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恐怖から始まるもの(ヴァイス)

 普段は恥ずかしさが勝っていて出来れば避けたい吸血に関して、今ほどロインに感謝した事は無い。

 休日の食堂で姿を消す霧を纏いながら声を出さないように両手で口を押さえる。

 いつもは血液三口分と引き換えに十分程度持たせる事が出来るこの姿消しの魔法。

 数日前にロインが飲む量を増やせば持続時間が増えるんじゃないかと提案してきた為、提供量を五口分に増やした所三十分位は持たせられるようになった。

 正直噛まれる事への抵抗が強いだけで血の量はあまり気にしていないので、この提案は逆にありがたかったりする。

 なんせこの提案……いや彼に吸血と引き換えに魔法を使える様にしてもらっていなかったら今頃私はボコボコにされていただろう。

 食堂の隅、開いた窓の傍で声を出さないようにじっと食堂にいる三人の男を眺める。

 声を出せばこの魔法は解けてしまう、そうすれば彼らの手によって確実に暴力の嵐にあってしまうだろう。


「くっそ、どこ行きやがった?!」


 一人の男が蹴り飛ばした椅子が近くに飛んできて壊れる。

 手で口をふさいでいるので声にはならなかったのが救いだ。

 どうしてこんな事になったのか、元々食堂は休みだったし来なければ良かった。

 ここから家に通じる道には強い結界が張ってあるので彼らは来られなかっただろうし、家にいれば何の問題も無かっただろう。

 少し前に良い感じの食器を見つけたので店で使おうと思い注文した。

 それが今日届いたので休みではあるが店に持って行ってしまおうと持ってきて棚へ入れていたのだ。

 棚へ入れている最中に少し埃っぽくなってきたので片手にモモを抱っこして窓を開けに行った所、何故かダンジョンの方の入り口から聞こえる荒々しい足音。

 本来ならダンジョンの方からこの店に来るのは不可能だ、ダンジョンの魔物が逆流して来ないようにそういう結界を張ってある。

 自分でも不思議なくらいに嫌な予感がして、窓を背に咄嗟に魔法を発動させたのとドアが凄まじい勢いで開いたのが同時位だった。

 ドカドカと踏み込んできた男が三人、その中の先頭に立つ男には見覚えがある。

 この間店に来たヴァイスの部下の一人、ヴァイスに絡んで気絶させられて連れて行かれた人だ。

 あの時は一応物腰は柔らかく見えたのだが今は思いっきり目が据わっている。


「おい、いないみたいだぞ。本当にここか?」

「いや、窓が開いてる。店主の男は出かけているらしいから女の方は確実にいるはずだ」


 どうやら私に用があるらしいが雰囲気的に穏便な用事には思えない。

 ちらりと店の入り口のドアを見るがしっかり鍵を掛けてしまっている。

 扉を開ければ流石に存在がバレそうだし、あそこからこっそり脱出は出来ない。


「しかし本当にここの店員があいつの大切な女なのか? あの男副団長とはいえ自警団でも仲が良い奴少ないだろ。忌々しい位人望はあるがな」

「間違いないさ、この間町で仲良さげにデートしてやがったからな。あいつのせいで俺達は自警団をクビになったって言うのにな!」


 どうやらヴァイスがらみで私を探しているのは間違いないらしい。

 舌打ちをした男がテーブルを蹴り飛ばし、音を立てて倒れたテーブルの上にあった花瓶が粉々になり花が散らばる。

 花を思いっきり踏みにじった男が怒鳴るように出てきやがれ、と叫んだ。


(こいつ……!)


