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新しい日々の始まり

 ぐつぐつと鍋からお湯が沸く音が聞こえる。

 この一人用の小さい鍋にも慣れてきたなあなんて思いながら、ふたを開けて野菜に火が通っている事を確認した。


 あの騒動から一か月近く経ち、私は一人用の住居を短期で貸りて生活している。

 結局あの騒動はロイン達の予想通り、前王が自分がもう一度王座に着くために起こした事だったらしい。

 方法はシュテルさんが言っていた通りで、ダンジョン調査を悪用した形だ。

 現王は魔物と人間の共生を目指しており、最近はその成果も出てきた所だった。

 そこで魔物に人間を襲わせる事で共生を推進していた現王を退かせ、自分が王座に戻るつもりだったらしい。

 現王は前王にとって実の息子だというのに毒まで盛って弱らせ、そこへ更に政策の失敗というとどめを刺すつもりだったようだ。

 ただ前王の思惑とは逆に、協力して戦ったことにより人間と魔物は一気に共生の道の方へと進む結果になった。

 そしてすべてが明るみに出た今、今度はしっかりと罪という形で王位継承権を剥奪されたらしい。

 町は現在魔物の襲撃でほとんどの場所が修理中だ。

 私が働いていたお店はダンジョン攻略のための重要地点なので最優先で直されているが、自宅の方は住めるようになるまではもう少しかかりそうとの事。

 そんなわけで現在避難生活中なのだが、叔父さんと離れて一人暮らしをしているのには訳がある。

 実はお店の跡地のすぐ近くに国から小さな仮住居を作っていただいているのだが、まあ、うん。


「新婚家庭みたいな物だしなあ」


 お店の近くの仮住居には現在叔父さんとセリスが暮らしている。

 あの時足を引きずりながら現れたセリスは現在療養中なのだが、怪我が治っても自警団への復帰が難しくなってしまったらしい。

 歩けるようにはなるし戦いもある程度は出来るらしいのだが、怪我をする前ほどには動けなくなってしまい自警団で今まで通りの任務をこなせなくなってしまった。

 セリス以外にも退団を余儀なくされた人は数人いるらしく、死者は出なかったから良かったんだと言ってはいたもののセリス自身もかなり沈んでいたのだが。

 ……なら俺と同棲するかと提案した叔父のおかげで一気にセリスは元気になった。

 あの二人、話題には出さないだけでそれなりにデートを重ねていたらしい。

 叔父さんの一人旅に付いて行っていた事もあったのだとか。

 それで最近連休を取っていたのかとミリティも驚いていた。

 そんな訳であの二人が一緒に暮らしている所に同居する精神力は私には無い。

 むしろ家が建ったとしても戻る気は無いので一人で暮らせる物件を探している所だ。

 ここはあくまで急いで借りた場所で短期間しか入居できない。

 ただ店への通勤を考えたり、モモのための小屋を建てる為の庭付きの所が無かったりで新たな物件探しは難航中だ。


 さっきまで見ていた住宅情報が載った冊子を一度片付け、出来立てのスープに口をつける。

 ごま油の香りが食欲をそそる鶏がらのスープは白身魚をメインに野菜やキノコをたっぷり入れたので、これ一品でお昼ご飯には十分だ。

 いつもはどうしてもお客さんと同じものを食べるので店の営業中は肉料理に偏りがちになってしまう。

 今はお店も無いし、モモもいないので久しぶりに魚と野菜をたっぷり使った料理を堪能している。


「モモはそろそろ起きるかなあ」


 野菜の甘みを味わいながらスープを一口飲み、また睡眠の期間に入ってしまった桃色のドラゴンを思い出す。

 モモはあの戦いの後、更にサイズアップしてしまった。

 自分で戦った事、ダンジョンからあふれ出てきた魔物達から成長のための力を吸収してしまった事。

 それらが重なった事で一気に成長し、また睡眠の期間に入ってしまった。

 私が乗っても飛べるレベルに成長してしまったのでこの家には置いておけず、今は叔父さん達の家のそばに小屋を作ってもらってそこで眠っている。

 ここに来た日に私の手のひらに収まっていた小さなドラゴン。

 ずっと私の肩に乗せて歩いていたのに立場が逆転してしまったようだ。

 肩にあの重みが戻って来る事が無いのは寂しいが、飛べるようになったら乗せてくれるだろうかと今は少し楽しみにしている。


 一人での食事が続く日々をどこか寂しく思いながら食事を終えて洗い物をしている最中、キッチンの窓の外から明るい声が聞こえて来た。

 外を見れば人間も魔物も入り混じった状態で遊ぶ子供たちや、町の修繕をしている大人たちの姿が目に入ってくる。

 前の戦争の後、人間と魔物の間にあった距離が中々縮まらなかったのはきっと何らかのきっかけ待ちだったのだろう。

 共闘というきっかけが出来た後、少しずつ縮まっていた距離は一気に近付き、町では以前よりずっと近い距離で人間と魔物が楽しそうに交流している。

 少し前には復活した魔王の事や前王の企みが正式に発表されて一時的に大騒ぎになっていたのだが、前王が正式に罪に問われた事、そして現王が毒を盛られてながらも国のために動いていた事もあり人々は王室に同情的だ。

