184話 司法の監獄 Justice_IN_The_Malice part5
くちゃくちゃと葛西は口を動かしている。その中身がなんであるかは考えたくもない。
「どうかいたしましたか? 顔色がすぐれないようですが?」
口調はいたって普通。先ほど会話をしていた葛西と何ら変わりはない。だからこそ、この光景の異様さに拍車がかかる。
「葛西さん、一体何を……」
佳奈が顔を真っ青にしながら一歩後ずさる。
往人も、葛西を排除したいと考えるが相手は人間。先ほどのバケモノのように殺してしまう訳にはいかない。
「どうしたというのですか? 何かお気に召さないことでも……」
「近寄るな!!」
一歩こちらへ歩もうとした葛西の足がビクッと止まる。そのまま頭を下げ、平謝りをし始める。
「ああ、申し訳ありません。怒らせるつもりはないのです。お二人のご気分がすぐれなそうでしたので……」
「あんた、さっきから何を言っているんだ? 全部あんたのせいだろう。その手に持つのはなんだ? 人の腕を喰って、なんでそんな平気でいられるんだ」
そう指摘しても、葛西の顔は一切変わらなかった。少し怯えたように往人の顔を見てただ謝るばかりであった。
「申し訳ありません。私はただお二人の助けになりたいのです」
そう言っているのに、葛西は手の中の肉を口にして咀嚼する。その度に筋繊維が切れるブチブチと言う小さな音と、葛西の唾液と混じりくちゃくちゃと咀嚼音も聞こえてくる。
「こいつ……」
言葉と行動の乖離に、往人たちは戦慄する。
そうしている今も葛西の表情はこちらを心配しているそれだし、言葉もこちらを案じているものなのである。
「行動だけを操っているのか……いや、それでは説明がつかない」
そう。本人の意思とは別に肉体を操るならば、その言葉には恐怖や助けを求めるものがなくてはおかしい。
だが目の前の男は自身の行動を異常だと認識していない。それが当たり前のことだと思っている。
そうなると、思い当たるのは――
「認識の改変……」
「え?」
それならば葛西の異様な行動にも、そして本人がそれをおかしいと思わないのも説明はつく。
人肉を喰らい、それを他の誰かに見せながらも普段通りの行動をする。
それが普通のことなのだと脳に誤認させていれば、目の前の行動も合点がいく。
「だけどなんで……?」
そうなると、今度は別の疑問も浮かんでくる。
なぜこんなことをするのか、ということである。
明らかに意味がない。
往人たちに不快な思いをさせようという考えならば、それこそ無駄である。
確かに、その面でなら効果はある。しかし、それで往人が戦意を喪失したり、行動不能に陥ることなどありえない。
むしろこんなことをした者への怒りがこみ上げるだけである。
「……済まない!」
だから、往人は葛西の懐に飛び込むとほんの少し、本当に僅かな魔力を込め葛西の腹部へと拳を叩き込む。
本当に認識改変だけをされていたのか、まったく反応できずに葛西は拳の直撃を受け、音もなく崩れ落ちる。
ぐったりと往人にもたれる葛西。口元の血が往人の肩を汚す。
「つ……」
「往人、大丈夫? 足が……」
思ったよりも足の痛みが深刻化している。今の往人には回復魔法は使えない。
その中でバケモノ二匹と葛西を下している。
リリムスに頼らずに回復魔法そ自分も覚えておけばよかったと自省する往人だった。
「まだ平気だ。とにかくここを出ないと……」
葛西は取りあえず手近な部屋のソファーに寝かせ、二人はまたここを出るための手掛かりを探す。
しかしもうあらかたの場所は見てしまった。人がいないということを除けば何も変わらない警察署。
あのおかしなバケモノもおらず静寂だけが広がっていた。
「出られないね……私たちずっとこのままなのかな?」
佳奈が声を震わせそう呟く。かれこれ二時間以上は彷徨っている。午後の授業開始にも間に合いそうにない。
不安に包まれ瞳には涙が浮かんでいた。
「葛西から話しを聞ければいいんだがな……あの様子じゃ無理そうだな」
まったく話が通じない、壊れたレコーダーのような葛西の様子を思い出し頭を悩ませる往人。
「取りあえず、一度休憩しようか。焦ってもいいことはない」
「うん……そうだね。往人の足も応急処置くらいはした方がいいわ」
二人は医務室のような部屋を探したが見当たらなかった。どうやら警察署にはそのような施設は存在しないようだった。
代わりに救急箱は見つかったので、最初の生活安全課のソファーで佳奈は往人の足の応急処置を施す。
「内出血だからあんまり出来ることはないけどね」
痛み止めの軟膏を塗り、包帯を巻いた佳奈が申し訳なさそうに言う。
「いや十分だよ。ありがとうな。それよりも飯にしようぜ。腹も減ってたんだよ」
往人は長机に広げられた弁当に手を伸ばそうとしたが、それを佳奈に止められる。
「先にいただきますでしょ。それに手をきれいにしなければ駄目」
「母親みたいなこと言うなよ……」
言いながらも、往人は大人しく手を用意されたナフキンで拭き手を合わせて
「いただきます」
と言ってから食べ始める。
緊張し通しの中に、しばしの穏やかな時間。
出来ることなら、この食事が終われば普通に出られるようになっていてほしいと思う往人たちだった。