例えば当たり前のように向けられるその視線に(ヴァイス)
色々と変わりそうで変わらない日々を過ごす事が出来ていたある日、夕方に来たヴァイスに質問を投げかけられた。
「描きたいもの?」
「はい、以前綺麗な景色の場所に連れて行くと約束したでしょう? 何か描きたい景色等あれば教えていただきたいと思いまして」
「そうだなあ……最近は渓谷ばっかり描いているから水辺とかかな」
「そうですか! あ、いえ、実は家のすぐ側の森の中に湖があるのですがこの時期は花に囲まれているのでとても美しい景色が広がっているのです」
そこで言葉を切ったヴァイスが少し照れた様に笑う。
「もしよろしければご案内します。一緒に行きませんか?」
「それはもちろん嬉しいけど、私がスケッチに入っちゃうとヴァイスが暇じゃない?」
「元々その場所へは休日に鍛錬に通っているので私は槍でも振るっていますよ。貴方の絵の邪魔になってしまうかもしれませんが」
「そんな事無いですよ!」
むしろ景色よりそっちを見たい気もする、いや是非見たい。
彼があの槍を振るったのを見たのは一度だけ、店が襲撃された時だけだ。
あの時はじっくり見る余裕なんて無かったし、花咲く森の湖で槍を振るヴァイスとか絶対に絵になるに決まっている。
出来ればその光景も描かせてもらいたいななんて思いながら彼に了承の返事をする。
ふわりと笑った彼と予定を合わせ、待ち合わせの時間を決めてからダンジョンへ行く彼を見送った。
約束した日まではあっという間だった。
この仕事は朝昼晩の食事出しというある意味時間が区切られている仕事なので、気が付いたら一日が終わっている気がする。
もうすぐ待ち合わせの時間なので昨日さんざん悩んで決めた服に袖を通してスケッチブックを手に取った。
ヴァイスと出掛ける時はいつも服選びに迷ってる気がする。
ルストと出掛けた時は行先がダンジョンなのでともかく動きやすい服を選んだし、ロインとは仕事着そのままで出掛けた。
サーラ達と遊ぶ時はそれこそ悩まなくてもいいし、自分で出かける時もそれほど悩まない。
ただどうしてもあの綺麗な人と出掛ける時は服に気合が入る気がする。
鏡の前に立ってもう一度服のバランスやスカートが捲れていないかチェックしてからモモの眠る籠をのぞき込む。
最近モモは眠っている事が多くなった。
この間ルストに聞いてみたのだがライゼドラゴンは一度成長を始めるとある程度成長するまでは睡眠が増える時期があるらしい。
その睡眠で次の成長へ向けての力を貯めているらしいのでその時期が終わったらルストがまたダンジョンに連れて行ってくれるとの事。
成長してそれからしばらくすると睡眠の時期、その後はまた普通に活動するようになるのでその時にダンジョンに行けば成長効果が高くなるという事だ。
モモのサイズなら大体数日くらいでまた普通に活動するようになるらしいので、今はそっとしておくのが一番らしい。
眠るモモに布団を掛けて、籠の横に好物の果物をいくつか置いてから部屋を出た。
家を出れば移動魔法陣のある建物の側で微笑むヴァイス。
以前出掛けた時とは違って動きやすそうな服に槍を背負っている。
槍の美しい装飾が光を反射し、彼の金色の髪も相まって少し眩しく感じた。
「こんにちはアヤネ。良い天気でよかったです」
「こんにちは。雨は雨で綺麗だけどやっぱり外にいるなら晴れじゃないと困るもんね」
軽く挨拶を交わしながら転移魔法陣の設定をして目的の場所に飛ぶ。
飛んだ先の魔法陣は木製の小さな小屋の中にあった。
当然の様にヴァイスが扉を開けてくれたので、何となくむず痒い気分になりながらもお礼を言って外へ出る。
扉の先はエルフの森と似た雰囲気の森の小道だった。
木々の間から差し込む日の光が軽く舗装されている道に揺れる葉の影を映し出している。
気持ちの良い風が吹き、日の光のおかげでポカポカと暖かい森の中はここだけでも十分なくらいに綺麗だった。
ヴァイスと二人、隣に並んでゆっくりと道を歩き出す。
「綺麗な所だね」
「そうですね、まあエルフの森には負けると思いますが」
「あそことは違った感じ。なんというか落ち着く綺麗さだと思うけど」
「そう言っていただけると嬉しいです。幼少の頃から私の槍の練習場所はこの森ですので親しみもありますし」
