理想の兄と必要のない兄
ガムズを除いた村人全員が洞窟内の掃除を始めている。
幸いな事に掃除道具も残っていたようで、なんとかなりそうな感じだ。
新たな住居を手に入れて安堵の息を吐いたところで、ある異変に気が付いた。
眠っているガムズの頭の上に漫画の吹き出しみたいなのがあり、《夢》という文字が浮かんでいる。
違和感しかない現象なのだが俺以外の誰も見えていないようで、俺みたいに疑問に思う人はいない。
「なんだこれ? 意味は分かるよ、夢って書いてるからきっと夢なんだろうな……で?」
たぶん、ガムズが夢を見ている状況ってことなんだろうけど、それを俺に教えてどうなるんだ。
「ん、んー、クリックしたらどうにかなったりするのかね」
マウスを操作して《夢》に矢印を持っていき、期待もせずにクリックする。
途端、画面が黒一色になったかと思えば、さっきまでとは違う風景が広がっていた――。
ここはどこだろう。
草木はどこにもない薄暗い路地裏に見える。街中のようだな。
石畳の上にはうっすらと雪が積もり、空から小さな白い雪が降り注ぐ。
ランタンをぶら下げただけに見える街灯らしきものが道の脇に点在しているので、ある程度は明るいのだが、現代日本に比べるとお世辞にも十分な光量とは言えない。
見ているだけでも身震いしそうな寒空の夜に、青年と少女が手を繋ぎ足早で歩いている。
これが昼間の明るい場所なら微笑ましい光景に見えるのだが、このような時間にこんな場所にいるのは違和感しかない。
それに青年は険しい顔をして少女は今にも泣きそうな顔をしている。
青年の服装は革鎧。背中と腰に剣を携えているので剣士かハンターなのだろう。
少女の服装はどう見てもサイズが大きすぎるコート。その下は寝間着姿のようだ。
『ガムズお兄ちゃん、どこ行くの』
『ここじゃない、何処かだよ。チェム』
ああ、この二人は兄妹の若い頃なのか、よく見ると面影がある。
ガムズの顔には傷もなく、チェムはとてもかわいらしい。
そんな二人の間に漂う不穏な空気。いったい何があったんだ。
真冬の寒空にこんなにも小さなチェムを連れ出すなんて、余程のことだよな。
『ねえ、急にどうしたの。お父さんもお母さんも心配しているよ』
『いいんだ。あいつらは、もう親でもなんでもない』
『で、でも、早く帰らないと、すっごく怒られるよ……』
目を伏せたチェムの手が微かに震えているのは……寒さのためだけではない気がする。
『もう、二度と会わないから大丈夫だ。怯えなくてもいいんだよ』
そう言ってガムズが優しくチェムの頭を撫でる。妹を安心させようとして笑おうとしているようだが、表情はまだ硬い。
会話から察するに……家出か?
ろくでもない両親がいて辛抱の限界に達したガムズがチェムを連れて出て行った、としか考えられない言動だ。
それからは無言で歩いていたのだがチェムの足が徐々に遅くなり、ついにはその場にしゃがみ込んでしまった。
『もう、歩けない……』
『すまない、チェム。疲れたよな。お兄ちゃんがおぶってやるから』
そう言って背を向けてかがむとチェムがしがみつく。
今にも泣きだしそうだった顔が、ほんの少しだけ安心したかのように見えた。
今度は少し歩く速度を落として、夜の街を黙々と進む。
『お兄ちゃん。お父さんとお母さんは……チェムのこと嫌いなのかな……。チェム悪い子なのかな。いつも怒られてばっかりだったから』
『そんなことはない!』
大きな声でガムズが否定すると、チェムが怯えたように体を揺らす。
『そんなことはないんだよ。悪いのはあいつらなんだから』
『でも、悪い子だからチェムを奴隷として売るって……。役立たずなんだから、最後ぐらい役に立てって』
おいおい、穏やかじゃないぞ。
ただの家出なんて生易しいもんじゃない。二人の両親が想像以上にクズだった。
『チェム。あいつらを親だと思うな、ただの屑だ。働きもせずに博打で借金をして、挙句の果てに借金のかたにお前を売ろうとしたんだ。俺がハンターとして安定して稼げるようになったら、お前を迎えに行くつもりだったが……。すまない、もっと早く行動に移すべきだった』
