世界が変わる
それなりに苦労してきた人生だったように思う。でも不幸ではなかったのもわかっている。
空井彩音は今年で二十四歳になる女性だ。
早くに両親を亡くしたものの、資産家の叔父に引き取られしっかりと愛情を貰いつつ不便なく育ててもらった。
資産家であるが故か、元々豪快と言える性格だったためか鞄一つで世界中を回るのが好きな叔父、空井猛は一年前にまた旅行行ってくるぜ、と言い残してから帰ってきていない。
彼が長期間いなくなるのは実は結構いつもの事で、彼の経営する会社は彼がいなくても回るように考えられているため、社員たちも笑って見送っている。
さて、叔父がいなくても私、彩音の生活も回る。
大学を卒業して叔父とは関係ない会社に就職してそろそろ二年くらいだろうか。
まさか会社が倒産するとは思わなかった。
何とか退職金は出たので、今までの貯金と合わせれば次の仕事を探すまで結構な猶予がある。
だから、私も旅に出てみる事にした。
とはいえ、叔父の様に鞄一つでどこへでも、なんて勇気は無い。
ただずっと行ってみたかった海外のとある場所へ行くことにした。
景色の綺麗な落ち着いた、憧れの場所。
働いているとどうしても纏まった休みは取りづらいし、このチャンスを逃す手は無かった。
ずっと、小さい頃から絵を描くのが好きだった。
仕事に出来るほどの才能があったわけじゃない、でもキャンバスに向かって無心で綺麗な景色を残すのが好きだった。
働きだすとどうしてもその時間は減ってしまう。
せっかくのチャンスなら日本から遠く離れた場所で今まで見た事のないような景色を絵に残してみたいと思ったのだ。
画材や着替え、パスポート等の必需品を鞄に詰め、空港へと向かう。訪れた憧れの地は、私のイメージよりずっと素敵だった。
憧れの場所、一人での海外、妙なアドレナリンでも出ていたのか普段なら警戒するような暗い洞窟の中を少しだけ、と足を踏み入れた事が私の人生丸ごと変えてしまう事になるとは思わなかった。
美しい洞窟の中、隅にあった小さな泉とも言えない様な水溜まりに何かが映った気がして。
そこをのぞき込んだ途端に立っていられないくらいの眩暈に襲われ、意識が暗転したのが記憶にある最後の瞬間だった。
そして_____
意識が浮上して、自分が倒れていることを自覚する。
眩暈はもうしておらず、体に痛みも無い。そっと地面に手をついて起き上がろうと力を入れて気が付いた。
「(絨毯……?)」
手の平にはふかふかとした感触が伝わって来る。洞窟で倒れたのだから手にはむき出しの岩肌が触れるはずなのに。
そっと起き上がってみれば、どこかの室内のようだ。ちょうど部屋の真ん中で倒れていたようだった。
横にはキャンバスと画材、そして貴重品の入った小さなバッグ。
救助されたのだろうかとも思ったが、だとしたらベッドで寝かせるだろう。
部屋の真ん中に放置される事は無いと思う。
起き上がってキョロキョロと辺りを見回す。リビングのような内装の落ち着いた感じの室内だ。
大きな窓にはカーテンがかかっており、室内は少し古めのデザインの明かりによって照らされている。
「(どうしよう)」
これは不法侵入というのではないだろうか。
どう考えてもここには人が住んでいる気配がある。
いや、ここの住人が私を連れて来たんだろうか、床に放置されてる時点で嫌な予感しかしないが。
監禁、なんて単語が頭をよぎってそっと窓へと近寄る。カーテンを開けて窓が開くか確認しようと音を立てないようにカーテンをスライドさせる。
