迫る期限と決断する俺
今日からは土砂除去の仕事はお休みで、村の防衛を強化する仕事に回っている。
俺は村を囲む丸太のチェックを担当していた。
黙々と作業をしているが、頭の中では昨日の運営の発言がぐるぐると回り続けている。
「村に残るか、日本に戻るか」
その決断の期限は今日の夜まで。もう一度運営から連絡があって、その時に答えを聞かせることになっている。
運営が言うには、
「穴を生身の人間が行き来できないように調整中でね。あと三日もあれば修復が終了するんだよ。だから、申し訳ないけど早く決断してもらいたい。それにこのままだと生身で《邪神の誘惑》に参加することになっちゃうよ」
とのことだった。
今回の襲撃は敵側のプレイヤーが二人参戦するらしい。それだけでも脅威なのは言うまでもない。
そんな戦場に俺がいるより、日本に戻ってPC前から操作した方が冷静な判断もできるだろう。
……正直に言えば、死ぬのが怖い。この数ヶ月で何度か命の危機に晒されたが、相手は人間で対等の存在だった。
でも、ここでは違う。異形の化け物であるモンスターたちが大量に襲ってくる。
ガムズの狩りに同行した際にモンスターを目の当たりにしたが、俺はその時何もできなかった。異様な姿の化け物に気圧され、虚勢を張るので精一杯だった。
それに日本には家族や精華がいる。他にもアルバイトとはいえ仕事だってあるんだ。
せっかく仲が修復してきたというのに、家族や現実からまた逃げてここに住めというのか……。
でも帰ってしまえば、もう二度とこの世界を訪れることができない。村人ともディスティニーとも永遠の別れとなる。
でも、だって、でも。
否定、言い訳、妥協。
決断できない自分がいる。俺は……。
「ヨシオ! 変な顔しているよ。どうしたの?」
「こら、失礼なことを言わないの」
不意に聞こえてきた声に反応して視線を下に向けると、じっと俺の顔を覗き込んでいるキャロルと目が合った。
こんなに近くに来ていたのに気づいていなかったのか。
「すみません、作業の邪魔をしてしまって」
キャロルを引き剥がして頭を下げているのはチェム。
以前と比べれば少しは打ち解けてくれたが、それでも神の従者という立場の俺に礼儀を欠かすことがない。
「いえ、大丈夫ですよ。少し考え事をしていただけなので」
「悩み事? だったらみんなと話したらいいよ! ママが悩みは一人で抱え込んだらダメだって言ってたよ。キャロルが相談にのるから!」
ドンッと胸を叩いて、頼ってくれとアピールしている。
その横でチェムが恐縮して何度も頭を下げていた。
「そうですね。確かに一人で悩むよりも聞いてもらった方がいいかもしれません。キャロルはお父さんとお母さんと別のところで暮らすから、明日この村から引っ越しする、って言ったらどうする? 引っ越したらもう二度と村には戻ってこれないとして」
「うーーん、困る!」
シュタッと勢いよく手を上げて発言してくれた。
「そうだよね。うんうん」
俺も困っている。
「でも、みんなが好きだからパパとママと一緒に残る!」
きっぱりと断言したな。俺とは条件が少し異なるが、村に残ることにためらいはないのか。
「あなたはどう思いますか?」
「私ですか。兄と一緒に引っ越しなら、兄について行きたいですけど。……でも、今日引っ越すとなると《邪神の誘惑》に対する人手が足りなくなってしまいますから。……それに皆さんと別れるのは寂しいです。だから、私も残ると思います」
チェムも同じように決断できずに悩んだようだが、結論はキャロルと同じだ。
……他の人にも聞いてみよう。このまま一人でうじうじ悩んでいても答えが出るとは思えない。
「難しいですね。キャロルや妻が安全に暮らせる場所があるなら、引っ越すのもやぶさかではないですが、それでもこの村を手放すのは……」
「私もこの人と同じですよ。家族の幸せが一番だとわかってはいますが、この村を出たいとも思えないのです。苦労もありましたけど、この三ヶ月で幸せな思い出も一杯ありますから」
ロディスとライラは顔を見合わせて微笑んでいる。
この二人は引っ越さずに娘と一緒に村に残るのを選択するのか。
「ここ居心地がいい」