 恐怖よりも先にせっかく活けた花を踏まれた事への怒りが湧いて来る。

 お店のお客さんがくれたものだったのに。


「おいおい、そんな声出したら怖がって出て来ねえだろ」

「こっちの入り口には鍵と結界がある、今の装備じゃ破れねえぞ」


 家へと通じる階段の先へ行っていた男が戻って来てそう告げる。

 ますます眉間の皴を深くした男が低く唸った。


「店のどこかにいるんじゃないか?」

「なら探し出すまでだ。あの女を傷だらけにしてあの化け物のスカした顔を絶望に染めてやろうぜ」

「あの混ざり者のせいで自警団をクビになったんだ。村でも白い目で見られるし碌な事が無え。その位しなきゃ割に合わねえぜ」


 そう言って腰にある剣に手をかける男達にようやく恐怖が湧いて来る。

 まずい、魔法の効果が切れれば私に抵抗の手段は無い。

 鋭い目で男たちを睨みつけながらも魔法の効果が切れないように声を出さずにいるモモを、手だけ動かして窓の外に出す。

 こちらを見上げてくる目に軽く頷いて答え、手を振るってモモを空へ解き放った。

 男たちに見えないように低空飛行で移動の魔法陣の方へ行ったモモを見送って室内の男たちに視線を戻す。

 頭のいい子だし誰かしら助けを呼んで来てくれる事を期待して、魔力の消費を抑えるためにも物の多いあまり男たちが近づけない様な場所へ身を移してジッとする。

 魔法の効果は一気にではなくジワジワと部分ごとに切れてくるので、ここにいれば見えるようになった部分を隠せる可能性が上がるだろう。

 今の所彼らから見えていない事で恐怖を感じながらも頭は冷静だ。

 頭の中でロインにお礼を言いつつ、店の中で私を探すという名の破壊行為を始めた彼らを観察する。

 どうやらこの間の件をきっかけに自警団の中で監査の様なものが入ったらしい。

 この三人はそれに引っ掛かりクビ、それをヴァイスのせいだと思い込み、報復のために恋人である私の所に来たという事らしいが……いや、恋人じゃないし。

 どうやらこの店に来るために、ダンジョンを逆流出来る特殊アイテムを自警団から盗み出して使って来たらしい彼ら。

 ダンジョンの方から来た訳がわかった、そういえばあの時の男に関しては移動魔法陣を使えない様にしておくとあの自警団の人が言っていたっけ。

 物を蹴り倒し斬りつけては暴れる彼ら、まだキッチンの方まで壊されてはいないが時間の問題だろう。

 せっかくみんなここでの食事を楽しみに来てくれているのに……お店のお客さんたちの笑顔を思い出して悲しくなる。

 観察中も体に纏う霧がだんだん薄くなってくるのがわかる。

 魔法の効果は後十五分くらいか、焦りそうになる心を必死に落ち着かせて辺りを見回す。


「くそっ、本当に店の中にいるのか?」

「キッチンか? 見通しは良いし見える場所にはいないようだが」

「家に戻ったか出かけている可能性もあるな。そうだとしても窓が開いてるんだ、その内戻って来るだろう」


 何かを破壊せずにはいられないのか、観葉植物を蹴り倒した男がキョロキョロと辺りを見回している。

 私のいる所を綺麗に視線がスルーしていく辺り魔法の効果は十分らしい。

 ……店の入り口からは出られない、急いで出たとしても身体能力や人数で彼らに軍配が上がる以上は捕まってしまう可能性が高い。

 私がさっきまでいた所にある窓の外は渓谷に直通だ、せめて別の窓なら外に地面があったのだが。

 あの窓から出るイコール飛び降り自殺の様なものだ。