「……え?」
思わず口から声が漏れる。窓の外、広がる景色に目を奪われる。
窓の外には、満天の星空の下、巨大な渓谷が広がっていた。
地平線が見えるほど遠くまで見渡せる、今まで見た事のないような景色。空には三つの月が浮かんでいる。
「何……これ、どういう、月、三つも、嘘……」
違う、今までいた場所とは違う。
綺麗な景色の場所だったけど、こんな世界の果ての様な渓谷なんてなかった。
頭の中が混乱する、けれど空に三つ月が浮かんでいる事が今までいた場所とは違う事を明確に伝えてくる。
「夢? 明晰夢ってやつ?」
まだあの洞窟内で気絶しているんだろうか、そう思いたいのに体の芯から不安というかぞわぞわした何かが這い上がって来る感覚。
心臓がバクバクして、何かが違う、おかしいと脳が訴えてくる。
けれどパニックになりそうな脳内は後ろから聞こえてきた音で一瞬でクリアになった。
「キュー?」
何かが鳴いたような声が聞こえてバッと振り返る。
背中側にあった棚の上の小さなかごからピョコっと何かが顔を出し、こちらを見つめてくる。
一瞬間が空き、上にかかっていた布を押し上げる様に何かが籠から出て来た。
パタパタとこちらへと飛んでくるそれ。
飛んでくる途中でその体から布が落ち、全体像があらわになる。
「え、え?!」
大きなビー玉のような目がこちらを見つめてくる。
薄い桃色の体が翼を広げて私の前まで飛んで来た。
咄嗟に手をおわん型にして前へ出せば、それはすっぽりと収まるように手の平へと着地する。
「キュー?」
「え、え、竜? え?」
もう言葉なんて出てこない。
やっぱり夢なんだろうか、そう思いながら手の平にすり寄る桃色の竜を見つめる。
どう見たってゲームやアニメに出てくる竜にしか見えない。
キラキラとした空を映したような瞳がこちらを見つめてくる。
「か、かわいい」
そんな場合ではないのに可愛い、すごく可愛い。
ふわりと手の平から飛び上がった竜が私の肩に着地し、顔にすり寄って来る。
可愛らしい竜の登場に、少しだけ冷静になった頭。
擦り寄って来る竜の頭を撫でてやればもっと撫でろと言わんばかりにグリグリと頭を押し付けられる。
少し冷たいが自分の物ではない体温にほっとしたのも束の間、棚の側にあったドアの向こうから大きな足音が響いて来た。
「っ?!」
どうしよう、誘拐だとか不法侵入だとか色々な言葉が頭の中に浮かぶ。
部屋の出口は窓とドアの二つ。
ドアはこの足音の相手が入って来るだろう。
窓の外は渓谷、出られそうにない。
隠れられるのはカーテンくらいだろうか、いや足元まであるわけじゃない、小学生のかくれんぼでも使えないレベルだ。
そんなくだらない考えが頭の隅をかすめた瞬間ドアが勢い良く開かれ、大柄な男がブツブツと何かを言いながら入って来る。
「ああ、もうどうしろって……彩音?!」
「え、お、叔父さん?!」
ここ一年顔を見ていないとはいえ、間違いない。
部屋に入って来た男、私の育ての親である叔父が驚いたように私の名を呼んだ。
ヘナヘナと力が抜けてその場にしゃがみ込む。肩の竜が心配そうな声でキューと鳴いた。
「なんだあ、叔父さんなの? 誘拐とかだったらどうしようと……」
「いや誘拐って、お前どうしてここに?」
「叔父さんが連れて来たんじゃないの? そもそもここどこ? 私洞窟でいきなり眩暈がして、気絶して……」
「あー、あーそういう事か」
頭を押さえた叔父さんがぐしゃりと髪をかきあげる。
