175話 それもまた異世界 Another_Real part2
相当に高く空を飛んだ。
『ニユギア』でもないほどにその高度を上げたおかげで、人に見られるリスクはかなり軽減されたはずである。
はずではあるが――
「さ、寒い!! とんでもなく寒い!! 体が凍りそうだ!!」
空は寒かった。
太陽が照りつけていても、高度が上がれば気温は下がっていく。
今、往人が飛んでいる高さはおおよそ一五〇〇メートルほど。今日の街の気温、一九度からおよそ一〇度ほど下がり、一桁の気温になる。
さらに往人は高速で飛行もしている。体感温度的にはさらに低いのだ。
「死ぬ! これはマジで死ぬって!!」
今は往人一人。『霊衣憑依』もしていないから、二つの魔法を同時に使うことはできない。
その為、ブースター翼を使っている現状では寒さから身を守ることも出来ずにただただこの地獄のような時間を耐えるほかはなかった。
とは言っても流石はブースター翼。その速度は他の飛行魔法の追随を許すような代物ではない。
極寒地獄の時間は短く済んだ。
「ヤ、ヤバい……あれ以上飛んでいたら意識を失っていたぞ」
往人が家族と住んでいるマンション。その裏手のゴミ置き場付近に降り立ち、震える体を擦りながら言う。
ここは朝の時間帯でなければまず人はいない。今も、往人が降り立ってもそれを見る瞳はなかった。
「ふぅ……とっとと済ませないとな」
ようやく落ち着いた体を動かし部屋へと向かう往人。
スマートフォンがないため正確な時間は分からないが、まだ一〇分以上の猶予はあるはず。
とにもかくにも、腰から下げられた剣を隠さなくてはこの街を探ることも出来ない。
だが、ここで一つの問題が発生した。
「……鍵がない」
そう。往人はマンションの鍵を落として失くしていた。『ニユギア』に初めて来たとき、『魔族』に襲われ財布と一緒に落としていたのだ。
「忘れてた……」
『ニユギア』では使うことはない物だったため完全に失念していた。これでは母親が帰ってくるまでは家には入れない。
一応、先ほどの広場の時計で見た日付を信じるならば往人が『ニユギア』へと跳ばされて、一日も経過はしていない。
それは行方不明者として騒ぎになっていないこの街の様子を見ても明らかだろう。
鉢合わせても大きく騒がれることはないはずである。
しかし、持っているモノがモノである。
一応、ここはナルが創り上げた世界の可能性もあるため問題にはならないかもしれない。だが、息子がいきなりあからさまな凶器を持って立っていて騒がないような雑な作りにはしないだろう。
つまりは、
「外に隠すしかないか……」
階段を駆け降り、往人はさっきのゴミ捨て場にとんぼ返り。薄暗い小屋の奥。動物避けのネットの下に剣を隠しておく。
「うーん。大丈夫かな……?」
滅多に人はこないと言っても、可能性がゼロという訳ではない。
もしかしたら誰かが来て、剣に気が付くかもしれない。
そうなったら大騒ぎである。
往人の指紋もベッタリついていて、あっという間に警察に連れていかれてしまう。
「そこまで長い時間でもないし、ここでこうしていると余計に怪しいか……」
確実に見られてしまう母親との邂逅と、可能性の低い隠蔽を天秤にかけ往人は隠蔽を取った。
部屋へと再び戻ると、ちょうど母親が戻ってきていてこちらに気が付いた様子だった。
「あら、往人。出かけていたの?」
「あ、ああ。ちょっとね」
久しぶりに見る母親の顔。命のやり取りをしていたせいなのだろうか、その顔を見て思わず瞳から熱いものが零れそうになる。
「なんかあった? 泣きそうになって」
「なんでもないよ、別に。ちょっとホコリが目に入っただけ」
そう言って誤魔化し、母親が開けた扉をくぐって自室へと足を運ぶ。
あの時と変わらない光景がそこにあった。
「本当に元の世界みたいだな……」
何もかもが往人の記憶と一致している。集めているマンガ、まだクリアしていないゲームソフト、返却された高校のテストの答案(そこそこの点数ではある)。
創られた世界なのだとしたらかなりのものである。
「……さてと、まずは着替えだな」
今着ている服装も、そこまで目立つような服ではない。だが、高校生が着るかと言われれば一〇〇人中、九〇人は違うと答えるだろう。
フード付きの白パーカーにデニム地のオーバーオール。
『ニユギア』と現実のデザインの違いもあり、昔の映画の鉱山労働者のような出で立ちになっている。
「ええと、移動を考えるとこれがいいかな」
空も段々と薄暗くなってきていて、夜の帳が街に降りる頃。
「あら? 往人、今から出かけるの?」
玄関の方で何やらやっている息子へ声をかける。夕飯の用意も始めているので、今から出かけられるのは迷惑だと暗に告げている。
「ああ。そんなに時間はかからないから」
往人は答え、玄関の扉を開く。歩く先は駐輪場だった。
着替えたのはデニム地のライダースジャケットに、下はカーゴパンツ。
そう。往人はこの街を探るためにバイクを使うつもりだった。
「この鍵は家にあって助かったな」
そう言って、バイクへと跨りキーを回す。スターターを押すとエンジンが低い音で呻り出す。
「では行きますか」
アクセルを回し往人は夜の街を駆ける、はずだったがすぐに戻ってきた。
「やべ、剣を何とかするのを忘れてた」
慌ててゴミ捨て場から剣を回収して、部屋に隠す。
母親の「なぁに? もう戻ってきたの?」という声を背中に、今度こそ往人は夜の街へと駆け出し行った。