 残る入口は二つ、階段の先で現在彼らの死角になっている家へ通じる扉、そしてダンジョンへの扉。

 家へ通じる階段は彼らが注意深く見張っているし、ダンジョンへの扉は開け放されたままだがその先が危険だ。

 入ってすぐダンジョンではないだろうが彼らが帰る際にはまたその道を使うだろうし、入った事が無い以上あの扉の先がどうなっているのか私にはわからない。

 ダンジョン内まで逃げ込めば彼らから身を隠す事は出来そうだが魔物に殺されて終わりなのは分かりきっている。

 ……チャンスを見計らって家へ逃げるしかないだろうか。

 店の入り口と違い、家への扉は通ってから鍵を掛けてしまえば自動的に結界が張られて彼らは入って来られない。

 ただ扉へ通じる細い階段前の通路に誰か一人が確実に立ち塞がっているし、ドアを開ける音が響いてしまう以上は何かしらには気づかれるだろう。

 行こうとすれば彼らにぶつかるしかないし、どの道も完全に賭けだ。

 そう考えている間も体に纏う霧はどんどん薄くなっていく。

 どうする、どうする……頭の中がグルグルする。

 間違えれば殺されるか、死ぬギリギリまで痛めつけられる事が確定している現状では中々心が決まらない。

 もたもたしている内に、不意に片手に纏っている霧が消える。

 とっさに物陰に隠したのでバレてはいないが焦りが余計に思考を纏まらなくさせた。

 荒くなりそうな呼吸、漏れそうな悲鳴を片手で必死に抑えながら、視線を家へ向かうドアとダンジョンへ向かう扉の間を行き来させた。


「いっそ火でも着けるか」

「確かにそうすれば出てくるかもな、居ればだが」

「あの化け物お気に入りの場所が消えるだけだ、忌々しい魔物達用の入り口だし無くなっても俺達は困らない。それもありかもな」


 とんでもない提案をゲラゲラと笑って話し合う彼らに怒りが湧いて来る。

 店に来る魔物達の笑顔が入れ代わり立ち代わり脳裏に浮かんで涙が溢れた。

 ここに来る魔物達も、ヴァイスさんも、こいつらよりずっと優しいし温かい人達なのに。

 何が化け物だ、忌々しい魔物はあんたたちの方じゃないか。

 いびつな笑みを浮かべながら辺りを破壊し、ゲラゲラと汚い言葉を吐きながら笑う男達を滲む視界で睨みつける。


 店側の入り口がすごい勢いで開いたのはそんな時だった。


「確保しろ!」


 聞いた事の無い声が響き、複数の男女が食堂へと入り込む。

 いきなりの事で対処出来なかったらしい男たちが次々と床へと叩き付けられ、拘束されていく。

 押さえつけている方の人達はみんな見慣れた服に身を包んでいた、自警団の制服だ。

 続いて入って来た二人の男、一人は見た事が無いが叔父さんと同世代位の男性。

 もう一人は肩にモモを乗せたヴァイスだった。

 いつもは柔軟な笑みを浮かべている顔が強張り、鋭い目で拘束されている男たちを睨みつけている。

 ヴァイスの姿を見て何か言おうとした男達に口布が噛ませられ、抵抗しようとしたのか更に強い力で抑え込まれた。

 男たちから視線を外したヴァイスが荒れた店内を見て少し悲しそうな表情に変わる。

 彼もここを気に入ってくれていた一人だったな、なんて思う。


「お前達、よりにもよって私怨で一般人の家を強襲するとは……お前たちの暴言は外で聞かせてもらったぞ。相応の処罰を下す、覚悟しておけ」


 強い眼力で男たちを睨みつけた男性がそう口にする。

 ヴァイスと同じように制服にマントを付けた男性に絶望的な表情を向ける男達。

 もしかしてこの人が自警団の団長だろうか?

