122話 ヒューマン――The_New_Standard part5
往人たち三人の前に立つのは、四〇代ほどに見える男だった。白髪交じりの長い髪を後ろでまとめ、痩せた体に白衣を纏う姿は聞かれなくとも誰なのか予想が付く。
「お前が博士って奴か」
「クリスから聞いたのですね。まったく、まともに役割もこなせないとは……失敗作だからかな?」
それなりに端正な顔の上にかかる眼鏡をクイと直しながら、せせら笑う博士。その態度は往人を怒らせるのに十分だった。
「てめぇ!!」
往人は拳を握りしめ駆けだす。博士までの距離は近い、明らかに肉体派ではない彼へなら確実に拳は届く。
しかし、博士へと真っ直ぐ突き出された拳はまるで鉄でも殴ったかのような衝撃を往人へと返し、その人を見下したようなせせら笑いを崩すことは叶わなかった。
「っ!? なんだ……?」
血の滲む拳を押さえながら往人は博士を睨みつける。すると、ゆらゆらと博士の体が歪み始め、徐々にその前に何かが現れる。
「プロフェッサーに手出しはさせません」
立っていたのはクリスだった。いや、よく見るとクリスとは違う少女、とても良く似ていたが背はこちらの方が高く一六〇センチ以上はあるだろうか。
それに瞳の色も瑠璃色ではなく澄んだ橙色をしていた。
サファイアブルーの髪をかき上げながら往人を睨みつける少女。彼女の前には半透明の障壁が展開されている。
恐らくはずっと博士の前で待機していたのだろう。その身を守る盾として。
「流石はクオーツ、見事な仕事だ」
「そいつも強化人間なのか」
往人の言葉を、呆れたように首を振りながら否定をする博士。
「後天的に強化された兵士とは違う。クオーツは受精卵の段階から遺伝子を改造して造られた、まさに新人類だ」
――ギャリリリリ!!!!
アイリスの炎剣がクオーツの障壁とぶつかり合い、激しい火花を散らす。
「貴様! それがどういうことか分かってるのか!」
「遺伝子を弄ることは、生命への冒涜。それは大いなる禁忌のはずよぉ」
リリムスも怒りの表情を露わにして杖先から火球を放つ。
しかし、それすらも障壁で受けきるクオーツを見て、勝ち誇ったような表情を浮かべる博士。
「禁忌、ねぇ。それが一体なんだというのですか? 見なさい、この圧倒的な性能を。人類が天族も魔族も超える力を手にしたのですよ」
その言葉通り、クオーツの姿が二人の前から消える。
「透明化か!」
「だとしても!」
二人が身構えた瞬間、リリムスは中段蹴りで壁へと叩きつけられ、アイリスは腕を掴まれ床に組み伏せられていた。
「アイリス! リリムス!」
往人は剣を抜き、クオーツへと足を動かそうとした。
「待て!」
しかし、その足はアイリスの声で急制動をかけられた。
その刹那、往人の目の前を雷撃が降り注いだ。アイリスが止めてくれなければ丸焦げになっていただろう。
「おやおや、運のいいお人だ」
いつの間にか背後に回っていた博士が言う。ゆっくりと歩きながら恐怖でうずくまるクリスの前に立つ博士。
「クリス」
その声はクオーツに向けられるものとはまるで違う、恐ろしく冷たい声音だった。
「……ハカセ」
パン! と乾いた音が薄暗い小部屋に響く。
頬を赤くしたクリスが、それでも涙を零すまいと唇を噛みしめ震えている。
「やめろ!」
「仲間が死にますが?」
クオーツがアイリスの首元にギラリと光るナイフを突きつける。これでは身動きを取ることが出来ない。
見ていることしか出来ない状況に、往人は拳を握りしめる。
「クリス、なぜ奴らを拘束していない? 侵入者はお前の力で拘束するよう命じたはずだ」
「……ごめんなさい」
また乾いた音が小部屋に響く。
「私は拘束していない理由を聞いたんだ。謝れとは言っていない」
「……動けないのが辛そうだったからです」
ふるふると小さな体を震わせ、消えそうな声で答えを絞り出すクリス。
まるで汚い物でも見るかのような視線を向け、もう一度そんな彼女を張り倒すと呆れたように言う。
「何をつまらないことを……やはり失敗作か。もういい、クオーツ! まとめて処分なさい」
言われたクオーツがアイリスへ向けナイフを突き立てようとしたそのときだった。
炎の渦がアイリスの背中を掠めながら通過する。
跳んで躱したクオーツが渦が放たれた方向へと視線を向ける。杖を構えたリリムスが不敵に笑っていた。
「勝手に終わらせないでもらいたいわぁ」