神への願いと決断する俺
目が覚めて初めに飛び込んできた光景に違和感を覚える。
「天井が違うな。……ああそうか、昨日は」
自室ではなくソファーで寝たのを思い出して体を起こす。
そっと和室を覗くとキャロルはまだ眠っていた。いつの間にやって来たのかは知らないが、ディスティニーを抱き枕のようにして。
「もうガラスケースに入れなくてもいいか」
昨日正体を知ったので、普通のトカゲのように飼育する必要もないと考えを改めた。
もちろん、家族の前では普通のペットの振りをしてもらうつもりだが。
リビングのカーテンを開けると眩しい日差しが室内を照らす。
「あれだけ雨降ってたのに晴天だな」
空気の入れ換えも兼ねて窓を開ける。
一気に吹き込んできた寒気に耐えきれず、すぐさま窓を閉めてこたつに逃げ込んだ。
おかげで目がバッチリ覚めたので、朝食でも作ろう。
精華には昼から初詣に行くと伝えているので、その時間帯にまた来ると言っていた。
この二ヶ月で何度か手料理を作っているので、少しはマシになった手つきで朝食を作り終えた。
『おはよぅ……。うわー、いい匂い!』
寝起きで寝ぼけ眼だったキャロルが俺の運ぶ料理を見て、目がぱっちりと大きく開いた。
「はい、おはよう。ご飯の前に顔を洗っておいで。使い方説明するから」
洗面所まで連れて行き、水の流し方と止め方を説明すると『すっごいね! これがあったらママ喜びそう!』感激してくれた。
一緒に顔を洗ってこたつに座って朝食を取る。
村人の食事内容は毎日見ていたので、何が食べられるかも大体把握している。食材も貢ぎ物をメインで使ったので、不満なく平らげてくれた。
「今日は初詣という、この世界で新年を祝うお祭りに行きます」
『神様の国のお祭り! みんなに自慢できるね!』
はしゃぐキャロルを見ているだけで元気をもらえる。
初詣に行くなら準備が必要だな。まずは……。
「先にお風呂入ろうか」
『お風呂! あるのっ⁉』
身を乗り出して予想以上に食いついてきたのには理由がある。
前に住んでいた村には入浴の習慣があったようだが、あの拠点に風呂は存在していなかった。温めたお湯で湿らせた布を使って、体を拭く程度のことはしていたので最低限の清潔さは保たれていた。
その後、カンとランが浴槽を作ってくれて、二日に一回風呂に入れるようになって女性陣が諸手を挙げて喜んでいたのを覚えている。
浴室に連れて行ってシャワーの使い方を説明するが、ちょっと怖いようだったので風呂桶を使う方を選ぶみたいだ。
キャロルがお風呂に入っている間に、俺は物置代わりの部屋で俺や妹の昔着ていた服を物色している。
「母さんが物持ち良くて助かるよ」
俺の小学生時代の服でも良かったが、デザイン的に妹の服がいいだろうと何着か取り出す。丁寧に真空パックに入れて保存していたので、封を切ると直ぐに着られる状態になる。
服装のセンスが俺にはないらしいので、適当に見繕った中からキャロルに選んでもらうか。
リビングに戻ると体から湯気を立ち上らせたキャロルがいた。
「頭濡れているじゃないか。こっちおいで乾かしてあげるよ」
タオルとドライヤーとブラシを使って、念入りに髪を乾かしていく。
『ヨシオ、上手。気持ちいい』
「慣れているからね」
妹も髪が長かったから昔はこうやってよく乾かしていたな。
その後は持ってきた服から好きな服を選んでもらうと、今まで以上にはしゃいでファッションショーが始まった。
元がいいのでどれを着てもかわいい。だが、こういうときにどれもかわいい、という曖昧な答えは禁句だ。妹に散々怒られてきたからな。
なので、否定はしないで自分の好みを伝えつつ褒める。
それが功を奏したのか、上機嫌なまま今日の一着を選んだようだ。
母の手編みのセーターに生地の分厚いロングスカート。あともこもこした見た目の暖かそうな子供用のコート。
あとは熊の顔をしたリュックサックも気に入ったみたいなので、背負わせてあげる。
