新たな展開と腹を据える俺
後ろにぴょんぴょんと跳ねるようにして、俺から距離を取る精華。
その顔には今まで一度も見たことのない……妖艶な笑みを貼り付けたまま。
「おい、まだ酔っ払ってるのか? 冗談でもやめてくれ。それは大事な物だって言ったよな」
いつもと雰囲気の違う精華の腕を掴もうと一歩踏み出すと、俺をからかうように一歩後ろに跳ぶ。
背後の大木に背を預けて、聖書の表紙を指ですーっとなぞる。
その仕草に妙な色気を感じてしまい、日頃との違いに総毛立つ。
何かが変だ、何かがおかしい。酔っ払っているにしても、精華はこんなことやらない。
「いい加減にしないと怒るぞ」
「おー、怖い怖い」
言葉を返したのは……聞き覚えのない男の声。
精華のもたれかかっている大木の裏から、一人の男が現れた。
『ヨシオ……』
俺の手をぎゅっと握るのはキャロル。
相手の雰囲気と異世界人から見て異様な姿に怯えているようだ。
言葉が通じていない現状では不安しかないよな。
「大丈夫だから」
キャロルを背後にかばって前に出る。
男を一言で表すなら、ヘビメタのバンドマン。キャロルのような自然な金色ではない染めた金髪。唇と耳に無数のピアス。
外国のバンドが描かれているシャツに、ダメージが入りすぎて穴だらけのジーンズ。
俺とは一生交わることはないと思っていたタイプだ。
「あんた、何者だ」
「それって名前が聞きたいわけじゃねえよな。まあ、誰だっていいじゃねえか。俺はこの本が欲しいだけだ」
そう言って精華が持っている聖書を掴む。
何の抵抗もなく大人しく渡した精華は今も笑顔をたたえて、じっとバンドマンを見つめている。
惚れているようにしか見えない表情。
その顔を見ているだけで心臓が激しく脈打つ。嫉妬なのか怒りなのか、自分の感情が判断できない。
でも、血は滾っているというのに、頭はどこか冷静さを残している。
普通なら二人は恋人関係にしか見えない、が普通ってなんだ。昨日からの体験のどこに普通があった。
「……その本が何か知っているのか?」
「運命の神の聖書だろ。どうやって、こっちの世界に持ち出したのかはしんねえけどよ。ほら、俺も似たようなの持っているぜ」
そう言ってバンドマンが取り出したのはスマホ。俺に突き出すようにして見せつけるスマホの画面には似たようなデザインの一冊が映っている。
まさかこいつも⁉ ……動揺は顔に出すな。冷静に冷静な振りを続けるんだ。
「あんたもプレイヤーか」
「おっ、理解が早いな」
「精華に何をした」
「恋人同士とは思わないのかよ」
バンドマンの胸元にしなだれかかっている姿は甘えている恋人のようにしか見えない。だけど、
「お前の顔は精華の趣味じゃない」
精華の好みの顔なんて知らないけど、堂々と言い放つ。
「くだらないやり取りはどうでもいいから、質問に答えろ。その本を知っているのかと訊いている。それに精華に何をした」
相手に怯むことなく、すらすらと話せる。……人間場数を踏むと度胸が付くもんだな。
昔の俺なら相手の見た目にびびって会話すらままならなかった。でも、命の危機に二度遭遇して一皮剥けたようだ。
それに俺の背後にはキャロルがいる。格好悪いところは見せられない!