 横に立っていたヴァイスの肩に乗っていたモモが不安そうに窓の付近を見回し、キューキューと鳴きながら窓の方へ飛んで行く。

 私を探して鳴いている様子のモモがオレンジ色の光を反射する。

 いつの間にか夕方になっていたらしい。

 食堂の中央で押さえつけられた男達に次々と手錠がかけられているのを見て、もう大丈夫そうだと判断し身に纏う魔法を解く。

 どっちみちもう限界だった、物陰に隠れていたが体の半分は霧を纏っていない状態だ。


「っ……! はあ」


 無理やり魔力を引き出すように魔法の効果時間を長引かせていた為、強い疲労感に襲われた。

 声を出した事で魔法の効果が無くなり、纏っていた霧が消える。

 私を見つけたモモが飛んで突っ込んで来るのを受け止めて、ようやく人心地着いた気がした。


「モモが呼んで来てくれたの? ありがとう」


 驚いたようにこちらを見つめて来る男達の方を見ないようにしてキューキュー鳴くモモを撫でる。

 ほう、と感心したような声を出した団長らしき男性と、男達と同じ様に驚く自警団の人達。

 ハッとしたヴァイスがこちらへ声を掛けてくる。


「アヤネ! 無事ですか?」

「うん、魔法で隠れてたから大丈夫。来てくれてありがとう」


 私が姿を現した事以上に何かに驚く団員達を疑問に思いながら、モモを撫でつつ滲んでいた涙を拭う。

 それを見た団員達の男達を睨みつける視線が強くなった。

 どうやら正義感が強い人が多いらしい。

 恐怖でなく怒りで滲んだ涙なのだが。


 ……抑えられていた男の一人が拘束を振り払いこちらへ凄まじい勢いで向かって来たのは、緩み始めた空気にホッとしていた時だった。

 口布が外れていない為、何を言っているのかわからないが落ちていた剣を拾った男がその剣をこちらへ振りかぶる。

 そこからは妙にスローモーションに見えた。

 私の頭の上で振り上げられた剣とか、私の胸元から飛び出したモモが男に体当たりを食らわせた所とか、避けようと動いた私の腕を掠めていく剣とか。

 ……斬られた所から飛んだ赤い血の向こう側で呆然とするヴァイスの顔とか。


 モモにぶつかられた衝撃で倒れこむ男。

 片手が不自然な方向に向いているので、腕を犠牲に拘束を振り解いたのかもしれない。

 こちらへ飛び掛かって来たのは以前店に来た男だった、よほど恨みが強いらしい。

 どう考えたって逆恨みだろうと思うのだが。

 頭の中のどこか冷静な部分でそんな事を考えながら、剣が当たった部分の腕を抑える。

 ぬるりとした感覚とピリッとした痛み、ビクビクしながら腕を見れば腕はちゃんとついている様だ。

 大した怪我ではないだろう、モモが男の体勢を崩してくれたおかげだ。

 ロインがよく噛む場所の上に走る痛みに、痛いより先に何故かすごく嫌な気分になった。

 口布のせいで声にならない男の口からフーッ、フーッと荒い息が漏れる音が静まり返った食堂に響く。


「おい、早く抑えっ……」


 団長らしき男性がそう声に出した瞬間、ビリビリとした何かが食堂の空気を変えたのがわかった。