まるで雑誌の子供モデルみたいな仕上がりだ。ひいき目抜きで抜群にかわいい。これはチェムもうかうかしてられないな。
『ヨシオ、どう?』
「他の追随を許さないかわいさだ」
『意味がよくわからないけど、たぶん褒めすぎだよー』
と言いながらも満更でもない顔をしている。
照れる姿をスマホで撮っているとチャイムが鳴った。精華が誘いに来たのか。
キャロルの手を引いて玄関の扉を開けると、そこには赤の色合いが鮮やかな振り袖姿の美女がいた。
髪も上でまとめてしっかりと固めて、いつもはすっぴんに近いナチュラルメイクなのに今日はしっかりと化粧をしている。
今まで知っている幼馴染みの姿ではなく、大人の色気も備えた姿に思わず息を呑む。
「へ、変じゃないかな」
『うわー、すっごくきれいだね! ヨシオもそう思うよね』
「きれいだ……」
問いかけるキャロルの声に反応して本音が口から漏れた。
……あっ、今のは無意識だったから、どっちに向けて言葉を放った判定になるんだ⁉
精華の顔を見ると視線を下に向けて、厚めの化粧を物ともしない赤面ぶり。
「あーっと、着物似合ってるぞ」
「ありがと。じゃあ、行こっかキャロルちゃん」
お互いいい年なのに、ほんと学生時代みたいな反応だな。
精華もそう思ったみたいで、目が合うと互いに苦笑した。
昨日あれだけ雨が降っていたのに、俺の家の周りは地面が乾いていた。
「ここは通り雨だったのか」
家から離れると地面が湿っていて、履き慣れていない草履の精華が転ばないようにゆっくりと歩く。
我が家から徒歩十分程度の距離に大きな神社があり、引きこもる前は毎年参拝していた。
露店がずらりと並んでいるので、子供の頃は願い事よりもそれが目当てで親について行っていたもんだ。
今は真ん中のキャロルを挟んで俺と精華の三人。一見、家族に見えるんじゃないかと期待したけど、顔が似てないし何より髪色が金髪。
私服の俺と振り袖の精華と外国人にしか見えないキャロル。
これってかなり目を引く組み合わせじゃないだろうか。おまけに女性陣二人が美人だからな。
『ヨシオ、いっぱいお店あるね! あれ何?』
「あれは焼きそばと言って、麺を焼いたヤツだよ」
『あの雲みたいなのは!』
「綿菓子だね。甘いお菓子だよ」
物珍しさに、あれこれ質問してくるキャロルに全部答えていく。
露店巡りは後にして、先に参拝しようと列の最後尾に並ぶ。
言葉の通じない精華が暇を持て余していないかと心配になって様子を窺うと、楽しそうに微笑んでいた。
「すまないな。一緒に来たのにろくにかまえなくて」
「ううん。見ているだけでも結構楽しいよ。キャロルちゃん表情豊かだし、それに父性あふれるよっしいなんて、滅多に見られないからね。眼福眼福」
言われるまで自覚してなかったが、父親っぽく見えたのか。
『ねえ、なんでみんなジャラジャラしてパンパンしてるの?』
袖を引っ張るキャロルの視線の先にあるのは、賽銭箱を前にして手を打ち鳴らしている人々だった。
「あれはこの世界のお祈りのやり方なんだよ」
参拝時の二礼二拍手一礼を教えると、自分たちの順番が来る前に何度も練習している。
それを見た周りの参拝客が微笑んでいた。
どうだ、うちのキャロルはかわいかろう。
「今ね、沙雪ちゃんが褒められているときのおじさんみたいな顔してるよ」
「マジで?」
血は争えないというのか。
嬉しいようなむず痒いような複雑な心境に葛藤している間に、俺たちの順番が来た。
賽銭箱の前に俺たち三人が横に並ぶ。
神様への課金が重要なのは学んだから、奮発して千円を投入した。
願い事は決まっている。
村人が無事でありますように。キャロルが村に戻って再会できますように。
精華は目を閉じて何やら真剣に祈っている。
キャロルはというと、
『パパとママとガムズお兄ちゃんとムルスさんとカンちゃんランちゃんと……チェムお姉ちゃんが無事でありますように。みんなと会えますように』
