新たな仕事とスパイする俺
夜中まで掲示板で盛り上がってしまった。
「まさか、あれから三スレも消費するとは」
俺の立ち上げた《みんなゲームの始まりはどうだった?》スレは書き込みが千を超えて、それ以上は書けなくなったので新たに《みんなゲームの始まりはどうだった?2》を立ち上げると、大盛況ですぐに埋まり今は《みんなゲームの始まりはどうだった?3》まで伸びている。
掲示板で大人気スレになったようだ。
「始まり方は統一じゃないのか。まあ、そりゃそうだ。向こうの世界が実在して、様々な人々が生きているからな……」
ゲームとして操作は出来るが、あの世界は虚構じゃない。
実際に生きている。一人一人が意思のある人間なんだ。始まり方が多種多様なのも当然か。
掲示板に夢中になってはいたが、肝心の《命運の村》を忘れてはいなかった。
村人たちの話し合いの結果、三日後に拠点を攻めることに決定したようだ。
ダークエルフたちは、スディールを含めたここにいるメンバー全員が参加。彼女たちは村で生き残った戦える連中の中でも精鋭らしい。
うちからはガムズ、チェム、カン、ラン、ムルスとエルフ五名に村人五名で決定。あー、あと銀のバジリスク、ゴチュピチュも同行する。
ゴチュピチュはディスティニーより従順だからな。きっと役に立ってくれる。
そう思いながらちらっとうちの金色トカゲに目をやると、半眼でじっとこっちを睨んでいた。
うっ、心の声を読まれたか!?
すっと目を逸らして、もう一度村を眺める。
少し前ならこれだけ人員を割くと村の防衛が心配だったけど、残された村人とエルフだけでも守るだけなら十二分の戦力がある。立派になったもんだ。
実行部隊を選ぶ際に悩むのがチェムと聖書の立ち位置だ。聖書を村に置けばゴーレムを起動できるので、全戦力をぶつけることが可能になる。
聖書を持って行くと戦闘中に奇跡で手助けが可能となる。
攻めを重視するか守りを重視するか、悩みどころだった。
結局のところ村人はチェムも参加して聖書も持って行く。代わりに村には防衛に十分な戦力を残す、という結論を出したので従うことにする。
俺もそっちの方がいいと思っていたから。
今は柵や物見櫓などの防衛設備も整っている。おまけに《邪神の誘惑》後だからモンスターも大人しい。よほどのことがない限り大丈夫なはずだ。
「これから三日後に備えて作戦会議を何回かやってから出陣って流れだよな。あっと、こっちのスケジュールは…………明日は仕事で明後日は午前中だけで終わる仕事か。で、三日後はちゃんと休みだよな」
予定を確認しておく。神託前にも調べてはいたがこれで日にちを間違えていたら、神託で攻める日を変えてもらうか、社長に休みにしてもらうか、どちらかを選択しないといけなくなる。
「俺も来たるべき日に備えて仕事をしっかりやらないとな」
明日の仕事に備えて布団に潜り、就寝した。
「今から新しい仕事の打ち合わせに行くんだが、誰かついてこないか?」
あれから二日後。
予定通り午前中に仕事が終わり、青空の下で清掃道具を水洗いしていると唐突に社長が切り出してきた。
「嫌ですよ。帰ってから積みゲーやる使命があるんで」
「保育園に我が子を迎えに行くまでの貴重なお昼寝タイムを奪おうだなんて、鬼だわ!」
山本さんが即座に拒否して、岬さんはわざとらしく泣き崩れる芝居をしている。
「お、お前ら……。まあ、予定にはなかったからしゃあねえか。良夫はどうだ?」
乗り遅れて返事が出来なかった俺に話が振られた。
「えっと、ちなみに新しい仕事ってどんなのです?」
「ああ。ほら、前にITとかやってる会社の雑居ビル清掃に行ったろ。そこの社長が仕事っぷりに満足してくれてな。定期清掃を頼みたいからって言ってきたんだよ」
「それって、ユートピーって会社ですか?」
「おう、それだそれ!」
社長がぱんっと手を打ち鳴らして、大きく頷く。
あの会社は妹のライバル会社だよな。最近勢力を伸ばしてきて、社員を引き抜かれたとかどうとか言っていた。
それに精華にもちょっかいを掛けた社長がいる、会社か。
……清掃に入れば、会社の内情を少しは知ることが出来る。社長と話すことが出来たら、人となりがわかるかもしれない。
それが精華や妹の役に立つかどうかはわからないけど、何もしないよりかはマシだ。
「えっと、同行してもいいですか?」
「おう、助かるぜ。隣で話を聞いてるだけでいいからな」
社長が破顔して俺の肩をバンバン叩く。
こちらこそ、助かりました。と言いたかったが、黙って笑顔を取り繕っておいた。
数日ぶりにあの会社の前にいる。
今回は前回と違い、じっくりと観察するつもりだ。
外観はガラス張りでオシャレ。外から見える範囲だと窓際の社員は真面目に働いているように思える。
