表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
29/44

少しだけ違う日常

 すっきりと目覚める事が出来た翌日、ベッドの上で軽く伸びをする。

 久しぶりに心が軽い気がしてほっと息をついた。


「キュー!」

「モモ! もう起きられるの?」


 布団の上をトコトコと歩いて近寄ってくる桃色の体を撫でる。

 睡眠の時期は起きても眠そうに細められたままだった目が今はいつも通り元気いっぱいに開かれていた。

 この子が私の側にいるのもまた一つの日常だ。

 心に広がる安堵に笑みが零れた。

 気持ちよさそうに撫でられていたモモのお腹からグーッと大きな音が鳴り表情がしょぼんとした物に変わる。


「お腹空いたの? ご飯にしようか」

「キュッ!」


 嬉しそうに声を上げて入り口の方に飛んで行ったモモに待ったをかけて急いで着替える。

 お店に行く準備も整えて家の玄関へ向かった。

 玄関にある鏡で最後に軽く身だしなみをチェックする。

 顔色も良い、今日は変なミスをする事は無いだろう。

 気合を入れなおした所で耳元でグーッと音が鳴る。

 いつも通り肩に乗るモモの顔はしょぼんとしたままだ。

 相当お腹が減っているらしい、早く何か食べさせてあげないと。

 久しぶりに戻ってきた肩の重みにホッとしながら店への階段を下りた。


「おはよう」

「おう、今日はもう平気そうだな」


 店ではもう叔父がアイテム販売の準備をしていた。

 私の肩に乗るモモを見てやっとお目覚めか、と笑う。

 カウンターの上、いつもの定位置に座ったモモの前にとりあえず果物を置けばガツガツと勢いよく食べ始めた。

 とりあえず準備を、と始めたのは良いがともかくモモが食べる事に気が付いて叔父と二人で顔を見合わせる。

 最初に置いた果物はもう無く、焼いたパンやお肉などを凄まじい勢いで口に入れていくモモ。


「おいおい、食い過ぎじゃないのか?」

「寝てる間もそれなりに食べてはいたはずなんだけど。ルストが来たらちょっと聞いてみようかな」


 手品のように積まれた食べ物を消していくモモに視線を送りながら、とりあえず朝食の準備をある程度終わらせた所で入り口のドアが開く。

 噂をすれば影というがあくびをしながらルストが入って来た。


「おはよう、いらっしゃいルスト」

「おう、今日は普通だな」

「私が昨日何も無い所で思いっきり転んだ事は記憶から消去しておいて」

「なんだそりゃ、お、なんだ起きたのか」


 呆れたように笑ったルストがいつもの様にカウンターの椅子に腰かける。

 いつもの場所でパンを齧っているモモに気が付いて声を掛けるがモモはひたすらに食べ続けている。


「今朝起きて来たんだけどすごい食べっぷりなんだよね」

「これ平気なのか? こいつ明らかに体積よりも食ってるぞ」


 流石の叔父も疑問に思ったのか自分も朝食のパンを齧りつつもチラチラとモモの方を気にしている。

 ルストに朝食のセットを差し出すと、お礼を言いながら受け取りモモの方を見た。


「今日起きたばかりなら結構食うかもな。次に成長するために必要なエネルギーを取ってるんだと思うぜ……ただ、ここで食った量は次の成長に上乗せされるからなあ」


 カツサンドを齧りながら心なしか引き攣った顔でモモの方をちらりと見るルストに、今度は私と叔父の顔が強張る。


「なあ、それってこいつ次に成長させたら食った分だけでかくなるって事か?」

「どうだろうな。魔力に還元される可能性もあるし、最初の時みたいに体の一部分だけがでかくなる可能性もあるから何とも言えねえよ」

「……家に入れるサイズで止まると良いな」

「ドラゴン用の小屋を発注する準備をしておく様かもな」

「一回でそこまででかくはならねえだろ。成長させないっていう手もあるが、一度は成長させちまったからなあ。もう一、二回は成長させておいた方が魔力やら体力やらが安定すると思うぜ」

