人と竜の永遠
あたしの村には竜神の伝承がある。
「いい? 北の森に行ってはダメよ。もし入ってしまったとしても、絶対に深くまで行かないようにね」
ママは度々あたしにそんなことを言った。
これで何度目なんだか、とため息をつきたい気持ちを押さえてあたしは素直を装う。
「うん、わかってるよ」
ならいいけど、とママは呟き、畑仕事に行ってしまった。
この村の北にある森のずうっと奥深くには竜神が封印されているらしい。なんでも昔は神様として奉られていたらしいんだけど、ある時大きな竜に変身して暴れまわって、そのときちょうど村に滞在してた旅の術師によって封じ込められたんだって。
竜がほんとに恐ろしかったから、村人たちはそれ以降北の森には近寄らなくなったみたい。
ママはおばあちゃんから。おばあちゃんはひいおばあちゃんから。何代にもわたって語り継がれてきたその言い伝えは、いまだこの村に根強く残ってる。
……いや、本当のところ、今となっては本気で竜神の存在を信じている人は誰もいないんだけどね。ただ『北の森は危険だ』という話が、この村では常識となっているだけ。
あたしももう11だ。竜神の存在なんて信じてない――というのは嘘。
小さいころから、竜神のことが気になって気になってしょうがなかった。
どんな見た目なんだろう。大きいのかな。それとも小さいのかな。竜に変身できるってほんとかな。言葉は通じるのかな。
会いたい。
会って、できれば友達になりたい。
なぜって?
だって竜神なんて、他に絶対いないもん!
あたしの心は昔から好奇心でいっぱいだった。
今まで見たことのないものをたくさん見てみたい。それが誰も見たことないようなものなら最高だ。
落ちてる石をひっくり返してその裏に潜む虫を見つけるのが小さいころから大好きだった。
だからあたしは決めたのだ。
ずっと前から準備してた。家族や村の人たちが寝る時間や起きる時間を計算して、『決行』に最適な日を考えていた。
そしてそれは今日だ。村で毎年開かれる祭りの夜。騒ぎ疲れ、後片付けで疲れ、村全体が深く眠る日。去年もおととしもそうだった。祭りの次の朝はみんな起きるのが遅くなる。だからこそ今日ははしゃいだりせず体力を温存した。かんぺき。
ついに今日の夜、あたしは竜神に会いに行く。
自室をこっそり抜け出し、廊下をゆっくり歩く。
木造だから音が出ないようにそろりそろりと。気を抜くとギシギシ床が軋んじゃう。
背負ったリュックの中にはランタンとパンとミルクの入ったビン。
真夜中だし、パパもママもそうそう起きては来ないはず。
早く竜神を見たいという好奇心と、『わるいことをしている』という背徳感にどくどく言ってる心臓の音が、願わくば誰にもに聞こえませんように。
村は静まり返っていた。
まるで村自体が眠ってしまっているよう。
見上げると満点の星空。あまりのまばゆさに少しくらくらした。
じぶんの部屋の窓から見える区切られた空よりずっとずっとキレイ。
これだけでも抜け出してよかったかも、なんて。
「だめだめ、行かなきゃ」
夜は確かに長いけれど、でもけっして永遠じゃない。
朝になればお日様は顔を出すし、ママたちも起きてくる。それまでには戻らないと。
森の入り口は思ったより近かった。
『危険』と赤い塗料で書かれた看板が立てられてる。だがこんなものであたしの進軍は止められないのだ。
サク、と草を踏みしめる音とともに森に一歩踏み入る。月明かりと星明かりだけでは入口から三歩ぶんほどしか足元が見えない。それほどに木々が生い茂ってた。
「おもったより暗い……」
さすがにちょっとこわい。
リュックからランタンを取り出し、明かりをつけると、想像の何倍も明るくてびっくり。
村の方から見えてしまわないかと思い振り返ってみると、思っていたより村が遠くに見えて安堵の息を口から吐いた。
「よし、しゅっぱーつ……」
そう意気込むも、なぜか声をひそめてしまうのだった。
あれから何分たった? それとも何時間?