『ううん、お兄ちゃんが来てくれて嬉しかったよ』
『これから、いっぱい楽しいことをして幸せになろうな』
『うん。大好きだよ、お兄ちゃん』
チェムはぎゅっと強く兄の首にしがみつき、兄の首筋に顔をうずめる。
――これはブラコンになるのも納得だ。
自分の危機にさっそうと現れ救い出してくれた兄。あれだけ兄に依存してしまうのも理解できる。
「モテて当然のキャラだよな。見た目も性格もイケメンか、はぁー」
夢が終わるといつもの画面に切り替わった。
いつものように運命ポイントの合計を確認すると昼を過ぎていた。腹も減って目も疲れてきたのでPCから離れて自室を出る。
下に降りようと廊下に踏み出したところで、隣の部屋の扉が開いた。
「休みだったのか」
予想外の人物の登場に思わず声が漏れる。
日頃から曜日感覚がない状況に加え、命運の村に没頭していて完全に油断していた。今日は日曜日だったのか。
今起きたばかりらしく、頭をぼりぼりと掻きながらこっちを見た途端、眠そうな顔が一変する。
「げっ、最悪」
俺の顔を一瞥すると露骨に嫌な顔をする、妹。
ガムズたちと同じぐらい、俺と妹も顔が似ていない。
兄の目から見ても美人の部類に入る、と断言できるぐらい整った顔をしている妹。学生時代は結構な数の告白をされて、俺にちょくちょく相談しにきていた。
……あの頃よりも美人になったな。
俺は両親のいいところをこれっぽっちも引き継がず、逆に妹は両親のいいところばかりが遺伝した。
艶やかな黒髪がまっすぐに肩下まで伸びていて、きつめの目つきと相まって近寄りがたい雰囲気を醸し出している。
俺と年が離れているのでまだ二十代前半で、その若さはうらやましい限りだよ。
「トイレに行くだけだ」
それだけ言って二階のトイレに向かう。
昼飯を食うつもりだったがやめておこう。お互いに飯がまずくなるだけだからな。
「あっ、そう。一階のトイレは使わないでよね」
きつい物言いだが、もう慣れきってしまった。
俺は文句を言う気もなければ、言う権利すらない。妹はしっかりと働き稼いで家に金を入れている。ただ浪費するだけの俺とは立場が違う。
「わかってる」
トイレを共用することすら嫌らしく、俺は二階のトイレしか使うなと念を押されている。
元から一階に降りるのが面倒だったので、言われるまでもなく下のトイレを使うことは滅多になかったが。
「ちょっとは言い返しなさいよ、情けないわね。……私がバカみたいじゃない」
最後の方は聞こえなかったが、そんなことを呟いて妹は階下に消えていく。
俺の成すことすべてがお気に召さないようだ。
昔は近所でも評判の仲のいい兄妹だったのに、今じゃこのざまだ。
原因は……考えるまでもない。
あの一件で幻滅されてから他人行儀な態度になり、就活を失敗した後は会話すらしない間柄へと変化した。
ニートになるまでは、たまに一緒に出掛けるぐらいの関係だったというのに。
あの頃の俺は……やめておこう。後悔して思い出したところでどうなるものでもない。過ぎた時間は取り戻せないのだから。
いつもと変わらない妹とのやり取りだというのに、今日に限ってこんなにも落ち込みそうになるのは、ガムズとチェムの過去を見たばかりだからか。
頼りがいのある兄と情けない兄。あれを見た後だと……嫌でも比べてしまう。
妹だって、俺なんかよりガムズのような兄が欲しかったに決まっている。
食欲も完全に失せた俺は部屋に戻って夜まで村人たちを眺めていた。
今日も彼らは文句の一つもこぼさずに一日を懸命に生きている。互いを尊重して助け合い働く彼ら。
汗水流して働くガムズに飲み水を差し出し、微笑むチェム。
仲睦まじい二人を眺めていると、
「変わりたい」
思わず口から漏れ出た言葉に驚く。
その声を合図にしたかのようなタイミングで、手の甲に何かが当たる。
一定の間隔で生暖かい何かが当たり弾ける。
それは――俺の頬を滑って落ちていく涙。
「泣いてるのか。ははは……泣くほど後悔するなら、なんで……俺は今までっ!」
そこから先は声にならない嗚咽があふれて止まらなかった。