傷から始まるもの(ロイン)
昨日の騒動でぐちゃぐちゃになった店内もどうにか片付いたので次の日には普通に店を開ける事が出来た。
あの男達に壊されてしまったので椅子やテーブルの数が少ないのはもう仕方がない。
この騒動で壊れた物の購入費や修繕費は自警団の方で負担してくれるらしいので数日経てば数はまた揃うだろう。
もう退団したメンバーの起こした事件だというのに責任は自警団にもあるからとすべての物を保証してくれるらしい。
まあ修繕業者が入るのは次の休みの時なので、今日の店内はガラスは割れているし壁にひびも入っている。
おまけに私の腕は包帯でぐるぐる巻きだしでいつもの日常とは程遠いのだが。
とりあえず一番の問題だった私やあの男の血の跡は、自警団の人達が最優先で綺麗にしてくれたらしいのですべて無くなっているのが救いだろうか。
どうしても洗い物などで腕まくりをするので包帯が目立ってしまうのがちょっと気になるが仕方がない。
痛みはあまりないので出来れば食事は出したいし、いつもの日常を感じたい気分もあるので店に立ちたいのだ。
「おい、本当に大丈夫なのか?」
「平気平気、痛みはないし」
「でもなあ」
「大丈夫だって。今晩も慌てて帰って来たりしなくて良いからね」
そう、叔父が昨日帰ってきたのは今晩人と会う予定があったからだった。
いつもより早い帰宅だな、とは思っていたので理由を聞いて納得した。
要はその人に渡す約束をしていた物を取りに帰ってきたら店が壊れて私は怪我という大惨事だったわけだ。
そして今はあの男達が脱獄してきたら危ないからと、行くのを渋っている。
「この世界電話なんてないんだから連絡取るのも大変でしょう。あの男達も自警団の人達がしっかり見張ってるだろうし大丈夫だって」
「そりゃあ昨日の今日だし見張りはきっちりしてるだろうがなあ」
「叔父さんが出かけるのはロインが来てからでしょう? 今日はロインが帰ったら私もすぐに帰れるように明日の準備も終わらせておくし、ロインがいる間はそれこそ大丈夫でしょ」
「まあ、あいつがいるなら平気だとは思うが……明日も少し遅くなっちまうし」
「いや、お客さん達が居る間ならそれこそ叔父さんと二人より安心だと思うよ。このダンジョンかなりハイレベルなんでしょう? それを攻略してる人達が居る間の方が絶対危険が少ないって」
「そりゃあそうだが……ともかく終わったらすぐに家に帰れよ? 家の結界の方が強力だからな」
「うん、わかってる」
勝手にお客さんたちを頼りにして申し訳ない気もするが、正直私達が束になっても敵わない人達の集まりだ。
何かあっても安心感がある。
しぶしぶ叔父が納得してくれた所で扉の開く音がした。
「おい、玄関ドアのガラス割れてんぞ……アヤネ、その怪我どうした?」
いぶかしげな顔で入って来たルストが驚きの表情に変わる。
やっぱり包帯目立つかあ、みんな気にしちゃうだろうな。
「昨日逆恨みで斬られたんだよ」
「はあ! 逆恨み?」
「ちょっと叔父さん!」
「朝の時間帯に何かあったらこいつに守ってもらわなくちゃならんからな。説明はしておかないと」
適当に誤魔化した方が良いだろうかと思ったが、その前にさらっと叔父が言ってしまう。
ルストの顔が少し怒りの混じったものに変わった。
「ヴァイスに恨みのあった元自警団の連中が、ヴァイスと仲が良いこいつ使って復讐しようとして襲撃してきたんだよ」
「なんだそりゃ……俺はあいつ確かに苦手だけどよ、そんな恨み買うような性格では無えだろ。つーかアヤネはヴァイスと仲良いのか?」
「え、まあ」
「この間の休みに一緒に出掛けてたのを目撃して恋人だと勘違いしたらしいぜ」
「はあ?!」
言葉を無くしたルストを見て、叔父が今まで若干沈んでた表情を少し愉快そうに変える。