「お前を連れて来たのは俺じゃない、俺もお前と同じ感じでここに来た。まあ、俺が来た場所は外でこの家は落ち着いた頃俺が買った物だが」
「どういう事?」
「いいか、ここは俺たちが生きてきた世界じゃ無え」
「……叔父さん、頭大丈夫?」
「おい! いや、そういう反応が返ってくるのはわかってたけどな! お前の肩に乗ってるドラゴンとか外の景色を無視してんじゃねえよ!」
「うっ!」
「とりあえず詳しく話すから、まず否定しないで最後まで聞け。いいな?」
「……わかった」
叔父の話はまるで本の中の出来事のようだった。
ここが元居た世界ではない事、普通に魔物が出現し、少し前に勇者が魔王討伐に成功した事。
ただし、元々魔物と人間は共存しておりお互いに結婚する事も普通だった事。
魔王討伐も成功し魔王はもういないが、元々魔王が悪い訳ではなく色々な事が絡み合って起こったという事。
残った魔物と人間はまた歩み寄り始めている事。
「頭が痛くなってきた」
「まあそうだろうな、とはいえ受け入れろ。ここで生きていくしかねえんだ」
「戻れないの?」
「戻れるなら俺はとっくに戻ってる。戻れないからここで商売して生きてる。まあ、幸い俺の元の会社は俺がいなくなった場合の業務の振り分けなんかは出来てるから問題は無いが」
「逞しすぎるでしょ、私はまだこうして叔父さんが作った基盤がある所に来れたから落ち着けるけど」
「逆境から何かするのは慣れてるんでな」
「……私ここにいても良いの?」
「当たり前だろ、家族に遠慮するんじゃねえ。何だったら俺の……」
ハッと何かに気が付いたように大口を開けて固まる叔父。
「……何? どうしたの?」
「よ、よっしゃあ! これで問題解決だ!」
突然の大声に私の肩でうつらうつらしていたドラゴンが落ちかけたのを手で支えながらガッツポーズを決める叔父を見る。
「何?」
「いやあ、マジで救世主だ。よく来てくれた!」
「いや、だから何が?」
「いや、実は今店をやってるんだ。この家から繋がってるんだが……でもちょっと問題があってな、だからお前は俺の店を手伝ってくれ!」
「そりゃあ、ただ飯食らいになるつもりは無いから構わないけど。何のお店なの?」
にやりと笑った叔父が続ける。
「魔物向けのアイテム屋兼休憩所だ!」
「……え?」
「ああ、たまにだが人間も来るぞ。お互いにまだ先の大戦のぎこちなさが消えないから決まった人間だけだが」
「いや、え、どういう事?」
「あーつまりだな、俺の店、というかこの家もだな。かなり深いダンジョンの入り口に建ってるんだ」
「は? 危なくないの?!」
「正確には入り口の前にあるんだ。その奥の本当の入り口には特殊な結界が張られてるから今まで危険な事は起こって無いな。まあ、このダンジョンについてだが簡単に説明すると、あれだ。ゲームとかでもあるだろ? 最終ボスを倒した後に出てくる強力な敵がうようよ出てくるやつ」
「クリア後のおまけダンジョンみたいなやつ?」
「そう、それだ。ここに出てくる魔物は人間だろうが同族の魔物だろうが見境なく襲ってくるやつらでな。魔王討伐後に発見されたから人間と協力的な魔物の混合部隊で攻略中なんだ」
「混合部隊なのに魔物向けの店なの?」
「言っただろ、まだぎこちないんだよ。まだ魔王が倒されてからあんまり経ってないからな。人間用の入り口は別にあってそっちに人間用の店もある。俺の店は魔物用の入り口にあるって訳だ」
「なるほど」
「で、だ。俺の店はアイテムの販売や仕入れは問題無え。向こうでの仕事に似てるしな。問題は休憩所の方だ」