「そうなんだ」


 ようやく落ち着いたのか、トコトコとルストの方に近寄って行ったモモが彼の大きな手で撫でられて気持ちよさそうに目を細める。

 喉を鳴らして手にすり寄るモモは本当にルストの事がお気に入りらしい。


「店しばらく休みなんだろ? 都合のいい日がありゃあまたダンジョンに連れて行ってやるぞ」

「……うん、そうだね。お願いしていい? あ、この間のお化けが出そうな所は勘弁で」

「その日の弁当と引き換えな」

「その位なら喜んで」


 よし、と嬉しそうに笑ったルストと予定を合わせる。

 またモモが成長する可能性を私の都合で無くすのはちょっと違う気がするし、叔父さんもなんやかんや言いつつも止めるつもりは無いらしい。

 デカく成長するのは良い事だろ、なんて言っているので多少大きくなるくらいなら平気そうだ。


「それにしてもここのダンジョンが無いってのは暇だぜ。近場のダンジョンじゃどうしても敵のレベルが落ちるしな」

「自警団の仕事は貰ってないの?」

「一回行ったけどあんまり良いのねえんだよな。まだレベルの低いダンジョン攻略してる方がマシだったんだ」

「ここのダンジョンのレベルは桁違いらしいからなあ。俺らみたいな戦えないやつに言わせれば低レベルな所でも死と隣り合わせなんだが」

「アヤネはともかくお前はしぶとく生き残りそうだけどな」

「ああ、確かに」

「なんでだよ、俺だって戦いはからっきしだぞ」

「叔父さんなら爆心地にいても、ああ死ぬかと思った、とか言って無傷で出てきそう」

「だよな。その場の危険が無くなった頃にケロッとした顔で出てきそうだ」

「俺だって生身の人間なんだぞ」


 本人だけが唯一納得していないが、これに関してはお店のお客さん達も同意してくれると思う。

 我が叔父ながらこの人凄くしぶとそうなんだよなあ、悪運も強いし。

 呆れたような表情で叔父を見ていたルストが椅子から立ち上がりぐっと伸びをする。


「じゃあ、今日はもう帰るわ。これからいつもの客連中も来るだろうし、お前らは仕事頑張れよ」

「あはは、ありがとう」

「タケル、弁当二つと回復薬くれ。弁当は昼と夜のやつ一つずつな」

「おう、毎度あり!」


 買い物をしていつも通りの態度で出て行ったルストを見送ってからほっと息を吐く。

 いつも通り……そう、いつも通りだった。

 とりあえず今日は何も動かなかった。

 ルストに関しては私の勘違いの可能性もあるが、本能のようなものがそれを否定している。


「良かったな、何も言われなくて」


 こちらを見て意味深に笑う叔父にドキリとする。

 叔父は商売上手だ、人を見る目も動くタイミングの見極めも上手い。

 その叔父の目からはルストの私に対する感情はどう見えているのだろうか。


「あのさ、叔父さんから見て……」

「ん?」

「…………やっぱいいや」


 叔父さんに聞けば明確な答えが返ってくるかもしれない。

 でもそれでルストの気持ちを知ってしまうのは違う気がした。

 彼の気持ちを明確にする事が出来るのは彼だけで、今私が安心したいからという理由だけで他の人にその答えを求めるのはきっと失礼な事だと思う。

 それで良いと思うぜ、と小さく口にした叔父にうん、とだけ返して自分の仕事に戻った。


 お店に来るお客さんにご飯を出して、多少談笑してから帰って行く彼らを見送る。

 見送る先がダンジョンの入り口では無くお店の出入り口なのがいつもとは違う所だが、皆にこやかに買い物をして帰って行く。