その言葉に森の中で幼いこの人が槍を振っているシーンが頭の中に思い浮かんだ。
うん、普通にエルフの子供かなと思うくらいには似合っている。
「じゃあ本当に家から近いんだ」
「はい、この森を出てすぐの場所ですのでたまに両親も二人で散歩していたりしますね」
「仲が良いんだ、そういう夫婦って良いよね」
「……はい、私も我が両親の事ながら羨ましい関係だと思います」
安らいだ表情でそう言うヴァイスからは本当に両親を慕っている様子が見て取れる。
リャナンシーであるお母さんがどの位綺麗な人なのかも気になるが、人間である父親の方も見てみたいななんて思った。
木々を走り回る小動物や、聞こえてくる鳥の鳴き声等、小さな話題を繰り返しながらのんびりと歩く道。
なんとなく心からリラックス出来ている気がしてこっそりと笑う。
「ああ、着きましたね」
「……わあ!」
森の小道を抜けた先、木々が途切れて空が見える空間に小さな湖が顔を出した。
綺麗な円形をした湖で、対岸もうっすらと見えるくらいの小さな湖。
小さな花々で構成された花畑に囲まれており、圧巻の光景とまでは言えないがそれが逆に良い感じに穏やかな空間になっている。
日の光が湖面に反射してキラキラとした光が辺りを照らしていた。
「すごい、可愛いし綺麗!」
「気に入っていただけましたか?」
「うん、すごく」
「良かったです、あちらに石畳の広場がありますので行きましょう。そこでしたら座れますから」
そう言って石畳の所まで案内してくれたヴァイスは、それでは自由時間という事で、と少し離れた花が咲いていない一画へ行ってしまった。
嫌な感じも無く純粋に私に絵を描く時間をくれようとしているのがわかる。
スマートな人だなあ、なんて思いながら石畳の隅に腰を掛ける。
花畑と湖が同時に綺麗に見える場所だ。
こういう所もしっかり加味して選んでくれたんだろうなあ、頭の中で彼にお礼を言ってスケッチブックを開いた。
集中してしまえば時間が過ぎるのはあっという間だ。
しばらく無心で鉛筆を動かして、何枚かのスケッチを終え顔を上げる。
軽く首を回して目を瞬かせ、軽く伸びて空を見上げた。
空気も良い、景色も良い、ものすごく集中出来た気がする。
清々しい気持ちで空へ向けていた視線を下ろせば今まで集中していた為、見ていなかった光景が視界に飛び込んできた。
湖に反射した日の光を更に弾いて金色の髪が揺れている。
その反射を断ち切るように美しい槍が空を斬る。
今まで見た事の無い位に強い視線は見えない敵をしっかりと見据えているように感じた。
かっこいい、今までヴァイスの事は綺麗な人だという評価が一番に来ていたのに今回はそんな感想しか浮かんで来ない。
無意識の内に動かした手がスケッチブックにその姿を描き出す。
どの位見惚れていただろう。
前だけを向いていた真剣な視線が不意にこちらを向き、彼の真剣な瞳がトロリと緩みゆっくりと口角が上がる。
ぶわりと鳥肌が立つ様な感覚と一気に顔に熱が集まる感覚。
槍を下ろしてこちらへ歩いてくる彼を見て、顔の熱よ早く下がれと必死に願った。
「もう描き終わったのですか?」
「う、うん。一息ついた所」
首にかけられたタオルで流れる汗を拭きながら、少し離れた場所に彼が腰を下ろす。
普段より少し遠い距離は自分が運動後であるが故の彼の気遣いだろう。
動いた後だからか休日だからか、片膝を立てる形で地面に座った彼に珍しさを感じながら荷物からしっかり冷やしたレモネードを出して手渡す。
嬉しそうに笑った彼がそれを受け取り口をつける。
汗の流れる首筋が動くのが妙に色っぽくて、そっと視線を逸らした。
頭が微妙に混乱しているのを治す時間稼ぎに、カバンの中から続けてスコーンとジャムを取り出す。
何か買ってこようかと思ったのだがヴァイス本人から手作りが良いと言われたのでスコーンを作り、サーラから貰った果物を使ってジャムも作って来た。
これまた嬉しそうに受け取ってくれた彼を見てこれだけ動いた後でよくスコーンなんて食べられるな、なんて違った意味で感心してしまった。
「良い絵は描けましたか?」
「うん、それに大分リフレッシュ出来たよ。ありがとう」
「それは何よりです。もしよろしければ見せていただいても良いですか」