「おいおい、会話を楽しもうぜ。つまんねえ男だな。お前さんはゲーム内じゃ運命の神なんだろ? 俺は邪神側で精神を操れる従神やってんだよ」
山本さんと同じ邪神側のプレイヤーか‼
それに「精神を操れる」とか口にしたぞ。
普通なら頭のいっちゃっている人の戯言で聞き流す場面だけど、それが真実なのを即座に理解した。
「精華がこんな風になったのは、もしかしてお前の力か? 邪神側ってゲーム内でモンスター操るだけじゃないのか?」
「おっ、そんなのも知らねえのかよ。お前ら主神側も結構な数の神様がいるだろ。邪神側にも相当な数の神がいるんだよ。俺が担当しているのが、魅了や誘惑を担当する神ってやつだ。お前が運命を操れるように俺は他人の欲望を増幅したり、魅了して操ったりできるんだよ。特に精神が弱ってたり、酔っ払って意識が定かじゃねえと掛かりやすいんだよ。こんな具合にな」
精華を抱き寄せるが、嫌な顔一つしていない。それどころか酔っているかのような緩んだ顔。
俺は運命の神やっていたけど、現実世界で運命は操れないぞ。なのにこいつは、魅了の力がこの世界でも使える?
このゲームには俺に知らない秘密が、まだ隠されているのか。
それに……ちょっと待てよ。「欲望を増幅」って言ったよな。
その言葉を聞いて、一つの疑問が頭に浮かぶ。もしかして……。
「まさか、あんた……昨日、山本さんと会ったのか?」
「おっ、元ニートの分際で気づきやがったのか。ビンゴ! お前の家に遊びに行く前にちょーっと、負け組の脳みそいじっちゃいました。てへっ」
舌を出して小首を傾げる姿に殺意を覚える。
山本さんがあんな凶行に走ったのは、こいつのせい……だったのか!
「おうおう、怖い顔しやがってよー。一応、言っておいてやるが、俺はあいつの欲望の後押しをしてやっただけだぜ? 欲望の薄いヤツには人畜無害な能力なんだぜ。そこんとこヨロシク!」
すべての言動が俺をいらつかせてくれる。
落ち着け。落ち着け。ここで冷静さを失ったら相手の思うつぼだ。俺を動揺させて精神を操るつもりなのかもしれない。
しかしこの男、俺に能力を教える義務はないのにべらべらとよく話してくれる。
「その邪神側のプレイヤーがなんで俺の聖書を欲しがるんだ?」
「お前の聖書を高く買い取ってくれる人がいるんだよ」
……買い取る、ときたか。
でもこの聖書手に入れたところでどうするんだ。欲しがるヤツの目的がわからない。
「こんなもん欲しがるなんて物好きだな」
「おいおい、マジか。お前、価値を理解してなかったのかよ。それにこのゲームの本当の力も意味も……その様子じゃ、なーんも知らねえみたいだな」
このバンドマン、何も考えてなさそうな見た目に反して意味深なことを口にしたぞ。
精華の腰に手を回して抱き寄せていることに関しては……今すぐにでもぶん殴りたいが、こいつは口が軽そうだから情報を最優先させてもらう。
……今は我慢、我慢。
「これっぽっちも知らないから教えてくれないか?」
「うーん、やなこった。俺が寒空に一人でいるってのに、イチャついているてめえが悔しがる顔が見たくて出てきただけだからな。まあ、この女もついでにもらっておくぜ。年はいってるが、見た目は悪くねえからな。暖房器具の代わりぐらいにはなるだろ」
そう言って精華の胸を掴みやがった。もう、我慢する必要はないな……。
俺は黙ったままバンドマンに大股で歩み寄る。
「おいおい、なんだ怒ったのか。てか、お前って俺のこと舐めてんのか?」
片手には本。もう片方の手は精華を掴んでいる。
何か武器を隠し持っていたとしても、今なら先に殴れる!