入り口の扉を潜って中に入ると、社長が受付の人と何か会話しているので、俺は辺りをぐるっと見回しておく。
社員証を首にぶら下げた人が何人か行き来しているが、スーツ着用の義務はないようで結構ラフな恰好をしている社員が多い。今時の会社っぽい。
……今時の会社で働いた経験はないけど。
社員は清掃着姿の俺たちには目もくれず、早足で歩いている。
誰もが笑顔の一つも浮かべず真剣……というよりしかめ面か怯えたような表情をしているように見えた。
たまにチラチラと視線を向けているのは天井や壁の付近で、釣られるように同じ方向を見ると監視カメラがある。
この会社では常に社員を監視でもしているのだろうか。
開放的な建物の造りと、ラフな服装から抱くイメージとは真逆だな。
そんなことを考えながら社内を眺めていると、背後から不意に視線を感じた。
振り返ると、こっちを見ていたスーツ姿の社員らしき人と一瞬だけ目が合ったが、直ぐさま視界から消えてしまった。
ここだとスーツ姿の方が目立つな。
「今のは……違うか?」
本当に一瞬だったから確信はないが、見覚えがある人だったような気がする。
でも、違ったような気もする。そもそも、ちらっと見ただけだ。
「良夫、社長室に行くぞ」
「わかりました」
ちょっと気になるけど、まあいいか。あの人だとしても親しい間柄でもないし。
受付で手続きが終わったようで、社長に従ってエレベーターに乗り最上階の四階へ到達した。
だだっ広い廊下にいかにも高級そうな絨毯が敷かれている。
デザインと靴裏から伝わってくる感触だけで理解できてしまう。
「この上に醤油こぼしたらなかなか取れねえぞこれ」
さすが社長。目の付け所が庶民感覚だ。
前の清掃もこの階だけはやらなかったけど、四階って全部が社長室っぽいな。
廊下の先には無駄に大きな両開きの木製扉がある。枠が金ぴかに加え表面には草花が彫られていて、どこぞの貴族様かとツッコミを入れたくなる。
「色んな場所を清掃してきたが……軽く引くのは俺だけか?」
「いえ、俺もです……」
二人揃って扉の前で佇んでいてもしょうがないので、脇のカメラ付きドアフォンを社長が押した。
「清掃会社の者ですが」
「どうぞ、中へ」
返事が聞こえると両開きの扉がすっと内側へと開いていく。
どうやら自動で開いているようだけど、無駄な機能じゃないかこれ。
社長室の全容が明らかになったが……あまりの光景に思わず息を呑む。
正面に大きな机と社長がいて、隣には秘書らしきスーツ姿の美女がいる。その背後は全面ガラス張り。
おー、なんかゲームとかアニメのラスボスっぽい。
「ようこそ。まずはおくつろぎください」
向こうの社長――長宗我部だったよな。ネットで調べたんだが、名前のインパクトが凄すぎて一発で覚えられた。
有名な戦国武将と同じ名前だ。歴史は……戦国シミュレーションや無双シリーズで知っている程度だけど、確か三本の矢とかで有名だったはず。
美人秘書に促されるまま、俺と社長は革張りのソファーに腰掛ける。
「着替えてきた方がよかったか」
社長の呟きと俺の内心がシンクロした。
こんな高そうなソファーに作業服は場違い感が半端ない。汚さないように腰を付けないで中腰のままの方がいいんじゃないか? とも思ったが無理そうなので腰を下ろす。
うわぁ、ふっかふかだこれ。
目の前に香りの強い紅茶の注がれたカップが置かれる。たぶん、茶葉もカップも高級品だ。
座っているだけなのにお尻がムズムズしてきた。パイプ椅子とペットボトルのお茶ぐらいが俺には丁度いい。
「前回の清掃をとても丁寧にしてくださって、ありがとうございます。仕事場が綺麗だと、それだけでやる気が出てきますよ。本当に助かりました、社長さんに良夫さん」
ガラス張りの机を挟んで正面のソファーに長宗我部社長が座る。
前とは色もデザインも違うスーツにノーネクタイ。あのスーツ一着、いくらするんだろう。訊ねたら喜んで教えてくれそうな気がするけど、黙っておこう。
……あれ? 今何か妙な違和感みたいなのを覚えたぞ。なんだ、何かが引っかかる……ような。
小さな違和感に戸惑いながらも話は進んでいく。
それからは清掃が気に入ったので是非定期清掃を頼みたいという仕事の話になり、俺はやることもないので社長室を見回していた。
壁際に本棚があって分厚い本が何冊も入っている。あとはファイルも詰まっているな。
美人秘書と目が合うと穏やかな微笑みで会釈されたので、俺も頭を下げる。
社長室の感想は……デカい、綺麗、眺望が素晴らしい、これに尽きる。
子供の頃に思い描いていた、理想の社長室を実際に作ってみました! といった感じの部屋だ。
「いい景色でしょう、良夫さん。眺望にはこだわっているのですよ」
「素晴らしいです……ね」
この瞬間に違和感の正体に気づいた。
なんで、この社長……俺の名前を知っているんだ?
