【閑話】日常が崩れ始める予感
平和な日常に少しの影を差したのは、早朝にセリスとミリティが持ってきてくれた報告だった。
「ええっ! ダンジョンが数日閉鎖?」
「そうなの。一番攻略を進めてる人達がダンジョンの新しい階層に到達したんだけど、そこの敵が今までいないレベルで強力だったらしくて。」
「流石に攻略を進めてるだけあってその人達は強いから大丈夫だったんだけど、後続の人にはちょっとキツイかもって事でちょっと調査期間を設けさせてほしいんだ」
「実は今回の報告の前にも何回か敵が強くなってきた気がするって声も上がってたんだけどね。今回の件で一度調査しようって事になったから閉鎖のお知らせ出してもらっていい?」
「これ、王室から回って来た正式な書類ね」
そう言ってセリスが手渡して来た書類には王室を表す紋章が入っている。
本当に正式な勅命らしいと実感してなんだか身震いした。
「ちょっと待っててもらって良い? 叔父さんまだ出発してないはずだから話してくる」
「え、タケルさん居るの?」
嬉しそうに頬を染めたセリスを見て、ミリティと二人で苦笑いする。
楽しそうな恋だなあ、羨ましい。
「今日はまた恒例の一人旅に出る予定だったからお店には私しかいないけど出発予定の時間まではまだあるからいると思う。二人から説明してもらった方が良いと思うから呼んで来るね」
パアッと顔を輝かせたセリスがいそいそと食堂の鏡の前に向かい髪や服をチェックしだす。
どこか投げやりな笑みでそれを見守るミリティに心の中でエールを送りながら家への階段を上った。
出発寸前だった叔父を呼び止めて軽く説明すれば流石に話が大きいからと出発を延期して説明を聞きに行く事にしたらしい。
今度は叔父と二人で階段を下り店へと行けば、さっきよりしっかりと身だしなみを整えたセリスが迎えてくれる。
若干緊張した顔だがそれでも生来の真面目さが勝つのかしっかりと叔父に説明をしていくセリスを素直に尊敬しつつ、手招きしてきたミリティに応えて彼女の側に近寄る。
「アヤネ、悪いけどダンジョンの入り口に探索魔法の媒介貼らせてもらいたいんだ。立ち会ってくれる?」
「うん、良いよ」
謎の魔法陣が書かれた紙を取り出したミリティとダンジョンへ繋がる扉へと向かう。
扉を開けたミリティに続いて初めてダンジョンへのドアを通った。
ドアの向こうは石で作られた床の小さな小部屋になっており、その奥に下へと向かう階段が見える。
階段の入り口にはぼんやりと魔法陣が浮かび上がっていた。
「私この場所初めて入ったよ。こうなってるんだね」
「そうなの? まあアヤネは戦う手段が無いからね。一応あの階段の前の魔法陣でここまで魔物が入って来る事は無いとは思うけど。この奥にも三枚くらい結界の魔法陣が張ってあるし」
「そうなんだ。正直あの男達に襲撃受けた時こっちに逃げ込むか迷ってたんだけどこの部屋じゃ隠れる所も無いし行かなくて正解だったなあ」
「ああ、そうだね。この階段の先もずっと一本道だしそれこそ本格的にダンジョンに入らない限りこっちに隠れる所は無いかな」
「……判断間違えなくて良かった」
しみじみとそう感じながらミリティに続いて魔法陣を潜る。
何の抵抗も無くスルッと階段に出たが、これでもしっかりダンジョンの魔物に対しては効果があるらしい。
階段の途中で少し間を開けて張ってあった二枚の結界を潜った先で石で作られた重そうな扉の前にたどり着いた。
扉の前には今まで潜ってきた物とは少し違うデザインの大きな魔法陣が張られている。
「この先がダンジョン?」
「そう、その魔法陣がダンジョンからの逆流を防ぐ要のやつだね。あ、ちょっと離れてて。浅い階層の魔物は弱いから私でもアヤネの事を守りながら退却する余裕はあるけど一応ね」
「了解です」
「基本的には結界があるから大丈夫なんだけど、もしかしたら危険があるかもって事で本当はここには副団長が来る予定だったんだ。本人も行きたがってたし」
「来れなかったの?」
