例えば当たり前のように君と過ごして来た日常に【後編】(ロイン)
彼に手を引かれながら歩く道。
少し前で私の手を引く彼に気付かれないように繋がれた手を見つめる。
この先いつか起こるであろう何か、それに対して出した答えによっては二度と繋がれる事は無い手を。
……私はどうしたいんだろうか、自身に向けられる思いを感じてからずっと答えを出せずにいる。
城門を潜り、豪華な装飾の施された扉をロインが押して開けてくれる。
促されるままその大きな扉を潜ると、広い吹き抜けのフロアに出た。
扉の上の大きなステンドグラスから差し込んだ光が綺麗に磨かれた床に鮮やかな色彩を映している。
魔法か何かだろうか、外にいた時に感じていた肌寒さは無くなり少し暖かさを感じた。
目の前には大きな階段、その横には何かの魔法陣も見える。
天井に見える大きな照明を何となく見上げていると、正面のドアが開く音と同時に誰かが入って来た。
「おや、ロイン様。お帰りなさいま、せええっ!」
「……あ、ああ、今帰った」
「あ、その、初めまして、お邪魔してます」
腰が曲がった初老の男性が杖を突きながら入って来てロインに声を掛けたと同時に素っ頓狂な声を上げる。
その視線は私とロインの繋がれた手に向けられており、零れ落ちそうなくらいに見開かれた目が彼の驚き具合を示していた。
穏やかに迎えられたと思ったら、急に驚きからか語尾を上げた男性にロインも驚いたらしい。
男性の声に押されるように帰宅の返事を返したロインに続いて、私も挨拶をしてから頭を下げる。
目を見開いたまま固まっていた男性がハッと気が付いたように私の顔を見た。
「い、いえいえ。どど、どうぞごゆっくりっ」
「すみません、ありがとうございます」
「爺、頼んでいた夕食は二つとも俺の部屋に運ばせてくれ」
「は、はい」
「え? ロイン、夕食って」
「明日も休みで予定が無いと言っていただろう? 店を開けるなら朝早いだろうが、そうでないなら食べてから帰ると良い」
「時間は大丈夫だけど……」
「なら良いだろう? 店が休みの間は君と食べる日が減ってしまうのが残念だったんだ。せっかく休日に会ったんだから夕食くらい一緒に食べて行ってくれ」
そう言ってこちらに微笑んで来るロインに、流石に断るという選択肢は浮かんで来ない。
ご馳走になりますと返すと更に笑みを深くするロインを見て男性の目が更に見開かれる。
その様子に気が付いていないのかそれとも意図的に無視しているのか、ロインが私の手を引いたまま歩きだしたので男性に一礼してから私も歩き出した。
夕食までの時間で軽く城の中を案内してくれるというロインの言葉に甘えて、彼と二人で赤い絨毯の敷かれた廊下を歩く。
窓の外からは丘の下の移動魔法陣のあった東屋や、遠くに見える山脈、水平線などが見えてすごく綺麗だ。
どうやらこの城は山脈に囲まれており、唯一山が無い所は海といういかにも最終ダンジョンがありそうな場所に建っているらしい。
「さっきから色々な所にある魔法陣って何?」
「移動用だ。魔物の私室が色々な場所に散らばっているから城内の移動の為に至る所にある。あれが無いと部屋から大浴場やトイレまで徒歩十五分なんて奴も出る」
「それは……確かに無いと大変そうだね」
「城の外に出るのも一苦労になるからな、此処が図書室だ。蔵書量はかなり多い」
両開きの扉を開けてくれたロインが指し示した先、広い部屋にみっしりと本棚が並んでいる。
本棚の中にも隙間が見当たらないくらいに本が詰まっていた。
「わ、すごいね!」
「幹部の一人に本の虫がいたからな。子供向けの絵本から辞書まで網羅している。強面で髭の濃い奴だったから絵本を読んでいる所を見た奴は皆微妙な顔になっていたが」