一瞬何か考えたようだがすぐに口を開いた。
「今日はきっと大騒動だぞ彩音。客連中はお前がお気に入りだからな、大騒ぎ間違い無しだ。まあ、一番騒ぎそうなのはロインだが」
「ああ……みんなに心配かけちゃうなあ。もうあんまり痛くないのに」
「そういやあいつらもこの店使うんだもんな……めんどくせえ」
しかめっ面になったルストがカウンター前のいつもの席に座ったので朝食を出す。
伸ばした腕に巻かれた包帯を見たルストがそっと触れてくる。
「平気なのか?」
「うん、もう痛みはほとんど無いから。このままある程度傷がふさがった時に回復魔法をかければ痕も残らないって」
「そうか、良かった。魔法の当てはあるのか?」
「ヴァイスがかけてくれるってよ」
さっきから叔父はバンバン話題に出しているが、ルストとヴァイス、ロインの関係は複雑だからあまり話題に出さない方が良いとか言ってなかっただろうか。
言った本人がすごい勢いで名前を出している気がする。
顔をしかめたままのルストが低く唸る。
「ああ……まあ、あいつの光魔法は強力だからな。しっかり治してもらえよ」
「うん、ありがとう」
「で、襲って来た馬鹿共はどうしたんだ?」
「自警団の連中が捕まえて行ったぜ。今頃は牢屋の中だろ。一般人への襲撃だ、かなり重い罪になるだろうな」
「そうなると、あそこの牢屋か……よく自警団の連中が駆けつけて来れたな。この店結構辺境にあるのに」
「モモが呼んできてくれたんだよ」
「おお、お手柄じゃねえか」
カウンターに座っていたモモをグリグリと撫でるルスト。
心なしか誇らしげな表情で嬉しそうに撫でられているモモに微笑ましい気持ちを覚える。
「まあ、脱獄して来ないかの不安はあるけどな」
「確かにあの時は上手く隠れきれたけど、次はそうもいかないだろうからね。流石にしっかり見張ってるはずだけどこの先ちょっと不安ではあるよね」
「……そうか」
少し何かを考えたらしいルストが一度顔を下に向け、もう一度上げる。
その表情はいつもの明るい笑顔に戻っており、軽い口調で声をかけてきた。
「じゃあ、次の客が来るまでは俺が居てやるよ。ここの客連中ならそんな奴らに遅れは取らないだろうし、一人来れば大丈夫だろ」
「え、良いの? ダンジョン攻略の時間が減っちゃうよ」
「良いって、お前の安全の方が大事だしな。今日は夜用事も出来たからあんまり長時間潜ってられねえし。あ、弁当はいつも通り二つくれ。昼用と夜用のやつな」
「助かるぜ。礼に代金一個分おまけしておくからな」
「お、サンキュー!」
ルストに試してもらって始めたお弁当はおかげさまで盛況だ。
朝昼晩用に三種類のお弁当を用意してある。
まあ、お店で出しているメニューを詰めているだけなので作る量が増えただけなのだが。
確実に儲けが出ているらしく叔父は嬉しそうだ。
結局本当に次のお客さんが来るまでいてくれたルストにお礼を言って見送る。
いつも通り後ろ手に手を振って出ていくルストの顔が扉の横の鏡に映りこむ。
そこに映る顔が空中を睨みつけるような怖い顔だったのが気になったが、入ってきたお客さんの心配そうな声に返事を返している内に彼はダンジョンへ潜ってしまった。
その後に入ってくるお客さんも全員店内の壊れた部分に首を傾げながら入って来て私の怪我を見て心配してくれる。
なんだか申し訳ないような、でも嬉しくてやっぱり私はこのお店のお客さん達が好きだなあなんて思った。
「本当に大丈夫なの、アヤネ?」
「はい、もう痛みはほとんど無いので」
「戦えない女性相手に三人がかりとは。男らしさの欠片も無い連中だな」
「痛みはなくても怪我はしているのだからあんまり無理しちゃだめよ? よかったらこれ使ってね」
