新年と信じる俺
初めて食べる蕎麦を喜んで平らげたキャロルが眠そうにしていたので、さっきまで精華が寝ていた布団に寝てもらうことにした。
「布団敷いたから、ここで眠れるかな?」
『うん。ふっかふかー。それに真っ白。本当にここで寝ていいの?』
「いいんだよ。我が家だと思ってくつろいでいいんだからね」
『うん。ヨシオが優しくてよかった。あのね……パパもママも、みんな無事だよね?』
さっきまでの元気の良さが嘘みたいに消えて、今にも泣き出しそうな顔で俺を見つめる。
そりゃ不安だよな。子供なのに俺に気を遣い、無理して明るく振る舞っていたのだろう。
「大丈夫ですよ、安心してください。今日はゆっくり体を休めて」
『うん』
不安そうなキャロルの手を握ると、少し安心したのか目蓋を閉じた。
しばらくすると寝息が聞こえてきたので、そっと手を離して足音を立てずに和室から出る。
「キャロルちゃん眠った?」
「ぐっすりだよ」
まだ残っていてくれた精華がこたつに入って俺を手招きする。
その対面に座ってすっと差し出された湯飲みを受け取った。
「悪いな。キャロルの面倒まで見てもらって」
「気にしなくていいよ、子供好きだし。言葉はわからないけど、明るい子だね。でも……ちょっと無理しているのは、両親と離れて寂しいからかな」
精華はキャロルが無理をしていたのを見抜いていたのか。
お茶を一口飲んで一息吐く。
「頭のいい子だからな。せめて、こっちにいる間は楽しんでもらいたいけどね」
と言いながらも向こうに戻れる手立てすら思いつかない。
その場しのぎかもしれないが、楽しいことをいっぱい経験してもらいたいとは思っている。
「とりあえず、明日は初詣に連れて行ってあげるつもりだよ。異……異国の人には珍しいだろうし」
危ない。異世界って言いかけた。
「異国って、古風な言い回しね。初詣か……たまには私も行こうかなー」
「神様に願い事も悪くないと思うぞ。意外と神様っているかもしれないし」
「無神論者じゃなかったっけ? まさか、変な宗教にはまったりしてない?」
余計な心配をさせてしまったか。
《命運の村》に関わってから摩訶不思議な世界に片足というか両膝まで突っ込んでいるから、神がいたとしても驚かない自信がある。
一応自分も運命の神……だった。
「ないない。そんなものにハマる余裕もないぐらい忙しい二ヶ月だったから」
「変わったよね、よっしい。変わったのはちょっと違うかな。昔に戻った気がするよ」
そういって微笑む幼馴染み。
「昔か。そうだな、ここ十年は酷い有様だった。思い返すと後悔ばかりだよ。精華にも迷惑掛けてすまなかった」
正座をして背筋を伸ばし、改めて謝罪する。
「やめてよ、気持ち悪い。そんな殊勝な性格じゃなかったでしょ。もっと自己中でプライドが高くて、偉そうで、わがままで、いたずら好きで」
欠点をずらずらと並べられる。そのすべてが間違っていないので反論できない。
「……そこら辺で、勘弁してもらえませんか」
「でも、正義感があって、優しくて、自分よりも他人を大切にする人だったよね。この十年間の姿も知っているけど、十年前までのよっしいを私は知っているんだよ?」
急に真顔でそんなこと言われたら、どうしていいかわからなくなる。
「私が好きだった、よっしいが帰ってきて嬉しいな。おかえり」
「……ただいま」
今、顔は真っ赤なんだろうな。火が出そうなくらい顔が熱い。
精華は恥ずかしいことを口にしたのに平然としている。これが社会に揉まれてきた人間の精神面の強さか。
……いや、よく見ると頬が赤いな。
「あー、そのなんだろ。ええと、だな。これからもよろしく」
「うん、よろしく」
思わず差し出した手を握り返してくれた。
お互い三十代だというのに、まるで学生時代のうぶな反応だ。
大人の男女が深夜に二人。俺の知っているドラマや青年向け漫画なら、この先が本番だよな……。
