行商人の信念
「どうにも嫌な予感がします」
御者席で手綱を握りながら、思わず呟いてしまう。
空を見上げると曇天である。
こういう天気は気分が滅入って当然なのだが、それだけではない。首筋がチリチリするような感覚に加え、軽い寒気。
商人としての勘が何かを告げようとしている気がしてならない。
とはいえ、行商なんて危険と隣り合わせの仕事。確証もない状況で引き返すわけにもいかない、ですが……。
今日は《禁断の森》に入り、エルフの村へ荷物を運んでいる。
月に一度の定期的な仕事で、希少な薬を仕入れることができるお得意先だ。
「今回は食料を多めに仕入れましたが、気に入ってもらえるでしょうか」
自ら厳選した商品の数々なので大丈夫だとは思いますが、人生は何があるかわからない。
商売人は完璧なんて言葉を口にしてはいけない。「万全なら使ってもいい」というのは先輩の口癖でしたね。
他の商人たちがうらやむエルフとの貴重な繋がりですから、自らのミスで手放す気は毛頭ありませんが。
「ドルドルドさん。前から疑問だったのですが、どうやってあのエルフと懇意に?」
私の隣に座っている屈強な男が話しかけてきました。
彼は私が専属で雇っているハンターグループのリーダー。
彼らは四人組で腕も立ち、気性の荒い方々が多いハンターの中では礼儀もわきまえているので、商売の護衛として最も適した人材です。
「運がよかったのでしょうな」
エルフといえば人間嫌いで有名な種族。
以前、この森から少し離れた場所で傷ついていたエルフの子供を助け、傷の手当てをして村に送ってから交流が続いている。
初めは警戒されて拘束されそうになりましたが、誠心誠意話し合って、なんとか理解してもらえることができました。
とはいえ人間嫌いは本物で、打ち解けるまでに数年が必要でしたね。
今は本当に友好的で、閉鎖的な生活をしていた反動なのか森の外の文化や道具に興味があるらしく、他の村では売れないような品も買い取ってくれるので、とてもありがたいです。
「おかしいですね。そろそろ出迎えがあってもよいのですが」
「いつもなら見張りのエルフが出てくるのですが、何かあったのかも。……お前ら、警戒しろ」
隣のリーダーが振り返り、幌付きの荷台でくつろいでいた仲間に声を飛ばすと、フードを目深に被った魔法使いの女性が姿を現す。
「ドルドルドさん、少し速度を落としてもらえますか?」
「わかりました」
手綱を二度引っ張り、ゆっくり走るように馬へ伝える。
彼女は杖を掲げ魔法を詠唱すると、じっと進路方向を見つめていた。
しばらくの間そうしていたのだが、不意に杖を下ろして小さく息を吐く。
「生命の光を探りましたが、エルフや人型の光は近くにありません」
今使った魔法はおそらく《生命感知》の魔法ですね。
確か人の生命力が色のついた光となって見えるそうです。その色で人間かモンスターかを見抜けるらしく、今まで何度も助けられてきた魔法。
「んー、なんか焼けた匂いしない?」
魔法使いの脇からひょこっと顔を出して辺りを嗅いでいるのは、このチームでもう一人の女性ハンター。
短剣と弓の使い手で偵察や援護を得意としている。
「風向きから考えて……エルフの村の方だよね」
それが何を意味するのか瞬時に理解した。
今日は月の初め。つまり、あの《邪神の誘惑》が終わったばかりということだ。
もしや、エルフの村は耐えきれなかったのか?
最近、モンスターが活発的になっているという噂話は聞いていたが、この森で長く生きているエルフがそう簡単にやられるとは思えない。
いや、思いたくない。
「……ドルドルドさん、引き返すことを提案します」
リーダーが険しい表情で意見を口にする。
他の仲間に視線を向けると、全員が静かに頷く。
雇用主として、みすみす彼らを危険に晒すのは愚の骨頂。商人として損得の見極めをしなければならない。それは重々承知している、が。
「いえ、ここは進みましょう。何があったか確かめなければなりません。ただの杞憂だという可能性もありますからね。エルフさんたちの身に何かあったとしたら、それこそ物資を必要としているはずです。それに、手伝えることがあるなら何かしてあげたい。……無理を言って申し訳ない」
私が頭を下げると、大きなため息が耳に届く。
「ドルドルドさん、危険手当を弾んでくださいよ」
顔上げると苦笑いをしたハンターたちが私を見つめていた。
「もちろんです。期待してください」
前から知っていましたが、今、確信しました。私は最高のハンターを雇えたのだと。
「これは……」
あまりの惨状に言葉が出ない。
村を守っていた立派な丸太の柵は原形を留めていない。焼け崩れているか、なぎ倒されていた。
柵の内側も酷い有様だ。
自然と調和していた美しい町並みが今は見る影もない。
「皆さん、生存者がいないか調べましょう! 落ち込むのは後です!」
過去を懐かしんでいる状況ではありません。
今動かなければ、危険を覚悟して来た意味がない。