「休憩所?」
「ああ、まあ簡易ベッドと食堂があるくらいなんだが」
「へえ……食堂? 今食堂って言った?!」
「一応食事を作って出したんだがなあ、食ったやつが倒れちまって。よく来る奴らから絶対にお前は作るな! って言われちまって。昼は弁当外注して出してるんだが朝と夜がなあ。昼もシンプルで冷めたもんしか出せねえし。朝と夜だけでも作ろうとしたんだが全員で止めてくるんだぞ、一回失敗したからって失礼な奴らだよなあ」
「いや、絶対そっちの魔物たちの言い分の方が正しい。魔物って聞いてちょっと怖いイメージあったけど今のセリフで完全に同情に変わったわ!」
「どういう意味だ?!」
「どういう意味も何も決まってるでしょ?! 作った料理全部劇物に変える特技持ちのくせして! あれほど自分で料理は作っちゃだめだって言ったのに! 叔父さんの料理食べられるの叔父さんだけだからね!」
「ぐっ!」
そう、この人料理が壊滅的なのだ。
仕事も出来る、顔も良い、お金持ちで性格も豪快だが常識はある。
でも料理はもれなく劇物。いや、毒物。
何も変なものは入れてないのになぜかこの人の手が加わると象も気絶させる劇物と化す。
しかしなぜか自分では食べられるので自覚は薄い。
なぜあれを食べて平気でいられるのか。
「じゃあ、私は食堂でご飯作って出せばいいのね?」
「おう、レストランというか給食みたいな感じで良いぞ。注文取るとかじゃなくて全部同じ料理で良い。来る大体の人数は把握してるからとりあえずその分だけだな」
「どのくらい来るの?」
「一番多い昼で十五人くらいか。朝晩は二、三人くらいしか来ないぞ」
「え、想定してたより少ないね」
「まだまだ、人間との間に壁があるからなあ……あ、一応休みはあるぞ。週休二日だ。給料も出す。因みに食材も向こうの世界と一緒だからその辺は心配無え」
「それはありがたいけど。魔物って私たちと同じ料理で良いの?」
「おう、吸血鬼でもニンニクは平気だし、幽体の奴でも塩が平気だったりするから普通に作ればいい」
「……実際に魔物の名前聞くとリアルさが増すね」
「いい奴らばっかりだから大丈夫だ。つーわけでこき使うようで悪いがこれから一人来るからなんか作ってくれ。ついでに俺達のも」
「は?!」
そんなわけで、あまり現状を把握出来もせず、店部分のキッチンに案内されてしまった。
肩の上が定位置になったドラゴンもお腹がすいたのか冷蔵庫を開ける私の耳元でキューキュー鳴いている。
「そういえばこの子は?」
「ダンジョン前に落ちてた卵を拾ったんだ。後で食おうかと思ったら孵っちまった」
「食用だったの?!」
「流石にもう食う気はねえよ。一応面倒は見てたが懐いてるみたいだしお前にやるよ。名前でも付けてやったらどうだ」
「じゃあ桃色だからモモで」
「まんまじゃねえか」
「いいんだよ、ねえモモ」
「キュー!」
「懐いてんなあ」
「とりあえず三人分で良いの?」
「おう、何でもいいぜ。買い出し行ってないから俺が食う用のしかなくて、食材は少ないが」
「ホントだ、少ない……あ、カツ用の豚肉あるじゃん。とんかつで良い?」
「おお、良いな! 俺揚げ物苦手だから基本焼いて食ってたし久しぶりだ」
「揚げ物じゃなくて料理全般ダメでしょ」
「ぐぬっ、お、来たな。ちょっと出迎えてくる。今から来る奴は吸血鬼だから基本夜来るぞ。常連だな」
そう言った叔父が食堂の外に繋がる扉を開けて出ていく。
吸血鬼か。どんな人、人? まあいいや、どんな人なんだろう?