それを思い出したのかロインの顔もその微妙な顔になっている。
その人ももうここにはいないんだろう、懐かしいのか寂しいのか……ロインの心の中を察する事は出来ない。
掛ける言葉も見つからず何となく図書室の中を覗いていると、ふと部屋の奥に目が行って思わずじっと見つめてしまう。
「どうかしたか?」
「ねえロイン。図書室の奥に鉄格子が見えるんだけど。なんかその向こうに豪華な宝箱みたいなのも見えるし」
「勇者が攻めて来た時用にシュテルが配置した物だな。相当頭を使わないと鉄格子の向こうには行けなくなっている。もちろん悪ふざけの産物だから開けると、その、まあ、大人向けの本が一冊入っている」
「……わあ」
人生楽しんでそうな人だったんだなあ、なんて感想が浮かんでくる。
こういう場所は複数あるぞとロインが教えてくれたので、見つけるのが少し楽しみだ。
「会ってみたかったな、そのシュテルさんに」
「……俺が今の状態で君を紹介したら大歓迎されるだろうな。代わりに俺は大爆笑されるだろうが」
話題に出さない方が良いかとも思ったが、ロインは寂しくはあっても仲間の話題は嫌いでは無いらしい。
思い出を辿る様に色々な話をしてくれる。
因みに様々な武器や防具が並ぶ装備の保管庫ではいかにも凄そうな剣が結界の中に立てられていたが、ロインが結界の中へ連れて行ってくれると張りぼての看板に舌を出した絶妙に腹の立つ顔文字が付いたものに変わった。
深い穴に囲まれた中心に置かれた美しいネックレスは傍まで行けばリアルに描かれた絵だったし、隠し通路の先の宝箱はびっくり箱だった。
よくこんなに思いつくなと感心しながら、ロインが話してくれる戦争前の日々の事に耳を傾ける。
もういない人でもロインの話を聞いていると、私にもこの城で過ごす人達が見えるような気がして何となく温かい気持ちになった。
城の中という普段は見られない場所を見て回れるのは素直に嬉しいし、ロインの思い出話も聞いていてとても楽しい。
……まあ、城の中で会う人会う人みんな目を見開いて驚きで固まるのは若干気まずかったけれど。
私達がその場を去った後、人間だ、なんて声がしていたがその言葉に敵意は感じなかった気がする。
一応毎回頭を下げて挨拶をすれば、ごゆっくりと返してくれるし歓迎されている様な空気ではあるのが救いだろうか。
広い城の中を住人たちに挨拶をしながらロインの話に耳を傾け、今まで見た事の無いような部屋を見て回る。
さっきの悲痛交じりの笑顔から何かを懐かしむような笑顔に変わったロインを見て安堵していると時間はあっという間に過ぎてしまった。
廊下の大きな窓から差し込むオレンジ色の光がだんだん薄れてきて、人工的な照明が灯り始める。
「そういえばお城の中は普通に明るいんだね」
「流石に生活に影響があるからな、戦争後に中だけは明るくしたんだ」
「なるほど」
「夜目が効く連中は多いがそれでも常に薄暗いのは余計に気分が暗くなると苦情が来たからな。ああ、ここだ」
会話中に一つの魔法陣の前で立ち止まったロインと共にその魔法陣の中に入る。
移動した場所は大きめの扉の部屋の前だった。
おそらく外観で見た塔の一番上の部分なんだろう。
後ろには階段があり、この魔法陣か階段でしか辿り着けない最上階の唯一の部屋のようだ。
内開きの扉を開けて押さえてくれたロインのおかげで部屋の中が少し見える。
赤と黒を基調とした家具がある広い部屋の中、窓には厚めの赤いカーテンが掛かっており薄暗い部屋だ。
「ここは?」
「俺の部屋だが」
「……そっか」
中に入らない私を不思議そうに見てくるロインに促され部屋の中へ足を踏み入れる。
そう言えば男の人の部屋になんて叔父さんの部屋以外は入った事が無い。
そんな事を思ってしまって謎の緊張感が生まれる。