いつしか時間の感覚は無くなっていた。
深い森では同じような木ばかりで方向感覚が狂うって前読んだ本に書いてあったなあ。コンパスくらい持ってくればよかった。家に無かったから諦めちゃった。
ふうふうと荒い息をつき、だるくなってしまった足を引きずるように歩く。足の裏がすごく痛い。
「もう歩けない……しんどい」
リュックの中からパンとミルクのビンを取り出す。ちょっとお腹が空いた。
ふと、いつもならとっくに寝てるはずなんだな、と非現実感。
パンを一口かじる。小麦の味と香りが口の中に広がった。あまりおいしいとは思えない。ジャムが欲しい。ぱさぱさを洗い流すようにミルクをごくごくと飲む。気づかないうちにかなり喉が渇いていたみたいで、一気に飲み干してしまっていた。
光を求めて見上げてみても、枝と葉の屋根に遮られて星空は見えない。
これからどうしよう。
竜神を見つけるにも帰るにも方向が分からないし、このままここでうずくまっているしかないのだろうか。
そうしたらそのうち朝になって……たぶんパパとママが、あたしのいないことに気付くと思う。その後は村の人みんなに知れ渡って、探しに来てくれるかも。きっとすごく叱られるだろうな。嫌だな。
でも、見つけてもらえなかったら?
このままあたしはずっとここでひとり。右も左も、入口も出口もわからないまま、ずっとこの森をさまようことになるのかな。
思わず身体がぶるりと震える。
「こわくない、こわくない」
そんなことを思いながらも。
のんきなことにあたしは、疲れに負けていつしか意識を闇に落としていた。
こういうところが、パパによく「お前は危機感に欠ける」って言われる理由なんだろうな。
――――――――…………。……きろ。おい、起きんか娘よ。
「んあ」
古い木の香りがした。
横たわった身体をゆっくりと起こし、あたりを見回す。
小屋のような場所だった。壁も天井も木製で、部屋の四隅に設置されたろうそくでほんのり明るかった。
でもどうして?
あたしは森の中にいたはずなのに。
「おい」
「ぎゃあ!」
突然後ろから声をかけられるとびっくりするでしょ!
思わず後ろを振り向くと、そこには知らない人がいた。
いや、本当に人?
疑問に思ったのは、そこにいた人があまりにも美しかったからだ。
目は二つ。鼻と口が一つ。頭からは髪の毛が生えていて、腕が二本に足も二本。
あたしと同じなのはそれくらいだった。
紅い宝石みたいな瞳。筋の通った鼻。つやつやした唇。長く美しい銀髪に、すらりと伸びた手足。真っ白な、このあたりでは見ないような丈の長い服を着ている。
何秒ほどぽかんと口を開けたままだっただろうか。
「おい、何を呆けておる」
ぶっきらぼうな口調なのに、その声がどうしようもなく綺麗で、途端に我に返った。
この人は。目の前で床にどっしりと座り込んでいるこの人は――――。
「竜神、さま?」
「……そうか。まだわしは忘れられてなかったか」
美しすぎて畏れすら感じるその人物は、少しだけ悲しそうに笑った。
「あの、ここってどこなんですか? あたしは森の中にいたはずなんですけど……」
自然とかしこまった言葉遣いになる。目の前にいる人が纏う、超然とした雰囲気があたしにそうさせた。
「ここはわしの家じゃ」
「家? それにしては殺風景な……」
「失礼じゃな娘っ子」
しまった。口調は正されても思ったことがすぐ口に出る癖は治らなかった。
じとー、と赤い瞳でしばらくあたしを睨んでいた竜神さまだったが、まあよい、と呟いた。
「さて、そろそろ出て行ってもらおうか」
「え? やだ!」
せっかく会えたのにそんなのもったいなさすぎる。知りたいことも聞きたいこともたくさんあるのに!
「やだではない。こんな所まで来おってからに……たまにおるんじゃよな、こういう面倒な輩が」
そう言うと竜神さまはおもむろに手をあたしに見せつけるように掲げた。不思議に思って見ていると、いきなりその手の表面が銀色のウロコに覆われ、爪も鋭く伸びる。それはまさに竜の手だった。
ウロコは見る角度によって色が変わって、まるで虹みたいだとあたしはのんきに思った。とてもきれいだ。
そんなことを思っていると、ひゅう、と風を切る音がした。
遅れて頬にちくりと痛みが走る。思わず手を添えてみると、ぬるりとした感触。
指先を赤く染める液体を見て、竜の爪で頬を薄く切られたのだ、と自覚した。
「ひぅっ」
「恐ろしいじゃろ。わかったらここから出ていけ。さもないと――――」
「か、帰り道がわかりません! あたし迷子ですごめんなさい!」
正直に言った。
目の前にいる竜神さまもこわいと言えばこわいけど、またあの森の中をひとりでさまようことになる方がよっぽどこわいもん。
「あーーーーーーー…………そういえば倒れてるところを連れて来てしまったんじゃった……はあ、気まぐれで散歩なんてするもんじゃないのう」
何やらぶつぶつ。竜神さまも困ったりとかするんだ。
「わかった。ではこうじゃ」
すっ、と竜に変わってない方の手であたしの顔をわしづかむ竜神さま。痛くはないけどやめてほしい。前が見えない。
「目が覚めたらお前は家に戻っているじゃろう。これに懲りたら変な好奇心は起こさんようにな」
ちょっと待って。
なにがなんだかわからないけど、これで終わりみたいな雰囲気を感じる。
だめだめだめだめせっかく会えたのに、まだやりたいことが……あれ?
