約束する三歩目(ロイン編)
あの星空の下の散歩から少し経つが私とロインの関係は何も変わっていない。
ただほんの少し私が意識するようになっただけだ。
男友達から、男友達にハテナマークが付くような些細な差だけれど。
ただ自分でも意外な位に気まずいとかそういう感情は無い。
相も変わらず彼との夕飯の時間は穏やかだ。
因みに本日も叔父さんは絶好調で旅に出ている。
結婚式まで後一か月程だというのに。
まさか忘れる事は無いとは思うが、一度念を押しておいた方が良いかもしれない。
そんな事を考えながらロインと二人で夕食を取っている最中、鶏肉のトマト煮込みを食べているロインを見てふと思い出す。
ロインと赤い食べ物、そんな連想ゲームのような様子から思い出した、以前ロインに血を分けた後に魔法が使えた事を話していなかった事。
「あのさ……言い辛いなこれ」
「……自分から振ろうとした話題だろう」
いぶかしげな表情のロイン。
仕方がないじゃないか、誰が好き好んで自分が血を吸われた時の話題を吸った本人にしたいと思うのか。
けれどあの時魔法が使えた理由はあくまでジェーンの考察で分かっているだけ。
魔法に関してはスペシャリストであろうジェーンの言う事だから間違いは無いだろうけど、吸った本人なら魔力の穴を開けられるかどうか等は確実に分かるだろう。
自分に起きる変化についてわからないことがあるのは怖い。
ロインに聞いた所で多分こうだろう、みたいな事がわかるだけだとは思うがジェーンの考えと合わせて一致する所があればそれはもう確定して良い気がする。
「あーその、前にロインに血をあげた時があったじゃない?」
「なんだ、また分けてくれるのか?」
「違いますー気になる事があるだけです」
「そうか、残念だ」
そのまま食事を続けるロイン。
分けてもらえるなんて思ってなかっただろうに、絶対貰えればラッキーくらいの気持ちで返事したよこの人。
「あの次の日にジェーン達と遊んだんだけど……今度結婚するダークエルフの子」
「ああ」
「いつもは開いて無い魔力の穴が開いてるって言われたんだよね。実際試したら一瞬だけ水が出せたし」
「魔法が使えたのか?」
「その一回だけね。どうも前日に貴方が噛んだ場所に魔力が出る穴が開いてたらしくて。一日も経てば塞がるらしくて使えたのはそれっきりだったけど」
少し考えこむような仕種を見せるロインに向かって続ける。
「その時に出た水が真っ黒でさ、ジェーンが闇属性の魔力が混ざってるって言うんだよね。本来なら私の魔力って水属性らしくて……まあそこから色々考察されて貴方に血を分けた事もバレたんだけど」
「その魔力の穴を開けたのが俺だという事か?」
「ジェーン曰くだけど。他人の体に残せるくらい強い闇属性の魔力持ちは限られてるし、尚且つロインなら吸血って言う手段で自分の魔力を送る代わりに相手の魔力を吸い取れるだろうって。そのやり取りで穴が開いたんじゃないかって言ってたけど、どうなの?」
「可能性としては高いだろうな、噛みつく時に麻酔代わりに魔力を使うからそれが魔力を吸い上げるための穴から入るというのはあり得る話だと思う」
「じゃあ、ジェーンの考察通りって事かな?」
「そうだな、つまり俺に血を吸われた次の日だけは魔法が使えて、加えて属性が水と闇の二つになるわけだ」
ちょっとかっこいいなそれ、なんて思った。
中二病チックだがやはりそういう物への憧れはある。
「まあ、もう使えないんだけどね」
「何だ使いたいのか? いくらでも吸ってやるぞ」
「あ、結構です」
怪しげな笑みを浮かべて口から牙をのぞかせるロインに速攻でお断りの返事を入れる。
傷が出来るとか怖いとかそういう問題じゃない、彼が私に噛みつくというシチュエーションへ感じる羞恥心が凄まじいだけだ。
「残念だ、正直本気で頼みたいとは思っているのだがな」
最後の方に行くにつれて尻すぼみになる言葉に反応してしまったのは仕方がないと思いたい。
冗談交じりの言葉なら私だって聞かなかった事にするか笑い飛ばすかのどちらかだ。
ロインの言葉には若干の深刻さが含まれていたので思わず聞き返してしまった。
「え、なに? また輸血用の血液断ったりしてるの?」
「いや輸血用のパックは貰っているし、何だったら罪人の血を貰う事もある」
「へ、へえ……」
若干不穏な事を聞いた気もするが軽く流しておきたい所だ。
ただ今は脳内に流れている、ロインが囚人服のおじさんに噛みついているシーンの方を最優先で流したい。
微妙に嫌な画像だ、私が勝手に想像してるだけだけど。
「……君が何を想像しているのか知らないが俺は噛みつき以外でも吸血出来るぞ」
「え、そうなの?」
噛みつかれなくても吸血出来るならそっちの方法で血を渡すくらいなら良いかな、そう思った私の考えは一瞬後に見事に覆されることになる。