 すべてを公表し魔王に謝罪した現王と、現王を責めなかった魔王。

 正式に共生の道を歩もうと二人が宣言し、魔王と姫の結婚も認められた。

 こんなに上手く行って良いのだろうかと思うほどにすべては順調で、町は平和な空気に包まれている。

 ダンジョンから飛び出してしまった敵意ある魔物達は自警団や国の騎士団が対応に追われているようだ。

 ルスト、そしてジェーンやサーラ達も協力しているらしく忙しい。

 ロインは魔王復活という事で今まで連絡が取れなくなっていた幹部たちが次々と城に戻り始めた事でバタバタしていた。

 生きているのなら一人くらい連絡をよこせと激怒していたが、怒りは治まっただろうか。

 みんなそれぞれ忙しそうなので戦力にならない私は一人でおとなしくする事にして、空き時間を物件探しに使っている。

 セリスには会えるし二人でたまにお茶をしたりはするのだが、元気にはなったもののやはり自警団に戻れない事を悲しんでいるセリスにはなるべく叔父さんと二人で過ごして欲しいと思う。

 あの人は人を元気づけるのが上手いから。

 ただお店の方の修理は自宅より早く終わるそうなので、もう一度パーティを仕切りなおそうと叔父から提案されている。

 そのパーティが数日後に控えているので、その時にはみんなと会えるだろうしモモも起きているだろう。

 その日の料理の手続きをしに行かなければと、出掛ける準備をする事にした。



 そして迎えた数日後、新しいお店で以前パーティに参加してくれた人達と再会する事になった。

 前のメンバーに加えて勇者さんやシュテルさんも参加している。

 いつの間にか二人は叔父と意気投合したらしく、楽しそうに話していた。

 何かの紙を見ながら大笑いしている三人と自警団の団長さんを見ながら、私の隣にいたロインがため息を吐く。


「釈然としない」

「まあ、そうだろうね」


 ずっと死んだと思っていた親友が生きていた挙句、殺した相手であるはずの勇者と馬鹿笑いしていればそう思ってしまうのも無理はない。

 同じ様に私の近くに立っているルストとヴァイスも複雑そうな顔だ。


「葛藤していた全てがと言う訳ではありませんが、あの二人に関して胸を痛めていたのは何だったのかと思いますね」

「あの様子見てると色々考えてた自分がアホらしくなってくるしな。ほらモモ、これも食え」

「クルル」


 ルストが窓越しにバルコニーにいたモモに肉の塊を差し出す。

 嬉しそうにぺろりと食べる仕草は大きくなった今も変わらない。

 店のドアすら潜れないほどの大きさになってしまったモモだが、専用のバルコニーを叔父さんがつけてくれたので窓越しだが嬉しそうにパーティに参加している。


「それにしても大きくなりましたね」

「アヤネの肩やカウンターに乗っていた頃が嘘のようだな」


 二人の言葉に笑ってから私もモモに果物を差し出す。

 こちらも嬉しそうに食べたモモの大きな顔をそっと撫でた。


「もう私の肩には乗れなくなっちゃったけど、今度はモモの背に乗って色々な所に行ってみたいな」


 グルグルと喉を鳴らして擦り寄ってきたモモを撫でながら笑う。

 今も飛ぶ練習中のモモだが、きっと私を乗せて飛んでくれる日も近いだろう。

 モモの顔を撫でまわしていると、こことは反対方向にある開け放たれた窓からモモのいるバルコニーに向かって強めの風が吹きぬけた。

 咄嗟に髪を押さえると叔父さん達の方からああっ、と叫ぶ声が聞こえる。

 そちらを振り返るとちょうど叔父さん達が囲んでいた紙が私の前に飛んできた所だった。

 目の前に迫った紙を空中でキャッチする。

 そのまま何となく紙に視線を落とした。


「…………は?」

「どうかしたのか?」


 固まる私を見て訝しげな顔をする三人と慌てた様子でこちらを見る叔父さんや一部のお客さんたち。

 紙にはロイン、ヴァイス、ルストの名前と数字がずらりと並んでいた。

 それぞれの名前の横にはお客さん達や叔父さんの名前が書いてある。


「……叔父さん」

「はい」


 いつもは絶対にしないであろう返事を返してきた叔父におそらく引きつっているであろう笑顔を向ける。


「これ、何?」

「いや、その」


 その様子を見て私の持つ紙を覗き込む名前の書かれた三人、お店の色々な所に散らばっていたジェーン達も不思議そうに近寄って来た。


「これ、一番上にアヤネが誰と付き合うか、って書いてあるんだけど。この三人の名前の横に倍率と景品のアイテム名が書いてあるし」

「ははは……」

「私がものすごく悩んでた事知ってたのに賭け事してたんだあ、俺は応援するとか言ってなかったっけ?」

「いやあ、一度冗談で始めたら意外と食いつきが良くて……いや、マジですみません」


 冷や汗をダラダラ流しながら謝る叔父を見つめていると手の中から紙が消える。

 私の手から紙を取ったロインがじっと紙を見つめた後、シュテルさんの方に向けて声をあげた。


