128話 トール――Angel(and_Extend) part3
ラボの中は当然無人だった。
そこそこの広さの部屋の中は明かりが薄ぼんやりと灯るのみで、歩くのは乱雑としていて心許なかった。
「ここで人造人間なんかの研究をしてたのか……」
机に雑多に積まれた書物のページをペラペラと適当にめくりながら呟く往人。もちろんその内容は理解できるものではないが。
「しかし……こんな施設でどうやって改造なんか出来ていたんだ?」
周囲を見回しながら疑問に思う往人。
詳しいことは専門でもないから分からない。だが、そうだとしても感じた印象としては『古すぎる』ということだった。
人体の改造や遺伝子改造を研究するにはその設備レベルがお粗末にだった。
ここにあるのは近代以前に使われたような器具ばかりで、その光景はまるで教科書の一ページをそのまま再現したかのようだった。
しかし、よく見ると違う箇所もいくつか見つかった。実験器具の形状こそ古めかしいが、その材質は往人の知るような材質とは異なっていた。
ビーカーや試験管などはガラスではなく透明なセラミック素材で出来ていたし、ピンセットやメスなどもステンレスではなく、もっと軽く強度のありそうな金属で造られていた。
「科学技術の差を魔法で穴埋めしていたのか……?」
何よりも目についたのが、書物にしろなんにしろ魔法による技術を要しているということだった。
詳しいことが分からない往人にも分かるくらいである。専門の人間が見れば相当な違和感を覚えることだろう。
「面白いものでもあったぁ?」
適当に、読んでいた書物を置く往人にリリムスが聞く。当然、『ニユギア』の住人である彼女にとってはそれほど珍しい光景でもなかったのだろう。
「いや、別に。俺のいた世界とは随分違うなってさ」
「ちがう世界?」
会話を聞いていたクリスが不思議そうな顔で二人を見る。彼女はまだ往人がこことは違う世界からの来訪者だとは知らないのだ。
「そうよぉ。ダーリンはね、この世界を救うためにやって来た勇者サマなのよぉ」
「ゆうしゃさま……それってホント?」
目をパチクリさせながらクリスが往人の顔を見つめる。
最初は驚きだと思った。だが、その反応はそれだけではなかった。敢えて言語化するならば、それは動揺が一番近い感情だった。
「だって……ゆうしゃはいないってハカセが……」
「何か知っているのか?」
小刻みに震える指で一点を指すクリス。その先には薬品が収められた大きな棚がある。とても大きな棚が。
「薬品を入れる棚にしては随分と大きいな」
「んん? コレ、入っているのはほとんど同じ薬品よぉ? こんなに大量に、同じ薬品ばかり消費する実験をしてたのかしらぁ?」
だが、クリスが教えたかったのは棚の中身ではなかった。
「ちがうの……その後ろ」
「後ろぉ?」
棚の後ろは壁である。ピタリと棚がつけられ、紙一枚の隙間もないほどだった。
「どけ」
何かに気が付いたアイリスがリリムスを下がらせ、棚の中の仕切りをおもむろに掴む。
「ふんっ!!」
――ガシャァアン!!!
物凄い音が部屋の中に響き渡る。
アイリスが棚を思い切り倒し、中の薬品の器が周囲に散らばっていく。だが、ガラス製ではないため中身が零れ出ることはなかったが。
「ちょっとぉ! 乱暴すぎるわよぉ」
「これが一番早い」
「……だから脳筋なのよぉ」
ボソッと呟くリリムスの言葉を、聞こえていないのか無視をして棚の後ろ、そこにあった扉の前に立つアイリス。
「隠し扉か……」
「こういうのが好きだったのか?」
本日二度目の隠し扉に内心呆れる往人。お決まりと言えばお決まりなのかもしれないが、続けてこられると芸がないものだと思う。
「開けるぞ……」
収納式になっていたドアノブを回し扉を開けようとするが、押しても引いても扉は開かない。鍵がかかっているという訳でもなかった。なぜなら鍵穴が存在しないのだ。
「そうじゃないよ」
三人が考えていると、クリスがノブへと手をかけ扉を開ける。何のことはない、ただ単に引き戸だというだけのことだった。
「ハハ……古典的……」
乾いた笑いを浮かべながら、隠された部屋へと入る往人。中はなんの灯りもなく外から僅かに入る光では何も見えなかった。
「今明るくするわぁ……っ!?」
リリムスが杖先に光を灯し、部屋の全体像を浮かび上がらせる。
絶句。三人は同じ反応をした。そこに映る光景が信じ難いものだったから。
「これは……赤ん坊?」
部屋の大きさは先ほどのラボのおおよそ半分といったところだろうか。その中に所狭しと並べられていたのは胎児が入れられた器だった。
棚にいくつも規則正しく置かれラベルには数字が羅列してある。
そして、何より往人の目を引いた文字は、
――『勇者再現実験体No.2』
「なんだよ……これ」
どの器にも、どの器にも勇者再現実験体の文字が踊っている。違うのはその番号だけ。
「あの男……勇者のことも知っていたのか?」
アイリスがそばの机に置かれていた書物を手に取ろうとしたそのときだった。
蒼い閃光が突き抜けて行ったと思ったら、胎児が浮かぶ器のいくつかが激しい音を立てて砕け散り、周囲が炎に包まれていった。