とんかつだけでは寂しいので、油を温めている間に味噌汁用のお湯を沸かしておく。
ついでにキャベツの千切りとトマトを付け合わせ用に切って皿へ盛り、なんとなくトマトを一切れモモに差し出せばおいしそうに食べ始めた。雑食のようだ。
と、言うか冷蔵庫に本気で何もない。調味料が細かくそろっているのは嬉しいが。
味噌汁とカツで精一杯だ。
肉に切り目を入れて叩いた後、下味をつけて衣をつけていく。
一枚完成させて、二枚目に移ろうとした時、食堂のドアの向こうから声が聞こえて来た。
「いいからいいから、ダンジョンに潜るんだろ? 飯食って行けって」
「いや、タケルの料理は毒、いや、その、独創的で……」
「おい、今毒って言っただろ、上手く誤魔化そうとしてたが毒って言っただろ」
そんな会話の後、ドアが開き叔父と共に一人の男性が入って来る。
銀色の長い髪、赤い切れ長の目に尖った耳。全体的に真っ黒な服に身を包み、胸元にはバラの花の飾りがついている。
うん、これぞ吸血鬼って感じだ。
キリっとした美貌が若干焦ったように歪められ叔父の料理をどう回避しようか考えているようだ。
何だろう、普通はちょっと怖がる所だろうけど、叔父の料理は吸血鬼すらこんな表情に変えるのかと思うと何とも言えないしょっぱい気持ちになった。
なおもしつこく食い下がる叔父に声をかける。
「止めなよ、叔父さんの料理は万国共通で劇物なんだから」
「おい?!」
私の声に反応したらしい男性がこちらを見る。
真っ赤な瞳が少し怖く感じるが、瞳の奥には純粋に見知らぬ人間への疑問が浮かんでいるようだ。
「どうだロイン、俺の姪っ子の彩音だ! 今度から食堂担当だ」
「姪?」
「おう、飯は美味いぞ! 明日は休みだから、明後日からだが食堂に立ってもらう予定だ。彩音、こいつはロイン。見ての通り吸血鬼だがいきなり血を吸ってきたりはしないからそこは気にしなくていいぞ!」
「ええと、よろしくお願いします」
「あ、ああ」
「さあ、座れ座れ。俺の飯も作ってもらってる最中なんだ。一緒に食おうぜ」
「お、おい、押すな」
そのまま強引にキッチン前の椅子に連れて来られた彼がため息をついて、諦めたように椅子へ腰かける。
「その、叔父がごめんなさい」
「いや、慣れた」
もう一度溜息をついた彼を見て、意外と怖くないんだな、なんて思う。
魔物と言う位だから若干緊張していたが、彼は見た目は人間に近いし会話も普通に返って来る。
あまり緊張しなくていいのかもしれない。
そんな事を考えながら肉に衣をつけ終え、パン粉を一つ油の中に落として温度を確認し、三枚とも油の中へ滑り込ませる。
揚げている間に味噌汁に豆腐とねぎを放り込み、さっさと味付けを済ませてしまう。
「手際が良いな」
少し驚いたような視線が向けられ、そんな言葉をかけられる。
叔父の料理があんななので若干警戒していたのだろう。
彼の目には安堵が浮かんでいる。
「だろう! 彩音は昔から料理が上手いんだ」
「叔父さんに引き取られたその日に手料理食べて一週間入院したからね。自分が出来なきゃ死ぬ、と思えば嫌でも上達するよ」
笑って誤魔化しに入った叔父と、何とも言えない同情の視線を向けてくる彼。
そう、私の料理スキルは命の危機に反応して上がっただけだ。
おかげで友人達からの評判は良いが。
ちょうど揚がったカツにザクザクと包丁を入れながら、旅行前に会った友人達を思う。
もう会う事も無いんだろうか。
ちょっとした寂しさを感じながら、味噌汁を盛り二人の前にご飯とカツのセットを出す。
自分のも持って叔父に呼ばれるままテーブルに着けば、さっそく叔父がカツへと手を付け始めた。
「えっと、すみません私達まで一緒のテーブルで。えっと、ロインさん?」
「いや構わない。こちらこそ馳走になる……出来ればさん付けはやめてもらっていいか? 呼び捨てで構わない」
「こいつの苦手なやつが常に敬語なんだ、思い起こさせるからやめてほしいってよ」
