106話 魂熱きノットマイスター part5
陽が昇り始め、空も白んできた頃。
往人が小さく呻き声をあげた。
「う……」
全身に針で突き刺されたような激痛が走る。息をするだけでも、凄まじい負担がかかり体力が削られていく。
「俺……一体?」
それでも、苦痛に顔を歪ませながらゆっくりと立ち上がる。
覚えているのは、ウートガルザへと拳を叩き込んだ事。そして視界が暗転する直前、アイリスとリリムスの姿を見たような気がすることだった。
「ダーリンっ!! 目が覚めたのねぇ!」
「がっ……!!」
不意に抱きしめられた衝撃に、全身がバラバラになりそうなほどの痛みを感じる往人。危うく、もう一度真っ暗闇の中に落ちていくところだった。
「あら? いけない……ゴメンなさい、ダーリン……」
「いや……構わないが……」
ギリギリで意識を繋ぎ、申し訳なさそうにするリリムスを宥める。それでも、地べたにへたり込んでしまう。
「無理をするな。一人で天族と戦ったんだ。生きていられるのが不思議なほどだ」
アイリスが優しく抱きとめ、無事かどうか顔を覗き込む。その彼女の目の下には大きなクマがあり、ずっと起きていたことを知らせている。
もちろん、それはリリムスも同様であった。
「そうよぉ、まさか一人で立ち向かうなんてムチャするとはねぇ。そのうえ勝っちゃうなんて……一体何をしたのぉ?」
「それは私も聞きたいな。異界人ではあるが、キミは人間だ。だのに、ウートガルザを下すとは俄かには信じられない」
往人の特異性は二人も理解はしている。行動を共にし、普通の人間とは違う、選ばれた者だということは分かってきた。
それでも、『天族』を単独で撃破するのは異常を通り越して『異質』でさえあった。
大きく弱体化している今の二人から見ても、往人はまだまだ未熟。剣術も魔法も素人に毛が生えた程度、とても『天族』と渡り合えるとは思えなかった。
「ねぇ、戦っている途中に意識を失ったりしなかったかしらぁ?」
「え? そんなことはないよ。最後に、ウートガルザを殴ったあのすぐ後だけさ」
リリムスには一つだけ心当たりがあった。
それは人形との戦いのなか、往人の体を乗っ取って現れた謎の存在。
圧倒的な力で人形を仕留めて見せたあの実力なら、『天族』を単独で撃破できてもおかしくはなかったのだが。
「そう、それならいいわぁ」
「うん? それよりもユキト、これだけの戦いをするのに、魔力は一体どうしたんだ? 一人ではそうそう都合もつかないだろうに」
「多分……俺の中の魔導書が」
往人自身にも確証があるわけではない。だが、あれだけ強力かつ、心に訴えかけてくるような力は『魔導書』以外に、往人には思いつかなかった。
それは、当然アイリスにも予想がついていたのだろう。
そうか、とだけ言って、往人には体を休めるように促す。
「キミが回復次第、この島を離れる。派手に動き過ぎた。ウートガルザもいない今、追われるのはマズい」
「そうねぇ、あのオトコの張っていた干渉遮断障壁もその効力を失っているでしょうし、あまり猶予はないわねぇ」
そう言いながら、リリムスはボロボロの往人にそっと寄り添う。
「あの……リリムスさん? 一体何を……」
「うん? 簡単よぉ、ダーリンが早く治るように、より強力な魔法を使おうと思うのぉ」
そう言いながら迫る彼女の瞳は、まるで得物を前にした猛獣のように獰猛さが光っている。
「……そう、でも近くない?」
「照れてるのぉ? 大丈夫よぉ、痛くないから」
とてもそうは思えず、往人はもう一人へと助けを求める。
「アイリス……何とかしてくれ。いつもなら、諫めるところだろ?」
往人は、アイリスの一喝を期待を込めた瞳で望んだ。
「すまんな、時間がないのは事実だ。ここは我慢してくれ」
その言葉と共に、往人は蛇に飲み込まれる蛙の気持ちが理解できたような気がしたのだった。