声に出して一生懸命に祈っていた。
正直に言えば、このままキャロルと一緒に暮らすのも悪くないと思っている自分がいる。
両親に土下座してでも一緒に住むという選択肢も考慮していた。
でも、違うよなやっぱ。キャロルの本当の幸せを願うなら、元の世界に戻してやらないと。
「あっ、見て見て御神酒を配ってるよ」
精華に釣られて視線を動かすと、神社の一角で巫女姿のアルバイトらしき女性が参拝客に酒を配っていた。
この神社では昔からやっていて、大人だけ飲めるのずるい、なんて子供の頃は思っていたな。
『ヨシオ。あれ、キャロルも飲んでいいの?』
「あれはお酒だからダメだよ。……精華も酒弱いんだから飲むな……よ」
時既に遅し。赤ら顔の精華が千鳥足で歩いてくる。
飲みやがったな。たった一口で酔っ払うぐらい酒に弱いから、会社の宴会でもアルコールは口にしないって言ってたくせに。
「よっしい~。どうしたー、そんなしかめ面して~。このこのおう」
人のほっぺたを指でぐりぐりしてくる。
酒癖がいいなら別に酒を飲んでもいいんだが、テンションが上がってうざ絡みしてくるんだよな。
「あーもう、一口で酔っ払うなよ。キャロルちょっと場所を移そうか」
俺にしがみつく精華をあしらいながら、露店を回って食料を確保してから神社を離れた。
一応参拝も終わり、露店で綿菓子とたこ焼きを買ってご満悦なキャロルと一緒にベンチに座って、焼きそばを食べている。
酔っ払いの精華を連れて、神社から少し離れた池の畔まで移動してきた。
ここは穴場のスポットで地元民しか知らない場所だから人気もなく、耳を澄ませば神社の喧騒がわずかに届く程度。
精華に自販機で買った水を渡すと一気に飲み干し「よっしい優しいから好き! 寝る!」と言って俺の肩に頭を乗せて……本当に寝やがった。
今日はこの時期にしては暖かい方だけど、冬に外で寝るか普通。
俺の着ているコートのボタンを外すと左の袖から腕を抜いて、互いの体を包み込むようにして被せた。
『お祭りおいしいし楽しい! 人がいーっぱいいたね!』
直ぐに退散してしまったが、キャロルはご満悦のようだ。
俺にはただ人が多いだけにしか見えないが、知らない世界の人々を眺めているだけでも新鮮な喜びがあるらしい。
俺は焼きそばを食べ終わったので、コートの内ポケットから一冊の本を取り出した。
それはキャロルと共にやってきた聖書だ。
手触りはハードカバーの本と何ら変わりない。大きさは文庫より大きく、単行本より小さいぐらいか。
ページをめくると俺が今まで神託で語ってきた文章が書き込まれている。
この聖書がこっちの世界に贈られてしまったので村の様子が見えない、という考えで間違いないはずだ。
昨日、思考の方向性をガラッと変えていくつかの仮定を思いついたんだが、そのうちの一つが現状の打破に使えるのではないかと考えている。
これが神の力を具現化する発動体みたいなものだとしたら、俺にゲームを送りつけた運営は困っているのではないだろうか。
そもそも運営とは何か。そこが最大の謎だが、この超常現象の数々を経験してたどり着いた答えは……運営は神ではないか、と。
別に最高のゲームを作り出した人を賞賛して神と言っているのではなく、本物の神が作ったゲームではないかと疑っている。
そうでもないと、今までのことが説明できない。……ちなみに俺は正気だ。
「よっしい、その本何?」
俺の手元の本を精華が興味深そうに覗き込んでいる。
なんだ、起きたのか。最悪おんぶして帰るつもりだったが、大丈夫そうだな。
「これはキャロルの国の本でね。なくしたらダメな貴重品らしいから、俺が預かっているんだよ」
「それが……。ちょうだい、それ」
「えっ?」
一瞬、言葉の意味がわからず間抜けな反応をしてしまう。
精華はすっと手を伸ばして俺の聖書を掴むと、ベンチから立ち上がる。
「お、おい。何を……」
すっと目を細めて笑う精華の顔は妖艶な美しさがあった。