「それにしても腹立つ連中じゃのう。アヤネちゃん、そいつらはわしがしっかり呪っておいてやるからの」
「あ、あはは。ありがとうございます」
木の魔物の女性が心配そうな声を出せば、スライムの男性が男たちに怒る。
この店で知り合って付き合いだしたばかりのオークとエルフのカップルがよく効く薬草を分けてくれて、幽霊のおじいちゃんが呪いの言葉を吐き出す。
おじいちゃんの呪いは洒落にならない気がするのだが。
お昼過ぎに来店してくれたいつものご家族はお子さんが泣きそうな顔で心配してくれて、父親の竜人さんが怒りの表情を浮かべる。
母親の人魚さんは心配そうな顔をした後、お風呂が大変でしょうと腕に水を弾く魔法をかけてくれた。
昨日お風呂で沁みて悶えた身としてはかなりありがたい。
みんながみんなあの男達に怒りながら、私を気遣ってくれる。
あの男達が言っていた忌々しい魔物なんて此処には一人たりともいない。
ここで働けて、此処のお客さん達に会えて本当に良かった。
温かい気持ちに包まれながら、食事を出してみんなを見送る。
夕方に来たヴァイスを見て昨日の別れ際の事を思い出して若干ドギマギしたが、彼はおかしそうに笑っただけで後はいつも通りだった。
怪我の心配をした後、私の腕にかけられた水を弾く魔法やカウンターに置かれたよく効く薬草やお菓子に気づいてさらに深く笑う。
慕われていますね、と嬉しそうに笑ってからご飯を食べ、ルストと同じように次のお客さんが来るまで待ってからダンジョンへ向かって行った。
あの男達はしっかり拘束され、見張られているらしいので一安心だ。
そして夜になり、他のお客さんが全員ダンジョンへと姿を消した頃いつも通りの時間にロインが来店した。
他のお客さんと同じように不思議そうな顔をしたロインが扉を開けて店内へと入ってくる。
「おい、なんで色々な所が壊れてるんだ? その怪我はどうした?」
ルストと同じような反応だなあ、なんて思いながら驚きで丸くなった彼の赤い瞳を見返す。
彼が入って来てホッとしたような表情になった叔父が、私より先に口を開いた。
「来てくれて良かったぜロイン、昨日逆恨みで襲撃にあってよ」
「逆恨み?」
「ヴァイスに恨みがあった奴が彩音使って復讐しようとして、店壊した挙句斬り付けて来たんだよ」
「なんだと」
低い、怒りを滲ませた声でロインが呟く。
「そいつらは自警団に引っ張って行かれたんだが、いくら見張りが居ても脱獄されたらたまらねえからな。俺は今晩どうしても出かけなきゃならねえからお前此処にいる間は彩音の事頼むな」
「それはもちろん構わないが、俺がダンジョンへ行ってからは平気か?」
「家の方の結界は強力だから敵意があればまず入れねえし。今夜はお前が行ったらすぐに家に戻るってよ」
「……タケル、お前の鍵を俺が預かる。アヤネを先に家に帰してから俺が鍵をかけて出て行った方が良いだろう」
「良いのか、助かるぜ!」
「え、でもそこまでしてもらう訳には……」
「良いからそうしておけ。その方が俺も安心だ」
「あ、ありがとう」
叔父から鍵を預かるロインを見ながら、何となく申し訳なくなる。
今日一日で色々な人に心配と迷惑をかけてしまった。
ロインにお礼を言った叔父が出掛けて行き、店内で彼と二人になる。
いつも通り食事を一緒に食べながら話をするが、今日の話題はほぼ強制的に一つだ。
「怪我は平気なのか?」
「うん。もう痛みはほとんど無いし、ある程度治ったら回復魔法をかければ痕も残らないって」
「ならいいが。あまり無理はするなよ」
今日何度も返したのと同じ返答を返せば、他の人達と同じようにホッとした顔をするロイン。
「そういえばロインが教えてくれた魔法のおかげで助かったよ。ありがとう」
「ああ、あれで隠れていたのか」