最後に大きく踏み込んで全力で殴ろうとしたところで、精華を俺の方に押し出した。
慌てて受け止めて顔を覗き込むと、気を失っている。
全身の力が抜けて倒れ込むように、俺にもたれかかった。
「へっ、俺は本が本命なんだぜ。そいつは別にいらねえよ!」
最近、暴力的な展開が多かったから、ここでバトル開始するものだと身構えていたのに、あいつ背を向けて逃げやがった。
ベンチに精華を寝かせるとキャロルに声を掛ける。
「ごめん、ちょっと精華を見ていて!」
聖書を奪われたまま逃がすわけにはいかない。
それにまだ不明な点が多すぎる。あいつからはもっと情報を引き出せるはずだ。
『ヨシオ! 追いかけなくても大丈夫だよ』
キャロルにそんなことを言われて思わず足が止まる。
この状況下での数秒の迷いが、相手の逃亡を許してしまうとわかっていたのに。
「どういうこと――」
「うあああっ! 足が、足がっ」
バンドマンの叫び声に振り返ると、地面から一歩も足を上げずに腕だけを懸命に振っている滑稽な男がいた。
一瞬だけ意味がわからなかったが、足下を見て即座に理解した。
膝から下が石のようになっていて、そんな男を至近距離から見つめるディスティニー。
一匹と一人を交互に見つめ、
「どういうこと?」
思わず同じ質問を繰り返す。
『えとね、ディスティニーが一緒にお祭り行きたいみたいだったから、連れてきちゃった』
自分の頭を軽く小突くキャロル。背負っているリュックサックのチャックが開いているのは、そこに入っていたからか。
「お、おい! 俺の足どうなっちまったんだよ! こんなの聞いてねえぞ!」
足が石化したことにうろたえているバンドマンへ、ディスティニーを抱えた状態でゆっくりと近づいていく。
「な、なんだ、そいつは! もしかして、そのきしょいトカゲが何かしやがったのか? お、おい。なんか言えよ! 黙って近寄んな! な、なあ。マジでなんか言えよ。悪かった、俺が悪かったから、そいつをそれ以上こっちにいいいいいいいいいいっ‼」
「うるさいな。あの口だけ石化させて声を出せないようにできるか?」
大きく頷くディスティニー。
顔面蒼白の半泣きで頭を激しく左右に振るバンドマン。
俺はにっこりと微笑むと一言「やってくれ」と言った。
唇から下が石になったバンドマンが地面に転がっている。
「今から口の石化を解くが、大声を出したら今度は口も鼻も石化する。それがどういうことかはわかるよね?」
笑顔で確認を取ると、頭がもげそうな勢いで同意してくれた。
「ディスティニー頼む」
相手の口元をじっと見つめ瞬きを一つすると、唇が通常の色に戻る。
「これで会話可能となったな。じゃあ、色々と聞きたいことがあるから正直に答えて欲しい」
「な、なんでも、訊いてくれ。だ、だから、殺さないでくれよっ」
素直なのはいいが怯えすぎじゃないか。ちょっと脅しただけなのに。
「じゃあ、質問その一。どうやって、精華を魅了したんだ?」
「そんなのゲームの力に決まってんだ……ます」
小馬鹿にした顔をしたのでディスティニーを抱えると、丁寧な口調に変化した。
「ゲームの力とはゲーム内で使えるポイントを消費して発動する奇跡の力か」
「ああ、そうだ……です。ゲームで村を滅ぼしまくってレベルが上がったら現実でも奇跡が発動できる。本当に知らなかった……みたいですね。ってことは、まだレベル1なのかよ、です。あれ? じゃあ、なんでこの石になる力が使えんだ?」
最後の方はよく聞こえなかったが、そこまでの話に驚きを隠せない。
レベルなんてシステムがあったのか。
心当たりがまったくない……わけじゃない。ゲームを始めたときに読んだ説明文に、
《運命ポイントを消費して発動できるものはこちらとなります。村が立派になり住民が増えると奇跡の内容もグレードアップしますので頑張ってください》
と書いてあった。あれは単純に使える奇跡の種類が増える程度に捉えていたけど、そういう意味合いも含まれていたというのか。
邪神側の条件は村を滅ぼすこと。
主神側の条件は村を繁栄させること。
その条件を満たした者はレベルアップして現実世界で奇跡の行使が可能となる。ということだったのか。
このゲーム想像以上の代物だぞ。
「次の質問だ。本を買い取るヤツがいるとの話だったが、聖書だけ得たところでどうしようもないだろ」
「それは俺もわかんねえ……ですよ。俺のスマホにお前さんの住所と買い取りの内容が書かれたメールが送られてきたんだよ。大金が手に入ればもっとポイントが増えて、奇跡もガンガン使えるからな。そりゃ、やるだろ」
依頼をしたヤツが気にはなるが、こいつをどうにかできたら、ひとまずは狙われることはない。
「魅了が使えるなら、俺を魅了すれば済んだ話じゃないのか」
「敵対する側のプレイヤーに直接奇跡を使うのはルール違反なんだよ。もし、奇跡で傷つけたりしたら問答無用でゲームオーバーになるらしいぜ。だから、お前さんに奇跡を使って怪我させる気もなかったし、こんな搦め手を使ったんだよ……です」
この話が本当なら山本さんがゲームオーバーになったのは、手持ちのモンスターが全部やられたからじゃなくて、俺に手を出したからだったのか?