 人間と魔物の間でまた戦争になるかもという可能性が強まってきた事は皆知っている様だったが、態度はいつもと何も変わらず優しい人達だった。

 この世界に来たばかりの頃とは違って、今の私には魔物にも人間にも仲の良い人がいる。

 だからこそ戦争になったらどうなるのだろうという漠然とした不安はいつでも心の片隅に存在していた。

 不安はあっても結局は何が出来るわけでもなくいつも通りの日常を過ごす事しか今は出来ないのだけれど。

 それにしても仕事をしているとやっぱり時間が流れるのが早い。

 あっという間に空がオレンジ色に染まりだしたのを窓越しに見てから、お客さんから空になった器を受け取る。

 今お店にいるのはいつもの竜人さんと人魚さんの一家だ。

 この一家は夕飯の時間が結構早いらしく、夕方には食べ終わりその後ダンジョンに潜って行く。

 ダンジョンが無いとはいえ生活の時間を変えたりはしないようでいつも通り早めの夕食を食べ終えたばかりだ。


「ごちそうさま、今日も美味しかったわ」

「ありがとうございます」

「タケル、明日の朝用の弁当も三つくれ。後武器の手入れ用品も見たいんだが」

「おう、それなら新商品が入ってるぜ」

「ほう、ちょっと見せてくれ」


 竜人さんが叔父さんが広げたアイテムを見て説明を受けているのを待っている間、二人の子供である女の子はカウンターでジュースを飲んでいた。

 パッと顔を上げた女の子が私に向かってねえねえ、と話しかけて来る。


「わたしね、町のくだもの屋さんの子となかよくなったんだよ」

「え、そうなの? 果物屋さんって大通りにある大きな所?」

「うん!」

「アヤネちゃんも結構買い物に行くんでしょう? 私達がこの店のお客さんだって知った店主が話しかけて来てくれたの。この店に来てるお客さんなら何一つ心配は無い、ゆっくり見て行ってくれって。おかげであの果物屋さんはこの店に来る魔物達にとっては買い物しやすい店になってるわ」

「そうなんですか」


 ちょっと驚いた。

 あのおじさんは結構フレンドリーだけどまさかそこまでとは思わなかった。

 まあ確かに商売に対する情熱はすごい人だったし、お客さんを選り好んだりはしないタイプの人だったからお客さんが増えてウハウハしているのかもしれない。


「あのね、あの子たちわたしの足かっこいいって言ってくれたの。買いもの待ってるあいだはいっしょにあそんでるんだ」

「そっか、よかったね」

「うん! ダンジョンがお休みのあいだにいっしょにあそぶやくそくしてるんだ」


 ニコニコと笑顔を浮かべる女の子に私までつられて笑顔になる。

 確かに竜人さんと同じドラゴンのような足はあの男の子たちから見たらかっこいいの一言に尽きるだろう。

 本当に嬉しそうに笑っている娘の姿を見て、横に座っている人魚さんも嬉しそうだ。

 ただ果物屋さんの子供が二人とも男の子のせいか、父親である竜人さんの顔は複雑そうだけれど。

 お母さんに似て美人なんだよねこの子。

 そんな父親の複雑な感情には全く気が付かずにニコニコしている女の子と、気が付いているだろうに意図的に無視して微笑んでいる母親の人魚さんを見て、意外と戦争が始まったとしても大丈夫なんじゃないかなんて思った。

 アイテムを購入した竜人さんがこちらへ歩いて来て女の子を抱き上げる。

 帰るか、と言った竜人さんに頷いた人魚さんが立ち上がりフヨフヨと浮いたまま店の入り口の方に向かうのを見送っていると、店のドアが開き隙間から反射したオレンジの光が漏れて来た。