あたし、竜神さまを見つけて、それで……なにがしたかったんだろう。
「でないと――――恐ろしい竜に喰われてしまうよ」
最後に聞こえたその声は、あたしにはなぜか、どうしようもなく優しいものに聞こえた。
ちゅんちゅんとさえずる鳥の声で目が覚めた。
「んん……」
ゆっくりと起き上がり、目元を擦る。まだ目蓋がすごく重かった。全身がだるい。
なんだかすごく疲れているような気がした。
昨日は、何してたんだっけ。確か……あれ?
お祭りがあって、それで……。
考えを巡らせていると、それを断ち切るようにコンコンと自室のドアをノックする音。
「ちょっと、起きてる? 朝ごはんできてるわよ」
ママだ。
早く行かないと。
「はーい、いま行くよ」
重い身体を何とか動かしてベッドから降りる。
と、足に何かがぶつかった。
「んっ、と。なに、リュック……?」
そうだ、昨夜これに何かを入れてたんだ。なんで忘れてたんだろう。
中を見てみると、かじりかけのパンに、空になったビン。それと、燃料が無くなったランタンがあった。
あれ? なんでこんなものが……あ。
「……竜神さま」
全部思い出した。
わしは竜神である。名前は忘れた。
いやいや竜神さま、自分の名前を忘れるなんてあるわけないじゃないですか、などと言う不届きモンがおるかもしれんので言っておくが、人間たちが長く生きると自分の年齢や誕生日を忘れてしまうように、わしもまた長い年月を過ごすうちに自分の名前を忘れてしまったというだけじゃ。
誰もわしの名前を呼ばんのに、どうして覚えていられるというのか。
「ああ、暇じゃ……」
社の床に寝転びつつ、もう何万回繰り返したかわからない台詞を漏らす。
この森には何もない。それに出られるわけでもない。だからこうしてここでなにをすることもなく過ごすしかない。たまに森に散歩に出かけることはあるが、正直飽きた。
あくびが出る。長命というのも不便じゃな。さっさと死ねたらいいんじゃけど――――
ばん。
突然入り口の扉が開いた。
「……いきなり人の住処に入るとはどういう……!」
反射的に怒声をあげようとして止まった。
その扉を開けた人物に見覚えがあった。
幼い顔立ちに長めの髪。背負った大きなカバンが身の丈にあっておらん。
「また会えた、竜神さま!」
昨日の晩にあったばかりとのその娘っ子は、顔いっぱいに笑顔を広げた。
「お前、どうしてここに……というかどうやって」
「どうして、はもう一回会いたかったから! どうやって、は気合と根性!」
「いや答えになっておらんが」
頭が痛い。
子どもってこんなに会話が成立しないもんじゃっけ?