「他にも回らなきゃいけない所がいっぱいある上に、報告の為に城に行けるのは団長か副団長になっちゃうから。だからここに良く出入りしてるセリスと私で来たの」
「そうだったんだ」
「え、なになに? 副団長に会いたかった?」
「ヴァイスにも会いたかったけどミリティ達にも会いたかったから全然嬉しいよ」
わざと笑顔を浮かべてそう言えば、つまらないの、とミリティが笑う。
私をからかおうとしただけでその言葉が本気で無いのは嬉しそうな笑顔でわかるので私も更に笑い飛ばした。
笑いながら手に持っていた紙をダンジョンの扉に貼り付けて手を添えるミリティ。
彼女の手からふわりと光が溢れて紙に吸い込まれるように消えた。
「よしこれでオッケー。上に戻ろっか。戻ったら調査用の魔法媒介貼りましたっていう書類にサインだけよろしく」
「了解、こういう手続きって必要なのはわかってるけど面倒だよね」
「そうだよね、今回のこの作業だって付き添い必須だもん。まあ仕方ないんだけど」
軽くため息を吐いたミリティを見てどこの世界でもお役所仕事みたいなものは大変だなあなんて思う。
この中が見られたのは良かったけど、私が一人で来る事はこれからも無いだろう、自分が非力なのは自覚してるし。
なんとなくもう来る事の無い場所であるこの部屋を見回す。
「ねえミリティ。ここは基本魔物の人達用の入り口なんでしょう。人間用って別にあるの?」
「そうだよ、此処と同じ作りの部屋がもう一つあってそっちは人間用のお店から繋がってるの。まあ中では繋がってるからダンジョン内で人間と魔物が会う事も結構あるけど」
「へえ、向こうの店ってどんな感じ?」
「こっちよりは広いかな、食堂もあるけど業務用って感じ。私はアヤネのお店の方が好きだな」
「ありがとう。向こうの方が広いって事はやっぱり人間の方が多いのかな」
「うん、結構賑わってる。ただ前はダンジョン内で魔物と会ってもお互いスルーしてたけど、今はちょっと挨拶したり雑談したりしてる人達もいるよ。もっとも今回報告くれた最深部の攻略メンバーは結構初期から人間も魔物も入り混じりで協力して戦ってる事もあるらしいけど」
「そうなんだ。共生にちょっとずつ近づいてるみたいで嬉しいね」
「うん、まあ交流が活性化したのはアヤネがお店に来てしばらくしてからだけどね」
戻ろうと提案してきたミリティに頷いて、今下りて来たばかりの階段を上りながらポツポツと話し続ける。
「でもこのお店自体は叔父さんが一人で前からやってたんだよね?」
「タケルさんは見た目が大きいっていうかパッと見は強そうじゃない? 何かあっても自分で対処出来そうな人が魔物と仲良くしてるのと、アヤネみたいに戦闘能力が無さそうな子が仲良くしてるのとじゃ印象がだいぶ違うよ。あの戦えなさそうな子が仲良くしてるんなら危なくないんだろうってなるし」
「ああ……でも叔父さんも見た目ほど戦闘能力ないけどね。お店に来てる人魚さんの子供の方がずっと強いし」
「実際はねー、でも見た目がどうしても一番の判断材料になっちゃうからなあ」
「まあそれもそうか。叔父さんと言えばセリス大丈夫かな」
「説明中は大丈夫だと思うけど。それが終わって雑談になったらオロオロしてそうだね」
少し長い階段を登り切って食堂へ戻れば、顔を真っ赤にしたセリスと面白そうに笑う叔父さんが待っていた。
何があったんだろうと疑問に思ったが、まあ多分叔父さんがセリスを揶揄ったかなんかだろうと思い口にはせずにおく。
ミリティとセリスはこの後もこの件でいくつか回らなくてはならない事があるらしく、色々とサインをした書類を持って戻って行った。
とりあえず閉鎖は明日からという事で、今日来たお客さんにはしっかり説明する必要が出た為叔父さんは旅への出発を遅らせることにしたらしい。
「どの位閉鎖するんだろうね?」
「セリスちゃんの説明だと長くても一か月程度にはなるらしいけどなあ。とりあえず店はたまに開ける形にしようかと思うんだが」