 見慣れた金髪の男性が入って来たのを見てもうそんな時間かあ、なんて思う。


「いらっしゃいませ」

「こんにちはアヤネさん。タケル殿もご苦労様です。っと、すみません」

「いえ」


 ドアの近くにいた夫婦に道を譲ったヴァイスに竜人さんに抱きあげられたお子さんが手を振った。


「アヤネおねえちゃんバイバイ、おにいちゃんもバイバイ」

「……ええ、お気をつけて」

「失礼します」

「貴方もお気をつけて」


 にこやかに手を振る女の子に一瞬驚いたヴァイスがすぐに笑顔を作って小さく手を振り返す。

 その様子を見ていた竜人さんが軽く頭を下げて、人魚さんがにこやかに気を付けてと口にする。

 そのまま扉を潜って出て行った夫婦の後ろ姿を見送るヴァイス。

 私がこの店で食堂を始めた日、ヴァイスが来た時にそそくさと出て行った夫婦が今はにこやかに挨拶をして出て行く。

 その事に対してヴァイスが何を思っているかは彼の背中しか見えない今はわからないが、きっと悪い気分では無いのだろう。

 いつもより笑顔を増してこちらを振り返ったヴァイスを見てそう確信した。


「かつ丼と豚肉のソテーあるよ。どっちが良い?」

「かつ丼の方でお願いします」


 どちらを選ぶかは何となくわかっていたが一応聞いてから、かつ丼用の鍋に作っておいた丼のタレと玉ねぎを放り込み火にかける。

 笑顔でカウンターの席に着席したヴァイスの視線を感じながら、玉ねぎに火が通ったタイミングで切ったカツを入れてもう一度蓋をした。

 店内に少し甘めに作ったタレが煮える匂いが広がる。

 少しして蓋を開ければ、タレがしみ込んだせいで衣がしっとりとしたカツが見える。

 上から卵を回しかけて、三つ葉を乗せてもう一度蓋をしてから火を止める。

 卵が少し固まってからどんぶりのご飯の上にのせれば、半熟の卵がトロリとカツの上から零れた。

 蓋をしてみそ汁や漬物と一緒にヴァイスに差し出すといつもの数倍嬉しそうな笑みで受け取ってくれる。


「ありがとうございます。昨日メニューを聞いてからずっと楽しみで」

「そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」


 ニコニコしながらどんぶりの蓋を取り、箸を手に取ったヴァイスを見て叔父の方からお腹が鳴る音が聞こえる。


「叔父さん、朝のモモじゃないんだからやめてよ」

「いやあ、俺もそろそろ腹が減ったなあと。彩音、俺の分も作って……あ」


 言葉を切った叔父に私とヴァイスの視線が向くと気まずそうに頭を掻いた叔父が苦笑いする。


「悪い、釣銭無くなったわ。両替してくる」

「え?」

「前にもこんな事ありましたね」


 帰って来たら俺の分のかつ丼も頼むと言って、叔父が出て行くのを見送る。

 店内にヴァイスと二人きり、正直に言うと叔父さんに早く帰ってきてほしい。

 ルストとは違い、ヴァイスから向けられる感情はほぼ確定と言って良いだろう。

 明確に言葉にされていないだけだ。

 カウンターの下、ヴァイスからは見えない位置で以前彼の唇が触れた手の甲をそっと撫でる。

 私の感情に多分気が付いているだろう彼は嬉しそうにかつ丼を頬張っている。

 ……なんで食べている物がかつ丼なのに優雅に見えるんだろう、毎回不思議で仕方ない。

 軽く雑談しながらお皿を洗ったりしている内に彼も食べ終わり、私の仕事も一息ついた。

 とりあえず彼に食後のお茶を出す。

 ヴァイスの性格上、私が昨日転んだりした事をつっこんで聞いてきたりはしないだろう。

 とはいえどこか気まずいのは確かで、眠そうにしていたモモを家に帰すんじゃなかったと後悔がよぎる。

 ルストほどでは無いがモモはヴァイスもお気に入りだ。

 モモがいれば話題がそっちに行ったのに、なんて考えながら時計を見る。

 前に叔父が両替に行った時は私が店に出る初日という事もあり急いでくれたようだが、もう留守を預かれる位にはなっている。