意識しないように部屋の中に視線を送る事にして、失礼にならないくらいに辺りを見回す。
部屋の中央付近には赤い天蓋付きのベッド、隅には少し暗い色の大きな木製の机があり書類らしき紙が丁寧に揃えて置かれている。
机の隅に数冊積まれた本はさっきの図書室の物だろうか。
部屋が暗いからだろうか、どこか寂しい印象を受ける。
「……ベッド、棺桶じゃないんだ」
「君は俺を何だと思っているんだ」
「いや、吸血鬼のイメージ的に棺桶で寝るのかなと」
そんな事を話しながら机の近くにあったソファに座る。
ソファダイニングになっているのでもしかしたらロインはいつもここで食べているんだろうか。
テーブルを挟んで正面のソファにロインが座ったと同時に部屋のドアがノックされる。
ロインが入室の許可を出すとコックコートを着た男性が入って来た。
横には同じコックコートの女性が食事を乗せたワゴンを持って立っている。
食事をお持ちしましたと言う二人に一礼してお礼を言えばさっきまで出会った魔物達同様慌てたようにごゆっくりと返され、目の前に食事が並べられた。
こちらを気にするそぶりを見せながらも、ササっと退室してしまった二人を見送りロインに勧められるまま食事に箸をつける。
「美味しい、そういえばお店以外でロインと夕飯食べるの初めてだね」
「そうだな。いつも店が休みの時は一人で食べているしこの部屋で誰かと食べるのも初めてだから不思議な気分だが」
「食堂では食べないの? さっき案内してもらった時にあった大きな食堂」
「あそこは今はほとんど使われていない。ほとんどの奴は部屋で食べているし、あそこで食べているのは厨房の担当者達くらいだろうな」
「そうなんだ」
お墓の前でロインが魔王が生きている時は賑やかな食卓を囲んでいたと言っていた。
さっきも室内の照明について薄暗いのは余計に気分が暗くなる、と言っていたしここに住む魔物達にとって戦争は、魔王との日々は決して過去の思い出などでは無いんだろう。
両親が死んだ後の数日を不意に思い出す。
叔父さんに引き取られるまでの数日、両親の葬式を出すまでの三日間くらいだっただろうか。
親戚のおばさんが食事だけ作っていってくれた数日間。
親戚の人達も幼い私一人置いていくのは不安そうだったがどうしても都合がつかなかったらしい。
今まで両親と三人で食べていた賑やかな食卓が突然一人になった時、あのどうしようもない位の静けさがすごく寂しかったのを未だに覚えている。
テーブルに両親がいない事が直視出来なくて、あの時はわざと違う部屋や廊下に出て食べていた。
彼らもきっとあの時の私と同じ気持ちなのかもしれない。
賑やかだった食堂で食べれば過去の日々を思い出してしまう、だから一人の部屋で食べる。
そうすれば寂しさが少し薄まる気がしたんだ。
ならせめて、今私と食べる事で少しでもロインが寂しくないと良い。
他愛のない話をして、お互いに笑って。
今まで店の食堂で繰り返して来た日常を同じように今日ここでも過ごそう。
「なら店は一か月待たずにまた開店する可能性があるのか」
「うん。ともかく国の調査待ちだけど長くても一か月でそれ以上は絶対に延びないって言われてるから、一応一か月休みって言ってるだけなんだ」
「そうか、良かった」
「体鈍っちゃうもんね」
「それもあるが君に会える日も減るからな」
突然の言葉に飲んでいた水で咽そうになるのを堪える。
ロインの方を見ればいたずらが成功したような笑顔でこちらを見ていた。
「あのねえ……」
「どうかしたか?」
私をからかう様にそう言ったロインが音を立てないように静かに立ち上がる。
そのまま私に静かにするようにジェスチャーを送って扉の方へ向かうロインを不思議に思いながら見送れば、扉の前に到着したロインが勢いよく扉を開く。