「良いけど下書きみたいな物だよ」
「では色を付けた時も見せていただきたいです」
それにもオーケーの返事をしてスケッチブックを手渡せばパラパラと彼がめくりだす。
何枚かめくった後に硬直した彼を見てさっきまで自分が描いていたものを思い出して血の気が引いた。
まずい、ほぼ無意識に描いてたしさっきのヴァイスの笑顔の破壊力で記憶が飛んでたけどあのスケッチブックにはさっき無断で書いたヴァイスの絵がある。
「…………」
「……その、勝手に描いてすみません」
素直に謝る事にして小さな声で呟く。
嫌な気分にさせたかと思ったが思いのほか嬉しそうに笑った彼がスケッチブックを見つめたまま口を開く。
「いえ、嬉しいですよ。貴方の目に私はこんな風に映っているのですね」
「そういう風に言われると若干恥ずかしいんだけど」
笑顔を崩さずにいた彼が数枚めくってまた固まる。
あの辺りのページに何を描いていたっけと思い出そうとしてみるが流石に描いているものが多すぎて出てこない。
ヴァイスの後ろからスケッチブックをのぞきこみ、何を描いていたか確認する。
「あ」
小さく声が出たがヴァイスは固まったままだ。
開かれたページには様々なスケッチが並んでいる。
例えば花や鳥の練習だったり、ジェーンの結婚式を思い出してサラッと描いていたものだったり。
サーラやミリティ、セリスとのお茶のシーンやモモがリンゴを齧っている所等、要は記憶の中の光景を何となく描いたものが多いページだ。
ヴァイスの視線はその中にある、遺跡で私を庇って爪を振るってくれた時のルストと、薔薇を取りに連れて行ってくれた時のロインの絵に向いている。
何を言って良いかわからずしばらく静寂が続いたがヴァイスが大きく息を吐き出した事でそれは打ち破られた。
「まあ、わかっていた事ですしね」
そう小さく呟いたヴァイスが気を取り直したように笑みを作ったので私もそれに倣っておく事にする。
不意に笑顔の彼が一瞬ブレる様な感覚を覚えて一度瞬きをする。
目を開けた時には目の前の彼の姿は笑顔だけそのままに大きく変わっていた。
驚いた私を見て彼が更に笑みを深める。
緩く吹いた風が辺りの花びらを少し舞い上げて、彼の長く伸びた髪を揺らす。
スケッチブックのページが捲られて白紙のページへと変わった。
「驚きました?」
「……驚いたよ。ヴァイスはあんまりその姿になりたくないのかなって勝手に思ってたし」
いたずらが成功した子供のような顔でヴァイスが少し首を傾げた。
長く伸びた髪は地面に着き、その間から尖った耳が覗いている。
少し深くなった紫色の目が私を見据えた。
あの襲撃の時に一度だけ見た姿、彼のもう一つの姿だ。
「そうですね、あまりなりたいとは思いません。家でも基本的には人間の方の姿で過ごしておりますし。こちらの姿の方が魔力は上がりますがダンジョンでもあえてこの姿を取ったりはしません」
「じゃあなんで今……」
「貴方の視線が変わらないのか確かめたくて」
「視線?」
「ふふ、結局は私の思い過ごしでした。この姿に関してはどうしても心配になってしまいます」
ニコニコ笑う彼がとても嬉しそうで楽しそうなので変に突っ込むのはやめておく事にした。
そのままの姿のヴァイスと二人、雑談を交わしながらスコーンに口をつける。
前の時はそれ所では無くてあまり見られなかったが、こっちの姿のヴァイスは普段と比べても本当に綺麗だと思う。
顔立ちは変わっていないし髪が長くなって耳が尖っただけであまり変わりがないはずなのだが雰囲気が変わる気がする。
どうしてかはわからないがこれがリャナンシーの血なんだろうか。
とはいえ普段も十分綺麗な人なので、この姿だからと言って私の心情が大きく変わるかと言えばそうではないのだが。
まあ態度を変える必要は無いよね、と結論付けて自分用のレモネードに口をつけた。
そんな私を見たヴァイスの顔がどこか複雑そうなものに変わる。
「どうかした?」
「いえ。自分の希望通りの結果でとても嬉しいのですが、正直別の結果も期待していた所があるというか……」
彼の発言の意味が分からなくて疑問符を浮かべる私に苦笑するヴァイス。
「この姿を取った時、効果は物凄く弱いのですが一応魅了魔法と同じ効果が私に発動しているのですが」
