一歩近づく(ロイン編)
朝日と夕日の出番が終われば最後は月の番。
夜を思わせる彼と過ごす時間はいつの間にか一番リラックス出来る時間になっていた。
「俺の武器?」
「うん。私は武器って使えないしみんなどうやって戦ってるのか気になって」
いつも通り最後のお客さんとして訪れたロインと二人でご飯を食べながら、最近なんとなく気になっていた疑問をぶつける。
店の入り口を閉め、食堂のテーブルに向かい合って座るいつもの空間。
叔父さんが旅に出るのは圧倒的に夜からが多い。
早く旅に出たい叔父さんは、もう後はロインが来るだけの状況になると私に店を任せてさっさと旅立ってしまう事が多々ある。
正直叔父さんと二人でご飯を食べる回数よりもロインと二人で食べる回数の方が倍近く多い。
ロインの方もこの状況に慣れきっており、二人で夕飯を食べるのはもう日常の一部分になっていた。
「ロインは特に何も持たずにダンジョンに来るよね。」
店に来る人はジェーンやヴァイスさんの様に武器を抱えてくる人もいれば、あの人魚の奥さんの様に魔法攻撃主体の人もいる。
ルストは自分の爪を変化させると言っていたし、サーラは自分の種族独特の戦い方だ。
ロインもルストのように自分の体を武器化させて戦うんだろうか?
「俺は血液を変化させられるからな。」
彼が手の平を上に向ければ、その上にどこからか血が集まりだし剣の形へと変化していく。
ポトリと手の上に落ちた真っ赤な剣はしっかりと質量を持っているように見えた。
「うわ、すごいね!」
「好きに形を変えられるから特に自分では武器は持ち込まない。大体こうやって剣の形にしている事が多いが」
そういったロインが手を剣ごと握れば、まるで何事も無かったかのように剣が空中に溶けて消えてしまった。
「出すのも消すのも自由なんだね」
「ああ、だから身一つで問題ない」
いいなあ、と素直に思う。
私も画材を体内から自由に出し入れ出来ればいいのに。
休みの日にバルコニーからの風景を描く事は多いが、遠出して別の景色も描いてみたいのも確かだ。
イーゼルやらキャンバスやらが大きいし、絵の具なんかも色をいっぱい持って行こうとすればかなり嵩張ってしまう。
結局引きこもりの様に同じ景色を描いているので、ロインの能力は割と本気で羨ましい。
「貧血になったりしないの?」
「無いな、そもそも吸血鬼が貧血になったらそれは命の危機だと思うが」
「ああ、それはそうだね」
本日の夕飯であるインゲンの肉巻きを頬張り、モグモグと口を動かすロインを見つめる。
この人普通にニンニクたっぷりの料理も食べるし、太陽に当たっても溶けないらしいので普段はあまり吸血鬼だという事を特別に意識したりはしない。
話題には出すし理解もしているつもりだが時々こういう風に私とは体の作りが違うんだな、なんて思う事がある。
「あ、魔法は使えるの?」
「ああ、闇系と氷系の魔法なら使えるが」
「……似合うね」
「そうか?」
ヴァイスさんの光魔法もイメージぴったりだったけど、ロインの闇、氷魔法もすごく似合ってる気がする。
「やっぱりみんな魔法が使えるんだね。羨ましい」
今日何度目かの発言だけど本当に羨ましい。
せっかくこんなファンタジーの世界に来たんだし一度くらい魔法を使ってみたかった。
「アヤネも魔力はあるだろう?」
「魔力があっても使えないんだよね。友達のダークエルフの子が言うには魔力もあるしちゃんと集められてるけど、それを魔法として放出するための穴が無い感じなんだって」
「……ダークエルフが言うなら間違いは無いんだろうが、そんな事があるんだな」
今日何度目かの自分の体質の説明をすれば、意外そうな表情で返事が返って来た。
魔王の幹部まで務めた吸血鬼にとっても私の体質は珍しいものらしい。
「私もちょっと魔法使ってみたいなあ。叔父さんは使えるのかな?」
「タケルか?そういえば使っているのを見た事は無いな」
「まあ、叔父さんは魔法使う前に体が動きそうだけど」