開いた瞬間、色々な外見の魔物がドサドサと室内に倒れこんで来たのを見て思わず目を見開いた。
一瞬の沈黙の後、倒れこんだ魔物達をじっと見つめるロインを見て引き攣った笑顔を浮かべた魔物達がそっと立ち上がる。
「何か用か?」
「え、ええと」
「いえ、その、別にロイン様が連れてきた女性が気になったとかでは……」
「人間の方にここまで愛想よく対応されたのは久しぶりだったのでちょっと様子が見たいな、なんて思った訳でも無いです!」
「お前達、全部言ってるからな」
まるで漫画のような光景だ。
あわあわと言い訳と言うか、思った事すべて言っている魔物達を見て思わず吹き出す。
笑い出した私を見たロインが一つため息を吐いて、もう良いから戻れと彼らを追い払う仕草を見せた。
さっき食事を持ってきてくれたコックコートの人がお皿も今お下げしますね、と腕を空中で振れば私の前に並べられていた空になったお皿が彼の持つワゴンの上に移動する。
「あ、ごちそうさまでした。美味しかったです」
「……はい、ありがとうございます! 食後の紅茶を置いておきますのでどうぞごゆっくり」
一瞬の躊躇いの後、嬉しそうに笑った彼は深々と頭を下げて周りの魔物達と共に部屋の前から去って行った。
目の前のテーブルにはいつの間にか紅茶のポットとカップ、クッキーの乗ったお皿が置かれている。
ため息をついたロインが戻ってきて、また二人での会話を再開した。
部屋の電気がいきなり消えたのはもう紅茶も飲み終わり、そろそろ帰らなければならない時間になった時だった。
突然無くなった光に思わず天井の明かりを見上げれば、やはり消えてしまっている。
同じ様に見上げたロインが、せわしないなと呟いた。
「最近調子が悪かったんだ。明日城内の魔物で確認して修理する事にしていたんだが」
立ち上がったロインが電気のスイッチの方へ向かい、手の平を押し当てるが電気はつかないままだ。
首を傾げたロインが指を鳴らせば、天窓のカーテンが開き三つ分の月明かりが差し込んで来た。
肩をすくめてこちらへ戻って来るロインの方を見て前にもこんな事があったな、なんて思う。
「懐かしいね」
「ん?」
「ロインに初めて薔薇を見せてもらった日。あの日もこんな感じでいきなり食堂の電気が消えたんだよね」
「ああ、君に初めて血を貰った日か」
「なんでそっちを蒸し返すかな」
戻ってきたロインが前と同じようにテーブルの上に胸元の薔薇を乗せる。
あの日と同じく、いや、それよりも強い光を放つ薔薇が辺りを照らし私達を中心にして部屋が更に明るくなった。
「月明かりもあるから前よりは明るいね」
「そうだな」
あの時見惚れたこの美しい薔薇、今は私の部屋にも同じ物がある。
現実離れした星空の下の空中散歩、元の世界では味わう事の出来なかったであろう出来事。
あの時は恥ずかしさよりも感動が勝ったんだっけ、あの時の風景を思い出しながら何となく笑っていると突然視界がぐるりと回った。
視界いっぱいにロインの顔が見える。
そのロインの笑顔がいつも通りだったから、頭がこの事態を把握するのに一瞬の間が出来た。
背中に当たるソファの柔らかな感覚と、両肩の脇に伸びるロインの腕。
私の顔を覗き込むような距離にロインの顔が見えて、彼越しに天窓から覗く三つの月が見えた。
さっきとは違う意味で漫画のワンシーンのようだと、頭の中の冷静な部分が考える。
「な、に?」
「君を押し倒してる」
未だ変わらぬロインのいつもの笑顔に余計に頭が付いていかない。
優しげに細められた赤い瞳もいつも通り、穏やかに凪いでいる。
ただそれでも……ああ、終わったな、なんて言葉だけは明確に心の中に浮かんできた。
「今日、うちの連中が情報を仕入れて来た」
