を出現させ、往人に見せつけるリリムス。仄かに怪しく輝く『魔導書』が、今までよりも不気味に見える。
「魔導書の力の原点は感情、それも相手へと怒りや憎しみ、殺意といった負の情念なのよぉ。だから、それを引き出させるために所有者の心を強制的に歪めてしまうのよぉ」
それを聞き、戦慄する往人。まさか、あの時心に訴えかける声に伸ばした手が、そんな恐ろしい物を掴んでいたとは思わなかったのだ。
甘えていた、と言い換えてもいいかもしれない。リリムスがあまりにも普通に使っているのだから、そんな危険な代物だとは想像もしなかったのだ。
「ゴメンね、ダーリン……」
「なんでリリムスが謝るのさ……?」
蒼白な顔をしていたのか、往人へと頭を下げるリリムス。
「ワタシが魔導書を確保できなかったから、ダーリンに負担を押し付けるようになってしまって……」
「それは違う!」
往人は強く否定する。『魔導書』を掴んだのは確かに偶然だったかもしれない。だが、その所有権を放棄しなかったのは往人自身の意思である。
『魔導書』の主として、戦えるようになれると思ったのだから所有者になったのだ。
だからリリムスが謝る必要を往人は感じていなかった。
「でも……人間の、異界人のダーリンならってデメリットを伝えなかったワタシも……」
「多分、あの時に聞いていても俺の答えは変わらなかったさ。それに」
言葉を切る、そして自身の中の気持ちを確かめるように
「二人を助ける……その為にはこの力も使いこなせなければ駄目なんだ」
自分を染め上げようとする『魔導書』を御する。その程度ができないようでは、到底この先勝ち残ることなど不可能である。
「ダーリン……うれしいっ!! そんなにワタシのことをっ!?」
不意にリリムスが往人へと抱きつく。慰めるような優しさではなく、嬉しさで力いっぱい。
腕力に自信はないといっても、やはり人を超えた『魔族』。素の力の差は当然ある。
「く……苦しい……」
抱きしめられてドキドキする、なんて嬉しいイベントなどではない。プレス機に挟まれたんじゃないかと錯覚するような衝撃に、往人の顔は真っ赤になる。
「あ、あらぁ、ゴメンねぇ。嬉しくてつい……」
慌てて往人を解放するリリムス。
大きく息を吸い、呼吸を整える往人。空気が美味いと思うのはなかなか感じられるものではない。
「でも……具体的にはどうやって感情のコントロールをするかだな」
これから先、それはずっとついて回る問題だった。『魔導書』を所有し続ける限り避けては通れない。
なにせリリムスのように操ることはおろか、手に出現させることすらままならないのだ。前途は多難、頭が痛くなる往人だった。
「リリムスはどうやって魔導書を自在に使えているんだ?」
「う~ん……ワタシは割と感情の赴くままに動いているから、あんまり困っていないのよねぇ」
自由人に聞いたのは間違いだったのか。
参考にならない答えに肩を落とす往人。確かに、リリムスは感情をストレートに表現し、それをあまり隠そうとはしない。それくらい明け透けの方が『魔導書』の主としてふさわしいのだろうか。
「あとは……そうねぇ、知識を得ることを怖がらない事かしらねぇ」
「怖がらない?」
「ええ、魔導書は記された知識を、より究めようとする者を好むわぁ。だから恐れて死蔵する者を積極的に操ろうとするのぉ」
なるほど、と往人は思い返す。あの時マルバスは『魔導書』の知識を自身の中で支配しようとしていた。知見を深めるでなく、ただただ道具として支配する。
それは究めるとは程遠い、停滞という名の死蔵。
だからこそ、『魔導書』は往人を選んだのだ。あの時、最も強く勝つための『力』を欲していた者を。
「だから、ダーリンも難しく考えないで、素直に魔導書を受け入れればいいのよぉ。そうすれば自ずと魔導書はダーリン自身の感情と同調してくれるわぁ」
「リリムスも知識を受け入れているのか?」
「モチロン」
片目を瞑り、踵を返しながら元来た道を歩き始めるリリムス。それは往人がもう大丈夫だということを表していた。