「ラン、カンと一緒」
弓矢を作成していた手を止めて、カンとランが答えてくれた。
二人は村に残るを選ぶようだ。
「私はこの禁断の森からは離れられませんので、そもそも引っ越す場所がないかと」
物見櫓に登ってムルスにも訊いてみたが、素っ気ない態度で返された。
これでも以前と比べたら対応はマシになっている。
話を聞いた村人たちに礼を言い、住み慣れた我がテントに戻った。
新しく来た村人たち以外に訊いてみたが、最終的には全員が村に残るを選択した。当然と言えば当然の結果だ。
二度目の《邪神の誘惑》で多大な損害を与えられたというのに、この村に残ると決めた村人たち。
戻れば安全な暮らしが保障されている俺とは、そもそもの立場が違う。
「あっ、そうとも言えないか」
日本での暮らしで二度も死にそうな目に遭っている身としては、お世辞にも安全な日常ではなかった。
それでも、この世界に比べれば暮らしやすく安全基準が高いのは間違いない。
何十年、共に過ごしてこんな俺を見捨てなかった家族や精華。
一ヶ月にも満たない日々だが、苦楽を共に過ごした村人たち。今の俺が奮起できたのは村人のおかげなのも忘れてはいけない。
そんな彼らを見捨てて一人、日本に戻る。
後ろめたさはある。でも、ここに居続けるのも現実から逃げるようなものだ。
スマホを取り出して電源を入れる。日本は日曜日なのか。
休みなら家にいるかな。
俺は電話帳から母を選び通話ボタンに触れる。
『あら、あんたから電話してくるなんて珍しいわね。そっちでは皆さんに迷惑掛けてない?』
「大丈夫だよ。村の手伝いで毎日奔走しているから。母さんたちは変わりない?」
『そうね、お父さんと沙雪が寂しそうにしているぐらいかしら。――寂しくなんてないわよ、嘘吐かないで!』
スマホから妹の怒鳴り声がした。直ぐ側にいたようだ。
「元気そうで良かったよ。もしさ、俺がそっちに帰れなくなった、って言ったらどうする?」
『んー、あんたが元気でいるなら別に構わないわよ。そりゃ、母としてはちょっとは寂しいけど、あんたが自立して幸せに暮らせるなら親としては歓迎しないとね。そっちで仕事でも見つかったの? だったら、ちゃんと社長さんに断りの電話は入れなさいよ』
都合良く解釈してくれたようだが、母はそういう考えなのか。
『ねえ、こっちに戻ってくる気ないの?』
「沙雪か。いや、もしもの話だよ」
沙雪が母からスマホを奪ったらしく、不機嫌さを隠そうともしない声が聞こえてきた。
『私はどっちでもいいけど、そっちに住むにしても一度はちゃんと戻ってきてよ。引っ越すにしても準備がいるでしょ。それに……謝りたいこともあるし……』
そこから先は何も言わずに黙り込んでしまった。
『俺だ。風邪を引いてないか』
今度は父に代わったのか。口調はいつも通りだが、俺を心配してくれているのが声から伝わってくる。
「健康そのものだよ」
『そうか、ならばいい。何を迷っているのかは知らないが、人に決められて選んだ道は自分で選んで失敗した時よりも後悔をする。人の意見を尊重するのも大切だが、最後は自分で決断するように』
父のアドバイスを胸に刻む。
「そっか。うん、参考にします。父さん、ありがとう」
『うむ。お前の人生だ好きに生きてみろ。今のお前なら間違った道は選ばないはずだ。それにどのような道を選ぼうとも我々は家族だ、全力で応援する。それじゃあ、体には気をつけるんだぞ』
父が通話を切った。
運営になんて答えるか。迷いはほとんどなくなったが、最後の一押しが欲しい。
スマホの電源を落とさずに、電話帳からもう一人選び電話を掛ける。
「もしもし」
『よっしい、北海道は寒くない? キャロルちゃんは元気にしている?』
開口一番、こっちの心配ばかりする幼馴染みの声を聞いて頬が緩む。
「ああ、大丈夫だよ。キャロルは元気に毎日駆け回って、俺も振り回されっぱなしだ」
『ふふっ、いつも元気一杯だったもんね。それで、どうしたの。何か心配事でも?』
「……いや、別に」
『嘘でしょ。いつもは滅多に自分から電話してこないじゃない。してくるときは、何かあるときだけだよね』
俺ってそんなに嘘がわかりやすいのか?