この会社に入る際に受付で名前を記入した。それを確認しただけ、とも考えられ……ないな。あれに書き込んだのは名字だけだ。
となると、事前に社長が清掃する社員のフルネームを向こうに知らせていたのか?
そうとしか考えられないのに、納得の出来ない自分がいる。
もしそうだとしても、わざわざ名字ではなく名前で呼ぶ意味がわからん。外国かぶれのノリでやってるだけかもしれないけど。
妹や精華の話を聞いた後なので、どうしても長宗我部社長をうがった目で見てしまう。すべてが怪しく思えてしまう。
あの微笑みも目の奥が笑ってなく冷静で、丁寧な口調もどこか慇懃無礼じゃないか。まるでうちの社長を見下しているかのような。
気のせいだとは思うが、一度そういう印象を抱いてしまうとそうにしか見えない。
「……というわけで、定期清掃お願いできますか」
「はい、喜んでやらせていただきます」
どうやら週一回、廊下とトイレの本格的な定期清掃の仕事をゲットしたみたいだ。
詳しい契約は別の部署で社員とするらしく、俺たちは社長室を後にした。
会議室のようなところの扉が開いていたので中を覗くと、担当の女性社員がいたので会釈をして歩み寄る。
うちの社長が話を詰めているが、なんか疲れた顔をしているなこの社員。
だけど、そんなことよりも真っ赤に塗られた口紅に濃いめの化粧、目に優しくない色彩のスーツが目立つ。
普通の会社なら絶対に許されない、赤のスーツに胸元が大きく開いた薄い金色のシャツ。すさまじいセンスの人だ。
あと香水の匂いがきついので、あんまり近くに寄りたくない。
前回の清掃は休日だったので社員は一人しか見かけなかったが、今日は平日なので何人もの社員とすれ違った。
そのほとんどが疲れた顔をしていて、どこか落ち着かない、怯えたような素振りをしていた。
表の顔はホワイト企業なんだけど、実際は違うのか?
あっ、もし手元に聖書が残っていたら社長室の覗き見や盗聴も余裕だったな。今は聖書は元の世界に戻っているので、やりたくてもできないけど。
向こうに戻したことを後悔はしてない。だけど、少しだけ惜しい。
「すみません、ちょっと電話で」
担当の社員が商談の途中で席を立つと、トイレの方に歩いて行った。
俺もトイレに行っておくか。
さっきの紅茶のせいなのか急な尿意がやってきたので、社長に断ってからトイレに向かう。
「あっ、くそ。二匹、やられてるじゃないの。あの日に備えて戦力を増強しないと、何言われるか……」
トイレを終えて出ようとすると、外から女性の声がする。
それがさっき打ち合わせをしていた社員の声っぽいので、壁際に隠れて耳を澄ました。
「同じ……からここに入ったのに……でも逆らうと金……辞めたいけど、無理よね……」
小声で壁を挟んでいるから途切れ途切れにしか聞こえないが、なんか物騒なことを言ってないか?
そこからは無言になり立ち去る足音が聞こえたので、廊下を覗き見すると、スマホを手にしたまま歩いて行く後ろ姿が見えた。
あの派手な服装は間違いない。
「さっきまで一緒にいた社員だよな。電話じゃなくて、スマホを見て独り言をぶつぶつ言っていたみたいだけど」
俺も独り言を言う癖があるから、人のことをとやかくは言えないけど、なんか怪しく感じる。
さっきの内容から察するに少しサボってゲームでもしていたっぽいが、何故か気になってしまう。
「……まさかな。さすがにそれはないよな?」
どうしてもスマホゲームとなると《命運の村》や山本さんとの一件。年末年始の出来事を思い出してしまう。
そういや前も社員らしき人が似たようなことを呟いていたような?
「いやいや、そんなのあり得ないだろ」
露骨なフラグにしか思えないけど、それはあまりにも出来過ぎた話だ。
たぶん、この会社で流行っているゲームなのだろう。
少しでも気分を紛らわすために俺はスマホを取り出して《命運の村》を起動させると、じっと村人を見つめていた。