「この間武器の話になった時、俺が血で剣を作っただろう。罪人相手に痛みは考慮されないからあれで斬りつけて流れた血から魔力だけもらう。この場合血は残るから吸血と言うのは少し違うかもな。終わった後は猟奇殺人の現場みたいになるが」
うん、絶対そっちの方法は無理だ。
まだ恥ずかしいのを我慢して噛みつかれた方が良い、チクっとするだけだし。
間違いなく羞恥心より痛くない方が重要だ。
「って言うか、貰ってるなら血は足りてるんじゃないの」
「血の量は足りているが魔力が足りない、と言うよりは物足りないと言った方が近いか」
「物足りない?」
「満足感が無い。嫌いな食べ物だけで腹を満たしている感覚だと言えばわかるか?」
「……それは嫌かも」
食事を出す身としては想像しやすい例えだ。
お腹はいっぱいになっても満足感が無いどころか食事自体が憂鬱になりそう。
「え、それでなんで私の血なの?」
「この間貰った時に美味かったから」
こういう時どういう反応を返したらいいのか。
喜ぶべきなのか、何かが違う気がする。
少し何かを考えたロインが口を開く。
「これは俺の考察なんだが、君には魔力を放出するための穴が無いだろう?」
「多分だけどね」
「そして元々君の魔力は高めだ。君の知っている奴で例えるならルスト以上ヴァイス以下、その中でもどちらかと言えばヴァイス寄りと言った所か。ヴァイスはかなりのレベルの光魔法を使いこなすから魔力は相当ある」
「そうなんだ……」
つくづく魔法が使えない事が悔やまれる。
そんなに魔力があるのに全く有効活用出来ないとは。
「魔力は日々少しずつ生み出される。普通の人間なら蓄積できる最大値を超えた分は放出されて新しい魔力が体を循環するんだが、君はそれが出来ない。そのせいで元々ある高めの魔力に新しく生み出された魔力が同化して高濃度になり、体の中を血液と共に循環している状況だな」
「最大量が上がってるって事?」
「いや、蓄積できる魔力の量にはそれぞれ限界がある。だから君の場合は同化した魔力は量でなく質に変換されているんだと思う。食事を作り足すというよりは同じ料理を美味くしていっているといった所か」
「へえ……」
自分の体の事ながらさっぱりだ。
ややこしい体質は違う世界から来たせいなのだろうか。
因みに叔父さんに魔法が使えるか聞いてみた所、めんどくさそうだから試してないと言い切られた。
魔法を覚えている暇があるなら一か所でも多く旅に出たいそうだ。
ある意味叔父さんらしい。
「ん? じゃあロインにとって私の血って……」
「極上のご馳走と言った所か。他の吸血鬼には吸わせるなよ、執拗に狙われる様になるぞ」
「いやあれはロイン相手だから分けただけで、知らない吸血鬼に分けるほど慈悲深くないんだけど」
「なら良い。共生を目指すという前提がある以上、死刑宣告を受けるような罪人にでもならない限り無理やり吸血してくるような奴はまずいないからな」
どこか機嫌よさげに忠告をくれるロイン。
自分の体にそんな爆弾があるなんて心底勘弁してほしい。
そして絶対に犯罪は起こさない、元々起こす気も無かったけど。
「そんな訳で分けてもらえると嬉しいんだが」
「何がそんな訳でなのかさっぱりわからないんだけど」
「分けてもらえるなら魔法を教えてやるぞ。俺に吸血された次の日にしか使えんが」
「うっ……」
結構魅力的な条件だ。
なんせモモの為にルストと危険なダンジョンの傍まで行かなくてはいけない予定が入っている。
ルストは守ってくれるというし、そこまでレベルの高い敵が出るわけではないと言っていたけれど怖い物は怖い。
身を守る手段が増えるのはありがたい話だし、今から体を鍛えても意味は無いから魔法が一つ使えるようになれば精神的にも余裕が出来るのではないだろうか。
「……因みにどんな感じの魔法?」
「俺は水属性の魔法は使えないから闇属性だな。どんな効果の物が良いんだ?」
「身を守るような感じの奴かな」
「守護の魔法か……少し違うかもしれないが声を出さない限り周りから見えなくなる魔法ならあるぞ。俺は待ち伏せに使っているがな」
それは今一番欲しい能力ではないだろうか。
敵が出て来た時に攻撃や援護が出来るような能力だと私にはきっと使いこなせない。
だったら戦闘はルストに任せて隠れてしまった方が彼が集中して戦えるだろう。
そこでルストが苦戦するような敵なら、戦い素人の私の魔法なんて全く役に立たないだろうし。
でも吸血……いや前にされてるから最初程抵抗感は無い。
正直魔法の魅力の方が勝つ。
「…………前と一緒で腕からでいいの?」
たっぷりと間を開けて飛び出した私の発言に笑みを深めたロイン。
「ああ、構わない」
どうしてこんな状況になったのか、魔法が使えるようになるのはありがたいし二度目と言う事で抵抗は少ない。