「うん、あいつらが入ってくる一瞬前に発動出来たから自警団の人達が入ってくるまで見つからずに隠れておけたんだ。見つかってたらこの怪我じゃすまなかったよ」
あの時の恐怖を思い出して一瞬寒気が走る。
この人に教わった魔法がなければもうこの世にいなかったかもしれない。
「自警団が入ってきた後に怪我をしたのか?」
「うん。自分の腕犠牲にして拘束解いた男がいて。モモが体当たりで体勢崩してくれたからギリギリ掠っただけですんだんだけど」
「ああ、あの桃色のドラゴンか」
彼が来る時間にはモモは眠くなってくるらしく私の部屋に戻っている事が多い。
だからロインはモモをあまり見た事がない。
「自警団の人達を呼んできてくれたのもモモだしかなり助かったよ」
「そうか、良かった。そいつらは捕まったんだな。斬り付けられたのは自警団の前でだったか?」
「うん、団長さんが結構怒っててそれなりの処罰を、って言ってた」
「……ならあの牢屋か」
何か納得したようなロインが食事を終えて、お茶を啜る。
その目が私の腕の包帯を捕らえ、赤い目がスッと細くなる。
「……上の方まで斬られているのか?」
「え、うん」
「服に血がにじんでいる」
「えっ?」
指差された場所を見れば確かに赤く滲んで来ている。
動かしすぎただろうか。
ため息をついたロインが包帯はあるのか、と聞いてくる。
「一応予備がそこにあるけど」
「一人では巻けないだろう、巻き直してやる。水を弾く魔法がかかっているようだし、巻き直してもそのまま風呂には入れるだろう」
「え、いやそこまでお世話になるわけには」
「一人で巻けるのか?」
「……すみません、お願いします」
下にノースリーブの服を着ていて良かったと思いつつ、ロインの手でスルスルと解かれていく包帯を見つめる。
傷を見たロインの顔が一瞬驚き、目が据わったのに気が付いた。
「え、どうかした」
「…………」
「え?」
据わった目のままロインが小さく何か呟く。
聞き取れなくて聞き返した瞬間、腕に刺すような痛みが走った。
「いっ……!」
傷の上から何か刺されたような感覚に生理的な涙が零れ、滲む視界で腕の方を見る。
スッと離れていくロインの口についた血を見て、傷口の上を噛まれたのだと理解した。
今まで許可無しに噛みつかれた事なんて無いので呆然とロインを見つめれば、唇をぺろりと舐めた後こちらを見てくる。
視線が合った瞬間、彼がにやりと笑った。
「俺のものなのに、と言った」
「な、は……?」
何も言い返せない私を見て更に深く笑ったロインがスッと顔を近づけてくる。
思わず後ろに引こうとした体はロインに掴まれた腕と椅子の背もたれに阻まれる。
彼の銀色の髪が顔にかかり、至近距離で彼が笑う。
低く耳心地の良い声が耳の近くで響く。
彼がパチリと指を鳴らせば、食堂の電気が落ちて月明かりだけが差し込む空間になった。
「俺が普段痕をつける場所に他の男がつけた傷があるなんて不愉快だ。君に傷をつけるのは俺だけで良い」
暗闇の中でダイレクトに耳に響くささやくような声に、何を言い返して良いかわからなくて頭の中がぐるぐるする。
ようやく絞り出すように出した声はかすれていて、自分でも勢いがないのがわかった。
「こ、わい事、言うね」
耳元の彼が笑う感覚。
「俺がつける傷は痛くないだろう?」
「……今はものすごく痛かったけど?」
「わざとだからな」
かすかに笑いながら続けられる言葉に少しずつ自分が戻ってくるのを感じながら必死に口を開く。
「いつもだってチクっとはするし、穴が開くから人にも見せられないし」
「別に見せる必要は無いし、飲んで良いと言ったのは君だろう?」
「っ、魔法が使えるのはありがたいし、別に血を渡すのは構わないと思ってる」
耳元で聞こえる彼の笑い声にドギマギしながら、口を閉じれば何かに押し負けてしまいそうな気がして必死に言葉を続ける。