「……情報?」
およそ押し倒してきた状態でするような話ではない事を口にしたロインに疑問が浮かぶ。
そこで初めていつもの笑顔が苦しげな表情に変わった。
「現王の容態が急激に悪化した、前王がまた王位につく可能性が高くなったらしい。戦争になる可能性が高まったぞ」
「……え?」
押し倒された衝撃が吹き飛ぶような話だった。
戦争という、今まで縁の無かった事が近づいてくる恐怖で更に頭の中が混乱する。
「確定、なの?」
「前王が即位すれば確定だ。あの男は俺たち魔物を恨んでいる。自分を王の座から追いやった原因だとな」
「え、だって自分が悪いんでしょう?」
「あの男は認めないがな、俺は……」
言葉を切ったロインが私の肩口に顔を埋めて来る。
彼の銀色の髪が頬にかかり、滑り落ちていった。
今までロインの顔で遮られていた三つの月が視界にすべて収まる。
「俺は、まだ君に何か言うつもりなんて無かったんだ」
顔を埋めたと同時に掴まれた肩に力が籠る。
ロインの声が震えているのに気が付いて、抵抗しようとした気持ちが萎んでいく。
「君が、いつもの日常が続く事を望んでいる様だったから……俺が、いつもの日常を過ごす事を望んでいたから」
「ロイン……」
「だから、子供のような言葉遊びと揶揄いで満足していたんだ」
無意識に押し返そうとしていた私の手から力が完全に抜ける。
それとは逆にロインの手にはさらに力が籠り、痛い位に肩を掴まれる。
「君が誰かを選ぶような事が起こる前には動こうとは思っていた。でも、俺も君と同じだ。君と過ごすこの日常を一つの感情で壊すのが怖かった」
けれど、と吐き出すように言葉を続けるロインに何も言葉を返せない。
「戦争が始まれば、俺は魔物で君は人間だ。どれだけ俺達の感情が拒否をしても立場上今まで通りにはいかない。俺は、俺は……」
動いたロインに抱きしめられる形になって、彼の肩に顔が埋まる。
天窓から見えていた月も雲に隠れて見えなくなった。
テーブルの上に置かれた薔薇の光だけが、少し高い位置から私達を照らしている。
「俺は戦争が始まったら君がどれだけ拒否したとしても君を攫って閉じ込める。二度と失わなくて済むように、君がどれだけ泣き叫んだとしても」
「ロイ、」
「失ってから必死に手を伸ばすなんてもう御免だ。あいつらが居なくなって、どん底まで落ちて、タケルに出会って、君に出会った。君と過ごす事が日常の一部だと思えるようになった時、ようやく這い上がった気がしたんだ。同時に怖くなった、もう失うのは嫌だ」
少し顔を上げたロインがそっと私の頬に手を滑らせる。
感情からか、それとも涙か、潤んだような真っ赤な瞳から視線が逸らせない。
来ないで、言わないで、そう叫ぶ心とは裏腹に私の口からは何の音も出てこない。
吐息がかかるほど近付けられたロインの顔で天窓すら完全に隠れて見えなくなった。
「俺を選んでくれアヤネ、君の特別なたった一人の男に。俺から……君と過ごす当たり前の日常を奪わないでくれ」
彼の口元が上がり、ゆがんだ様な笑みを浮かべる口から彼の存在の象徴とも言える牙が覗く。
「君を、一人の女性として特別に思っている。この感情を愛と呼ぶのなら、俺はあの時のシュテルの気持ちを心から理解できる」
今、私はどんな顔をしているんだろう。
滲んできた視界の中そんな事を考える。
来ないでほしかった、もう少し待ってほしかった。
けれどそれが自分のわがままだと知っていた。
……いつかは来るとわかっていた。
揺れる赤い瞳に、掴む手の力の強さに、体にかかる重みに、震える声に。
返す答えを持たないまま、感情が定まらずぐちゃぐちゃで、置いてきぼりの私の心。
雲に隠れたままの三つの月は、今の私の心を表す様に未だ一つも見えないままだった。