「そうだな、魔力を集めるための集中なんかは好きではなさそうだ」
脳裏に細かい事は全て笑い飛ばして勢いでどうにかする叔父の姿が浮かぶ。
おそらくロインも似たような事を想像しているんだろう。
なんとなく二人して渋い顔になりながら食後のお茶を飲む。
フッと食堂の電気が消えたのはそんな時だった。
食堂どころかキッチンの方の電気もすべて消え、薄っすらとロインの顔が見えるくらいの暗闇に包まれる。
「あれ、停電?」
「照明への魔力供給が途切れたのかもしれんな。大体すぐに回復する」
「そうなの?」
普段なら大きな窓から三つ分の月明かりが入って来るので、電気が消えても結構明るいのだが今日はあいにく朧月夜というやつだ。
薄っすらとしか入ってこない月明かりでは十分な視界を確保できない。
不意に前に座るロインが動いた気配がしてそちらを見れば、胸元につけている薔薇をテーブルの上に置いている所だった。
ロインが茎の部分を握った一瞬後、柔らかな光が薔薇から発せられた。
赤い薔薇がテーブルの上で美しく光り輝いている。
「明かり代わりにはなるだろう」
「え、え? すごい、綺麗……」
本物の薔薇がライトの代わりになるなんて考えた事も無かった。
テーブルの中心で薔薇から発せられる光が辺りにぼんやりと広がり、その光に照らされたロインの赤い目がキラキラと光を反射している。
幻想的、というのはこういう光景の事を言うんだろう。
「これも魔法?」
「いや、この薔薇がそういう種類なんだ。闇属性の魔力を吸収して光を発する。」
「へえ……」
あまりにも私が薔薇を見つめているからだろうか、ロインが苦笑しながら声をかけてくる。
「気に入ったのか?」
「うん、すごく綺麗」
「……俺の魔力が回復していればもう少し強い光が出るんだがな」
小さく呟いた彼の言葉が薔薇に照らされた空間にポツリと落ちる。
「え、魔力回復してないの? 血で回復するんだよね、いつも貰ってるって言ってた輸血用の血液は?」
「ん、ああ。ちょうど大きな事故があったらしくて残りが少なかったからな。魔法が使えないだけで戦いは可能だから断った」
「ええ……でも大丈夫なの?」
「多少苦戦はするが死にはしない」
さらりと言うロインに驚きで顔が引きつる。
死にはしないって怪我したりはするんだろうに。
この世界で戦いに慣れている彼らは意外と死ななければいい、くらいには怪我を気にしない。
ジェーンやサーラもそんな感じなので私はハラハラしてばかりだ。
仲の良い彼らが怪我をしているのを見るのは辛いし、そこから万が一を想像してしまって不安になってしまう。
しれっとした顔で薔薇の方を見つめているロインの顔を見て、ふとある事を思い立った。
血液三口分もあれば魔力って回復するって言ってたよね、三口くらいなら……いやいや、流石にそれはちょっと、いやでも……正直三口くらいなら私が提供しても良いかな、と思わなくもない。
それでロインの魔力が回復すれば彼の怪我の可能性も減るし。
痛みもほとんど無いと言っていたし、ロインなら私を吸血鬼にしようとは思わないだろう。
一番の問題はこの美形に自分が噛まれるという状況だ。ある意味拷問だよ。
ああ、でも怪我されたり万が一彼が死んでしまったらそれこそ嫌だ。
「ああー、もう!」
いきなり声をあげた私に驚いたのかロインの視線が薔薇から私へと移動する。
「どうした?」
不思議そうに聞いてくるロインの顔を見ないように机に突っ伏して声を絞り出す。
「あのさ、私は出来れば貴方が怪我をする所は見たくないんだよね。だから貴方には普通に万全の状態でダンジョンに行ってほしいと思ってる」
「魔法が使えないだけだ、血液の変化は可能だから普通に戦えるぞ」
「でも戦う手段が一つ減るよね?」
「まあそうだな」
ああ、言いにくい、むしろ断られるかもしれない。
いや、それはそれでショックだな、なんて思いながら重い口を開く。
「いいよ三口くらい、私があげるよ」