 固まる団員達と、男達。

 重苦しい何かを感じて立ち上がれない。

 その空気をぶち破るように、視界にあった男の体が血飛沫をあげて壁に叩き付けられた。

 私の横に何かが音を立てて着地する。

 視界に何時もの様に夕日を反射する金糸が映った。

 ゆっくりと立ち上がる彼につられて視線を上げていく。

 その手に握られた槍、美しく伸びるいつもよりずっと長い髪、今まで見た事が無い冷たく感情が乗らない紫の瞳。

 長く伸びた髪と尖った耳、いつもとは少し違う見た目だが間違いない。

 綺麗……そんな場違いな感想が思い浮かんだ。


「……ヴァイス?」


 呟くような声しか出なかったせいか、それとも別の要因か。

 姿を変えた彼からは何の反応も帰ってこない。


「ぐ……ううっ、ばけ、も、の」


 叩き付けられた衝撃で口布が外れたのか、くぐもった声を上げて倒れ伏しながら呟く男。

 耳元で聞こえた空気を裂くような音でヴァイスが槍を構えたのがわかった。


「っおい、よせ! そいつの処分は自警団でやる。私怨で動けばお前も罪に問われるぞ!」


 慌てて駆け出してきた団長らしき男性にも反応を返すことなく、倒れる男に向かって動き出そうとするヴァイス。

 その言葉を聞いて咄嗟に伸ばした手が彼の腕を掴んだ。

 掴んでしまったせいで彼の服の袖が私の手についていた血で赤く染まる。

 動きを止めた彼の視線が私を捉え、美しい、けれど感情の籠らない目が私を見下ろす。

 彼のこんな目は初めて見た。

 普通の人だったら怯えるか魅了されるかのどちらかだろうか、私も普通の状態だったらそうだったかもしれない。

 ただ彼が怒りでこうなっているのは分かっていたし、自惚れでも何でもなくその怒りが私が怪我をさせられた事から来る物だとわかっていたから。

 私のせいで彼がが罪に問われるなんて冗談じゃないと必死に体と口を動かす。


「ヴァイス、大丈夫、大丈夫だから落ち着いて」


 中腰になりながら彼の腕を両手で引く。

 動かしたせいか斬られた方の腕にピリピリとした痛みが走る。

 私を見下ろす彼の目に少しだけ温度が戻って来たのを見て更に口を開いた。


「そんな人の為に貴方が罪に問われたら今助けてもらった事ずっと後悔するようになっちゃう。私の我が儘かもしれないけど感謝だけさせてよ。助けに来てくれてありがとうって」

「アヤネ……」


 戸惑ったように呼ばれる名前に彼に理性が戻って来たのを感じてホッとする。

 彼の視線が私の血を流す腕に移動し眉間に皴が寄った。

 今日は普段は見られない彼の表情をたくさん見ている気がする。


「ですが、こいつらが、私のせいで貴方に被害が……」

「何で貴方のせいなの。まさか貴方が私と仲良くしたからなんて言わないでよ? 私だって貴方と仲良くしたくてしてるんだし、そもそもその人達の完全な逆恨みじゃない」

「…………」

「あんまり気の利いた事言えなくてごめん。でも私はこの怪我が貴方のせいだなんて絶対に思わないし、これからも貴方と仲良くしたいと思ってる……景色の良い場所、案内してくれるんでしょう?」