 普通に歩いて行っている以上、叔父が帰って来るまでには後十五分はかかるだろう。

 私だけが勝手に気まずくなっている店内でヴァイスが口を開いた。


「アヤネ、お店のスケジュールは以前見せていただいた紙の通りのままですか?」

「うん、もう変えないって叔父さんが言ってたよ」

「そうですか、実はお店の休みと私の休みが重なっている日が何日かあるのですが一緒に出掛けませんか? とっておきの場所をご案内いたします」


 一度息をつめたのは気が付かれなかっただろうか。

 確かに前に一緒に出掛けた時にまた出かけようと約束した。

 彼の案内する場所はきっと綺麗な所だろうし、ものすごく気になる。

 それに……もし戦争が始まってしまえば気軽に出かけるのは不可能になるだろう。

 あまり実感が無いとはいえ、流石にそれ位はわかる。


「どんなところなの?」


 私の問いに笑みを強めたヴァイスがまるで宝物の話をするように大切そうに言葉を紡ぐ。


「空中神殿です、今そこの鍵を管理しているのは私ですので実質貸し切りですね」

「……空中神殿っ?」


 色々考えていた事がすべて吹き飛ぶような衝撃だった。

 確実に元の世界にはない場所だ、行きたい、物凄く行きたい。

 ロインに告白された身とはいえ、恋人になった訳じゃない。

 現状男友達であるヴァイスと出掛ける事に問題は無いだろう。

 思えばモモの為とは言えルストとも二人で出かける約束をしている。

 流石に恋人が出来れば他の男性と二人で出かけるなんてしないが、今はまだ独り身だ。

 戦争でその場所が無くなってしまう可能性だってあるし……なんて言い訳を心の中で並べてみる。

 色々な状況を考慮してみても、最終的に行きつく答えは行ってみたい、だった。


「行ってみたい。でも良いの? 私が入って大丈夫?」

「はい。鍵は自警団の方で管理しているのですが、私の前に管理していた団長も友人を連れて行ったりしていましたから」


 管理している人間の特権ですね、そう言った彼がいたずらっ子の様に笑ったのでつられて笑う。


「じゃあ、よろしくお願いします」

「はい、喜んでご案内しますよ」


 予定を合わせて出掛ける日を決めた所で叔父さんが帰って来たので、叔父さんの分のかつ丼を作りに行く。

 ヴァイスはアイテムを購入するために叔父さんに色々品物を出してもらいに行った。

 空中神殿、その単語を思い出すだけでどこかワクワクする。

 新品のスケッチブックを持って行こうと決めて、買い物を終えたヴァイスが帰って行くのを見送った。



 そして問題の夜が来る、ロインが来る時間だ。


「……嫌な予感はしてたんだよね」


 一人きりになった店内でポツリと呟く。

 あの時間に叔父が夕食を食べた時点でちょっと予感はあった。

 いつもより夕食の時間が早い時、叔父はいつも夜の時間を私に任せて旅に出る。

 そして明日から三日間店は休みだ、長く旅を堪能するために早く出発する事は今までもあった。

 今回の騒動で旅を一時中断していた叔父がソワソワしていたのには気が付いていたが、告白の件を知ってなおかつ相手も察してるならば今日位は残っていて欲しかった。

 まあニヤニヤしながら出て行った叔父の表情を見るに今日この状態で私を一人にしていったのは半分くらいワザとだろう。


「モモは熟睡してたし……」


 お客さんが途切れた隙にダッシュで家まで行ったのだがモモは完全に熟睡していた。

 あれだけずっと眠っていたんだからちょっと起きていてくれても良かったじゃないか。

 つついても全く起きずによだれを垂らして眠っていたモモの顔を思い出してがっくりと項垂れた瞬間、店のドアが開いた。

 いつも通り看板を回収してきてくれたロインが店内を見回す。


「……いらっしゃい」

「ああ、タケルは?」

「……いつもの旅」

「ほう」