「あれ、ちょっと待てよ。その情報どこで知ったんだ? もしかして他のプレイヤーと交流があるのか?」
「あるに決まってんだろ……ですよ。あー、そうかレベルが上がってないから、交流広場が解放されてないのか」
交流広場。それってネトゲでよくあるあれか。プレイヤー同士が情報交換をする場所で、運営が質問も受け付けていたりする、ネット掲示板。
「このゲームって他言無用じゃなかったのか? 情報のやり取りなんて違反行為だろ」
「ああ、それな。このゲームはプレイヤー以外に内容を詳しく知られたらアウトだぜ。だけどプレイヤー同士ならいいんだ……です」
そうだったのか。
本当は俺が村を発展させて、レベルが上がってから知るはずだった情報の数々。
新事実に驚くばかりだが、まだまだ疑問はある。
「俺の住所と本を買い取るという話、他のプレイヤーにしてないだろうな」
「俺はしてねえけど、あのメール邪神側に一斉送信されたみたいだぜ。交流広場の掲示板じゃその話題で持ちきりだったからな。バンド活動って金が掛かるんだよ。スタジオ借りて、楽器買って。だから、いつも金がなくてよ。そんな時に本を手に入れたら……一千万やるって言われたら、普通やるだろ?」
一千万……って正気か⁉
おまけに一斉送信ってどういうことだ!
その大金目当てに、こんな輩が次々にやってくるっていうのかよ。住所を知られているのが痛すぎる。
「なあ、そろそろ石化を解除してくれよ。俺の知っていることほとんど話しただろ。もう狙ったりしないからよー」
媚びを売るこいつの言葉を信用できない。
本を奪うだけで一千万手に入るチャンス。そう簡単に手放すだろうか。
「それによ、こんなに時間掛けてたら他の連中もやってくるんじゃねえか。今もそこらで狙っているかもな」
こいつの言うことも一理ある。だからといって、このまま解放する気はない。
奇跡の力が危険すぎるからだ。このまま放置するのもあり得ないよな。
だとしたら、俺の選択は一つしかない。
「ああ、いいよ。石化は解除してやる。ただし……。ディスティニー、ここだけ石化解除できるか?」
俺が指さしたのはポケットの位置。
「おい、何する気だ! まさか……やめろ、それだけはやめろ! そこのトカゲ俺の言うことを聞け! くそっ、スマホが使えねえから奇跡が発動できねえ!」
何をしようとしているのか悟ったバンドマンが大声で叫ぶので、ディスティニーが気を利かせて口をまた石化する。
ポケットが石じゃなくなったので、そこからスマホを取り出すと代わりに操作した。
オプション欄にある《ゲーム放棄》の項目をタッチする。
《間違いありませんか?》と再確認する文章が出てきたので《はい》を選択した。
すると山本さんと同じようにゲームオーバーの画面になり、スマホからゲームが消滅する。
暴れていたバンドマンが白目をむいて大人しくなった。
これでゲームの記憶も失われたはず。脅威を一つ退けたが、他の連中がいつ来てもおかしくない現状。
俺だけならまだしも、キャロルや精華。そして家族を巻き込んでしまう。
「この状況を打破する選択はたった一つだよな。……キャロル」
『なあに』
気を失っている精華に付き添っていてくれていたキャロルが、ベンチから降りてトコトコと歩いてきた。
俺はかがみ込み視線の高さを合わせると、決意を口にする。
「神様に会いに行こう」




