【Session12:縄文時代⑦~丸木舟と沖縄~】
破局噴火で降り積もった火山灰が遠因となった本州最北端、青森県の三内丸山遺跡への移住。
しかし、破局噴火に見舞われた日本人の移住先は、果たして北だけだったのでしょうか。
今一度、破局噴火について説明したいと思います。
およそ7300年前、九州の南沖50km鬼界カルデラで破局噴火が起こり、九州には約1mの火山灰が降り積もりました。
もし、皆さんが7300年前の縄文時代の九州に生きていたとして、破局噴火に巻き込まれたとします。
山も野原も見渡す限りの全てが火山灰の1m下に埋もれてしまいました。
皆さんは、どこで食料を調達しますか?
日本は、幸いにも豊かな海に囲まれた島国です。
どこに住んでいたとしても、頑張れば海にたどり着きます。
見渡す限りの火山灰。
陸地で食料を確保しようと思えば、1mの火山灰を掘らないといけません。
もし、私が7300年前に破局噴火に巻き込まれていたのならば、海で食料を確保します。
縄文時代の人々も同じことを考えたのでしょう。
鬼界カルデラに最も近い九州の最南端、鹿児島県の前畑遺跡からは、丸木舟を造るのに使われた約7000年前の“丸ノミ型石斧”が発見され、長崎県の伊木力遺跡からは、外洋航海が可能と思われる全長6.5mの丸木舟(約6000年前)の船底が出土しています。
航海のため、或いは、漁労のために使う丸木舟。
縄文時代の九州の人たちは、約7000年前から丸木舟を造りだし、約6000年前には外洋を航海できる程までに造船技術を発展させたのです。
外洋を航海する能力を手に入れた縄文時代の九州の人たち。
それでは、縄文時代の九州の人たちは、どれ程の航海技術を持っていたのでしょうか。
結論から言いましょう。
距離にして650km・・・九州の人たちは、丸木舟で沖縄まで行ける航海術を手に入れました。
自分で書いてて「マジで!?」ってなるのですが、沖縄の縄文時代の遺跡を見ると、確かに九州の人たちが沖縄に行った証拠が次々と出てきます。
皆さんは、“爪型文土器”や“曽畑式土器”をご存知でしょうか。
どちらも縄文土器のバリエーションの一つなのですが、“爪型文土器”が人間の爪を押し付けたような文様が特徴的な日本全国から出土する縄文土器で、“曽畑式土器”が粘土に滑石の粉末を練りこんだ鈍い光沢のある土器で、表面に刻まれた細い線状の文様が特徴的な主に九州で出土する縄文土器になります。
それでは、この“爪型文土器”や“曽畑式土器”がどうしたと言うのか。
縄文時代前期(約7000年前から5500年前)・・・沖縄から“爪型文土器”や“曽畑式土器”が出土するようになったのです。
少し例を挙げましょう。
沖縄にある縄文時代前期の伊礼原遺跡からは、約6800年前の“爪型文土器”や、約5500年前の“曽畑式土器”が出土しています。
また、佐賀県には九州最大の黒曜石の産地があるのですが、沖縄の20を超える縄文時代の遺跡からは、佐賀県産の黒曜石が見つかっています。
九州の縄文文化に壊滅的な打撃を与えた鬼界カルデラの破局噴火。
しかし、九州の人たちは火山灰に負けず漁労や航海の術を発展させ、650kmの海の向こう・・・九州の人たちの一部は、沖縄へと“移住”したのです。
破局噴火で降り積もった火山灰から逃れる為に、北は青森、南は沖縄へと“移住”した縄文時代の人々。
でも、よく考えてみてください。
650kmもの航海術を持っていた縄文時代の古代日本人。
果たして、その古代日本人の選んだ“移住先”とは青森と沖縄だけだったのでしょうか。
【おまけ①】
青森の三内丸山遺跡から北海道産の黒曜石が発見され、新潟県産のヒスイが発見されたと言う話を覚えているでしょうか。
沖縄の縄文時代の遺跡からは、新潟県産のヒスイも発見されています。
北は北海道から南は沖縄まで・・・古代日本人は、縄文時代前期(約7000年前から5500年前)から日本全国をまたにかけて貿易をするようになっていたんですね。
【おまけ②】
沖縄の縄文時代前期の遺跡から発掘されたものから分かる通り、沖縄県民は古代九州の末裔です。
沖縄県民が古代九州の末裔って考えると不思議な感覚になりますね。
【作者の一言】
全7回に渡って話した縄文時代編。
縄文時代に対する認識が変われば、見えてくるものも違ってくるかと思います。
また書き溜めたら投稿しますので、それまでは歴史ミステリーの探求をお楽しみください。