――あの後、俺は精華を送り届けてリビングに戻ってきた。
外は雨が降っていたのでタオルで体を拭きながら、こたつに足を突っ込む。
「まあ、現実はそんなもんだ」
こたつの天板に突っ伏しながら独り呟く。
今は村とキャロルのことで頭がいっぱいだから、しょうがない。って誰に言い訳しているんだ俺は。
あの後、明日の初詣を一緒に行く約束を取り付けただけでも進歩した。そう思って自分を慰めるしかない。
ただ、今現在あれだけ雨が降っていると明日は無理かもしれないが。
「浮かれ気分はここまでにしよう。問題が山積みだ」
キャロルのこともそうだが《命運の村》がどうなったのか。
最後に見た映像から察するなら、キャロルを貢ぎ物として俺に贈って、先住民が残していた爆弾を使って敵もろとも自爆した。
こう考えるのが妥当だろう。
それが真実ならキャロルは独りぼっちになってしまったことになる。
でも、俺はまだあきらめていない。村人たちは生きているのではないかと、わずかな希望を捨てられずにいた。
村人が全滅した瞬間を見たわけじゃない。爆弾を扉の隙間から外に投げて、敵だけを倒した可能性だって残されている。
「俺は見たわけじゃないんだ。村人が死んだところを」
信じよう。村がどうなったかこの目で確認するまでは、村人たちが生きていると。
「そうなると、発想を変えないと。スマホは今何も見えない。PCも同じだった」
スマホを取り出してもう一度確認する。
ゲームのアプリ以外は普通に使えるので故障しているわけじゃない。
アプリを起動させると画面は真っ黒。
タッチしてみると前と同じく《現在、マップ上に聖書が存在していません》という表示が……出ない。
「えっ?」
真っ黒な映像をバックに、奇跡の項目が白文字でずらっと並んでいる。
どういうことだ?
見えなくなって直ぐに確認したときは、確かにあの文字が出て操作不能状態だった。それは間違いない。
なのに今は奇跡の項目が見えて発動可能な状態だ。
「でも、ほとんどが使えなくなっている、のか?」
奇跡で発動できる項目の大半に線が引かれていて、試しにタッチしてみると《今は使用できません》と文字が浮かぶ。
例えば『行商人が訪れる』『旅の薬師がやってくる』『ハンターが立ち寄る』『逃げ延びた村人が合流する』という項目は発動不能。
だけど《天候操作》は可能なようだ。
「村に変化を与える奇跡は無理で天候は問題ない、と」
その違いがわからないが、わからないなら実行すればいい。
見えないが異世界で奇跡が発動できるなら天気の《晴れ》を試してみよう。運命ポイントが減って発動したという結果が得られるのであれば、まだ村人たちが生き残っていてゲームオーバーではない、可能性が増す。
祈りを込めて《晴れ》をタッチする。
運命ポイントは減った。だけど真っ暗な画面に変化はない。
奇跡が使えたということは、まだゲームは終わっていないということだ。
村人が生き残っている、かもしれない。そうだ、まだ希望を捨てるには早すぎる。
「一度頭を休めるか。風呂入って寝……。あっ、キャロルに風呂入らせるべきだったな」
考えることが多すぎて失念していた。
寝ている子を起こすのもあれなので、自分だけ風呂に入ってリビングのソファーで寝ることにする。
目が覚めたときに知らない場所で誰もいなかったら、キャロルがかわいそうだから。
「今日は頭を使いすぎたな。日頃使わないから肉体労働とは別の疲労感が半端ない」
二階に上って部屋から掛け毛布だけ運ぶ。
その際にガラスケースの中でディスティニーが大人しく丸まっていたのを確認して、部屋の電気を消した。
ソファーに寝転んで目を閉じると一気に眠気が押し寄せてくる。
「年末からの出来事が全部夢だったら……いい、のに……な」
今までの一件は悪い夢で目が覚めたら、いつもの光景が画面に広がっていることを願い、眠りについた。