妹にも精華にもあっさり見抜かれるのか。
「実はこの村に住まないかと誘われている。仕事も斡旋するからって」
『そうなんだ。よっしいはどうしたいの?』
「迷っていた。こっちに住むことになったら滅多なことでは、そっちに戻れなくなるからな」
本当は一生戻れなくなるのだけれど、それを伝えるわけにはいかない。
『やりたいようにやればいいんじゃないかな』
なんだ、思ったよりもあっさりだな。
行かないで、とか引き留められるんじゃないかと、ちょっとだけ期待していた俺がバカみたいだ。
「そうだよな、やりたいようにやるのが一番か」
『そうそう。よっしいが何処に行っても私は会いに行くから』
「えっ?」
『北海道でも別のどこかでも、私は会いに行くよ必ず。もう、逃がさないからね』
……聞き間違いじゃないよな。
今、俺は顔面から火を噴いてないか?
うれしさと恥ずかしさと、なんかよくわからない感情で顔も体も熱い。
「精華、そんなキャラじゃなかっただろ……」
『うん、そうだったね。今までは相手のことばかり気を遣って自分を押し殺していたけど、もうやめたんだ。数年ぶりに話をして一緒にいて……ずっと離さないって、私は決めたの。何十年も待った女って怖いんだぞー』
こんな積極的な精華、俺は知らないぞ。
精華はスマホの向こう側でどんな表情をしているのだろう。俺のように照れて戸惑っているのか、それとも……。
『何か言って……恥ずかしいから』
「す、すまん。そのあれだ、俺も……」
『今はその先の言葉は言わなくていいから。雰囲気に流されるんじゃなくて、ちゃんと考えて言って欲しいから』
数年ぶりに会ったときは昔とあんまり変わらない、なんて思ったけど違ったな。
俺よりもずっと積極的で素敵な大人になっている。
「わかった。いつか、必ず俺の方から伝える」
自分に自信が持てるようになったら、必ず。
『うん。楽しみに待っているね』
「でも、俺なんかの何処がいいんだ? 十年間こんな無様な生き様を晒してきたのに。普通は見捨てると思うんだが」
素朴な疑問だった。俺が精華だったらこんな男に惚れるかは疑問だ。
ネットでも女性は男よりシビアで男の年収を何より重要視するって書いてあった。
『普通って誰にとっての普通なの? もしかして、ネットで得た知識? 私は嘘か本当かの区別もつかない架空の女じゃないよ。三十年以上、よっしいを見続けてきた精華っていう幼馴染み。良いところも悪いところも全部知っている……女だよ』
我ながら馬鹿な質問をした。
こんな素敵な女性に惚れられているのなら、俺も少しはいいところがあると自分自身を信じよう。
「そっか。今日はありがとうな、悩みなんて吹っ飛んだよ」
『どんな答えを出しても、私はついて行くし、応援しているからね。じゃあ、おやすみ』
「おやすみ」
通話が終わり、大きく息を吐く。
家族や精華の想いを知って俺の迷いは吹っ切れた。
足下で何かが俺の服を引っ張っていたので視線を落とすと、ディスティニーが上目遣いでこっちを見ている。
「わかっているよ。お前のこともちゃんと考えたさ。……よっし、決めたぞ!」
結論を出した俺はテントを飛び出すと、夜まで作業に没頭した。
夜も更けると全員が自分の家に帰宅する。
俺も住み慣れた我がテントに戻り、スマホを床に置くとその前に正座した。
着信音がしたので手に取り耳に当てる。
『良夫君、決めた?』
「はい、決めました。俺は――」