「え、そうなの? ああ、だからいつもと違ってる所自体は少ないのにすごく綺麗に見えるんだ」
さっき少し疑問に思った事が解決されて何となくすっきりする。
私の返答を聞いたヴァイスが少し項垂れた。
「良いんですけどね。いつもと同じように接していただけるだけで十分嬉しいので……多少は魅了にかかっていただいても良かったのですが」
「え?」
「いえ、なんでもありません」
最後の方を呟くように言った彼の声が上手く聞き取れなくて聞き返すが、明確な返事は返って来なかった。
気を取り直したようにスケッチブックを手に取った彼がまたパラパラと捲りだす。
「とても綺麗に描いていますし、描くのもお好きなのでしょう? コンテストなどには出さないのですか?」
「十代の頃は出してたけど今は完全に趣味だからなあ、私が絵を描くのを知ってるのってお店に勤めだしてからはヴァイスくらいだし」
「え? そうなのですか!」
思いのほか勢いよくそう聞いて来たヴァイスに若干押されながらも小さく頷く。
そもそも休日一人の時にしか絵は描かない。
誰かと過ごす時は基本その人と一緒に何かをしているので、一人の世界に入り込む形になるスケッチなんかはまずやった事が無い。
「普通に遊びに行く時はまずスケッチブックなんて持って行かないし、部屋に入ればスケッチブックとか描きあげた絵の山はあるけど。入った事があるのもヴァイスだけだからなあ」
サーラ達と遊ぶ時も基本的に広い食堂に集まってたし、あの部屋に入ってくるのはモモと叔父さんくらいだ。
「まあ叔父さんはもちろん知ってるけど。あの日たまたまヴァイスがお店に来たから行き会っただけで普段は人前で描かないよ」
「……タケル殿が書類を忘れた事に感謝しなければなりませんね」
しみじみとそう呟いたヴァイスが笑う。
姿が違ってもこの人の穏やかな笑顔は変わらない。
話している間に時間が経ち、いつの間にか空がオレンジに染まり始める。
店に来る時と同じ様に彼の長い金色の髪が夕日を弾く。
いつも通りの光景に何となくホッとして笑えば、ヴァイスからも笑顔が返って来る。
「あらあら」
澄んだ鈴の音のような声が後ろから響いて来たのはそんな穏やかな時間の最中だった。
パッと声のした方を振り向いて固まる。
見開きすぎた目が乾いている事に気が付いてからようやく我に返った。
ものすごい美人が少し離れた小道の所で空中にふよふよと浮かんでいる。
ウェーブのかかった金色の長い髪が揺れて好奇心と愛しさを含んだ様な青い瞳が細められる。
艶やかな唇が可笑しそうに、でも嬉しそうに笑った。
同じように、いや私よりも驚いた様子で固まっていたヴァイスが声を上げる。
「な、なぜ」
「今日は天気も良いからお散歩、ねえあなた」
女性の美しさに目を奪われていたが、彼女の後ろにもう一人青い髪の男性が立っている。
女性の口振り的に彼女の旦那さんだろうか。
精悍な顔付きだが、その紫色の瞳は意外そうな顔でこちらを見つめている。
二人の顔にどこか見覚えがある気がして一瞬悩んだが答えはすぐ隣にあった。
「母さん、父さんも……」
若干引き攣った顔でそう口に出したヴァイスに、やっぱりと納得した。
金色の髪は母親から、紫の瞳は父親からの遺伝なんだろう。
うふふふ、と笑った女性が男性の周りをふわりと一周して腕を絡ませる。
その姿は魅了する妖精と言われるリャナンシーのイメージそのままだ。
「良い物が見れたわね」
「そうだな」
女性のその言葉に口数は少ないながらも薄く笑って同意した男性。
女性に向けられる笑みには、ヴァイスが以前言っていたように確かな愛情が感じ取れる。
そしてそれは女性から男性への視線も同じだ。
確固たる愛情を目にして、良いなあなんて思った。
何となく二人のやり取りを見ていたのだが、不意に男性だけを残して女性の姿が掻き消える。
え、と思った次の瞬間至近距離に女性の顔が現れて思いっきり驚いてしまった。
「母さん!」
珍しい位に大きな声を出したヴァイスには反応を返さず、私の目を覗き込む青い瞳。
どうする事も出来ず何度か瞬きをしながらその目を見返す。
しばらく私の目を見ていた青い瞳が嬉しそうに細められ、また彼女は目の前から掻き消えた。
そしてそうするのが当然の様に男性の元に戻った彼女が腕を絡ませる。