「おい、シュテル。お前まだ賭けてないじゃないか。ちゃんと俺に賭けるんだろうな」

「……は?」

「不正は無しですよロイン殿。団長、貴方もまだ書いてないじゃありませんか」

「じゃあ俺は勇者にでも頼むか」

「え?」


 紙を持って叔父の方へ行ってしまった三人を呆然と見送る。

 当事者四人の内三人を味方につけた叔父がいつもの笑顔に戻りワイワイと騒ぎ出す。

 入れ替わりの様に私の側に来たジェーン達が面白そうに笑った。


「え、おかしくない? 怒ってるの私だけ?」

「そうみたいだね。むしろ本人たちも名前書いてない?」

「なんでっ?」

「三人とも楽しそうだし怒ってるのはアヤネだけだね」


 がっくりときた私を見て更に笑った友人達。

 サーラが手渡してくれたジュースを受け取りながらため息を吐いた。


「まあまあ、放っておけばいいんじゃない」

「タケルさんもアヤネが本気で悩んでたら賭け事関係なく協力してくれるよ」

「それはわかってるけど……」


 紙を指さしながら何か言い合いを始めた彼らを見て再度ため息を吐く。

 私の様子を見たサーラが苦笑いしながら口を開いた。


「それにしてもお店が直って良かったね。これでまたあたし達もアヤネのご飯が食べられるよ」

「再開する日は決まったの?」

「来月の初めから。ただ家が直るのはもう少しかかりそうだからしばらくは町から通勤するようだけど」

「朝早いのにそれはちょっときついね」

「朝食作る頃までには行くけど、テーブル拭いたり調味料補充したりするのはセリスがやってくれるらしいから」

「アヤネが来たらバトンタッチだけどね。流石にまだ作る所を手伝うのは無理だわ」

「いや、むしろなんかごめんね。まだ本調子じゃないのに」

「多少動くくらいはリハビリになるらしいから。気にしないで頼って」

「ありがとう、セリス」


 来月から新しい形で始まる予定のお店、私の一人で食事も終わりになるのかもしれない。

 ちらりと未だに叔父さん達と騒ぐ三人を見る。

 朝、昼、夜、それぞれと二人きりでご飯を食べていた日常。

 ここ一か月の間、一人でご飯を食べている間は皆との食事を懐かしく思っていた、ただ……


 誰かと一緒に食べたいなと思った時に一番に思い浮かぶ顔は毎回同じ人だった。


 こちらに気が付かない事を良い事に三人の顔をじっと見つめる。

 今まで見た事が無いくらいに穏やかに、楽しそうに笑う三人。

 楽しそうだな、こんな笑顔も出来るんだな、なんて思いながら少し高鳴る胸元をそっと押さえる。

 久しぶりに会ったせいか、尚更一人に惹きつけられている事を明確に感じる。


「心、決まったみたいね」


 隣に立つジェーンがいつもの様に柔らかく笑ってそう声を掛けて来る。

 ミリティとサーラは好奇心交じりの、そしてセリスは穏やかな笑顔を浮かべて私を見ていた。

 普段はからかってくる彼女たちの優しい笑顔につられる様に笑って、小さくうん、とだけ答える。


「告白するの?」

「……そのつもり」

「お、じゃあ後で結果は聞かせてね」

「アヤネが誰を好きになったのかは気になるけど、やっぱり一番に伝えるのは本人じゃなきゃね」

「ちょっと緊張してるけどね。まだ私の事を好きでいてくれてるかな、とか」

「あの様子を見ている限り大丈夫そうだけど」

「まあアヤネが今感じてる不安は彼らも感じていた物だろうから、そこは甘んじて受けるしかないわね」

「……そうだね」


 私よりもずっと勇気を出して自分の思いを告げてくれたであろう彼ら。

 気持ちが決まってしまった以上は寂しいとか、ずっとみんなで仲良くしていたいとか……そんな自分勝手な感情で黙っていて良い筈がない。

 誰かを選ぶという事は残りの二人から手を離すという事だ。

 ずっと考えていた事が今までよりずっと現実感を持って心にのしかかる。

 三人と友人として過ごして来た日々が頭の中を次々と過ぎった。


「寂しい?」

「まあ」

「それはちょっと自分勝手なんじゃない?」

「自分でもわかってるから言わないで……」

「あははっ」


 彼らにもお客さん達にも聞こえないくらいの声で話す女同士の内緒話。

 自分の気持ちを伝えなければという緊張感と、伝えてしまえば今の彼らとの関係が終わってしまう事への寂しさがほぐれていく。


「……まあとりあえずはあの賭け事やめさせたいんだけど協力してくれない?」

「あ、じゃあ私がやるよ」


 言うが早いがセリスの手から放たれた風の魔法が彼らの中心にあった紙をビリビリに切り裂いた。

 ああっ、という声があちこちから上がって五人で笑う。

 親友たちの笑顔に後押しされるように、気持ちを伝えるための勇気を振り絞った。


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