「おい、タケル!」
「ええと、じゃあ呼び捨てでいいの?」
「ああ、そうしてくれ」
そう言って恐る恐るといった感じで味噌汁を口に含んだロインの顔が一瞬固まる。
「……美味い」
「だろ!」
「何で叔父さんが胸張ってるの」
呆れ交じりの視線を送ったロインが食事を再開したのを見て私も口をつける。
思えば洞窟で倒れたのが昼頃だった。
長いこと気絶してたのか時間の流れが違うのかわからないが、一口食べれば嫌でも空腹を自覚した。
揚げたてのカツにかじりつき、多少熱いのを我慢しつつご飯を食べる。
自分で揚げると美味しいよね、パン粉のザクザク加減とか肉の厚みとかも自分の好きに調節できるし。 ああ、胡麻があればすってかけるのに。
そんな事を思いながら、だしを効かせた味噌汁を口に含む。
豆腐とねぎの組み合わせってシンプルだけどすごくおいしい。
目の前の男性二人の皿があっという間に空になっていくのを見届けながら、自分もマイペースにカツを口に運ぶ。
肩のモモにも小さく切った物を与えつつ、食事を進めていく。
材料さえもっとあれば明日カツサンドにでも出来たのに。
さっき明日は休みって言ってたから買い出しはしっかりさせてもらおう。
「二人とも、味噌汁ならまだあるよ」
「お、じゃあ貰うぜ!」
「……俺も貰おう」
鍋に残っていた味噌汁を二人のお椀に注いで、食後用のお茶を入れる。
一足先にお茶を飲みながら、そっとロインの方を見る。
ある意味最初に見る魔物が彼で良かったのかもしれない。
人間離れした美貌はあるが、会話も出来るしあまり人間と差は感じない。
最初に会った魔物で苦手意識を持つのは避けたかったから結構ありがたかった。
食べ終わった二人にもお茶を入れ、お皿を下げて洗い出す。
前のテーブルで、お茶を飲み終えたロインが立ち上がった。
「もう潜るのか、消化してから行ったらどうだ?」
「人間とは体の作りが違う、問題は無い」
潜る、というのはダンジョンにだろう。
強力な魔物の討伐……私が今まで生きてきた場所とは無縁の言葉だ。
ゲームでは気軽な事でもここは現実だ。
怪我もするし、下手をすれば死んでしまう事もあるのかもしれない。
そこまで考えた所で少し寒気が襲って来る。もうあの平和な世界とは違うんだ。
「馳走になった、その、美味かった」
「あ、ありがとう、明後日から本格的に食堂開くらしいから、もっと品数作れると思うし良かったらまた来てね」
「ああ、そうさせてもらう」
「お前、今まで俺がいくら誘っても弁当すら食いに来なかったくせに……」
「叔父さんの手料理がよっぽどトラウマだったんでしょ」
はあ、とため息をついたロインが食堂の外、ダンジョンがある方の扉へと歩いていく。
死の可能性がある方へ。この世界に来て叔父以外で初めて会話した人が。
「あ、気を付けてね!」
「…………あ、ああ、ありがとう」
少し驚いたような顔をしたロインが扉の向こうへと消えていった。
無事に戻って来て欲しいな、と思いながらふと疑問に思う。
「何で驚いてたんだろう?」
「お前が気を付けて、って言ったからだろう」
「え、そんな事で?」
「魔物と人間の間の壁はなかなか取れねえからなあ、前はそんな事も無かったらしいが昔みたいに人間と魔物の区別なく仲良く、なんてのは結構難しいんだろうな。あいつもまさか今日会ったばっかりの人間から気を付けて、なんて言われるとは思わなかったんだろ」
「言わない方が良かった?」
「いや、あいつだけじゃなくてここに来る魔物たちはいい奴ばっかりだ。皆そんな感じで送り出してやってくれ」
「…………うん」
片付けも終わり、叔父さんの家の使ってない部屋を貰いベッドへと入る。
枕元にある窓辺にはモモが入っている籠。
もう眠ってしまったらしく小さな寝息が聞こえる。
色々考えたいのに、なんだかすごく疲れてしまった。
起きたら元の世界でこれは夢、なんて事にならないだろうかと思いながら襲ってくる睡魔に身を任せた。