運命の神の提案とドキドキする俺
『その神託に間違いはないのですね?』
ムルスが顔をしかめたまま、きつめの口調でチェムに問う。
『はい、間違いありません。ご覧になりますか』
手にしていた聖書をみんなに見えるよう開くと、全員が覗き込んでいる。
『確かにそう書かれてますね。……ダークエルフを村人として受け入れる、か。運命の神がそう仰るなら反論はない』
とムルスは言っているが、顔が嫌だと語っている。
村の一員にさせたい理由はたった一つ、村人になると地図の見える範囲が広がるからだ。村人が今まで見てきた範囲が地図上に表示されるようになる。
つまり、ダークエルフの村を覗けるようになるということだ。
そうなれば村の様子を観察できるし、不審人物とコンタクトを取ってないか調べることも可能だ。発言は聖書が近くにないと聞こえないので無音声で映像のみとなるが、それだけでも貴重な情報は得られる。
……という事実を村人に明かすべきかどうか。
これを言わずにダークエルフと共闘しようといった場合、従ってはくれるだろうがエルフたちに遺恨が残りそうだ。
でも神の能力を明かすと神秘性がなくなりそうだし、しょぼい能力だと思われたら村人からの運命ポイントが減りかねない。
最近は村人が増えて運命ポイントも昔と比べてかなり増えている。だというのに神への不信感を煽るような言動は控えたい。
「人の上に立つって難しいんだな……」
あちらを立てればこちらが立たず。
お偉いさんって何もせずに適当に指示するだけの存在かと思っていたけど、経験して初めてわかる悩み。
村長を任せたロディスやバイト先の社長を尊敬するよ、マジで。
人付き合いを円滑にする方法ってどうすればいいんだろう。
自分で考えるより誰かに相談したいけど、ネットの知り合いに自称社長とかはいるが、日頃の発言からしてどう考えても社長じゃないんだよな。むしろ未成年っぽい。
となると最適な頼れる人物は……父か。
確か役職は部長だったはず。今日は早めに帰ってくるそうだから、飯を食いながらさりげなく仕事の話を振ってみるか。
未だに父と会話するのに少し緊張してしまうけど、いい加減慣れないとな。家族なんだから。
村人たちを眺めているとあっという間に夕方となり、夕飯時になった。
一階に降りると父が既に食卓にいて、妹はまだ帰ってきていない。最近、忙しいって話していたから今日も残業なのだろう。
料理を運ぶのを手伝って食事が始まると、ちらちらと父の方を何度も見てしまう。
見るからに真面目そうな顔をして黙々と食事をしている。う、うーん、自分から切り出す勇気が出ない。
何か切っ掛けになるタイミングとかあればいいんだけど。
「お父さん、最近仕事の方はどうですか?」
まるで俺の心を読んだかのようなタイミングで母が話題を振ってくれた。
「まあまあだな。特に問題はなくやっている」
よっし、便乗して会話に乱入するぞ!
「父さんって部長なんだよね」
「ああ、そうだが」
一瞬眼鏡が光ったように見えたが、蛍光灯の光が反射しただけだよな。
「あのさ、上司ってやっぱり人間関係で頭を悩ませたりする?」
「そうだな。会社は人の集合体だ。人が集まれば軋轢や問題が生じる。仕事の能力が高くても人付き合いが苦手な部下はいる。どうしてそんなことを訊くんだ?」
おおっ、管理職っぽい発言だ。
この調子で上司としての振る舞いのコツを聞き出したいところだけど。
「ほら、年始にお世話になった村でちょっと問題があって。前から村に住んでいる人が移住予定の人を嫌っていて、俺としては仲良くして欲しいんだけどアドバイスの仕方がわからなくて」
伝えてはいけない情報は抑えて、できるだけ嘘偽りなく話してみた。
「なかなか、難しい問題だな。互いに納得いくまで会話させてみる、という方法があるにはあるが、これは今以上に関係が悪化する可能性を秘めている。仕事であれば互いの能力を認め合って和解した前例があったな。あとは共通の敵を作り、仲間意識を強めるとかか」
「なるほど。そっか……ありがとう。参考になったよ」
俺が礼を言うと、父の口元が少しだけ緩んだように見えた。
父との会話を踏まえたうえで考えてみると……話し合いは難しそうだ。その場を設けたとしても睨み合って、罵詈雑言が飛び交うシーンしか想像できない。
互いの能力を認め合う、というのはありかもしれない。
共通の敵もいることだし、互いが協力して挑めば関係が改善される可能性も。
やっぱり、まずはダークエルフが信用に値するかを調べるのが先決か。
彼らがこちらの提案を受け入れてくれたら、相手の村の怪しいところがないかをチェック。大丈夫と判断したら、一緒にモンスターの拠点を襲撃でいこう。
提案を断ったら、この話はなかったことにするべきだな。
村人をみすみす危険に晒す訳にはいかない。
食後に部屋へ戻ると村の様子に変化があった。
ダークエルフたちがいる建物に、村の主要メンバーが集まっている。
ざっと過去ログを確認すると、運命の神からの提案を相手に話したところのようだ。
『うちらに、この村に住めって言うの? マジで?』
『はい。一人だけで構いませんので、この村に住んでみませんか』
小馬鹿にした口調のスディールに対し、穏やかに対応するロディス。
提案は神からだという点は隠してくれているな。