でもやっぱり直視は出来ない、痛みが無いのも三口程度しか吸われないのもわかっている。
けれどこの人が自分の腕に口を付ける光景を直視出来る勇気はこれ以降も浮かんでくる気はしなかった。
そっと彼に持ち上げられた腕、彼が掴んでいる所に痛みは無い。
前に噛まれた場所と同じ所に彼の息がかかる感触。
頭の中で悲鳴をあげながら視線を逸らせば、腕に彼の口が当たったのが分かった。
以前と同じようにチクリとした痛みと、血液が逆流するような独特の感覚。
背筋に走るゾワゾワとした寒気を我慢すれば、すぐに彼が離れる。
「ご馳走様」
ぺろりと唇に付いた私の血を舐めた彼が怪しく笑う。
「……っどういたしまして」
何とも言えない感情でプルプル震える私を見て、機嫌が一気に良くなったロインが少し悩む様なそぶりを見せる。
「以前友人の前で魔法を使った時の感覚は覚えているか?」
「なんとなくでよければ」
「なんとなくで良い、その水流が出せるかやってみてくれ」
言われた通り以前ジェーンに手を握られた時の感覚を思い出しながら水流をイメージしてみる。
ざあっと音を立てて以前のように腕に黒い水流が絡みついた。
「わ!」
「本当に出来るようになっているな」
もう見られないと思っていた自分の魔法にちょっとテンションが上がる。
とりあえず血を分けた事が吹き飛ぶくらいにはまあ嬉しい。
じっと水流を見ていたロインがああ、と何か納得したような声を出した。
「この闇の部分は間違いなく俺の魔力だな。俺が教える魔法は闇属性だから君の元々の魔力は使えなさそうだ。俺が吸血する時に残した魔力だから量は少ない。魔法の効果の時間は少し短くなりそうだな」
「そっか、どの位持つのかな?」
「君の魔力の扱い次第だな。とりあえずやってみるか」
ロインに教わりながら言われた通りのイメージをしたり、魔力を移動させたりしながら試行錯誤する。
要はロインの闇属性の魔力だけを使って、ロインが以前使っていた闇の霧を作り出して全身に纏わせればいいらしい。
結局この日はロインがダンジョンへ出発する前までに、片腕だけ隠せるようになった。
「魔法って難しい」
「まあ、魔法に関しては初心者だからな。練習すれば使えるようになるさ」
「……因みに使うためには?」
「また血を分けてくれるとは嬉しいな、感謝する」
「だよねー」
にっこりと笑ったロインの言葉に覚悟していたとはいえ、ぐったりしてしまう。
どうやら私の魔法は羞恥心と引き換えに使えるようになるらしい。
「君は魔法が使える。俺は魔力の補給が出来る上に、質の良い君の魔力のおかげで魔法の威力も上がり調子も良くなる。良い事尽くめだろう?」
「それちょっとロインの方に偏ってる気がするんだけど。っていうか私の血で魔法の威力が上がるの?」
「ああ、同じ料理でも材料の質によっては出来が変わるだろう。それと同じだ」
私がわかりやすいようにか、色々と料理に例えてくれるロインに感謝しながら納得する。
確かに良い食材を使えばいつもより良い物が出来たりするよね。
「他に良い感じの血が飲める手段って無いの? 輸血パックの提供者が質の良い魔力の持ち主だったりすれば変わる?」
「パック詰めされている時点で魔力が薄れてるから持ち主の魔力は関係ないな」
「罪人で魔力高い人とかは?」
「そんなに候補はいないぞ。俺に提供される奴は死刑になっても文句は言えない連中だからな」
「そうなんだ。ロインなら喜んで提供する女の人とか居そうだけどな」
自分で言っておいてなんだけど、何となくロインが綺麗な女の人に噛みついているシーンはあまり想像したくない。
なんだかちょっと嫌な気分になる。
「来ても断るがな」
「あ、そうなの?」
「何を好き好んで初対面の女に噛みつかなくてはならないんだ。だったら魔力が多少薄まっても輸血パックでいい」
そろそろダンジョンに潜る時間になったのか椅子から立ち上がるロイン。
何時もの様にご馳走様と言ってくれるので、私もいつも通りいってらっしゃいと気を付けてと告げる。
少し見送ろうかと私も立ち上がってロインの傍に行けば、いきなり腕を引かれる。
「っ、何?」
目の前に赤い瞳が見える。
至近距離にロインの顔がある事に気が付いて一気に顔が熱くなる。
妖艶な笑みを浮かべたロインが低く笑った。
「俺はもう他の人間に噛みつく気はない。君が良い、君を噛みたい」
囁くように言ったロインがそっと私の手を放す。
力が抜けてその場に座り込んだ私を見下ろして、いつもの笑みに戻ったロインが言う。
「夕食の楽しみが増えた。魔法はしっかり教える、約束だ。また明日」
そのまま今度は振り返らずにダンジョンへ向かって行ってしまったロイン。
冷たい床に座り込んだままそれを見送った。
「……魔力目当てって事だよね?」
自分でも違うだろうと思ったが、そうだと思い込むように呟いた言葉が誰もいない食堂に静かに響いた。