前者は……一度置いておくとして。後者はどうにも納得いかん。
この森は昔『迷宮の森』と呼ばれておった。
入ったものは迷いに迷って出られなくなる、危険な森だと。
わしも最初の頃は散歩にでかけて帰れなくなったことが――ごほん、まあそれはいい。
「この森で迷わずここに来られるやつはおらん。実際お前も昨日迷っておったじゃろ。もう一度聞くが、どうやってここまで来たのじゃ?」
「ふふん、それはですね…………」
得意げに胸を張って娘っ子は話し始めた。
まず、ここら一帯の地図を買ったという。
「結構高かったです。本屋のおばあちゃん、頑固だから値切っても聞いてくれなくて」
次に、縮尺を図ったらしい。
自分の歩幅を使って、村の端から端まで歩いたのだと娘っ子は言う。
「畑仕事してる村の人に変な目で見られちゃいました」
縮尺がわかったら、次はこの森のサイズを計算したそうだ。
入り口からまっすぐ突っ切ると、何歩で反対側に出るか、など。
最後は実際に森に入って、地面や木の幹に印を付けつつこの社を目指した――ということらしい。
「いやいや、そもそもこの社の位置をお前は知らんかったじゃろ? それなのにどうやってここが……」
「勘です」
「か、勘?」
思わず素っ頓狂な声を出してしまったわしに、娘っ子は笑顔で頷く。
「大事な場所だから真ん中に作られてるんじゃないかなってアタリを付けて……あとはとにかくそこを目指しました」
「……………………いやいや」
どうやら、こいつはとんでもないやつらしい。
仮に思いついたとして、実行するか? 普通。
「お前、面白い奴じゃな」
「えへへ、そう? ……じゃない、そうですか?」
「かしこまらんで良い」
「わーい」
諸手を挙げて喜ぶ娘っ子に、わしは不思議な感情を覚えていた。
乾いた大地に水が染み込むような、そんな感覚。
こんなもの、いつ以来じゃろうか。
「で? そこまでして、どうしてこんなところまで来たんじゃ」
「……だってあたしの村、なにもないから」
「何も無い?」
「うん。どこもかしこも畑ばっか。見渡す限りの野菜にお芋。本屋はあるけど商品少ないし、というかだいたい読んだことあるし。わたしと同年代の子もいないし」
それは……確かに、この年頃には辛いじゃろう。
何も無い。詰まらない。やることといえば畑仕事くらい。
子どもだから閉塞した村から出ることも出来ない。
だから、わしに会いに来たのか。
「そうか……」
「最初は好奇心だったんだけど、その、竜神さまがすっごくきれいで……」
「森は危ないから来るな……と言っても聞かんのじゃろうな」
「うん、何度でも来る! 友達になりたいから!」
……友達、か。
そんな言葉を聞くのはいつ以来じゃったかな。
それから娘っ子は毎晩のようにわしのところへ通った。
こんな森の中までよく来るもんじゃと感心した。それだけ退屈だったんじゃろうな。
わしらは何をするでもなく過ごした。とりとめのない話をしたり、話すことすらなくただ一緒にいるだけだったり。
今までと大きくなにかが変わるわけではない。しかしわしは楽しかった。満たされていた。自分以外の者と関わるのがこんなにも退屈を忘れさせてくれるのか、と驚いた。
「ていうかお前はわしが怖くないのか? 竜神なんじゃけど、わし」
「えー? 怖くないよ、優しいもん。それにこうして見てるとものすごい美人さんくらいにしか思えないし。ほんとに竜神さまなの? ってくらい」
こいつ……だんだん遠慮がなくなってきたな。今もごろごろしながら持ち込んだ本を読んでおるし。
「いや前見せたじゃろ。ほれ」
手に鱗を纏わせ爪を伸ばす。どこからどう見ても人間の手ではない。
竜神の手だ。
「あ、たしかに。こうしてると忘れそうになるね」
「お前、わしが怖くないのか?」
「怖くないよ。だって竜神さまが怖い人だったら初対面であたし死んでるもん」
それはそうじゃな。
わしはこいつに何をするでもなく帰したんじゃった……いや、すこし脅かすようなことはしたが。
こいつはそれでもここに来た。変なやつじゃな。
「だから――昔暴れまわったとか言うのも嘘なんじゃない?」
「……………………」
正直驚いた。
と同時に、こいつならそう思うか、と腑に落ちた。
ここまで関わればわしの人となりも少しは分かってくる。ならそう思うことも不自然ではない、か。
「むかーしの話じゃけどな。この村に滞在していた悪い術士……あいつがわしに竜の呪いをかけたんじゃ」
「え…………」
「暴れたというのも其奴の嘘。怪しい術で火を放っただけじゃ。その後はその術士が村人に協力を仰いでわしをこの森に封印して……という感じじゃったかな」