ロインが驚いたように固まったのが雰囲気でわかる。
言ってしまった、という後悔と言わなければ彼がそのままダンジョンへ行ってしまうという恐怖。
ゆっくりと顔を上げてロインの方を見て、結局気まずくて顔をそらす。
そのままそっと左腕だけロインの方へ差し出す。
「私の血なんて飲めないって言うなら仕方ないけど……」
言い訳のように口から零れる言葉は、ロインが私の腕を掴んだ事で遮られる。
そっとそちらに視線を向ければ、私の腕を持ったまま笑うロインと目が合う。
「吸血鬼である俺にはありがたい話だ、断る理由は無いな」
こういう笑顔を見ると、しみじみと彼が吸血鬼であるという事を実感する。
「…手の先の方だと洗い物したりするから噛むなら腕の上の方にしてね」
それだけ言うのが精一杯でまた視線を逸らす。
この綺麗な顔が自分の腕に牙を立てている所を直視する勇気は無い。
腕の上の方に彼の息がかかった時点で必死に意識をそらす。
チクリとした感覚と、血液が逆流するような感覚にゾワリと背筋に寒気が走った。
けれど、それも一瞬で終わる。
本当に三口くらいで良かったらしい。
スッと離れていく感覚の後、噛んだ部分をそっと撫でてからロインが私の腕を離す。
気まずいのを我慢をしてロインの方を見れば、自分の唇をぺろりと舐めているシーンを直視してしまい結局また机に突っ伏すことになった。
「ごちそうさま、助かった」
「……はい、どういたしまして」
どうにか顔を上げて、噛まれた方の腕をなんとなく上下に振る。
噛まれた場所が直視出来なかったので腕まくりしていた袖をそっと下げた。
今まで見た事のない艶やかな笑みを浮かべるロインを見て呟く。
「自分で言いだしたことだけどなんか釈然としない」
「俺は大助かりだったがな」
薔薇の光に照らされた顔が妖艶に笑うのを見て顔に熱が集まった。
夕方も思ったが、絶対に今日私照れすぎたせいで熱が出る気がする。
なんとなく光る薔薇の方を見れば、パッと部屋が明るくなり薔薇の光が消えた。
「あ、消えちゃった」
「最低限の魔力しか込めなかったからな」
そう言ったロインが薔薇を手に取り胸元のいつもの位置につける。
いつもより顔色が良い気がして嬉しいような、そうでないような複雑な気分だ。
「血も貰った事だしそろそろ行く」
「はいはい、いってらっしゃい、気を付けて」
もう癖になっているいつもの言葉を告げれば、笑顔のロインに手を取られる。
わざとらしくそっと私の指先を取ったロインがにこやかに口を開く。
「ごちそうさま」
「っ?!」
わざとだ、絶対わざとだ。
照れる私を見てちょっとからかってやろうとしたのが見て取れてカッと顔が熱くなる。
「っロイン!」
「ははっ!」
今まで聞いた事も無いような愉快そうな笑い声をあげたロインが私の手を離しダンジョンの方へ歩いていく。
若干混乱気味の頭を必死になだめて、その背中に向かって叫んだ。
「血まであげたんだから怪我するのは無しだからね!」
ヒラヒラと後ろ手に手を振ってロインが出て行く。
その背を見送ってもう一度テーブルに突っ伏した。
もう突っ伏すのは何回目だろう、今日はテーブルと友達状態だ。
色々考えると羞恥心が沸き上がって来るので、手早く明日の準備と閉店の作業をして部屋へと戻る。
部屋のベッドの上、枕の所にいたモモが首をかしげている前に滑り込むように倒れこむ。
「キュッ?!」
驚いたような声を上げたモモが私の顔をのぞき込もうと動いているのがわかったが顔が上げられない。
何だろう、なんだか顔が疲れた一日だった。
もう考えるのはよそうとモモを抱き上げて風呂へと向かう。
モモを洗ってあげながら今日の事は忘れようと決めて風呂に入った五分後。
腕に残った牙の痕を直視してしまい、思わず湯船の中に沈み込んだ私に驚いたモモがキューキューと大騒ぎする事になってしまった。
「イケメン怖い……」
そう呟いた自分の声が風呂場に響いて、ドッと疲れに襲われた。