 何かを言おうとして、また口を閉じた彼。

 構えていた槍が下ろされ、彼の姿がいつもの物に戻る。

 長い髪は肩口までの物に、耳は人間と同じ形へ、瞳は感情を取り戻して冷たさが消える。

 ハッとした自警団の人達が倒れる男に駆け寄りしっかりと手錠をかけた。

 意識が朦朧としているであろう男の口が、化け物、と音を出す。

 それに反応したヴァイスが何かを堪える様に床へ視線を移した。

 姿を変えたのはきっと不本意だったのだろう。

 自警団の人達もヴァイスの姿に驚いて動けなくなっていたみたいだし、ヴァイスの性格上あまりさっきの姿は取りたくないのかもしれない。

 また何か言おうとした男の言葉に被せる様に声を出した。


「ヴァイスは姿が変えられるんだね。びっくりしたけどどっちも綺麗で私好きだよ」


 少し驚いたように目を丸くしたヴァイスに恥ずかしさが湧いて来るが、必死に顔に出さないように堪える。

 彼には恥ずかしくなるような誉め言葉をポロっと言ってしまう事が多い気がする。

 この間はあの男に言い返してやりたくてその場の勢いで色々とべた褒めしたけれど、今回はワザと口に出した。

 あの姿を化け物呼ばわりされて傷つく彼に、少しでも伝わればいい。

 どちらの姿でも私は心の底から綺麗だと思っているし、ちゃんと好感も持っている事。

 そもそもタイプは違えど美形の魔物なんてロインやルストで見慣れてる。

 ヴァイスも含め、私にとっては全員魅力的な人達で不快に思った事なんて無い。


「…………っ」

「わっ……大丈夫?」


 軽い衝撃と、肩にかかる金糸、感じる体温でヴァイスが抱き着いてきた事に気が付く。

 座り込む私に覆いかぶさるように、抱きしめるというよりは本当に抱き着くといった感じだ。

 流石に恥ずかしいのだが、彼の体が震えているのに気が付いてしまえば突き放す訳にもいかない。

 恥ずかしさで行き場を失った手でとりあえず彼の背中を軽く叩く。

 彼の腕に籠る力が強くなるが、こんな時でも私が怪我をしている腕には痛みが来ない様にしてくれているのが彼らしい。

 無言の彼に苦笑いしながら視線の行き場がわからなくて少し顔を上げれば目を丸くした団長らしき男性と目が合う。

 そのまま軽く会釈すれば、少しおかしそうに笑い返してくれた。


「ほら、お前ら。いつまでも呆けてないでしっかり確保しろ」

「は、はい、団長」


 どうやら彼が団長であっていたらしい。

 彼に指示された団員達がこちらを気にしながらも血だらけの男を回収する。

 それを見た残り二人の男が口布の下でうーうーと何かを訴えかけるように叫ぶ。

 男達の視線がヴァイスと血だらけの男を行き来する。

 それを見ていた団長が少し首を傾げた後、ああ、と何か納得した様な声を出し周りの団員達に向かって声を掛けた。


「おい、お前ら何か見たか? 例えばうちの副団長が何か規律違反した所とか」


 その言葉を聞いた周りの団員達が全員揃ってポカンとした顔になる。

 なるほど、男達はヴァイスが仲間に攻撃した事実を使ってヴァイスにも処罰を与えたいらしい。

 団長の口振り的に大丈夫だとは思いたいが、何かあれば全力でヴァイスを庇おうと心に決める。

 被害者からの訴えなら色々通るだろう。

 目を見合わせる団員たちの中で、私と同い年位の女性団員二人が視線を交わしにっこりと笑った。

 これまた美人の二人だ、この世界の顔面偏差値の高さは一体どうなっているんだろう。


「はーい、団長。色々見た気がしなくもないですけど副団長が女性を呼び捨てにしている驚きの瞬間を見たので多分三十秒後には忘れてますー」

「はーい、同じく副団長が女性を抱きしめてる衝撃的な状況が目の前で展開されている印象の方が強いので、三十秒と言わず十秒後には忘れている予定でーす」


 ねー、と二人で笑い合う彼女達。

 どうやらかなり仲が良いようだ。

 その言葉を聞いた周りの団員たちが噴き出し、色々な場所で同じく、や同意見です、等の言葉が上がる。

 最後ににっこり笑った団長が男たちに向かって強い声を出す。


「確かにヴァイスの行動は褒められたものではないが、一般人を強襲したお前達を止める為だったと言えば問題ない範囲だ。他人の事よりも自分が犯した犯罪の事でも考えるんだな。連れて行け!」

「はっ」


 敬礼した団員達数名が男達を引きずる様にして店を出て行く。

 最後に見張りなのか一人の団員が出て行こうとした瞬間、何かを避けるように横へ飛びのいた。

 開いた隙間から見慣れた顔が飛び込んでくる。



「何だこりゃ? 彩音に、ヴァイス?」


 一人旅から戻って来たらしい叔父が荷物を抱えたまま店内の惨状と私とヴァイスの現状に目を白黒させる。

 ある意味ややこしいタイミングで帰って来たなあ、なんて思いながら未だに微動だにせず私に抱き着いたままのヴァイスの背中を叩く。

 団長が軽くため息を吐きながら近づいて来てヴァイスの頭を軽くはたく。


「ヴァイス、いつまでそうやってんだ? さっさとそのお嬢さんの傷を治してやれ。店主への説明は俺がしておくから」


 その言葉にゆるゆると顔を上げたヴァイスが無言のまま私の腕を取り傷の上に手をかざす。

 顔は伏せられて表情はうかがえず、本来なら回復魔法が発動する筈であろう手の先は震えて傷も治らない。

 ヴァイスの口から小さくすみません、と呟くような声が聞こえる。

 もう一度溜息を吐いた団長が今度は私に声を掛ける。


「あいつらがすまなかったな、お嬢さん。謝罪や説明をしたいが今は治療が先だ。歩けるかい?」

「あ、はい、大丈夫です」

「ほら、ヴァイス。精神が落ち着かないと魔法なんて使えねえんだ。自警団の医務室まで連れて行ってやれ。お嬢さん、重ね重ねすまないが色々訳ありの怪我になっちまうから、病院じゃなくて自警団の方で治療してもらってほしいんだ。治療の腕は保証する」