笑顔で近づいてきたかと思えば、他人を弄んで楽しむような人間じゃった。
今思えばどうでもいいことじゃ。
そういう人間も世の中にはいた、という話。
なんてノスタルジーに浸っていると、
「許せない」
「おいおい、どこ行くつもりなんじゃ」
「その術士、ぶっ飛ばしてやる!」
肩を震わせながら立ち上がった娘っ子は、本気で怒っているように見えた。
それはわしが失ってしまった感情じゃ。長い時間の中で、そういった激しい感情は風化してしまった。
だから少し羨ましい。そして……嬉しい。わしの代わりに怒ってくれる者がいるという、それだけのことが。
「あほか、何年前のことだと思っとる」
「う……で、でも……うう~!」
だんだんと地団駄を踏む娘っ子を見ていると、なんだか和やかな気持ちになってくる。
と、同時にいい事を思いついた。
「おいお前、ちょっと表に出ろ」
「へ?」
社の外は月明かりによってスポットライトのように照らされている。
この周辺だけ木々が無いからじゃ。
「ちょっと離れておれ」
「う、うん」
手でしっしっと娘っ子を遠ざける。
……久しぶりじゃが、まあ大丈夫じゃろ。
「かあッ!」
でかい風船に空気を注入するようなイメージで全身に力を込める。
すると身体中に鱗が生える。手足の爪が伸びる。それだけではない、身体全体がどんどん大きくなっていく。
「あわわ……」
実に数秒で変身は終わった。
長い首、鋭い角。大きく裂けた口からずらりと見えるノコギリのような牙。
巨大なトカゲのような身体を銀色の鱗がびっしりと覆っている。しなる尾が地面を叩いた。大きな翼を馴らすように羽ばたかせた。
「竜だ……」
ぽかんと口を開けた娘っ子がこちらを見上げている。
まあ目の前で竜に変身されたらそりゃ驚くじゃろうな。でかいし。
「乗れ」
「え?」
「乗れ。飛ぶぞ」
「ええーっ! 飛ぶの!? 飛べるの!?」
嬉しいのか、ぴょんぴょんとそこら中跳ね回ったと思えばわしの身体によじ登り始める。
落ち着きのないやつじゃな。
地面を掴む足に力をこめる。翼の付け根に集中し――一気に飛び上がる。
「つかまっとれよ!」
「わああああ!」
宙に浮く。
翼が風をはらみ、どんどん高度を上げる。
あっという間に森の高さを超え、夜空へと。
「森からは出られんが、上になら別じゃ。高く飛ぶだけならどこまでも行ける」
「すごいっ、すごいっ、すごおおおおいっ!」
背中でこれでもかと娘っ子がはしゃいでいるのがわかる。
まあ、そうじゃろうな。空を飛ぶことなんぞ人間には逆立ちしても無理じゃ。
「……星の海にいるみたい」
見渡す限りの夜空に散りばめられた無数の星々。
頭上に輝く月。地平線まで真っ暗なのに、空だけが輝いている。
「喜んでくれたか。それなら竜になったかいがあったもんじゃ」
はっはっは、と笑う。
火でも噴いてやろうかと思ったが、流石に目立ちすぎるか。
「あたしね、村を出ようと思ってたんだ」
「……それは」
まあ、そうなるじゃろうな、とは思っておった。
こいつのような好奇心旺盛なやつが田舎村にとどまっているとは思えん。
だからいつかは都にでるじゃろう、と。
「でもいいや。だって竜神さまがいるもん」
「おいおい。いいのか」
「いいの」
少しだけ温かい感触。
娘っ子がわしの背中に抱きついているんじゃろう。
「ああ、気持ちいいなあ。ずっとこうしてたいなあ」
「はは、無理じゃろ。人間は短命じゃからな」
「む、そんなことないもん! 一緒にいたいって思ってればずっと一緒なんだからね! お母さんが言ってたもん」
それは……まあ、幻想を壊したくなかったんじゃろうな。
寿命でなくても人間は別れる。些細な諍いや価値観の違い、時間によって想いが風化することもある。
ただそんなことを幼い子どもには言えんじゃろうし、言うべきではない。
「竜神さまはあたしといっしょにいたい? あたしはずっといっしょがいいよ」
……残酷なことを言う。
わしらは生きる時間が違う。
これから数十年しか生きられん娘っ子と、いつ死ねるかもわからんわし。
離別はすでに決定づけられている。
だから――――
「だからね、竜神さま。あたしのこと、ずっとずっと忘れないでね」
……そうか……。
この子にはもうわかっているのだ。
誰に聞くでもなく、自分でそれを知っている。
たとえいつか自分が死んでも、記憶に残ればその中で生きていられるのだと。ずっと一緒にいられるのだと。
「……ふん、仕方ないな」
重すぎる荷物だが背負ってやろう。
こいつが死んでも、ずっと忘れないでいてやろう。
この娘っ子がわしに会いに来たあのときを焼き付けて。
「あたしも、いつまでも覚えてるからね」
降るような星海の中、人と竜は永遠を誓う。