 にっこりと笑ったロインの顔を見て、ああ、と口から零れてまた項垂れる。

 完全に裏のある笑みだった。


「先にアイテムを見せてもらっても良いか?」

「良いよ、何がいる?」

「回復薬と、そうだな状態異常解除の薬も少し補充したい。後は体力アップのアクセサリーが壊れたからいくつか出してくれないか?」

「了解」


 色々気まずさはあれど、命がかかっているアイテムを売るのに私情を挟むわけにはいかない。

 頼まれた量の薬を出して確認してもらって包み、条件に合ったアクセサリーを取り出す。


「ロインがいつも使ってるのと同じ効果の奴だとこの辺りかな。今までのはブローチだっけ?」

「ああ、たまたま敵の攻撃が掠って割れてしまったんだ」

「それで着けて無いんだね」


 言われてみればいつも着けている位置に見慣れたブローチが無い。

 気がついてしまうと物足りないというか、少し違和感がある。


「同じブローチにする? それとも違うのが良い? 一応ペンダントとイヤリングもあるけど」


 販売用のカウンターの上にズラッとアクセサリーを並べて、顔を上げる。

 思った以上に近い位置ににやりとした笑みを浮かべたロインの顔があって、肩が跳ね上がった。

 咄嗟に下がろうとした体はいつの間にかロインに掴まれた腕のせいで阻まれる。

 色気たっぷりの笑顔でロインがささやくような声を出す。


「君が選んでくれないか?」

「な、な……」

「君が選んでくれたらもう壊さないような気がする」

「わ、わかった。わかったから!」


 掴まれた腕が熱くて、とっさに振り払って距離を取る。

 愉快そうに笑ったロインが力を抜いたからだが、距離が開いた事で少し頭が冷静になる。

 言いたい事はたくさんあったが、何を言っても藪蛇になりそうなのでカウンターから一つ選んでロインの方に差し出す。


「同じブローチだけど。なんだか見慣れちゃったからロインがつけて無いの違和感あるし」

「……そうか。ならそれを貰おう」


 どこか嬉しそうに笑ったロインからお金をもらってアイテムを渡す。

 ブローチをいつもの位置につけるロインを横目で見ながら、もしかして今日はずっとこの調子なんじゃないかと嫌な予感が頭をよぎった。

 そしてその予感が大当たりした結果、食事を終えた後に私は食卓に突っ伏す事になる。

 横目で見上げた先、ご機嫌な表情でお茶を啜るロインを恨めしく見つめる。


「……私と日常を過ごしたいんじゃなかったの?」

「俺も努力はするから覚悟しておけと言っただろう」

「うう」


 確かに言ったけれどここまでの勢いでアプローチされるとは思わなかった。

 しっかり血まで吸われたわけだがいつもより口をつけていた時間は長かったし、いちいち意味ありげな視線を送って来るのはやめてほしい。

 このままだと押しに負けてオーケーの返事を返してしまいそうだ。

 しっかり考えたい、そう伝えた以上は勢いで返事をする事だけは避けたい。

 帰るというロインを見送ってから、少しだけ気合を入れなおす。

 しばらく店の休みが増えるのは考える時間が増える意味でもありがたいかもしれない。


 店を閉めて家へと向かう途中で空を見上げる。

 三つの月を見上げてため息を吐いた。

 贅沢な悩みだ、あんな素敵な人に気持ちを向けられるなんて。

 あるいは私がもっと楽観的だったらじゃあ試しにとオーケーしたかもしれないし、友達に自慢していたかもしれない。

 何かを失うかもしれない選択をするのがこんなに怖い事だとは思っていなかった。

 戦争への不安もある、告白の返事の不安もある。

 答えが出ない心を急かして一つでも早く答えを出す事で早く楽になりたいような気もする。


「……難しいなあ」


 一言だけ呟いて、家へのドアを開いた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