「わかりました。叔父さん、ちょっと怪我したから治してもらって来るね」

「……大丈夫なんだな?」

「うん、モモをお願い。後お店ぐちゃぐちゃになっちゃってごめん」

「アホか、何があったのかは知らねえが命の方が大切に決まってるだろ。お前に何かあったら兄貴たちに申し訳ないぜ。さっさと治して来い」

「うん、ありがとう」


 ゆっくりと私から離れたヴァイスが差し出してきた手を反射的に握ると、軽く引かれて立つのを手伝ってもらえた。

 不安げに揺れる目でヴァイスが口を開く。


「大丈夫ですか?」

「うん、案内よろしく」

「しっかり送れよヴァイス。おい、俺は店主さんに説明するからお前らは店の後片付けだ!」

「はい!」


 残りの自警団の人達がお店の壊れた物を集め出したのを見ながらヴァイスに手を引かれるまま移動魔法陣の方へ向かう。

 結局自警団の医務室に着くまでヴァイスの目から不安の色が消える事は無かった。

 自警団に着いてからもヴァイスが私の手を放す事は無く、ものすごい注目と驚きの目を向けられながら治療してもらう事になってしまった。

 この程度の怪我なら魔法を使わず通常治療の方が良いらしい。

 掠めただけだし、初めは血がにじんでいたが薬と包帯で何とかなりそうだ。

 痛みはもうほぼ無いし、ある程度塞がったら治癒魔法を掛ければ痕も残らないらしいのでまあ一安心といった所か。

 結局帰りも注目と驚きを集めながら自警団の建物を出る。

 少し暗くなってきた家への道をヴァイスに手を引かれながら歩く。

 続く沈黙に少し気まずくなって来たので、自警団の本部でふと気になった事を話題に彼に話しかける。


「あのさ、ヴァイス。さっき自警団の食堂の時間決まって無いって書いてあったけど変わったの?前にヴァイスが食べる時間は開いてないから家に来るって言ってなかった?」


 話題を振った事でようやく彼の目がしっかりと私を捉える。


「その、実は元々開いているんです。ですが私があそこに行くと視線がチラチラ飛んできますのであまり居心地が良くなくて。アヤネの店なら視線を浴びる事もありませんのであちらはもう利用しようと思えないのです」

「そうなんだ。まあ私は貴方が食べに来てくれるのは嬉しいから良いんだけど」


 視線を感じるのが嫌らしいヴァイスだが、さっきお店に来ていた自警団の反応を見るに嫌われていたり怖がられている訳では無いと思うんだけど。

 ハーフと言う事で複雑な感情はあるけれど、ヴァイス自体は慕われているんじゃないだろうか。

 さっきも団員達はみんなヴァイスを庇うような仕種を見せていたし。

 なんとなくそんな事を考えているとヴァイスが不安げな瞳のまま話しかけてくる。


「その、腕は本当に大丈夫ですか? 私がしっかり魔法が使えればよかったのですが、情けないです」

「もう痛みは無いから大丈夫。自警団のお医者さんも自然に塞がってから魔法をかけた方が良いって言ってたし。その時の魔法はお願いしても良い?私は使えないからさ」

「はい、もちろんです。本当に、貴方が無事で良かった」


 噛み締めるような声に何も返せずただ彼を見返す。


「貴方の血が見えた瞬間、恐怖でどうにかなりそうでした。私の問題に巻き込まれたせいで貴方が死んでしまうのではないかと」

「あれは貴方の問題に巻き込まれたんじゃなくて、たまたま私が関わった人の質が悪かっただけだよ。絶対に貴方のせいじゃない」

「ですが……」

「言ったでしょう、感謝だけさせて。助けに来てくれてありがとう」

「アヤネ、貴方は……」

「もし何かしら気になるならこの間の約束守ってね? 綺麗な景色の場所、期待してる」


 私の言葉を聞いたヴァイスが今日初めていつものように笑った。


「はい、とっておきの場所を案内いたします」


 ようやくいつもの空気が戻って来た様でホッとする。

 密度の濃い一日だったなあ、なんて思いながらようやく落ち着く事が出来た気がした。


「そういえばアヤネ、魔法は使えないんじゃありませんでした? 先程姿を隠していたのは闇属性の魔法だと思うのですが」


 不思議そうにそう言ったヴァイスに今度は私が固まる番だった。

 今ここで適当に濁してもバレるだろうし、言わないというのもさっきまでの流れを考えるとヴァイスが悪い方向に考えそうだ。

 やはり信頼が無いのだろうか、とかそういう方向に行きそうな気がする。


「あ、あー、その……」


 不思議そうに首をかしげるヴァイスに言い辛いなあ、なんて思いながら口を開く。


「あれロインの魔力なんだよね。最近色々あってロインに血を分けたんだけど次の日までだったらロインの魔力が体に残ってる上に、吸血の影響で普段は開いて無い魔力を放出する穴が開くらしいんだよね」