「まだ、モンスターが残っているかもしれません。皆さん、細心の注意を払ってください」
そんなことは私に言われるまでもないだろうが、彼らは大きく頷いてくれた。
屋根も壁も失った家を一つ一つ調べていく。
瓦礫をどけて、何度も「誰かいませんか! いたら返事をしてください! 返事が無理なら何かを叩いて音を立てて!」と大声を張り上げる。
何度もそれを繰り返したが……誰からの返事もない。
だけど、あきらめのつかない訳がある。
どこにも死体が転がっていないのだ。これほどの損害を受けて全員が無事だとは思えない。
不利な状況を理解して全員で逃げて避難した、というのも一瞬だけ頭に浮かんだが、室内や地面に付着している、乾いた大量の血液がその考えを否定する。
この場に骸は存在しないが、私は手を合わせて祈りを捧げる。
「ドルドルドさん、崩れた瓦礫をすべてどかして死体を掘り出しますか?」
「いえ、生存者の探索が先です。申し訳ないですが、弔いは後回しに」
死者を愚弄する気はありませんが生存者を優先にしなければ。
比較的、被害の少なかった家から出て村の中心部へと移動する。
すると突然、彼らが武器に手を添えて目つきが鋭くなった。
「ど、どうしたのですか?」
「何者かが、こちらに向かってきているようです」
リーダーが数歩前に進み、耳を澄ましている。
生存者かと喜びそうになったが、彼らの反応を見る限りその期待は捨てた方がいいようだ。
「生命のオーラは……人型が六か七に馬が一だと思います。一つはかなり小さいので子供では。もう少し近づけばハッキリするかと」
魔法を使って相手を探ってくれたようですね。
「子供がいるということは生存者の可能性もあるのでは?」
「ない……とは言い切れませんが、足取りがしっかりしています。それに他の生存者を探すような素振りが感じられません」
なるほど。生存者なら怪我人がいてもおかしくない。だというのに、足運びにそのような素振りが見えないと。
「どうします? このまま進めば遭遇しますが」
ここで踵を返して逃げる、という選択肢もある。
安全を第一に考えるなら、それが最良だろう。
相手が生存者でなければ考えられるのは、たまたま立ち寄ったハンターたち。
もしくは《禁断の森》に住むもう一つの種族ダークエルフ。
あとは……この村を襲った犯人。モンスターの襲撃に見せかけてエルフの村を襲った、野盗や貴族連中の噂を耳にしたことがある。
エルフは美形で長寿。それ故に奴隷や人身売買として人気がある。この国では人間や亜人の人身売買は禁止されているが、隣国や別の国では合法だ。
それを目的でこの村を襲ったのであれば、魔法使いがさっき「小さいので子供では」という発言にも納得がいく。
つまり、子供のエルフを捕まえた奴隷商という可能性も。
「皆さん、相手が敵対したとして、ねじ伏せることは可能でしょうか?」
「それが雇い主のご命令なら従いますよ」
そう言ってリーダーが自信ありげに笑う。
仲間たちも不平はないようで、小さく頷いてくれた。
「では、そのようにお願いします。ただ、腕が立つ相手で勝てないと思ったら即座に撤退しましょう。命あっての物種ですからね」
自分は邪魔にならないように後ろへ下がる。
リーダーともう一人が前に立ち先へ進む。
少し間を置いて自分たちも追従する。
瓦礫と化した民家を抜け広場へと足を踏み入れ、対象の人物を見据える。
「我が村に何用だ! ……ドルドルドさん?」
この声に、あの姿は!
「おおっ、ムルスさん。無事だったのですね! 皆さん、剣を納めてください」
瞬時に相手が誰かを確認すると、自ら彼女に向かって走り寄る。
その手を握ると自然と涙がぼろぼろとこぼれ落ちた。
「村がこのような有様になっていたので心配していたのですよ。ムルスさんがご無事で本当に良かった」
目元の涙を拭いムルスさんと視線を合わせると、その目には輝くものがあった。
「私だけはなんとか。……皆さん、安心してください。この方は私の村へ定期的にやってきて商売をしていた、行商人のドルドルドさんです」
その言葉に応じて民家の影から姿を現す人々。
女性の神官に、子供連れのご家族のようです。
お互いの情報を交換して、この村に何があって今どうしているかを知った。
そして、数奇な運命を体験している彼らのことも……。
話を聞くと、運命の神に祝福され奇跡に触れたという。
普通ならにわかに信じられないだろうが、私は納得して大きく頷く。
素直に受け入れられたのには理由がある。既に神々の祝福を与えられた村の存在をいくつか耳にしていたからだ。
噂話程度に捉えていたのだが、今日初めて信じてみたくなった。
それが本当のことなら、この出会いも偶然ではなく、運命の神の導きなのかもしれません。
商人として、このチャンスを逃しませんよ。
それに……私は商人である前に人ですから。
――自分のように貧しく、困っている人の力になりたい。
商人を目指した頃に抱いた純粋な想いを、否定したくはないので。