『は、はーん。うちらが裏切らないように人質が欲しいってことか』
『いえいえ。互いの親睦を深めるための提案ですよ。私たちはあなた方を信用したいですし、私たちのことをもっと知って欲しい。それだけの話です』
笑顔を崩さずに交渉を続けるロディス。
そんな旦那をうっとりした表情で見ているライラ。
小さな声で『パパ、頑張って』と応援するキャロル。
この家族を見ていると結婚願望が湧き上がってくる。理想の家族だよな、正直うらやましい。
『ふーん。こっちだけ頼んで相手の要求を飲まないってのは、ずるいか。受けるにしても誰が残るか決めないといけないから、返事は明日で構わない?』
『もちろんですよ。明日の昼ぐらいまでに返事をいただけると助かります』
『りょうかーい。んじゃ、また明日』
これで交渉は終了か。
あとは明日の返答で今後の方針を決めよう。
村人たちが立ち上がって建物を出ると、ガムズが近くで見張りをしていた村人と交代した。
そんなガムズに歩み寄ったチェムが、懐から取り出した物を差し出す。
『お兄様、これを』
『わかった』
チェムが兄であるガムズに手渡したのは聖書だ。
実はこの行動には深い意味がある。
聖書がある場所から一定の距離までは声を拾うことができる、という仕様。
昔は洞窟内部も柵の内側も面積が狭かったので、村人の声を全部拾うことが可能だったけど今は広くなりすぎて、村全体をカバーするのは難しくなっている。
そこで見張りをするガムズに聖書を渡し、ダークエルフのいる建物を聖書の範囲内に収めることで、盗み聞きを可能にした。
どれだけ小声で話そうが、声と一緒に字幕も表記されるから聞き逃すことはない。
「姑息っぽいけど、これも村人を守るためだ」
と自分に言い訳をしておく。
当然だが村人たちには「盗み聞き用として聖書を渡して」なんて言ってない。
聖書があると万が一の際に奇跡を発動させて、騒動を事前に収められると伝えておいた。 ……今回の聖書に書き込んだ神託の文字数って、一回分としては今までで最大かもしれない。
「聞きたいことが聞けるといいんだけどな」
ダークエルフたちの相談から一番欲しい情報が得られるといいんだけど。
一言一句見逃さないようにPC前に張り付いて、彼らの様子を覗っている。
見張りを担当していたガムズが、少し離れた場所に移動するのを窓から確認したダークエルフたちが建物の中心に集まり始めた。
全員が輪になって揃うと小さく頷き、口火を切ったのはスディールだった。
『あんたらも聞いていたと思うけど、どう思う? 率直な感想を訊かせてくれないかい』
おっと、村人と話している時はギャル風の話し方だったけど、今は頼れる姉御といった感じだ。
二つの顔を使い分けているのか。
『エルフがいるってのにワシらを受け入れるってのは、どうにも胡散臭いと思いやす』
古風な話し方をするダークエルフだな。見た目と声が若いから違和感しかない。
『俺も同じ意見です』
『同じく』
全員が疑っているのか。まあ、当然だよな。
俺も向こうの立場なら、あの申し出は疑って掛かる自信がある。
『だよな。正直、怪しさしか感じないが……神様から交渉は成功させろって言われてるからね』
そう言って小袋から一冊の深緑色の本を取り出したスディールが、小さく息を吐き肩をすくめている。
「あれは、聖書か。まさか、彼女が所持していたとは……」
ダークエルフからは神様を演じるプレイヤーの有無を聞き出すのが最優先事項だったが、聖書を持参していたのは意外だった。
可能性としては考慮していたけど、拠点の村に置いてきているものだと思い込んでいた。だけど冷静に考えるなら、プレイヤーが相手なら状況を把握するために持たせるよな。
「……プレイヤーに対する配慮が足りないな。はあー」
今更後悔したところでやり直しは利かないが、この失敗を今後に生かすことはできる。
神様からの指示があったと口にした。ということはダークエルフ側にもプレイヤーがいるのは、ほぼ間違いない。
そして今までのやり取りはすべて見られていた、と考えるべきだ。
こっちが相談事をしている時も、建物内にいるダークエルフの会話は表示されていた。俺が聞こえる範囲なら、向こうだって聞こえる範囲のはず。
「つまり、すべて筒抜けだったと考えて行動するべきだよな」
自分の側が有利だと思っていたら、一気に覆された。自分の間抜けさに腹が立つ。
少しは成長したつもりだったけど、まだまだ脇が甘い。
『今日の神託はまだだったから、今後どうしたらいいか自然の神に訊ねてみっか』
向こうもプレイヤーに判断を委ねるのか。
どういう判断をプレイヤーが下すのだろう。相手の聖書にピントを合わせて拡大しておく。
『自然の神よ。この声が聞こえているのであれば、うちらに道標を』
膝を突いて祈りを捧げている。
しばらくそうしていると聖書が光を発して、手を触れていないのに本が勝手に開く。
さーて、どういう反応をしてくれるのか。楽しみでもあり、怖くもある。
友好的なプレイヤーであることを祈るしかないな。
ダークエルフたちと一緒に聖書を注視していると、開いたページに文字が浮き上がってきた。
『この村の神よ。これを見ているのだろう?』
まさかの問いかけに自分の目を疑った。