「……は?」

「血を提供するのと引き換えに彼からさっきの身を隠す魔法を教えてもらってて。おかげで助かったけど」

「あの、先程腕の治療の際に開いていた穴は、その、もしかして」

「噛まれた跡だねえ」


 もう開き直ってそう言えば絶句したヴァイス。

 今日は彼の色々な表情を見たけれど、最後にもう一つ追加されたようだ。


「あの、無理やりでは無く?」

「いや、私的にもあの魔法が使えるのはありがたくて。同意の上です、はい」

「そ、そうですか」


 妙な雰囲気のまま町の移動魔法陣を潜り、店の前の魔法陣から出る。

 扉一枚隔てればそこはもう店だ。

 荒れた店はどうなっただろうか、叔父さんも心配しているだろうし説明はどうなっただろう。

 外に出ようとすれば、彼に引かれていた手がグッと引っ張られる。

 そう言えばずっと手を引かれていたな、今更恥ずかしくなってきて彼を見れば何やら考え込んでいるらしくその場で止まっていた。


「ヴァイス?」


 スッと顔を上げた彼の笑みが以前町で見たような謎の恐怖を感じる笑顔に変わる。

 思わず一歩引こうとしたが、私の手は彼の手の中に収まったままだ。


「……何もせずに負けるのは趣味じゃありませんね」

「え?」


 小さくそう呟いた彼が繋がったままの私の手を持ち上げる。

 一瞬後に手の甲に柔らかな感覚、掛かる吐息。

 彼の口が手の甲に押し当てられた事を頭が認識した途端、顔が沸騰したように熱くなる。


「は、え?」

「貴方の腕の傷は責任を持って私が綺麗に治します。約束通りとっておきの場所も案内いたしましょう」


 初めて出会った時に彼に抱いた印象がますます強くなる様な笑み。

 幼い頃に読んだ童話の王子様が目の前にいる様な、そんな錯覚を覚えて余計に頭がパニックになる。

 ふわりと笑う彼が優し気な口調で声を掛けてくる。


「戻りましょう、タケル殿を安心させて差し上げなくては」

「あ、はい」


 中々現実に戻って来られない頭のまま、店への扉を潜る。

 店内はしっかり片付けられていて自警団の人達はもういなかった。

 カウンターにいた叔父の肩に止まっていたモモが飛んできて私の肩に止まる。

 あっという間に爪を引っ込める方法を取得したモモはいまだに誰かの肩の上がお気に入りだ。

 モモが頬にすり寄ってきて、その低い体温にようやく現実を実感する。

 叔父がカウンターから心配そうな顔で出て来た所でヴァイスはさっさと店を出て行ってしまった。

 結局叔父に色々説明したり明日のお店の準備をしている内に、さっきのヴァイスとの件はうやむやになってしまった気がする。

 色々と落ち着きたくていつもより早い時間に布団へと潜ったが、暗闇の中なんとなく天井へ向けて上げた手の甲を見て彼の唇の感触を思い出し顔に温度が戻って来る。


 ヴァイスもロインも、私に向けてくる感情を明確に言葉にしたわけではない。

 けれどあれで何も察せ無い程、私は鈍くはなれない。

 今は何も動かない、私も動かなければ彼らも動いていないから。

 明日からも私は今まで通り彼らに接するだろうし、彼らもそうだろう。

 ……彼らが私に何か確定的になる言葉を言った時、私はどうするんだろうか。


 暗闇の中、頭の中で考えても結局答えは出ないままだった。



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