19話 幕間
一面が白の景色で覆われた大きな街。
綺麗で荘厳ではあるが、それ故に無機質な印象を受ける場所だった。
『天界』。
その無機質なまでに潔白な場所こそが、アイリスが治めていた天族の住まう場所だった。
「はぁっ……はぁっ……」
受肉した体を捨て魂だけの状態になりながらも、命からがらで天界へと帰還したバルドルが街の入り口付近で膝をつく。
「おのれぇ……この屈辱は必ず!」
怒りと復讐心に燃えるバルドルへと近づく影があった。
それは二人の天族の男女。この場所同様の無機質で感情が見えない鉄面皮で近づいてきた二人はバルドルへと声をかけた。
「バルドル様」
「……査問委員会か」
近づいてきた二人の顔を見てバルドルの顔がサッ、と曇る。
『査問委員会』。
それは天族の中で問題を起こした者が出た場合に、その取り調べを行う常設の機関である。
場合によっては懲罰の決定、並びに執行をも行える特権的な集団でもあった。
当然、その委員会がバルドルの元へと遣わされたのは、
「バルドル様、貴官に人間界における逸脱した越権行為の嫌疑がかけられています。よって上層部は我々査問委員会の派遣を決定いたしました。ご同行を」
「私は命令に従っただけだ。女神の抹殺、それを行うには多少の人間の犠牲もやむを得ん!」
バルドルの言葉にも、委員会の二人は眉一つ動かさずに冷徹に告げる。
「その是非はこちらで精査し、決定いたします。同行を拒否なさればこの場での処罰も許可されていますが?」
有無を言わせぬ態度だった。当然、ここで拒絶すればバルドルの命はない。
ここにいる二人だけではない。処罰、となればあっという間に大勢の査問委員会の者が集まってくる。
質で負けているつもりはないが数で圧倒されれば秒も持たない事は明白だった。
「分かった。大人しく従おう」
抵抗の意思なしと見たのか、二人は特に拘束もすることなくバルドルを査問委員会の詰所まで連れていく。
「物々しい雰囲気だな」
見る者を威圧するかのような威容を見せる査問委員会の詰所。それはもはや要塞の様相を呈していた。
それでも、やはり天界故だからか無機質な潔白さも同時に併せ持っていた。
「それでは少々お待ちください」
連れてこられたのは、真っ白な机と椅子以外なにも置かれていない部屋だった。
壁も何もかもが白で覆われていて狭いのか広いのか分からなくなるような、そんな場所だった。
「まるで牢獄だな……」
二人が去り、独り椅子に腰かけるバルドルが呟く。
たしかに人間を幾人か殺し、その上で女神はおろか魔王も殺す事は出来なかった。
だが、ここまでの扱いを受けるほどに大きな失態ではなかったはずである。
彼らが言うような越権行為とやらにも覚えはなかった。
そんなことを考えていると、廊下からカツン、カツンと甲高い靴の音が響いてくる。
「やっとか……」
それは恐らくはバルドルを尋問する者。査察官である。
尋問は非情に厳しいものだと聞いている。
だとしても、バルドルは自身の嫌疑を認めるわけにはいかなかった。
過去に査問委員会に嫌疑をかけられた同族を見たことがある。
嫌疑を認め、全てを失ったあの姿は今も忘れてはいない。
(ああなってたまるか……!)
キィ、と小さな音を鳴らしながら扉が開く。
「あ、あなたは……」
そこに立っていたのは査察官ではなかった。天界人ならば誰もが知る男。今、最も天界を揺るがせている者。
「やぁ、大変だったね」
「ロ……ロキ様」
ロキ。
それこそが天界においてクーデターを起こし、女神アイリスを追い落とした男の名だった。
爽やかな笑顔をした浅黒い男で、天界人には珍しく青地に赤い差し色の入った衣服を身に纏った姿をしている。
彼の足元には暗い灰色の狼が大人しくつき従っている。
「それで……アイツはどうだった?」
アイツ。
それは当然『女神』のことを指していた。今回の命令はロキが直々に天界へと下した命だったから。
「……向こうが一人ならば敗北はありませんでした」
「でも、負けたんだろ?」
バルドルは冷や汗が止まらなかった。
向かい合って座っているロキは爽やかな笑顔を崩すことなく話している。
だが、その目の奥は決して笑ってはいなかった。少しでも機嫌を損ねれば待っているのは『死』。
「そ、それは! 向こうに魔王と……」
「魔王と?」
喉元に鋭いナイフでも突きつけられているかのような緊張感がバルドルを支配していく。
「……人間です。そいつが霊衣憑依さえしなければ……」
バルドルの言葉に、ロキが初めて明確に反応を示した。それは動揺、と言い換えてもいいかもしれない。
「アイツと霊衣憑依だと?」
「はい! そうです。それで奴の剣で私は……」
バルドルは間違っていた。
ロキがなぜアイリスと『霊衣憑依』した者に反応したのかを。
そして、そこを強調すれば自身への嫌疑を晴らせると思った事を。
「ハハハハハハハ!!! そうか! クク、それは僥倖だ。もう見つけていたとはね」
急に高笑いしたかと思うと、ロキは助かると勘違いしているバルドルの首を掴む。
「な、何を……!?」
「俺は言い訳はキライだ」
そう。ここに連れてこられた時点でバルドルの命運はもはや尽きていたのだ。
「俺が命じたのは女神の抹殺。時点で魔王の抹殺だ。そのどちらをも狙える場にいながら負ける者は天界には必要ない」
「し、しかし!!」
それでもなお自身が助かろうとする為に言葉を紡ごうとする口を――
「もういい」
その一言でロキは黙らせた。
後には真っ赤に染まった部屋と、物言わぬ大小二つの肉塊が転がっていた。
「イイぞ。これでヤツにも……、ハハハハ!!!」
もはやこの場所には用済みと、高笑いをしながらロキは去っていった。