186話 司法の監獄 Justice_IN_The_Malice part7
「な、何か……ななななにかお困り、ででしたたた……」
ガクガクと体を震わせ、ほとんど言葉も紡げなくなりながら葛西はカッターナイフを自身の首元へと突きつける。
刃先が触れ、赤い筋が細く走る。
「葛西さん、何を!?」
「佳奈っ! 近づくな」
思わず駆け寄りそうになった佳奈を往人は強く制止する。
狂気に満ちた瞳、躊躇うことなく自身へ刃物を突きつける異様な行動、さらにまともではない言葉。
迂闊に近づけばカッターナイフの餌食になる。
「お……おこままま、りり……ッ!!」
葛西の体がビクッ!! と震える。相変わらず狂気を孕む瞳だったが、一つ変化があった。
カッターナイフを首へと突きつけたまま、ハッキリとした口調でこう言い始めた。
「魔王の力を得し者よ」
「お前は……」
誰かが操っていた。葛西の肉体を使い、往人へとメッセージを送ってきていた。
「ナルじゃないな」
そう。この者はナルではなかった。
彼女は往人が『魔王』と、リリムスと契約していることを気にはしていない。
だからこんな言い方はしない。
だとするのなら、必然的に答えは決まってくる。
「魔族の誰かだな、お前」
「いかにも。名を名乗る気はないがね」
この場面で往人が『魔王』の力を使うことが出来ることを気にする者。それは『魔族』となる。
クーデターを起こして、リリムスから王座を簒奪し、その命すらも奪おうとする者。
そいつ本人なのか、あるいは命を受けた者か。どちらにしろ、このイレギュラーな状況で仕掛けてきた以上、面倒な相手になることは確実である。
「……その男を使って、俺を殺せるとでも?」
往人は『魔族』を挑発した。
今までの戦いで、往人は『魔族』がプライドを重視する者たちだと考えていた。
リリムスにしろマルバスにしろ、自身の持つ魔法を研鑽しより高次へと高めることを至高と考え、そしてそれを汚されることを何よりも不快に思う。
それはプライドの高さ故。
「それとも、人間を使った方がまだ強い、とか?」
「……黙れッ!!」
葛西が、いやその肉体を支配する『魔族』が怒号と共にカッターナイフを往人へを振り下ろす。
やはりプライドの高さから、下に見ている人間から侮蔑の言葉を投げ掛けられて我慢が出来なくなった。
「貴様を殺すのにわざわざオレが出向くまでもないだけだ。そう。貴様のような矮小な人間如きに」
自分に言い聞かせているようだった。まるでそうであってほしいと願うかのように。
「それに、貴様は人間を殺せないだろう? 報告は受けているぞ。貴様は人間を利用することに強い忌避感情を示していたとな」
そう言って、『魔族の男』は葛西の首元に再びカッターナイフを突きつける。
「テメェ……」
それは人質だということ。いつでも葛西を殺すことが出来ると往人に教えている。
「甘いな。まったく甘い男だよ」
男がそう言うのと同時に、肉体である葛西の姿がブレる。出来の悪い早送り編集でも見るかのように。
「きゃあっ!?」
「ッ!? 佳奈!!」
男は一瞬で佳奈の背後を取り、その白く美しい首筋にカッターナイフの刃を押し当てる。
「そうやって、無関係な他人のことも思うから大切な者への意識が逸れる。マヌケなことだ」
「くッ……!!」
動けなかった。往人がどれだけ早く動こうと、男がカッターを真横に動かす方が早い。
それだけで佳奈は首元から真っ赤な鮮血を噴き出して死んでしまう。
「フフフ、動けまい。まずはその剣を捨ててもらおうか?」
「駄目! 何がなんだか分からないけど、きっとそれをしたら駄目よ。往人!」
歯噛みする往人に、佳奈が気丈にも叫ぶ。声は震え瞳には大粒の涙を浮かべているが、それでも往人を真っ直ぐ見つめ必至に語りかける。
「こんな人質を取らなくちゃならないような人に、あなたが何かをする必要はないわ!」
「黙れ!! 弱い者が口を差し挟むなッ!! 痛い思いをしたいのか?」
「やめろっ!! 分かった、武器は捨てる……」
佳奈を耳元で恫喝しカッターナイフのを持つ手に力を込めようとする男へ、往人は叫び『レーヴァテイン』を放る。
「往人……」
「お前は俺が守る」
往人が言ったその言葉を、男は嘲るように笑った。
「ハハハ。この状況でどうやって守るって言うんだ? 見せてくれよッ!!」
男は葛西の肉体を使って、カッターナイフで空中に魔法陣を描いた。
文字が踊り、燃え盛る火球が出現する。そして、それは収束していき灼熱の熱線となって往人へと襲い掛かる。
「往人おぉ!!!!」
佳奈が叫ぶ。
熱線は地を焼き、往人の肉体を一片も残さず灰に変える。
「愚かなヤツだ。自ら武器を捨てるなど」
「そう思うか?」
ギョッとして、男は振り返る。
そこにはニヤリと笑う往人がいた。拳を握り、体勢を低くする。
この距離、そして男は驚愕で反応が鈍っている。
「言ったろ? 佳奈は俺が守るって」
強烈なアッパーで、器は宙を舞いながら地面を転がっていった。