「ダンジョンには行けないけど販売と食堂はやるって事?」
「ああ。このダンジョンが閉鎖中は自警団の方で希望者に仕事を斡旋するらしいから魔物連中が気軽に買い物出来る様にしておこうかと思ってな」
「そっか、毎日は開けないの?」
「一応一か月掛かるとして、一週間に二回くらい開けりゃあ良いかと思ってる。まあお前も久しぶりの休暇だと思っとけ」
「うーん……嬉しいけど突然だし今まで働き詰めだったから何やったら良いか思いつかないな」
「定年後のサラリーマンかお前は」
「あはは」
苦笑いで誤魔化せば呆れた様子の叔父さんがため息をついた。
「まあ、一か月ずっと休むわけじゃねえし適当にやりたい事やってりゃあっという間だろう。一切仕事しないわけじゃねえしな。一か月間ずっと食堂閉めたらルスト辺りが騒ぎそうだし」
「俺がなんだって?」
いいタイミングで食堂に入って来たルストが首をかしげる。
もうそんな時間かと、説明は叔父さんに任せて急いで食事の準備を始める事にした。
そして説明が終わった結果、カウンターにルストが突っ伏している。
いつもはピンと立っている耳は伏せられ、大きな尻尾も力なく床に垂れていつもの明るさは微塵も無い。
「へこみ過ぎだろ」
「……ダンジョンも無くて? 飯も無い? 一か月も……」
「いや、長くてもそれ位って意味だからもう少し短くはなると思うが」
「週二で開ける予定だし、なんだったら開ける前日はどうせ一回は仕込みに来るから一食でよければご飯出すよ」
「マジで! じゃあ予定決まったら教えてくれ。ああでもダンジョン……ただでさえ憂鬱な噂が飛び交ってんのにここも一時閉鎖かよ」
「憂鬱な噂?」
「なんだ、なんかあったのか?」
私達の疑問の声にカウンターに顎を乗せたままのルストが嫌そうに口を開いた。
「今の王がちょっと体の調子が悪いらしくてな。代わりに前の戦争の引き金になった前の王が復帰するんじゃないかって話だ。城下町の人間中心に魔物との溝が浅くなって来たっていうのにあの狸爺が復帰したらまた戦争になりかねないぜ」
「そんな噂があるの?」
「ああ、城下町やら森の魔物やらにはもう広まってる」
「そうなんだ」
嫌そうに言うルストにそう返しながらも、前の戦争について何一つ知らないので色々とよくわからない。
ルストの口振り的に前の王が魔王討伐の戦争を起こしたんだろうか。
色々わからないながらも漠然とした不安に襲われる。
「今の王様に何かあったらその前の王様が復帰するのは決定なの?」
「どうしても血縁関係優先されちまうからな。まあ、現王は共生を目指してる身だ。何とか復帰させないようにはすると思うぜ」
「ん? そういや現王の王妃が身ごもってるんじゃなかったか?」
「おう、あと少しで生まれるからそうしたらそっちの子供の王位継承権の方が強い。現王には優秀な部下も多いし後継人をつけてその子供が王になるだろうな。だがもう少しで生まれるっていうこのタイミングでの現王の不調に、何か前王が関わってるんじゃないかって噂までありやがる」
「……なんか嫌な感じだね」
「まったくだ」
吐き捨てるように言ったルストにとりあえず今日のご飯を差し出せば、わかりやすく瞳が輝く。
いつもの調子を取り戻したのか嬉し気にパンに齧り付いたルストを見ながら、このままこの平和が続けばいいのにと心の隅で思った。
その後なんやかんやと叔父さんとこれから一か月の開店の予定を立て、来るお客さんに説明を繰り返している内にあっという間に夜になってしまった。
お客さんの間にもルストの言っていた噂は広まっていたらしく、どこか暗い空気も漂っていてなんだか嫌な感じだ。
ただ来るお客さんは皆揃って戦争が始まっても絶対に攻撃したりしないから今まで通り仲良くしてほしいと言ってくれたので、すごく暖かい気持ちになった。
そしてほとんどのお客さんを送り出した夜、後はロインが来るのを待つだけになった。
叔父さんは夕食を持って家へ先に戻ってしまったので食堂には私一人だ。