「うふふ、最近貴方がご機嫌な理由がわかったわ」
そう言った彼女の視線はヴァイスに向けられており、本当に嬉しそうだ。
ニコニコと笑う女性がじゃあ行きましょうかと男性に声をかける。
男性がヴァイスに視線を向けてまた薄く笑う。
「お前のその姿を見たのはずいぶん久しぶりだ。良かったな」
面食らった様なヴァイスが言葉を無くす。
そう言えば家でもこの姿にはならないなんて言ってたっけ。
男性の視線が今度はこちらを向き、軽く頭を下げられる。
慌てて頭を下げ返せば夫婦で揃って笑顔を向けてきた。
「君は人間、かな。面倒な息子だが仲良くしてやってくれ」
「ふふふ。ヴァイス、今度はちゃんと紹介してね。貴方もまた会いましょう」
そう言って何事も無かったかのように腕を絡めながら去って行った二人を無言で見送る。
かすかに聞こえてくる美しい歌声は彼女の物だろう。
後ろ姿だけでも楽しそうで、幸せそうで、ものすごく仲が良いのがわかる二人。
子供がこれだけ大きいのにまるで新婚みたいだ。
その事に嫌な感じは全然無い、逆にすごく羨ましくなるような夫婦の形。
あの二人の間に魔物と人間の壁なんて一ミリたりとも存在していなかった。
「……素敵なご両親だね」
胸に残る暖かな余韻を噛み締めながらそう呟く。
「……そう言っていただけると嬉しいです。あの押しの強さには負けますが」
一つため息を吐いたヴァイスが立ち上がりその姿がいつもの見慣れたものに戻る。
差し出された手を思わず取れば、スッと立ち上がらせてくれた。
「そろそろ戻りましょうか。明日はお仕事でしょう」
前と同じように家まで送ってくれたヴァイスと玄関の前で別れる。
「今日はありがとう、素敵な場所だった」
「気に入っていただけて嬉しいです。その、両親がすみません。最近夕方に散歩しているのは知っていましたがまさか行き会うとは」
「ううん、素敵なご両親だったから会えてうれしいよ。あっけに取られちゃってちゃんと挨拶出来なかったしよろしく伝えておいてくれると嬉しいな」
「ええ、まあ私が何も言わなくても帰ったら質問攻めでしょうけど」
引きつった顔でそう言うヴァイスに思わず吹き出す。
今日は彼のこんな顔ばかり見ている気がする。
「魔物と人間の共生ってああいう風な関係が普通になった事を言うのかもね。種族の差なんて無い位にお互いを思いあっててすごく素敵だった。あんまり知られてないだけで他にもああいう夫婦がいるのかな」
「…………」
「ヴァイス?」
彼の笑顔が消えたのを見て不思議に思う。
そんな変な事を言っただろうか。
どこか悲しげな顔で小さく彼が呟く。
「そうですね、あの方たちの間にも種族の差など無かったのに」
何かを悔やむような表情でそう呟いたヴァイスが、一瞬でいつもの笑顔に戻る。
どうやら突っ込んで聞かれたい話題では無いらしい。
気にはなるがあえて聞かない事にして同じように笑顔を作る。
「じゃあ、送ってくれてありがとう。また明日お店で待ってるね」
「こちらこそ、今日は楽しかったです。貴方の目に私がどう映っているのかもなんとなくわかりましたし」
そう言った彼の視線が私が抱えるスケッチブックに向いた。
「……貴方のその視線の先にいるのが私だけなら良いのですが」
彼が小さく呟いた言葉が聞こえて、一瞬体が硬直する。
体温が少し下がったような感覚。
一度目を閉じた彼がいつものように笑った。
「それでは私はこれで。明日のお食事も楽しみにしていますね。また今度、別の綺麗な場所をご案内します」
「……うん、楽しみにしてる」
手を振って魔法陣の方へ向かう彼を見送ってから自分の部屋へと戻る。
部屋の扉を閉め、そのまま寄りかかって大きく息を吐いた。
部屋の隅の籠では相変わらずモモが眠っている。
横の果物が一個減っているので途中で起きて食べたようだ。
いつもと変わらない平和な寝顔。
いつもと変わらない平和な部屋の中。
「…………」
お願いだから変わらないで、まだもう少しだけ変わらないで。
我がままでも良い、もう少しだけ仲のいい彼らと性別なんて何も気にせずに遊んでいたい、笑いあっていたい。
誰かを選んで残りの人を手放したくなんて無い。
最近強くなったそんな思いを心の中でだけ噛み締める。
今はまだ、もう少しだけ気が付かない事にしておきたい。