「いきなり噛まれるのは驚くし、傷がある内は痛いから出来れば勘弁してほしいんだけど」
「俺は別に腕でなくても構わないぞ、心臓に近い方がより魔力が回復する。例えば、此処とか」
此処、という言葉に合わせてスッと首筋を撫でられる。
恥ずかしさが一気に跳ね上がり、必死に彼の体を押した。
「無理、絶対に無理!」
「そうか、残念だ」
そう言った彼が少し体を離したので少しホッとして顔を上げる。
上げた後、失敗した、と深く思った。
窓から入る月明かりの中で彼が笑っている。
真っ赤な瞳の中で少し開いた瞳孔、妖艶に吊り上げられた口角から牙が覗いている。
見入られたように彼の顔から目が離せずにいると、さらに深く彼が笑った。
「ならば、いつか君から首を差し出してくれるように頑張るとしよう」
そう言って今度こそ体を離した彼。
緩い、でも確実な拘束から解放された体が椅子の背もたれをズルズルと滑る。
食堂の電気が戻り、明るくなった部屋の中でロインがいつもの笑みで笑った。
そのまま何事も無かったかのように腕を取られ、しっかりと包帯が巻かれていく。
何か言おうとしばらく口を開いたり閉じたりした後、絞り出すように声を出した。
「……もう意味が分からない」
私の言葉を聞いた彼が、今はそれで良いさと面白そうに笑う。
包帯を巻き終えた彼が優しく私の腕を撫でて、離れていく。
そのまま立ち上がったロインがテーブルの上の空になった食器を私の分も合わせて持ち上げ、カウンター越しに水の張られたシンクに落とした。
「あっ」
慌てて立ち上がれば、こちらを振り返ったロインが穏やかな笑みで笑う。
今日は彼の笑顔をよく見る日だ。
「こんな時だ。食器くらい下げさせてくれ」
「……あ、りがとう」
「もう帰ると良い、俺ももう行く。痛みは無いからと言ってあまり無茶はするなよ」
そう言ったロインに背中を押されて、家へと向かう。
階段を上がり家の前まで送ってくれた彼を振り返れば、月明かりの中でさっきとは真逆な穏やかな表情のロインと目が合う。
「また明日、おやすみ」
「……おやすみ。いってらっしゃい、気をつけて。また明日」
挨拶の詰め合わせのような言葉をロインに帰して扉を潜る。
二階への階段を少し上がって振り返る。
ちょうど踵を返す所だったロインが玄関ドアのガラス越しに見える。
振り返る途中で見えたロインの横顔が強張っていたような気がしたが、すぐに後ろを向いてしまった。
少し気になったが私が引き返してしまえば彼はダンジョンへは行けないだろう。
少しぼーっとした頭のまま風呂へと向かい、湯船に体を沈める。
腕も一緒に湯舟へとつけたのだが見事に水を弾いている。
あの人魚さん明日も来てこの魔法かけてくれないだろうか。
そんな事を考えながらお湯に浸かっている間にだんだん頭がクリアになってくる。
同時にさっきのロインの声とか、顔にかかる髪の感触とかがリアルに思い出されて顔に熱が集まった。
「……参った」
一人きりの風呂場に私の声が小さく反響する。
本当に参った。
例えばあの男に斬られた傷は不愉快でしかないのにロインのは嫌じゃないとか。
例えばあれだけ至近距離にいられたのに嫌じゃ無かったとか。
例えば……彼が離れていった時、少し名残惜しかった気がするとか。
そういえば普段の吸血も恥ずかしさはあれど全然嫌じゃ無いとか。
今日あれだけの事があったのに早く明日また会いたいと思っている事とか。
色々と感じる物はあるのに、この思いにまだ名前を付けられない私のどうしようもない感情とか。
何か変わってほしい、動いてほしい。
でも動かないでほしい、このままでいたい。
頭の中をグルグルと回る感情に振り回されながら、もう一度小さく呟いた。
「……参ったなあ」




