126話 トール――Angel(and_Extend)
「どうするぅ? この子を連れていくのぉ?」
目下のところの問題。それはクリスの処遇だった。遺伝子改造を受け、さらにそれも博士に曰く失敗らしい。そのうえ年端もいかないとなると連れていくのは相当に厳しかった。
かといって、ここに放置したところで待っているのは『死』のみだろう。まともに食事も出来ずに餓死するか、施設の証拠隠滅に巻き込まれて殺されるか。
「後味は悪いが、もう一つ手はなくはないがな」
口にするのも辟易といった具合にアイリスが絞り出した三つ目の選択。それはここでアイリスたちが殺すことだった。
連れ行くことも難しい、放っておいても死んでしまうだけ。ならばいっそ、ここで苦しまないように殺してしまうのも一つの択である。
「駄目だ!」
往人が叫ぶ。アイリスが剣に手をかけた時点でなにをするつもりなのか理解し、彼もまたクリスの前に立ち、剣に手をかける。
「頼む。俺にこの剣を抜かせないでくれ」
「はぁ……気持ちは分かる。だが、現実問題どうするつもりだ? その子を守ってこの先戦えると?」
厳しい表情でアイリスが告げる。たとえ飼い殺しであったとしても博士が生きていたのならここに置いていっても生きてはいけただろう。
だが、それはもはや叶わないのだ。連れて行っても、放置してもクリスは死ぬ確立の方が高い。それも苦しみの中で死ぬかもしれない。
「その子のことを考えるならここで……」
「嫌だ」
「ダーリン……でも遺伝子改造を受けたその子が普通に生きていける保証もないのよぉ?」
そう。彼女はこの施設で遺伝子改造を受けている。外へ出て、もし何か不調が出たとしてもそれを改善することが不可能なのだ。
「……俺は……」
二の句が継げなかった。自然と涙が溢れて止まらない。自分自身の弱さに嫌気がさす。何よりもクリスが死ぬことを受け入れそうになっているのが本当に耐えられなかった。
もしも、自分を正面から殴れたのなら全力で殴りかかっていただろう。
「ゆきとおにいちゃん」
そのとき、クリスが往人の服の裾を申し訳無げに引っ張った。
「泣かないで。ワタシはおにいちゃんがそうやって想ってくれただけでじゅうぶんだから」
すこし舌っ足らずな口調で慰めるクリスを見て、余計に涙が零れる往人。
自分がどうなるのかを理解しながらも、それで悲しむ者がないように思いやれる心の強さ。
きっとまだ恐怖で一杯だろうに、それでも必至で笑顔を作ろうとするクリスを往人は思わず抱きしめる。
「ごめんよ。俺は……俺は……!」
往人の首筋に暖かい水が伝う。当然、クリスだって生きたいのだ。こんな薄暗い部屋に閉じ込められ、血なまぐさい戦いに巻き込まれ、挙句に訳もわからないまま殺される。
そんなこと受け入れられるはずがないのだ。
この暖かさはクリスの生きたいという想い。それを感じた往人は覚悟を決めた。もう決して迷うことはなかった。
「俺はクリスを連れていく。ここで二人と戦うことになっても、俺はこの子を護る。俺が本当に勇者だと言うのなら、命を見捨てるようなことはしない!」
「ダーリン……」
「そうか………その言葉、本当だな?」
一歩。アイリスが往人へと歩み寄り、腰から下げた鞘から剣を抜く。普段使う方ではなく、彼女にとって切り札である『聖剣』を。
「ちょっと!? アナタ、本気?」
当然、リリムスは驚き制止しようとする。だが、それを止めたのは往人だった。
「リリムス! いいんだ。本気のアイリスにだって勝てなきゃ、クリスを護りながら戦うのは不可能だ」
「いい覚悟だ。ならば遠慮はしない」
エクスカリバーを眼前構えるアイリス。
対峙して初めて分かる彼女の強さ。たとえ剣を交えていなくとも、その威圧感で押しつぶされそうになる。
「それでも……!!」
「はあああ!!!」
一閃。アイリスは迷うことなく、全力でエクスカリバーを真一文字に振り下ろす。
しかし、往人は決して目をつぶらずその太刀筋を睨みつける。一陣の風が往人の髪をなびかせた。
「よく躱さなかったな」
「クリスを護るって言ったから」
アイリスが『聖剣』を収める。それは往人の覚悟が掴んだ勝利でもあった。