一か月分のアイテムの発注のやり直しがあるらしいのでしばらくは部屋に缶詰めだろう。
うきうきと旅に出ているはずだったのに現状は部屋で仕事、これお店休みになったらしばらく帰ってこないやつじゃないかな。
休み始めてから三日は確実に家にいるって言ってたけど、それってつまり三日過ぎたらいない可能性が高いって事だし。
まあそれはいつもの事かと思い直した所で店の入り口が開いて、看板を持ったロインが入って来る。
最近は自分が絶対に最後だからと店の前に出している看板を回収し入り口の鍵を掛けて来てくれるロイン。
慣れた様子でいつも置いてある位置に看板を置いたロインにお礼を言って、いつも通り二人で食卓に着いた。
「閉鎖?」
「うん、長くても一か月位らしいんだけど」
食べながら詳しい話を説明すれば、どこか納得顔のロイン。
「確かに新しい階層は一気に敵のレベルが上がった気がしたが、そうか調査が入るのか」
「え、ロインってもしかして一番攻略進めてるグループにいるの?」
「ああ。ダンジョン内では活動時間が違うしダンジョンも広いから会わないがルストやヴァイスも同じくらいの階層にいるぞ」
「……皆強いんだね」
そう言えば皆、前の戦争では勇者パーティにいた人達と魔王軍の幹部だったっけ。
私の交友関係って結構強者の集まりだったんだな、なんて今更ながら思う。
「しかし、一か月か。体が鈍りそうだ」
「一応希望者には自警団で仕事斡旋してるらしいけど」
「……俺は城の近場のダンジョンでも回るさ。ここの敵よりは弱いが理性の無い連中がいるダンジョンはまだまだあるからな」
一瞬嫌そうな顔をした辺り、絶対に自警団に行く気は無いらしい。
結婚式の時はヴァイスとお互いに大人な対応だったのか多少普通に接してはいたが、あの気まずい空気を思い出せばロインが行きたがらないのも納得出来る。
「とりあえずこのお店も一週間に二回くらいは開けるから。アイテム販売と食堂だけだけど。これ予定表ね」
「ああそれは助かる、ここが一番買い物がしやすい。しかし血の補充が出来る日が減るな」
「こっち見ながら言うの止めてもらえませんかね」
獲物を見るような目で見てくるロインに引き攣り笑いを返しながら本日の夕飯を口に運ぶ。
休みが多くなるとロインと夕飯を食べる日も減ってしまう。
ほんのりとした寂しさを感じながら、予定表に目を落とすロインを見る。
この人との夕飯は私にとっての日常に組み込まれているのでなんだか変な感じだ。
ふいに顔を上げたロインと目がばっちり合ってドキッとする。
逸らすタイミングがわからず心の中で慌てていると少し首を傾げたロインが予定表を指さした。
「この店を開ける日以外は君は休日なのか?」
「うん、一応ね」
「なら明日と明後日も休みか。何か予定はあるのか?」
「特に無いよ、むしろ急に出来た長期の休みに何をしていいか分からなくて悩んでる」
「それもどうなんだ」
さっき同じ話題で話していた時の叔父さんと同じような表情になったロインからそっと目を逸らす。
だって何も思いつかない、一応溜まっているスケッチの色付けをしようかなとは思っているけれど。
「なら明日俺と出掛けないか?」
「ロインと? 良いけどどこに?」
予定は無いので逆にお誘いがもらえるのはありがたい。
私の問いかけに静かに目を伏せたロインが顔を上げてまっすぐに私を見る。
その視線に今まで見た事の無い感情がこもっている気がして何となく背筋が伸びた。
今日になって感じ始めた戦争への不安とか、ダンジョンの閉鎖という非日常への不安とか。
それに加えて何かが始まるような気がして胸の奥がモヤモヤする。
私の心中を知ってか知らずか、私から視線を逸らさないロインの口が開く。
「俺が今暮らしている城、まあ人間達が言う魔王城だな」
この世界に来た時痛感した事がある。
日常が壊れるのに前兆なんて無いという事。
こちらをまっすぐに見続ける真っ赤な瞳を見返して、胸の奥に沸き上がった感情に蓋をしながら小さく了承の返事を返した。




